「歌うカタツムリ」

歌うカタツムリ――進化とらせんの物語 (岩波科学ライブラリー)

歌うカタツムリ――進化とらせんの物語 (岩波科学ライブラリー)


本書はカタツムリ研究の本邦第一人者の千葉聡による岩波科学ライブラリーシリーズの一冊.手に取ったときにはいろいろなカタツムリの面白い話を扱った軽めの本かと思ったが,実はカタツムリを題材にして語られるスケールの大きな進化観の対立を扱った大作である.

プロローグではハワイの絶滅したカタツムリの歌の話が振られる.19世紀にハワイのカタツムリ研究に深く傾倒したギュリックによるとハワイマイマイは樹の上でさざめきの様な歌を奏でたそうだ.軟体動物であるカタツムリがいったいどのようにして歌のように聞こえる音を出したのか,絶滅してしまった今となってはもはや真相は分からなくなってしまったが,この話はいかにも幻想的だ.そして読者はその謎のカタツムリの殻の螺旋が描くような行きつ戻りつしながら収束していく進化学説史に招待されるのだ.本書の「歌うカタツムリ」という書名は,この霧深い森の中で謎の音を奏でる幻のようなカタツムリのイメージとそのカタツムリが歌うように教えてくれる進化の秘密の両方を意味しているのだろう.

第1章 歌うカタツムリ

物語はダーウィンから始まる.自然淘汰の考え方とダーウィンが採集したガラパゴスのカタツムリにちょっとふれた後にギュリックが登場する.ギュリックはハワイの宣教師の家に生まれ,ハイスクールの頃からカタツムリの殻のコレクションに熱中する.
当時まだ絶滅していなかったハワイマイマイとシイノミマイマイは,島ごと,そして谷ごとに多様な種に分かれていた.ギュリックはこれは稜線などの地理的な障壁で種分化し,その後色や模様が偶然によって分かれていった(今でいう浮動の)結果であることを確信する.様々な経緯(ギュリックはハワイのカタツムリの多様性に関する論文を書き,ダーウィンとも面会するが,結局宣教師になる.しかし中国とモンゴルでの過酷な宣教生活に疲れ果て,日本に住み着くことになる.大阪に居を定めキリスト教と科学知識を伝導しながら,研究を再会する.)の後の1888年,ハワイのカタツムリの事例を採り上げながら,種分化は,まず地理的な隔離により集団が分かれ,その後両集団で性質がランダムに変化することにより生じると主張する論文を書く(ギュリックはのちに浮動の基本的な考え方を整理する.彼は創始者効果にも気づいていた).これは種分化も適応的に生じると主張するウォレスとの激烈な論争を生む.こうして種分化における適応と偶然という壮大なテーマが浮かび上がる.

第2章 淘汰と偶然*1

次の登場人物はクランプトンとポリネシアマイマイだ.適応主義者で遺伝と適応を結びつけることに興味をもっていたクランプトンはギュリックの論文を読み,カタツムリの多様性とその浮動的な説明に興味を覚える.自分の目で確かめたいと考えたクランプトンはポリネシアに赴き,1906年から20年以上に渡って徹底的なカタツムリの標本採集(20万匹を越えたそうだ)と計測を行う.そして殻の模様や形の地理的変異と生息環境に何の相関も見つけられず,浮動的な説明に傾く.
クランプトンが標本採集にあけくれている頃,英国ではフィッシャーが連続的性質の遺伝もメンデルの法則と矛盾なく統合できることを見いだした.フィッシャーは続けて無限大自由交配集団における淘汰の圧倒的な重要性を理論付け,さらにその業績は集団遺伝学の勃興と進化の現代的総合につながる.フィッシャーは蝶類学者のフォードとともに適応主義の中核となった.
現代的総合のもう一人の立役者ライトは,若い頃にギュリックによるハワイマイマイの研究を知り強い印象を受ける.1915年,ライトは農務省に職を得てモルモットの品種改良に取り組むようになる.ライトは効果的に人為淘汰をかけるには,まず近親交配を行って劣性形質を表に出すと便利であることに気づく.すると野生においても,多くの小集団に別れた群集構造を持つ方が淘汰がかかりやすいはずだ.そのような小集団では浮動により性質が変化しやすい.ライトは有限集団においてランダムな進化のプロセス(遺伝的浮動)があることを理論化する.そして適応地形の局所的な頂間のジャンプは浮動により達成されうる(平衡推移理論)と主張した.
フィッシャーとライトは遺伝的浮動の重要性について,様々な経緯*2の後に鋭く対立するようになる.当時ライトが浮動の重要性の際に持ち出す裏付けはギュリックのハワイマイマイとクランプトンのポリネシアマイマイのリサーチだった.

第3章 大蝸牛論争

ライトの浮動の議論は分類学者に歓迎された.彼等は分類の鍵になる形質が非適応的なものだと感じていたからだ.そして平衡推移理論に魅せられたドブジャンスキーが浮動陣営に加わった.
フィッシャーとフォードにはデータが必要だった.まず,アマチュアナチュラリストだったダイバーを陣営に引き込んで,英国のモリマイマイの多様性と環境の相関性を調べてもらった.しかしダイバーはカタツムリを調べるうちに浮動陣営に鞍替えってしまった.ライトは均一な大集団であっても遺伝的浮動により集団が分化しうることを理論的に説明できることを示した.総合説を代表する学者であったハクスレーやマイアも浮動に好意的になっていった.

劣勢に追い込まれたフィッシャーとフォードは,突破口を「自然淘汰に対して中立と思われている多型」の一点に絞ることにした.そしてフォードの元にいたケインとシェパードによる英国のモリマイマイのリサーチが始まった.彼等はモリマイマイの殻の模様と色の変異を計測し,遺伝様式を確かめ,生息環境のデータを採った.そしてついに色と帯模様が棲み場所の植生と相関があることを見つけた.模様は鳥の捕食に対するカモフラージュとしての適応形質だったのだ.この発見のインパクトは大きかった.彼等は「ある性質が適応的ではないと主張する人は,単に何に適応しているかわかっていないからそう言っているだけだ」と論文に記した.これはまさにその60年前にウォレスがギュリックに向けて指摘した議論そのものだった.

しかしこれはKOパンチにはならなかった.同時期にラモットによりフランスで行われたモリマイマイのリサーチでは,殻の色や模様と鳥の捕食や棲み場所の植生との相関が全く見られなかったのだ.ラモットとケインたちは激しく論争したが,決着はつかなかった.そして後にケイン自身英国のマールボロ地域で適応的に説明できないモリマイマイの多型パターンを見いだすに至る.

とはいえ時代は大きく適応主義に向かって振れていった.ライトは平衡推移にとっての浮動の重要性をあまり主張しなくなった.そしてシタベニヒトリやオオシモフリエダシャクの多型についての淘汰の影響を実証するリサーチが積み重ねられていった.そしてしばらく後に,クラークはニワノオウシュウマイマイの多型を調べ,捕食者の学習を介した負の頻度依存的多型の存在を実証し,1961年の論文ではラモットの示した多型の多くがこれで説明できることを示した.そして成熟期を迎えた総合説は適応主義を色濃くまとうようになる.

第4章 日暮れて道通し

舞台は一転して日本に移る.日本のカタツムリ研究のルーツはエドワード・モースにさかのぼることができる.モースは(反ダーウィンであった)アガシの弟子だったが,ダーウィンの進化理論を受け入れ,シャミセンガイの標本が入手可能ということで日本政府の招聘を受けることにする.そしてアガシ,モースの流れの中に岩川友太郎,飯島魁,五島清太郎,池田嘉平,箕作佳吉,そして駒井卓が位置づけられる.一方(大阪に定着していた)ギュリックの影響を受けた研究者には平瀬与一郎,黒田徳米がいる.(それぞれ業績が簡単に紹介されている)
ケインとラモットが激烈な論争を繰り広げていた頃,駒井卓と市井の貝類研究家江村重雄は日本のオナジマイマイを使ってこの蝸牛論争への参加を試みる.彼等は1955年,遺伝実験と86地点103集団のデータを使って,この多型が浮動の影響下にあることを示した.そして駒井がその才能を認め励まし続けたのが木村資生になる.

第5章 自然はしばしば複雑である

千葉は,簡単に木村の中立説の概要,クラークたちの執拗な適応主義的批判,最終的な中立説の勝利について解説を行い,これはギュリック,ライトによる遺伝的浮動が分子レベルでの実証を得たものだと位置づける.そして中立説は適応主義と融和し,進化理論を一段と深いものにしたと総括する.

ではカタツムリではどうなのか.意外なことにカタツムリの分子進化の最初の研究例は(反中立説の急先鋒であった)クラークとその門下生により行われている.その結果,同じ種の個体間で異常に大きな(他種の10倍以上の)塩基配列の違いが検出された.林守人は伊豆半島のカタツムリのデータを用いて,カタツムリの進化スピードが速いためにそうなることを示した*3.さらに様々な追試が行われ,カタツムリは分類群ごとに進化速度が大きく異なることが明らかになる.何故かについてはなお未解決だが,現在もっとも有力なのは「小集団で構成されるカタツムリ種では弱有害遺伝子が固定されやすく,進化速度が速くなる」というものだ.
また分子系統樹を描けるようになって明らかになったのは,それまで非適応的と考えられ,分類の基準として使われていた形質の多くに収斂進化がみられる(つまり適応形質だった)ということだった.
そしてケインの見つけた適応的に説明できないマールボロ地方のモリマイマイの多型の謎も分子的に解かれた.これは氷河期の後東西に分かれていたモリマイマイが,分布域を拡大しマールボロ付近で出会い,そのまま不均質に混ざり合っていたのだ.
結局モリマイマイの色彩多型の地理的分布を決めている要因は多岐にわたり*4,その相互作用は非常に複雑だということが一連の分子的なリサーチで明らかになったということになる.


さらに分子的な分析はさらにいろいろなカタツムリの謎を解き明かした.色彩や帯の色の遺伝子はしばしば強く連鎖している(理由はよくわかっていない*5).ヨーロッパの淡水巻き貝の殻の「巻き方向」を決める遺伝子も見つかった(これはカエルの胚でも発現が見つかっており,体の発生における左右非対称に古くから関わっているらしい).しかしポリネシアマイマイはこれと異なる仕組みで巻き方向を決めている.いずれも驚きの知見だ.また中立とされてきた遺伝子に実は機能があったという発見も相次いでいる.

第6章 進化の小宇宙

進化は適応か偶然かというテーマ,そしてカタツムリのリサーチャーと言えばこの人をはずすわけにはいかない.千葉は第6章で大立者スティーヴン・ジェイ・グールドを登場させる.


集合遺伝学から始まった進化の総合説の大波は古生物学にも達する.まずは化石にみられるパターンをどのように総合説と整合的に解釈するのかがテーマになる.
シンプソンは化石記録にみられる不連続性をライトの適応の頂間のジャンプとして解釈しようとし,ニューエルは化石ではマイアの種概念を使えないことから,古生物学を「種」概念を使わずに進化パターンを調べる統計的な学問とする方向を模索した.


そこに登場したのがグールドになる.グールドはバミューダのポエキロゾニテス属のカタツムリの化石を研究し,その形の多様性は適応的なアロメトリー発現として説明できると主張した.若き日のグールドはなんと徹底的な適応主義者だったのだ.当時のグールドにとってはギュリックは許しからざる大罪人であり,このカタツムリの土壌適応についての論文はこう始まっていたそうだ.「ダーウィニズムの正当さに対して,カタツムリが悪魔の代弁者を演じて以来およそ1世紀になる.代弁者はハワイマイマイで,悪魔メフィストはほかならぬギュリック牧師だ.」
しかしこの10年後グールド自身が悪魔メフィストに変身することになる.ことの始まりは1971年の古生物学シンポジウムだった.形態進化のテーマをラウプにとられ,仕方なくグールドはエルドリッジとともに種分化について発表することになる.エルドリッジは三葉虫化石の形態進化パターンが不連続であることをマイアの周縁隔離種分化で説明する論文を書いていた.グールドはこれに自分のカタツムリのデータを加えて講演し,それが翌年の有名な「断続平衡説」の提唱につながる.要するに断続平衡説は元々化石のパターンをマイア理論で説明しようとするものだった.
5年後,グールドは断続平衡の主張をさらに進め,「断続的な進化観」を強く打ち出すようになる.発生にかかる遺伝子の突然変異の影響の大きさ,発生等の制約による不連続性を強調し,また種レベルとそれより上のレベルでは進化のパターンが異なり,後者では特に偶然の影響(ランダムな種分化とランダムな絶滅の効果)が大きいと主張した.千葉は,これらの主張は「進化学に革命を起こそう」という古生物学の野望を浮き彫りにしていると評している.
さらに1978年グールドはスパンドレル論文により総合説への攻撃を開始する.千葉はこれをアナキン・スカイウォーカーがダークサイドに落ちてダース・ベイダーと化すのを見るようだったと形容している*6.適応主義への攻撃にグールドが用いた具体的な化石データはカリブ海の細長いカタツムリ,セリオンのものだった.データは化石が細長いタイプからずんぐりタイプに急に切り替わることを示しており,グールドは形態変化が別タイプとの交雑による歴史的偶然を反映したものであることを突き止めた.また形を支配する物理的発生的制約(それによる形態のジャンプ)も強調した.

1980年,度重なるグールドの攻撃に対し,集団遺伝学者,進化生物学者たちはついに猛反撃に出た.断続平衡について,停滞は発生的制約よりも形を変える変異への淘汰圧のためであり,主張されるパターン自体はそもそも何ら新味のない主張である(グールドのいう漸進説自体がだれも主張していないかかしの議論だ),種レベルの説明ですべてが説明できる(それ以上のレベルを持ち出す必要がない),グールドの持ち出す中立的な形態形質のほとんどには適応的な意義がある,などの様々な論点についての批判が徹底的になされた.
その後種分化についてのリサーチが進み,周縁隔離種分化説が想定するような小集団による種分化はあまり一般的ではないことがわかってきた.これにより断続平衡説は理論的な基盤を失い,パターン論に変質した.千葉は「仕組みのモデルでなくなった時点で進化理論としては終わりである」と評している.


とはいえこの論争にも意義はあったとして千葉は以下の点を指摘している.

  • 古生物学が進化学の一分野として位置づけられるようになった.
  • 発生的制約についての論争はエヴォデヴォなどの新しい研究領域を生み出すドライブとなった.
  • ランダムな種分化とランダムな絶滅モデルの発想は,分子系統樹による種分化の歴史推定が行われるようになり,現在の「生態学の中立理論*7」につながっている.

本章はグールド評としても充実していて,素晴らしい読み物になっている.

第7章 貝と麻雀

舞台は日本に戻り,速水格の物語が語られる.速水は東大の教養課程時には麻雀とマーラーに明け暮れていたが,1956年専門課程に進んでから貝類の研究に没頭する.ニューエルの始めた新しい古生物学に大きな影響を受け,1962年に貝類をモデルにした進化研究に着手する.駒井卓のテントウムシの研究からヒヨクガイの二型の研究を着想し,その二型が示す遺伝子頻度の時間変化を化石記録から解明し,木村資生と太田朋子に助言を受けてその自然淘汰圧を検出する.
その後,速水は指導教官ニューエルを通じてグールドと知り合い,その研究室にも2ヶ月ほど滞在し,形の不連続性について強い関心を持つようになる.そして形に対する物理学的な理論解析,シミュレーション,そして実験を行うようになる.速水は形態の不連続性について二つの要因を重視した.

  • 一つは物理学的幾何的な制約だ.たとえば特定の成長パターン以外ではバランスや生息姿勢を保てないことがある.速水はこれにより異常巻きアンモナイトの進化を説明した.
  • もう一つは適応的なプロセスだ.対捕食者への防衛戦略などでは複数の戦略があり,捕食者側の攻撃力進化に対応するためには急速なシフトが適応的になりうるのだ.

ここではさらに速水門下生,あるいはその系譜ににつながるリサーチャーによる研究結果が紹介されている.

  • 速水の門下生の一人,岡本亮子はグールドとケインの論争テーマの一つであったカタツムリの殻の高さの二型性を物理学的な解析によりリサーチした.そしてこの二型性が基本的には重力への対応にかかる脆弱性のギャップに関連することを突き止めた*8
  • 同じく速水の門下生,平野尚浩は分子系統樹から,この重力脆弱性ギャップの乗り越えが独立に繰り返し進化し,それ以外の形態変化は強く抑制されていることを示した.(独立の繰り返し進化は適応で説明できるが,それ以外の形態変化の抑制は何故生じているのだろうか.ステルフォックスは数十年に渡る交配実験により,殻の高さの人為淘汰は一定の範囲を超えると強い制約があり,それが多数の遺伝子の複雑なかかわり合いによる調整過程によるものであることを最近明らかにした.これは重力に対する適応を安定化するための適応だろうと考えられる)
  • 小沼順二は速水が重視した攻撃と防御の適応戦略による形質のギャップについてカタツムリとその天敵のマイマイカブリを用いてリサーチした.マイマイカブリにはピンセットのような細い首をカタツムリの殻口から奥深くに差し込む「潜入戦略」を採るものと太い首と大きな顎で殻を破壊する「破壊戦略」を採るものがいる.カタツムリには,破壊戦略に対して殻全体を大きくすると必然的に殻口が大きくなり*9潜入戦略に弱くなり,潜入戦略に対して殻口を小さくすると殻全体が小さくなり破壊戦略に弱くなるというトレードオフが課されていることになる.これは捕食者のマイマイカブリ側にも同様のトレードオフがある.小沼は交雑実験により中間形が実際に不利になることを確かめ,戦略間のトレードオフが形質の分化を引き起こすことを示した.
  • 森井悠太は,北海道のオオルリオサムシに対して,エゾマイマイは筋肉を発達させ大きな殻を振り回してオサムシを追い払う戦略を採り,ヒメマイマイは小さな殻の奥深くに引きこもる戦略を採っていることを見つけた.この2種は同じ捕食者に対して大きな形態ギャップをみせる.さらに同様の形態ギャップが極東ロシアにおいてカラフトマイマイ属の種間にも独立に進化している.


このような捕食者と被食者の適応戦略は互いに影響を与え,アームレースを形成する.千葉はこの果てしなき攻防戦が形態分化を引き起こしている例として中国奥地のカタツムリとオサムシの抗争を解説している.そこではオサムシが4種,オナジマイマイが14種生息し,極端な多様性と形態間のギャップが観察できるのだ.
さらにこのような適応的な種分化を引き起こすアームレースは捕食被食関係には限られない.千葉は,カタツムリに見られる恋矢を用いる交接について詳しく説明し,精子の分解とその阻止をめぐる性的コンフリクトが交接器の形態ギャップと種分化を引き起こす様子を紹介している.そして最後にこう要約している.

  • ウォレスとギュリックは種分化が適応か偶然かを巡って争い,グールドは100年後にその論争を再燃させた.
  • 中立説と適応主義が融合を果たしている現在,種分化への見方は適応と偶然の両極とした帯のようなものになっている.種分化は地理的に隔離された集団間で適応による副産物として生じる場合もあれば遺伝的浮動により進む場合もある.また種分化は地理的隔離がない場合にもやはり適応の副産物として,あるいは別のプロセスにより生じうる.
  • タツムリは,遠い昔海に棲んでいた祖先が得た「殻を背負う」という性質にずっと生き方を縛られてきた.その制約故に多彩な殻の使い方,形態,戦略が,そしてトレードオフが生み出される.そしてそれが偶然を介して創造性と多様性を生む.
  • それは麻雀の局の進み方にも似ている.最初の手持ち牌には様々な可能性があるが,局が進むと自らの選択により戦略は制限されてくる.しかしさらに局が進むと相手との関係において戦略間にトレードオフが生じ,多様な可能性が現れるのだ.

第8章 東洋のガラパゴス

第8章は千葉の自伝的物語.
東大に入学し生物学を専攻したいと考えていた千葉は,入学後はじめて教養課程における進振りの制度を知り,点取り競争に疲れ,心を折られる.結局生物学とは無縁の学科に進み,麻雀にのめり込む学生生活を過ごすことになる.4年生になり就職か進学かを決めねばならなくなり,ふと(やはり所属学科とは無縁の)構造地質学の院に進んでやり直したいと思うようになる.そして構造地質学の研究室に話を聞こうと訪問し,間違って速水格の研究室に迷い込む.しかし,そこでは貝類の形態進化の研究が行われていることを知り,その研究室に進むことになる.進学が決まって挨拶にいくと速水はグールドの論文を手渡してくれた.これで忌まわしい麻雀とも縁を切って充実した研究人生をおくれると思い,部屋を辞去しようとしたその時千葉は速水に呼び止められる.「ところで君は,」速水は煙草の煙をふかしつつこう尋ねたそうだ.「麻雀はできるのか」*10

千葉は速水所有のグールドの論文をすべて読み込む.そしてグールドの適応主義からの転向に面食らう.グールドにその理由を直接聞く機会もあったがはぐらかされる.しかし様々な論文や本を読むうちに,それは「古生物学独自の理論の確立」という願望の現れなのだと考えるようになる.それはマッカーサーの島の生物学の理論を種レベルの進化に当てはめて,大進化を種分化と絶滅のダイナミクスで説明してはどうかという構想であり,そう説明するには形態は種分化の時以外には停滞していなければならず,だから断続平衡なのだと.


千葉は速水から小笠原のカタマイマイというテーマ*11を与えられ,そのリサーチに向かう.ここからは自らの研究の紹介で臨場感があって面白い.

  • 小笠原のカタマイマイは現生22種,最近の絶滅種2種が知られている.
  • 10万年前以降の時代の化石種を調べると,2万5千年前と1万年前に大きな形態変化あるいは絶滅を経験しているものが多い.これは寒冷化のピークと急激に温暖化した時期に当たる.変化した形態はニッチ利用に関連していた.ニッチ利用に関する生態型は樹上性,地表性,半樹上性,潜没性に分けられ,殻の形,色,模様などが異なる.
  • このカタマイマイの分類を整理し,形態が,「ニッチ利用の平衡」仮説(2種共存があると単独生息時よりニッチ利用に関係した形態の違いが大きくなるという「形質置換」が生じる)に合致しているかどうかを検証した.その結果はっきりとした形質置換パターンが見いだされた.
  • これはそれまでの通説的考え方「カタツムリでは種間競争は無視できるほど弱い」と対立する結果だった.この結果を論文にして投稿したところ,査読者の1人は「ギュリック以来.カタツムリでは・・・」と始まるコメントで,この結果は種間競争の結果ではなく偶然ではないかと否定的だった.著者はギュリックの亡霊と戦わざるを得なくなる.種レベルの中立性の呪いは,適応主義との論争を経てもなお解けていなかったのだ.
  • 千葉は3年かけてカタマイマイの分子系統樹を完成させる.そこからは劇的な進化史が浮かび上がってきた.カタマイマイの祖先は日本南部に生息するマイマイ属のカタツムリで,300万年前頃に小笠原に流れ着いたと推測される.まず父島で4つの生態型に分かれ,うちひとつが聟島に渡り,そこで2つの生態型に分かれる.もうひとつが母島に渡り,そこでも4つの生態型に分かれる.母島では4つの生態型への分化が少なくとも3回異なる系統で独立に生じている.要するに同じ様式の種分化と形態分化とニッチ分化が繰り返し生じているのだ.この適応的放散パターンは「ニッチ利用の平衡」仮説と整合的だ.
  • 千葉はさらにリサーチを続け,小笠原のカタマイマイにおいては,この「形質置換」(まず地理的隔離などによる種分化で別種になってから形質分化が生じる)とは別に,同種のまま淘汰圧を受けてニッチ分化が生じ,その分化形質が隔離的な作用を持つことによって種分化するケースもあることを突きとめる.後者のプロセスまさにギュリックに対立したウォレスの主張した自然淘汰による種分化そのものだ.
  • その後,ヨーロッパ,北米,中米,大西洋諸島など世界各地のカタツムリでも調べられたが,この形質置換や適応放散パターンは見つからなかった.しかし小笠原と同じ海洋島であるガラパゴス諸島では顕著な適応放散パターンが見つかった.現在では,淘汰か偶然かの二者択一ではなく,どのような条件で適応放散が起こり,どのような条件で非適応的放散が生じるのかが議論されるようになっている.

第9章 一枚のコイン

最終第9章はこのうねるような学説史物語の締めくくりの章になる.

千葉は,三浦収による寄生虫の感染の有無によるウミニナの形態の二型の研究,細将貴によるカタツムリの左巻きと右巻きの二型が捕食者の戦略への反応として理解できるという研究などを紹介し,この「物理的制約とアームレース的状況の中の最適戦略のシフト」という速見の考え方を受け継ぐ若い研究者たちの見方と「淘汰的ニッチ分化的多様化」という自分の見方が一枚のコインの裏表であると述懐する.
そしてそれは琉球列島と小笠原の差でもあると解説する.琉球列島は大陸とのつながりが深く,カタツムリは様々な捕食者の影響を大きく受ける.小笠原ではカタツムリの天敵は少なく,同じニッチを占めるもの同士の競争が大きな影響を持つ.そしてそれは,生存競争を戦っているという同じコインの裏表なのだ.捕食者とのアームレースにせよ,種内種間競争にせよ,戦いにはトレードオフがある.機能的なトレードオフは物理的制約となり,相対する戦略間のトレードオフはどの戦略に出会うかという偶然と戦略を完成させる適応の結果になる.


本書の最後の謎の舞台はハワイ諸島に戻る.なぜハワイも海洋島なのに,ハワイマイマイは中立的な非適応的放散を見せていたのだろうか.
そして実は小笠原の別のカタツムリ,キビオカチグサ類はカタマイマイと対照的に300万年間ほとんどニッチ分化をせずに非適応的放散のパターンを示していることが明らかになった*12.単に小笠原か琉球かではなく,問題はさらに微妙なものだったのだ.コンピュータシミュレーションでは生活史のわずかなパラメータの差で適応的放散が生じたり非適応的放散が生じたりすることも確認された.千葉はカタマイマイとキビオカチグサの違いは祖先の生活史の微妙な違いのためだったのだろうと推測する.そしてその仮説は今後の検証を待っている.


千葉はギュリックとウォレスに始まり,ライト,木村,グールドとフィッシャー,ケイン,クラークを経て共存するようになった偶然と淘汰の進化観を振り返り,ハワイマイマイ外来種ヤマヒタチオビによる絶滅,カタマイマイ外来種陸生プラナリアによる絶滅危惧などの島嶼部のカタツムリがおかれた悲劇的状況に思いを馳せる.そして最後に小さな自然のひとかけらにも偶然と必然が織りなす歴史があるのであり,それを伝えるのも科学者の役割に違いないと読者に語りかけて本書を終えている.

本書は「偶然と必然」「浮動と淘汰」をめぐる壮大な進化学説史を描いた渾身の力作だ.カタツムリ研究者だけでなく,適応主義者であるフィッシャー,中立説の木村,断続平衡のグールドと大立て者も次々に登場する.そしてその論争の多くの側面に謎めいたカタツムリの多様化がかかわっていることが実に効果的に示される.幻想的に歌い,目の眩むような多様化を見せ,悲劇的に絶滅した「歌うカタツムリ」のイメージが通奏低音として流れる中,カタツムリは次々に驚くべき事実を開示し,それが新たな謎を呼び,研究の振り子は何度も何度も真逆に振れる.そして膨大な努力の結果としての新知見,それを元にした様々な新理論を組み入れながら,偶然と必然を巡って学説史は壮大ならせんを描く.そして最後の謎はまだ完全に解決していないのだ.刺激的なカタツムリ多様化の謎解きは文句なしに面白いし,自伝的な研究物語を含め,登場する研究者の様々な逸話も楽しい.素晴らしい傑作だと評価したい.



関連書籍


ギュリックに関しては本書を読むまで全く知らなかった.このような本があるようだ.

貝と十字架―進化論者宣教師J・T・ギュリックの生涯 (東西交流叢書 (5))

貝と十字架―進化論者宣教師J・T・ギュリックの生涯 (東西交流叢書 (5))


ウォレスの適応主義振りはこの本によく現れている.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090415

ダーウィニズム―自然淘汰説の解説とその適用例

ダーウィニズム―自然淘汰説の解説とその適用例



分子進化の中立説に関する本といえばこの木村資生による2冊だろう.両方ともなかなかハードな本だ.

分子進化の中立説

分子進化の中立説

生物進化を考える (岩波新書)

生物進化を考える (岩波新書)



グールドで断続平衡に関して一冊挙げるならこれになるだろうか.購入したものの未読.断続平衡自体はエッセイ集にもたびたび顔を出している.この重厚な一冊もKindle化されたようだ.

The Structure of Evolutionary Theory

The Structure of Evolutionary Theory

なお上記大作の中から断続平衡の章のみを取りだしたのがこの本らしい.

Punctuated Equilibrium

Punctuated Equilibrium


細による左巻きタツムリの研究物語.面白い.これも最近Kindle化された.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20120226

*1:原章題は「選択と偶然」だが,当ブログの通例となっている用例に従い「淘汰」を用いる

*2:当初は理論的な問題について互いにリスペクトしながら意見を交換する生産的なやりとりだったが,その後発表の先後を巡る行き違いから激烈なものになる.

*3:海底火山が隆起して次々に伊豆半島に付着する地誌年代と遺伝情報を比較してこの結論を得た

*4:対捕食者の適応,負の頻度依存淘汰,気温や乾燥に対する適応,そして遺伝的浮動,さらに歴史的な偶然も関与している.

*5:染色体の逆位領域に同じ機能をはたす上で有利の遺伝子が蓄積したため,組み替えによって近接領域に集まったなどのいくつかの仮説はある.いずれにせよこれにより模様はより洗練されやすくなり,変異の自由度が小さくなる

*6:悪魔メフィストに形容するだけでは飽き足らず,ダース・ベイダーまで登場させるところに千葉のグールド観がにじみ出ているということだろう

*7:同じ栄養段階にある複数種について優劣なく中立であると仮定して多様性や群集構造を理解しようとするもの

*8:殻の形態については重力だけでなく頑丈さ,這うスピード,乾燥耐性,付着力なども要因になる

*9:と書かれているが,殻口を小さいままに頑丈にすることがどうしてできないのかはよくわからいところだ

*10:その後千葉が研究室でどこまで麻雀に耽溺したのかの記述はない.読者の想像に任せるということだろう.

*11:このテーマは速水がグールドとの会話の中で着想を得たもので,速水自身はついに手がけることができなかったものだったそうだ

*12:この中には200メートルの範囲で輪状に分布し,両端では交雑しない世界最小の輪状種もみつかっているそうだ