「The Evolution of Beauty 」

The Evolution of Beauty: How Darwin's Forgotten Theory of Mate Choice Shapes the Animal World - and Us

The Evolution of Beauty: How Darwin's Forgotten Theory of Mate Choice Shapes the Animal World - and Us


本書は羽根の起源と進化過程仮説で有名な鳥類学者リチャード・プラムによって書かれた性淘汰の本である.性淘汰は,フィッシャーのランナウェイ過程,ザハヴィのハンディキャップ原理などの妥当性をめぐり,80年代から90年代にかけて,行動生態学の中でかなり注目を浴びたトピックだった.しかし最近は,「性淘汰のプロセスがどのようなメカニズムで進むのか」という理論的な問題は,「さまざまなメカニズムは互いに排他的ではなく統合的に考えるべきで,個別のケースでどのメカニズムが働いているのかを調べよう」という方向で収まり,個別のリサーチに焦点が移っているという印象だった.そういうわけで本書が新刊として告知されたときには,鳥類の性淘汰本として様々な美しい性淘汰形質が扱われている本かと思っていた.しかし実際に読んでみると,むしろ前者の性淘汰プロセスの理論的問題をフィッシャーのランナウェイ過程推しの立場から議論したいという本であり,さらに鳥類だけでなくヒトについても扱っているというかなり野心的,そしてある意味異端的な本であった.


具体的な書評に入る前にこの性淘汰の理論的な問題についての私の理解を先に示しておこう.

  • そもそもオスのクジャクの羽根のような生存には不利になりそうな派手な装飾物がなぜ進化したのかはダーウィン以来の難問だった.
  • ダーウィンはそれはメスの審美眼によって配偶者選択を受けた性淘汰によるものだと説明した.しかし当時はこの説は賛同者を得られなかった.解説書などでは,メスに「審美眼」があること自体が当時のヴィクトリア朝の男性科学者には受け入れられなかったからだと書いてあるものが多いが,少なくともウォレスとの論争を読むと,ウォレスは「メスが子孫の不利になりそうな性質を好む形質を進化させるはずがない」と主張し,ダーウィンはこの議論に対し「何故メスがそのような選好性を進化させるのか」を説明できず,ウォレスを納得させられなかったことが明らかだ.
  • その後フィッシャーは1930年代に「メスにオスの形質に関する何らかの好みが一旦生ずると,メスの選好性とオスの形質が共進化する」ことを示した(ランナウェイ過程).しかし(他の多くのフィッシャーの議論と同じく)フィッシャーはあまりに時代を先駆けていて,この理論は主流の生物学者の受け入れるものとはならなかった.
  • 生物学者たちがまともに性淘汰を議論しはじめたのは1970年代以降だった.まずメスが確かに装飾物などの基準でオスを選んでいることが実証されて受け入れられ,フィッシャーのランナウェイ過程,ザハヴィのハンディキャップ原理がそれを説明できるのかが調べられた.
  • 当時の結論は以下のようなものだった.
  • ランナウェイ過程は単純な前提の上ではオスの装飾とメスの選好性の共進化を生じさせ,オスの装飾コストが性淘汰上のメリットと自然淘汰上のデメリットで釣り合うところで平衡になる.しかしメスの識別コストがわずかでもあるなら,平衡点から進化動態は逆転し装飾と選好性は急速になくなる.ただし装飾に壊れる方向の突然変異バイアスがあれば原点近辺で小さな正の装飾性が残る形で平衡になる.(通常メスの識別コストはあると思われるので,一時的な進化動態としてはともかく安定的な平衡点としてのコストの大きな装飾の説明としてはランナウェイは適さないと考えられる)
  • ハンディキャップの議論に対しては当初そんなことが生じるはずがないという懐疑論が大勢だった.また巌佐,ポミヤンスキーはメスの選好性,オスの優良性.装飾がそれぞれ独立した遺伝子座で決定するモデルにおいて,それが共進化し得ない(優良性と装飾に何らかの直接依存性がなければ進化しない)ことを示した.しかし1990年にグラフェン数理モデルを組み立てて,装飾を自らの質を査定した後の広告戦略(つまり自らの質にあわせてどこまで派手にするかを決める)と扱うなら,一定の前提(装飾の限界コストはオスの質によって異なり,質の悪いオスの方が限界コストが高くなる)のもとに,オスの質を表す正直なコストのかかる信号,そしてメスの選好性が進化可能であることを明らかにした.この時点で主流の行動生態学者はオスの派手な装飾形質がハンディキャップ型の正直なシグナルによる性淘汰により生じることを認めるようになった.
  • その後,このほか(直接利益のなさそうな)派手な装飾の進化については,感覚便乗,性的対立,繁殖干渉回避などのメカニズムが提唱されている.しかしいずれも(共進化過程が始まるきっかけとしては意味があるものの)大きなコストがかかる装飾の単独の進化メカニズムとしては弱いと考えられる.
  • 2002年にはコッコにより間接利益型の性淘汰は「ハンディキャップとランナウェイは互いに排他的ではなく,個別の性淘汰過程はこの2つの過程の混合体である連続体のどこかにある」と統合的に説明すべきだという考えが提示され,おおむね受け入れられている.


それではプラムの主張を順番に見ていこう.

導入

ここではまずプラムがバードウォッチング好きの少年として育ったこと,バードウォッチングの楽しみとは何かについて語り,すべての大陸を巡って鳥を観察できる素晴らしい職業として鳥類進化生物学者になる顛末が書かれている.そして数十年にわたる学者生活を振り返り,自分のリサーチの最大のテーマは「美の進化」だったのだと述べる.そしてそれは「装飾:美」と「それを評価するもの:美への欲望」の共進化であり,その評価は「赤を赤として感じること」「コウモリであるとはどういうことか」の議論に伴うような主観的なものだと考えていると.多くの学者は主観的な要素をリサーチから排除しようとするが,それなしでは美と美への欲望の共進化を理解することはできないのではないかというのが本書全体を通じてのプラムの主張になるのだ.

そしてこの導入章では現在の主流の行動生態学の考え方への異議も提示している.それは主流の考え方は,性淘汰は自然淘汰の1つであり,それは何らかの適応価を持つものが選ばれる過程であると捉えており,それが美の進化は,美への主観的評価,欲望との共進化過程であることを捉えにくくしているというものだ.これが本書全体を通したテーマになる.

第1章 ダーウィンの真に危険なアイデア

ここではダーウィンの性淘汰への考え方にもう一度光を当てるべきだという主張が取り扱われる.章題はもちろんデネットの有名な書物を意識してものものだが,「自然淘汰」がダーウィンの危険なアイデアであるなら,「ダーウィン流性淘汰」は「淘汰産物に制限がかからない」という点において真に危険なアイデアだという意味だ.
プラムはダーウィンのDescentにおける性淘汰の説明を概説し,それが極めて「審美的:aesthetic」な議論であること,審美者(メス)が淘汰エージェントであり,有用でない装飾を創り出すものだという特徴を持つものであることを強調する.そしてダーウィン自身は自然淘汰と性淘汰を別のメカニズムと認識していたこと,それは(メスの選り好み型性淘汰においては)メスの選好性との共進化過程である点で正しいと述べる.


この後の学説史をプラムはこう概説している.

  • 最初の反論はマイヴァートのものだった.動物のメスはそのような選り好みをしないというのだ,これは配偶者選択におけるメスの自律性の否定の議論としては最初のもので,その後もメスの自律性の否定は学説史上様々な場面でしばしば現れる.
  • 当時の最大の反論はウォレスからなされた.彼がすべてのオスの装飾は何らかの有用性があり自然淘汰産物だと主張したことを有名だ.そしてプラムは現在の行動生態学の主流はこのウォレス流の考え方の系譜につながると位置づける.
  • ダーウィン流性淘汰の復活はフィッシャーのランナウェイ過程によりなされる.フィッシャーはメスの選好性について何らかのきっかけがあれば,後は共進化過程が進むことを示した.これにより全く役に立たない新奇で派手で有用性のない装飾の進化が説明可能になった.
  • 1980年代に進化生物学者が再び性淘汰に興味を抱くようになると,ダーウィン=ウォレス論争も新たに繰り返される.ランデとカークパトリックはフィッシャーのランナウェイ過程を数理的に分析し,ランナウェイ過程はメスの選好性とオスの装飾の共進化を引き起こし,その大きさは性淘汰と自然淘汰が釣り合うところで平衡になることを示した.片方でザハヴィのハンディキャップシグナルのアイデアはオスの装飾を正直な信号としてみる考え方を生みだし,大いなる論争の末,1990年にグラフェンがそれが成り立つことを数理モデルで示した.グラフェンはこう宣言した.「十分な証明なしにフィッシャー=ランデ過程を性淘汰の説明として信じることは方法論的に間違っている(“To believe in the Fisher-Lande process as an explanation of sexual selection without abundant proof is methodologically wicked.”)」


プラムは自分はフィッシャリアンであると宣言し,この最後のグラフェンの態度に噛みついている.その後各章に渡って繰り広げられるプラムの理論的な立場は以下のようなものになる.

  • 生物界にしばしば見られる極めて美しい性淘汰産物は基本的にはメスの好みとオスの形質が共進化したランナウェイ過程の産物であることが多いだろう.良い遺伝子仮説に基づくハンディキャップ型の正直な信号である性淘汰形質も進化しうるがその頻度は低いだろう.
  • なぜなら多くの派手なオスの装飾が進化史を通じて系統内で変化しているからだ.このような変化は正直な信号説では説明できない.
  • これまで幾多の良い遺伝子説を主張するリサーチがあるが,その多くは,なぜその形質がシグナルに選ばれたのかを説明しておらず,またメスの選好性との相関性について証拠を示していない.メタアナリシスでは,良い遺伝子仮説が否定される傾向があることが示されている.
  • またしばしばオスの装飾形質やディスプレイは複雑で多次元的だ.理論的には正直な信号において複数形質が進化するためはそれぞれ別の資質のシグナルでなければならない.しかしメスがオスの複数形質をそれぞれの信号で見定めているとは考えにくい.正直な信号であると主張するなら,少なくともそれを実証的に示す必要があるはずだ.
  • 現在の行動生態学の主流は「ある(直接的利益のない)コストのかかる派手なオスの装飾形質が性淘汰産物であることを示したいなら,それが正直な信号であることを示せ.もしランナウェイ過程産物であることを主張したいなら,それがランナウェイ過程産物であることを示せ.いずれも帰無仮説は偶然の産物だ」というものになる.しかしランナウェイ過程であること(例えば装飾形質がオスのどのような形質とも相関せず偶然に決まっており,メスの好みについても(ランナウェイ過程以外の)自然淘汰が働いていないこと)自体を証明するのは至難の業だ(プラムはある査読者から,すべての代替適応仮説が成り立たないことを示せといわれて途方に暮れたそうだ).これはまさにグラフェンの呪いの実現だ.(直接的利益のない)コストのかかる派手なオスの装飾形質についてはランナウェイ過程産物であること自体を帰無仮説と扱うべきだ*1


私が感じる本書の最大の違和感は,「ランナウェイ過程は,メスに選別コストがわずかでもあると,大きな装飾の安定的な平衡点をもてない」という分析について全く触れていないことだ.この理論的な分析があるからこそグラフェンはああいう風に宣言しているわけだろう.確かにランナウェイ過程は短期的にはど派手な装飾の進化を可能にする,しかしそれは決してそれだけでは安定しないはずなのだ.そしてプラムは最後までそこには触れない.だから本書の最大のテーマは私にとっては説得力のない形でしか扱われていない.またもう一つの違和感は「主流派がランナウェイ過程とハンディキャップシグナルを排他的な説明と扱っている」という説明だ.一部の査読者はともかくとして,多くの行動生態学者はこれが排他的な過程だとは考えていないだろう.プラムは巻末のNotesにおいて両過程を統合的に捉えようと提唱したKokko 2002を引いているが,そこで「この両過程で生まれる産物の「意味」は大きく異なるので,別のメカニズムとして考察した方が理解が深まる」とコメントしており,むしろプラムの方が排他論者のような印象だ.プラムは別のところで「正直な信号なら,それに最もふさわしい形質がシグナルでなければおかしい.良い遺伝子説を採るなら,なぜその形質が指標として選ばれたのかの説明が必要だ」という議論も行っているが,これも排他論者的だ.系統内での装飾形質の転換も両過程が排他的でないと考えるなら特に不思議なことではないだろう.(なお複数(あるいは多次元)信号の進化についてはなかなか面白い理論的な問題提起なのかもしれない.しかし複数形質を何らかの形で統合した指標が正直なシグナルになることを妨げる理由はないようにも感じる.ここを評するためには私ももう少し勉強しなければならないところなのだろう)


とはいえ第2章以降詳細な性淘汰産物の吟味,そして各論はなかなか面白い.ここからは各論の面白さに絞って紹介していこう.

第2章 美は生じる

プラムが最初に取り上げるのはセイランだ.セイランのオスの羽根の精密な美しさ(特に半球状に見えるカウンターシェイディングのある模様)はダーウィンがDescentで取り上げたことでも有名だ.プラムはここでは羽根模様だけでなく,求愛場の様子,求愛コール,求愛ディスプレイなどの詳細*2を丁寧に紹介している.オスは精巧な黄金色の半球状の模様のある初列風切と次列風切を広げてつくる円錐状の構造でメスを包み込むようにディスプレイする.
セイランはオスが全く子育てをしないので直接利益はない*3.セイランの装飾およびディスプレイは非常に複雑で多次元的だ.


第3章 マイコドリは踊る

マイコドリを使ってプラムがプレゼンするのは,その素晴らしい装飾とダンスの多様性,そして系統内(マイコドリは15百万年前に起源を持つグループで54種を数える)でのシグナルの転換だ.プラムはこれを「美的放散:aesthetic radiation」と呼んでいる.マイコドリはオスがレックでディスプレイする.この様々な様子の紹介は大変楽しい*4
そしてプラムはその美的放散の様子を再構成する.どのような行動が単位要素になり,何が相同なのか.様々な革命的な新機軸の詳細.そしてその美的レパートリーは階層的であり,最節約的な系統樹を描くことができ,それは分子系統的な進化史と整合的になる.この知的格闘の部分もなかなか楽しい.

第4章 美の革命と退廃

冒頭で,キガタヒメマイコドリについてのリサーチの詳細が詳しく描かれている.次列風切りにあるピーという音を出す構造はまさにコオロギを思わせる.なおこの際の運動は1/3秒間で100サイクル,知られている限り脊椎動物の筋肉運動としては最速なのだそうだ.なおここでのプラムの主張は,正直な信号ならなぜ声のさえずりをやめる必要があるのかというものだ.確かに少なくとも短期的にはランナウェイ過程も働いているのだろう.しかしこの状態で何百万年も安定しているためには正直な信号である必要があると思う.またプラムはここでキガタヒメマイコドリがこの音を出すために払っている大きなコストについても詳しく解説している(それが章題の「退廃」の意味になる).そしてこれがグラフェン条件を満たしていることに疑問を呈している.ここは納得感がない.直感的には満たしていても何ら不思議はないように思う.
またプラムはこの「退廃」がランナウェイ過程のモデルによると種の絶滅にまで進みうること,オスのコストのかかる装飾がメスにも発現することがあることなどを解説し,メスの審美眼が途方もないコストを生じさせることは,装飾を適応的に説明しようとするウォレス=グラフェン流の解釈とうまく整合しないだろうとコメントしている.ここもあまり説得力はない.自然淘汰による適応(基本的には「種の存続」ではなく「個体の包括適応度最大化」に向かって進む)が種の絶滅を引き起こしうることは全く問題なく認められているし,グラフェン流のハンディキャップシグナルでも非常に大きなコストある装飾は進化しうるだろう.
ここでプラムは,化石の中のメラニンの作る構造の解析により恐竜アンキオルニスの羽根の色と模様が最近わかってきた経緯についても詳しく紹介している.この色も性淘汰形質である可能性が高いものだ.そしてプラムは自身による羽根の形態の進化仮説(Barb-Rachis-Vane仮説)を引きながら,羽根そのものも起源的には装飾のために進化した可能性があると主張している.

第5章 カモのセックスに道をつける

カモに強制交尾が多いことは有名だ.プラムはバードウォッチングの経験談などを交えながら,このカモ類における求愛ディスプレイやメスの選択の自律性をめぐる性的コンフリクトの多様性を解説する.なおそれぞれ逆向きのらせん構造があることで有名なマガモのオスのペニスとメスの生殖器のリサーチの紹介は詳しくて面白い*5.ここでプラムが強調しているのは進化ダイナミズムにおけるメスの選択の自律性の重要性だ.
またプラムはここで「なぜ鳥類は祖先恐竜が持っていたはずのペニスを失ったのか(カモなどのペニスは二次的に獲得したらしい)」という問題も取り上げている.プラムはそれはメスが強制交尾されるリスクの少ないペニスの小さいオスを選択した結果であり,さらにその結果メスの選択自律性は高まり,片方でより極端な美しさが進化し,もう片方ではオスへの子育て投資への要求が通りやすくなり社会的一夫一妻制の頻度が高くなったのだと主張している.なかなか刺激的な仮説で面白い.

第6章 野獣から美へ*6

プラムはこれまた有名な性淘汰産物であるニワシドリのアズマヤを採り上げ,その様々な構造や装飾そしてそこで行われる求愛ディスプレイを解説する.ここも楽しい.このアズマヤは一種の延長された表現型で,マイコドリと同じようにアズマヤの形態・装飾の最節約的系統樹と分子系統樹が整合的に描ける.
このアズマヤの構造はメスが強制交尾を避けるように選択を行った結果であるらしい.実際にアズマヤの構造はオスのディスプレイを鑑賞・評価中にオスからの強制交尾を避けやすいようになっていると解釈できるのだ.プラムはこれはメスが選択自律性を増すように選択を行った結果の「美的リモデリング:美的求愛ディスプレイと選択自律的方向への選り好みの共進化」の1つだとしている.

第7章 ロマンスの前に男同士の親愛*7

カモとニワシドリでメスの選択自律性を見た後プラムはマイコドリに戻る.メスの選択自律性の追求はオス同士の社会性と共進化しうるというのが本章のテーマだ.
マイコドリはレックにおいて求愛ディスプレイを行う.伝統的な解釈ではこのレック内のオス同士の関係はオスオス競争の文脈で解釈されていた.競争に打ち勝ったオスがレックの最も良い位置を占めて求愛成功率を上げられるというものだ.では競争に負けるオスはなぜレックに加わり続けるのか.「その特定の場所がメスの採餌場所に近い」とか,「強いオスの近くでディプレイすることが有利になる」などの仮説が提唱されたが,トラッキングとDNAフィンガープリントなどを用いたリサーチの結果は否定的だった.そして1980年代には,「レックはメスがそれを好むから進化した」というよりメスの選択を重視する仮説が提唱される.プラムはこのどちらの仮説も不十分だと主張する.レックにおけるオスの社会性の問題を無視しているというのだ.
そしてレックは,(求愛場で喧嘩されると求愛ディスプレイをきちんと評価できないことを背景にした)メスによる「オス同士の協力的な集合状態の中で示される美しいディスプレイ」への選り好みが進化させたのだと主張する.そしてこの傾向が最も極端に示されるのがキンカムリマイコドリ,オビオマイコドリ,セアオマイコドリなどで見られる複数オスによるコーディネイトされたディスプレイだ.ここでもプラムは様々なマイコドリのコーディネイトダンスを丁寧に紹介してくれていて楽しい.セアオマイコドリの師匠と弟子によるダンスは有名だが,その他にも多くのマイコドリのオスたちによるコーディネイトダンスがあるのだ.その中でもエンビセアオマイコドリは最大4羽のオスによるコーディネイトダンスを見せるそうだ.プラムはここで下位オスのメリットおよびメスが見ていないところでもコーディネイトダンスをする理由*8なども解説している.


この5〜7章でプラムが主張するメスが自らの選択自律性を高める方向に選り好みを進化させた場合の共進化動態(美的リモデリング)はなかなか刺激的で面白い仮説だと思う.プラムはこれをフィッシャリアンとして解説しているが,強制交尾を避けられる,あるいはより正確な評価ができ,その結果より良い遺伝子を持つオスと交尾できるという適応的な仮説(良い遺伝子を得る可能性を上げるという間接利益仮説)としても説明可能だろう.またどのような条件でこのような傾向が進化しやすいのかにも興味が持たれる.なぜ哺乳類ではペニスの消失に向けてのメスの選り好みは進化したなかったのだろうか.

第8章 ヒトについても美は生じる

第8章からプラムはヒトの性淘汰について語る.これから主張することはまだ仮説であり今後検証の必要があることを断った上で,既存の進化心理学を正直な信号に取り憑かれていると批判し,大胆な主張と推測を並べている.

  • ダーウィンはヒトが体毛を失ったのは性淘汰によるものではないかと主張した.しかし失わなかった体毛の部分こそ性淘汰の対象となった装飾かもしれない.さらに陰部における臭いについても同様だ.
  • 進化心理学は「男性は性的に放蕩で女性は性的に貞淑だ」という概念に凝り固まっている.しかし男性も選り好みを見せる.ジェイムズ・ボンドでさえミス・マネーペニー*9には手を出さない.
  • 女性の胸の膨らみ,WHR,顔の「女性らしさ」について,進化心理学はこれを配偶価値についての正直な信号だと考える.しかし幾多のリサーチにもかかわらず,それが遺伝的な質の指標となるという証拠はない.生涯繁殖能力の指標(つまり若さを含む)という説もあるが,この場合には女性は必ず歳を取るわけだから,それを暴露する形質が女性側には進化し得ない.むしろそれを隠す不正直な形質になるはずだ.これらは恣意的なランナウェイ形質と考えるべきだ.
  • 性淘汰リサーチの歴史から考えると奇妙なことに,女性の選り好み形質の進化心理学リサーチは男性のそれより少ない.これは適応的な配偶者選択の実証に失敗しているからではないか.出されているリサーチを見ても,例えば女性は「最も男性らしい顔」「筋肉の盛り上がった体型」を特に強く好んでいる様子はない.「より女性的な特徴も含んでいる顔」「やや広い肩をもつ引き締まった体型」の方が好まれるようだ.これは女性の選択自律性を高める方向の選り好みである可能性がある.
  • また進化心理学は配偶価値のみを見て,配偶者選択における社会性の次元を見逃している.男女の選好のポイントは,互いにより良く知り合うにつれて変化する.言語や文化とともに配偶者選択は社会パーソナリティ(優しさ,共感性,思慮深さ,正直など)を含むようになったのではないか.「恋に落ちる」現象は共進化的により洗練されたと思われる.このように社会性が重視されるようになったのでヒトの性淘汰形質にはあからさまな装飾があまりないのだろう.
  • ペニスの様々な形態的な特徴:これまでいろいろな説明が試みられてきたが,あまり説得的なものはない.例えば返しは精子競争的によく説明されるが,では何故(より精子競争の激しい)チンパンジーのペニスには返しがないのだろうか.そして(チンパンジーやゴリラに比べての特徴である)ヒトのペニスの長さが何についての正直な信号になるのかについて進化心理学者たちは沈黙している*10
  • 陰茎骨の消失:かつてドーキンスは(あまり真剣にとってもらっては困ると留保しながら)「それなしでもエレクトできることが,健康や遺伝的質の正直な信号になるのかもしれない」とコメントした.ドーキンスの留保にもかかわらず進化心理学者たちはこれを真面目に受け取っているようだ.しかしこれはありそうもない(単に液圧をかけるだけのことがそれほど難しいはずがない).
  • ヒトのペニスは,セックスの快楽,(直立したことで評価可能になった)ペニスと陰嚢のぶら下がり形状に関しての女性の美的選り好みの結果と考えるべきだ.そしてペニスサイズ,女性が「ペニスサイズを気にするか」というアンケートにどう答えるかは集団内集団間で多様性がある.これはランナウェイ過程から予測されることだ,
  • 文化間で女性の美に関しては差がある.また同一文化内でも数十年という時間で男女の理想的な体型や顔立ちは移り変わる.ランナウェイ過程と文化進化を組み合わせたモデルを作るとこれをよく説明できる.


プラムの進化心理学批判については,少し的外れなかかしの議論的な部分がある.主流の進化心理学は「男性は性的に放蕩だ」とだけ考えているわけではない.男性の配偶者選好については,短期戦略と長期戦略の2つがあることを想定し,どちらにおいても,そして特に長期的戦略においては男性も選り好むことを前提としている.確かにボンドがなぜチャーミングな若い女性であるミス・マネーペニーに手を出さないか(それが不自然なプロットにならないか)というのはなかなか興味深い問題であり,短期配偶戦略を採るボンドが彼女に手を出さないのは一見進化心理学的な予測からは外れるように見える.しかし社会的な考慮(職場内で手を出すとそれが短期戦略のフレームに収まりきれなくなるリスクがある)を含め,いくらでも説明はできるだろう.
また「若さを示す正直な信号が(女性は誰しも歳を取るから)進化し得ない」というプラムの議論は成り立たないように思われる.(ペアが長期間続くことが予想される場合)生涯繁殖能力の正直な信号があるなら,男性はそれを評価して若い女性を選り好むし,女性は後に不利になるとしても若いときにはそれを示さざるを得ないだろう.
さらに進化心理学が社会性やパーソナリティを見ていないというのも,かかしの議論的だ.このあたりは進化心理学でもよく議論されている部分だと思われる.プラムの「なぜヒトにはあからさま装飾がないのか」という部分は面白い議論だが,大型類人猿には皆ないのだから,それほど強い議論にはならないのではないだろうか.
とはいえ,女性が筋肉むきむきの超男性顔の男性を特に好むわけでないことの美的リモデリング的な説明や,ペニスをめぐる考察はなかなか興味深い(確かにヒトのペニスの大きさや形状についての納得できる性淘汰的な説明はこれまであまりないようだ.もっとも男性が女性の胸に執着するほど女性がぶら下がったペニスに執着しているようには思えないが).全体として踏み込みすぎの批判もあるが,考えさせる考察も多いというのが私の感想だ.

第9章 快楽は生じる

ここでは女性のオーガズムの謎が採り上げられる.プラムは以下のように主張する.

  • なぜ女性のオーガズムは男性のそれより深く,しかも連続して経験可能なのか.
  • ドナルド・サイモンズはこれを男性の適応形質が女性にも現れたもので「副産物」だと主張した.これはグールドが熱狂的に支持したことで有名だ.
  • 適応主義者たちは様々な仮説を構築した.主なものには「ペアボンドの強化」「隠れた配偶者選択(オーガズムを感じた時にその精子とより受精しやすくなる)」などがある.しかし浮気でもオーガズムは生じるし,オーガズムと受精の相関関係は観測されなかった.
  • 重要なポイントは女性のオーガズム現象が頻度的に変異に富むことだ.隠れた選択説を採る適応主義者は,それを男性の良い遺伝子の変異に基づくものだとして説明するが,それでは女性間にあるオーガズムの感じやすさの変異を説明できない.また(精子競争のより激しい)チンパンジーのメスよりもヒトの女性の方がオーガズムを感じやすいという比較データとも合わない.男性が女性がオーガズムを感じたかどうかについてあまり気にかけていないこともこの説とは整合的ではない.
  • 女性のオーガズムは女性の主観的な快楽の観点から説明されるべきだ.オーガズムは,主観的な快楽を与えてくれる男性との再性交への選り好みを通じて間接的に進化したのだろう.つまり直接淘汰形質ではないために女性間で変異幅が大きいのだ.そしてこれは性交時間がチンパンジーやゴリラより長いこと,性交体位の多様性,排卵隠蔽(性交頻度を高める),女性のオーガズムが男性のそれより強く,反復的に何度でも生じることも説明する.


この章のプラムの主張は微妙だ.確かに現在進化心理学的に最も有力な考え方は「女性はオーガズムを通じて男性の何らかの質を評価しているのではないか」というものだ.しかしそれは精子競争における隠れた選択だけに限っているわけではない.長期的なパートナーの評価であればこのプラム説とかなり近い考え方といっていいだろう.
また私個人としてはこのプラムの「間接的な進化」という意味がよくわからない.確かに快楽を与えてくれる男性を選択する女性の心理傾向と,男性の快楽を与える能力が共進化しそうなことはわかる.しかしそれが快楽自体を増やす方向に働くと考える根拠は何だろうか.(正確な評価が可能になる,選択心理が強くなるなどの)何らかのメリットがあるならば,別に「間接的」ではないし,変異幅の大きさを説明する根拠にはならないだろう.また排卵隠蔽もこれだけでは説明できないのではないかと思う.

第10章 女の平和

まず性的コンフリクト,強制交尾とそれを減少させるようなメスの選り好みについて復習を兼ねた説明がある.そしてチンパンジーを含む多くの霊長類では子殺しや強制交尾が見られ,ヒトよりもかなり強い性的コンフリクト状態にあるが,ヒトとボノボでは比較的小さいことが指摘される.つまりヒトではより強い女性の選択自律性が実現しているのだ.
ランガムたちはボノボの性的コンフリクトの小ささをゴリラとの競争のない密林での植物食環境における自己家畜化から説明し,ヒトも狩猟採集を通じて同様に自己家畜化を起こし,アルファオスを共同で押さえ込み,攻撃レベルを下げ,社会的許容度を増すようになったのだと主張した.しかしなぜ共同押さえ込みがさらなる攻撃につながらないのか,どんな環境下で自己家畜化が起こるのかについては判然としないとプラムは批判している.
そこからプラムは「ペロポネソス戦争を女性のセックスストライキで止める」というアリストファネスギリシア喜劇「Lysistrata」(日本では「女の平和」と訳されることが多い)のプロットを紹介し,女性の配偶者選択こそが男性の攻撃性の減少,協力的社会,社会知性の進化を引き起こしたのだと主張する.

  • ちょうどマイコドリと同じく,女性の好みが男性の社会性を作ったのだろう.
  • では何故他の霊長類ではそうならずにヒトでそうなったのか.その要因は美に関する認知能力の向上に違いない.
  • そして女性の美的好みは性的二型性を縮小させ,男性の犬歯を小さくしたのだろう.この美的武装解除は女性の選択自律性を高める方向に働き,男性の性的強制コストを減少させたのだろう.
  • この仮説は検証できるだろうか.スノーと私はまず数理モデルを組み,これが進化しうる状態であることを示した.そして傍証としては,現代の女性の好みが「フィジカルに強い男性」に偏っていないという事実がある.
  • 伝統的な考え方は,性的二型性の縮小について,生態環境によるオスオス競争の強さからのみ考察しようとするが,少なくとも女性の配偶者選択も考慮すべきだと考える.
  • さらに女性の配偶者選択は,子育て投資量をめぐる性的コンフリクトにも影響を与えているだろう.そしてこの選好性は適応的な「直接利益」として説明可能だ.
  • そしてこの選り好みは,武装解除と子育てだけではなく,ヒトのペアボンドの感情的で複雑なあり方,社会文化的な複雑性にも大きく影響しているだろう.


なかなか興味深い仮説だが,現代の女性の好みが「フィジカルに強い男性」に偏っていないというだけではなお検証が必要な状態ということだろう.(プラムは単にフィッシャリアンというかもしれないが)どのような条件でそういう方向への選り好みの進化が生じるのかが重要なポイントだろう.そしてより小さく犬歯のないオスを好むことにそれほど高い認知能力を必要とするようにも思えないので,何故ヒトだけがそうなったかについては,やはり生態的な考慮がより重要ではないかというのが私の感想だ.

第11章 ホモ・サピエンス性的指向

ここではヒトの性的指向の多様性の問題が取り扱われる.なぜ一部のヒトは同性愛傾向を持つのだろうか.これは進化的な謎であるとともに政治的にもホットイッシューになる.プラムはこう説明する.

  • ヒトの性的指向は多様であり連続性を持っている.同性愛傾向はしばしば進化的な謎だとされるが,実際に本当に適応度を下げているのかどうか明らかになっているわけではない.
  • これを適応的に説明しようとする試みはいくつかある.血縁淘汰的な説明(同性愛者は甥や姪の適応度を上げる)はそのひとつだ.しかし同性愛傾向と親族に対する援助的行動傾向の相関性は観測されていないし,性的指向の多様性や連続性を説明することもできない.
  • ヒトの同性愛は男性の強制性交に対抗しようとする女性の戦略を通じて進化したのかもしれない.まずヒトはメス分散型社会なので,分散した女性は分散先の社会で新しい女性同士の社会同盟関係を構築できる方が男性からの強制性交や子殺しを避ける上で有利になるだろう.そのためには女性同士で強い心理的な絆を作ることができる方がいい.それが女性の同性愛傾向の要素に関する適応主義的な説明になる.
  • そして前章で議論した女性による美的防衛解除的な配偶者選択により男性は身体的に武装解除されるだけでなく社会的な傾向にも影響を受けただろう.それが男性のより広い性的指向を作り,同性愛に結びついたのだろう.
  • 一旦一部の男性の同性愛傾向が集団内に生じると,(そのような要素は女性により選好されるので)男性の女性をコントロールしようという傾向は弱まり男性同士の競争も弱まる.そして性的な文脈の外側でも男性同士の協力的な関係を強化する.そして同性愛傾向が極端に強い男性は,排他的に男性のみに性的指向を持つようになり(要するに排他的同性愛は広い連続性の中の極端事例だということになる),さらには女性と性的指向抜きの友情や同盟関係を可能にする.
  • 以上は確かに推測に基づく仮説に過ぎない.しかし同性愛に関する適応主義的な説明がことごとく失敗している以上この配偶者選択を通じた男性の美的リモデリング仮説は検討に値するものだろう.この仮説は同性愛傾向の遺伝的な変異を説明できる.男性と女性で同性愛頻度が異なることも,同性愛男性とストレート女性の友情関係はよく見られる*11が,その逆は見られないことも説明できる.また私とスノーはこれに関する数理モデルを組み立てている.そしてこれに似た現象はマイコドリにおいて実際に進化しているのだ.


確かに適応主義的な同性愛の説明の試みは多いが,いずれもうまく説明できてはいない.そういう意味でプラムの仮説も検討するに値するところではあるだろう.(これは適応主義的な説明論者も採用しているが)同性愛は連続体の極端事例と解すべきなので,その要素の進化要因を探るという手法は有望に思える.プラム独自の説明に関しては,特に女性同性愛の説明はある程度説得的だ.男性同性愛についてはやはりどのような条件で女性の選り好みが防衛解除に向かうのか,そしてそれが本当に性的指向の多様性に向かうのかというところがポイントであるように思う.

第12章 この美的生命観*12

プラムは冒頭でキーツシェイクスピアの美についての言葉*13を引用しつつ,すべてのことをひとつの原理で説明しようとする態度と多元的な説明を目指すスタンスを対比させる.そして本書で展開してきた美的視点を取り入れるスタンスが科学とヒトの文化の理解にどういうインパクトをあたえるかについて語りはじめる.

  • それは優生学への考え方にインパクトを与える.伝統的な進化生物学は,優生学をどう扱っていいのか,なお戸惑っているように見える.彼等は「特定人種の優秀性」の主張を否定して事を済ませようとするが,実はそう単純な話ではない.それは優生学が肯定されてきた過去にこの学問の骨子が作られたという事情が大きい.より適応度の高い遺伝子は遺伝子プール内で頻度を高めるという考え方は優生学と親和的なのだ.特定グループに見られるある形質が淘汰産物なら,それは何らかの意味で「優秀」だったという意味を持ってしまう.だから進化心理学者はユニバーサルにこだわらざるを得なくなる.「美的進化」という概念はその解毒剤となるだろう.
  • またそれは性的強制と性的自律性に関する新しい洞察を可能にする.選択の自由が非常に重要であり,農業革命や市場経済などがヒトの文化に与えた影響(女性の自律性への抑圧,そして同性愛への抑圧)は,この自律性をめぐる性的コンフリクトの視点から考察することができる.それはフェミニズムにさらなる理論的基礎を与え,片方で現在のフェミニズムにある伝統的な女性の美的基準についての嫌悪感を緩める役にも立つだろう.
  • そして「恣意的な美的感覚に基づく配偶者選択による性淘汰」視点を取り入れた進化生物学と美や芸術についての哲学の交流は,より美についての理解を深めるだろう.

プラムは最後にバードウォッチャーとしての顔に戻り,メイン州の島でニシツノメドリを見た記憶をたどり,新しい視点がもたらす理解の進展への期待を表明して本書を終えている.


この最終章のプラムの議論には賛成できない.優生学は進化のロジックがどうあれ,「どのような目的であれ(それが人類集団の改良であろうとなかろうと)基本的な人権を侵すような政策は採るべきではない」という視点から議論されるべきだし,フェミニズムの是非についてもそれは進化のロジックにかかわらずに考察すべきだろう.あるいはプラムの主張には自然主義的誤謬の臭いがするといってもいい.(またそもそも女性の選択自律性の重要性はザハヴィ=グラフェン流の解釈でも全く同じように導けるだろう)

本書については鳥の性淘汰本として手に取ったわけだが,実はランナウェイ過程性淘汰への熱い思いがあふれ,しかも鳥類だけでなくヒトの性淘汰形質に踏み込むというかなり野心的な本だった.これまでヒトの性淘汰の役割について刺激的な仮説を掲げた本としてはミラーによる「The Mating Mind」(邦題:恋人選びの心)が圧倒的に面白い本として突出していたが,それに続く一冊といっていいだろう.
ただし第2章のレビュー部分でも書いたが,理論的には大いに不満が残る.「ランナウェイ過程はメスの選択コストがあれば安定平衡を持たない」という問題が完全にスルーされていることは本書最大の欠点だろう.だからこれを性淘汰形質全般の帰無仮説にするという提案には全く賛成できない.
しかし短期的にはランナウェイ過程は恣意的な性淘汰形質を作り出せる.そしてそれにグラフェン条件を満たすコストがあれば長期的に安定になるだろう.系統間での性淘汰形質の移転はそのように説明することができる可能性があるだろう.全体として本書の多くの議論(ヒトの性淘汰形質を含む)は,これが短期的なものであるとしても十分興味深いものが多く含まれていると思う.またメスの選り好みが選択自律性を高める方向に働く場合のダイナミズムとその帰結の主張は大変興味深い.本書の主張で最も傾聴に値する部分だろう.
そしてマイコドリの性淘汰形質の話は圧倒的に充実しており,読んでいてひたすら興味深く楽しい.セイラン,ニワシドリ,カモについても非常に詳しい.この部分だけでも本書は十分に読む価値がある.
全体として,様々な欠点を持つとはいえ,本書は性淘汰に興味がある人にとっては必読の一冊ということになるだろう.


関連書籍


ヒトの性淘汰形質について様々な興味深い議論を提示している本.

恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (1)

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恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (2)

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同原書

The Mating Mind: How Sexual Choice Shaped the Evolution of Human Nature

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進化心理学的に考察されたヒトのセクシャリティの謎についてはこの本が詳しい.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20140331

Homo Mysterious: Evolutionary Puzzles of Human Nature

Homo Mysterious: Evolutionary Puzzles of Human Nature


鳥の性淘汰に関する総説書.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20170529

目立ちたがり屋の鳥たち: 面白い鳥の行動生態

目立ちたがり屋の鳥たち: 面白い鳥の行動生態


ウォレスとの性淘汰にかかる歴史的論争が収められているダーウィン書簡集.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20100618

進化論の時代――ウォーレス=ダーウィン往復書簡

進化論の時代――ウォーレス=ダーウィン往復書簡

同じくウォレスの「ダーウィニズム」私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090415

ダーウィニズム―自然淘汰説の解説とその適用例

ダーウィニズム―自然淘汰説の解説とその適用例

*1:プラムは,ハンディキャップシグナルに対してランナウェイ過程は,ちょうど自然淘汰に対する中立説の浮動と似ていて,強い因果的な説明がなくても一般的に生じるもので帰無仮説にふさわしいと主張している

*2:セイランは東南アジアの密林の奥に生息する極めて警戒心が強い鳥なので野生下でのこの観察は容易なことではなかったようだ.現在では簡単にユーチューブで動画を見られる.Kindleだとその場でウェッブ動画検索により参照できて本当に便利だ.

*3:子育て以外の直接利益もなさそうなことも解説されている

*4:ここでもKindleのウェッブ動画検索機能は大変便利だ.

*5:これはアヒルの交配のための人工授精施設があることで可能になった.なおこのリサーチは政府の学術研究助成費が無駄遣いされているのか否かという政治論争のトピックになって大変な騒ぎになったそうだ.

*6:原章題は「Beauty from the Beast」となっており,これは「美女と野獣:Beauty and the Beast」を踏まえての表現だとおもわれる

*7:こちらの原章題は「Bromance Before Romance」

*8:ネットワークアナリシスの結果,社会性のある下位オスほど将来アルファオスになりやすいことが示されている.つまりコーディネイトダンスを行うことにより得られる社会性により上位を得やすくなると考えられるのだ.

*9:Mの秘書としてMI6に勤務する女性キャラクター.チャーミングな女優が演じ,ボンドに気があるが,ボンドからは相手にされないという設定.

*10:プラムは「男性の進化心理学者たちは自分たちの特徴の精査することをためらっているのだろう,あるいは告白する勇気がないのかもしれない」と皮肉っている.

*11:アメリカのテレビ番組「Will & Grace」,日本の映画「おこげ」が引き合いに出されている.

*12:原章題は「This Aesthetic View of Life」.もちろんダーウィンのオリジンの最終節の「There is Grandeur in this View of Life」を意識したものだ

*13:Keats: “Beauty is truth, truth beauty,― that is all Ye know on earth, and all ye need to know.”, Shakespeare: “HAMLET: Ay, truly; for the power of beauty will sooner transform honesty from what it is to a bawd than the force of honesty can translate beauty into his likeness: this was sometime a paradox, but now the time gives it proof. I did love you once.”