協力する種 その18

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

第4章 ヒトの協力の社会生物学 その6

前節で直接互恵性では多人数の協力を説明できないと主張した著者たちは,次に間接互恵性を採り上げる.

4.6 評判:間接互恵性

ここで著者たちは間接互恵性による利他性進化の議論を吟味するが,そこでは各個体がランダムに繰り返し囚人ジレンマゲーム(1ラウンドの繰り返しは継続確率で決められ,ラウンドごとにランダムに組み合わせが変わる,また行動エラーが確率的に起こることが前提とされている)を行うとして,サグデンによる「評判戦略」に従った条件付き協力戦略が進化する条件を考える.
著者たちの分析は,良い評判を持つ期待利益と悪い評判を持つ期待利益を考えて前者が後者を上回る条件を導くというもので,それはb, c, ゲーム継続確率δ,行動エラー率εに依存して決まることになる.高次の項を省略した条件式は bδ(1-ε)>c となる.つまりエラーが少なく繰り返しが続くと期待されるならbがcよりある程度大きければ間接互恵性が進化しうることになる.
(なおこの式が間違っていると訳者の大槻が指摘している.これは集団中で行動エラーがあるときにどのような対戦が生じてどのような評判になるかをきちんと捉え切れていないための誤謬だ.著者たちの数理的な能力の限界が顕わにされているようでもある.大槻によると正しい式は δ(1-3ε)≧(1-δε)c になる.もっとも著者たちの議論の筋はこれにより変わるものではないとされている)

著者たちはこれは2者間のモデルに過ぎないとしてこれをn人間に広げるモデルを提示する.それはパンチャナサンとボイド(2004)によるもので,n人間でまず1回限りの公共財ゲームを行い,その後上記の繰り返し間接互恵性ゲームを行う(これを1ラウンドとしてこれを繰り返す).ただし公共財ゲームで協力していたときのみ良い評判ではじめられるとする.公共財ゲームにおけるb, cをbg, cgとするとパンチャナサンたちは以下の条件で協力が維持されることを見いだした.



これは上記条件に加えて最初の公共財ゲームのコストが小さければ間接互恵性により協力が進化することを示している.ボウルズとギンタスは,これについて「公共財ゲームの裏切りに対して,グループメンバーが日々の日常的な社会的交換で交換を拒絶するという形で,標的を絞ってコストの小さな実質的な罰を与えることができるようにすれば公共財ゲームでも協力を維持できる」と解釈できるとしている.

しかしボウルズとギンタスはこの形のモデルにも重大な欠点があると指摘する.特に強調するのは情報に関して多くの前提を要する点だ.

  • このゲーム設定は各個体が他者の公共財ゲームでの行動,間接互恵性ゲームでの個別の対戦行動をすべて知っていることを前提にしているが,特に後者についてそれは難しい.

また間接互恵性モデルの一般的な難点も情報に関する前提だとして,こう指摘している.

  • 2者間の前提が少し複雑になるだけで,あるプレーヤーの行動が裏切りであるか否かを外部から確かめることが事実上不可能になる.
  • 個体が利己的ならば,見聞きしたことを正しく伝える理由がない.利己的で道徳心のない個体からなる集団で,いかにして正確な公的情報が私的情報から生みだされるかについては未だに説明がなされたことがない.
  • つまり私的情報から公的情報が得られるとするなら社会的選好を前提とするしかない.


まず間接互恵性のゲームモデルにはその評判形成や行動ルールについてより詳細で複雑なモデルがいくつもあるが,とりあえず著者たちはそこをスルーしている*1.そしてポイントをn人間の公共財ゲームでの協力を別の間接互恵性ゲームと連結するという形のモデルに絞っている.それはこの形のモデルがこれまで提示された中で(多人数協力のモデルとしては)もっとも説得的だという判断にあるのだろう.そしてそのモデルの問題点についてはどうやって正しい評判を得るかが説明できないことだとする.
要するに著者たちの議論は間接互恵性を用いて多人数公共財ゲームを解決するモデルは情報の扱い方がナイーブであり,誰が裏切り者であるかを公的情報で知るには,そもそも利他性が前提になっていなければならないはずだといっていることになる.


しかしここも著者たちがゲーム設定の非現実的な前提にとらわれすぎている印象が強い.
結局ここで著者たちが問題にしているのは間接互恵性による協力の進化そのものではなく,多人数公共財ゲームが協力解を持つための噂を通じた裏切り者への罰システムということだ.(ここでもっと一般的な間接互恵的な評判による協力の進化モデルを採り上げないのは,おそらくそのようなモデルは「強い社会的選好」という著者たちの(至近因と究極因の誤謬に基づく)反論で既に否定しているからだということなのだろう.)
そして著者たちはこの噂を通じた裏切り者への罰問題において噂の真実性が保てないからダメだといっていることになる,しかし噂が完全に正しくなくともある程度信頼できるものになることの説明はいろいろ考えられる.情報はギブアンドテイクが原則でありそこには直接互恵性による正直さが生まれる可能性があるし,そもそもヒトが何故噂をするようになっているのかはそのような互恵的な情報収集が有用だからだとも考えられる.

とはいえ,信頼できる評判が入手できるとして,このような罰システムが間接互恵性によって進化したのかどうかはあまり自明ではない.典型的な可罰行動が間接互恵性で進化するには,(噂を信じて)裏切り者に罰を与えるという評判が,行為者にメリットを与えなければならない.私たちは可罰的な人物に対して(協力的な人物に対するようには)好感を感じないようだという知見から見て,こちらの方がより難しい部分のように思える.なお罰の問題は第9章でより詳しく採り上げられるので,そこで著者たちの考えを見ていくことになる.

4.7 質のシグナルとしての利他性

著者たちはここで「正直なシグナル」の議論を概説する.生物学ではザハヴィからはじめるところだが,経済学者らしくヴェブレンから始めている.そして同じく経済学者のマイケル・スペンスは学歴をコストのかかるシグナルとして説明したそうだ.その後で著者たちはザハヴィのハンディキャップも考え方を解説する.ザハヴィは,自らの質に関する正直なシグナルの条件をとして提示した.


なおここで著者たちはザハヴィのコストリーシグナル理論は「大きくて捕獲困難な獲物を提供する行為」や「宗教的儀式で消費される大量の食物を提供する行為」などの食物分配行為を説明するためのものとして提案されてきたと書いているが,これはあまりにも著者たちの「ヒトの協力の進化」のみを見て視野狭窄になった説明だろう.ザハヴィの理論は自分の質を表す正直なシグナル全般についてものであり,それが正直になる条件を「真に質の高い正直者だけがそのコストに耐えることができるものであること」として提示したもので,特に議論されたのは性淘汰シグナルになる.


ともあれ,ここで著者たちは「利他行動」自体が,自分の質を示すための正直なシグナルとして進化できるかという点を採り上げる.著者たちが特に念頭におくのは「貴重な情報の提供」や「グループ防衛のために危険を冒す行為」ということになる.
ここらの著者たちの議論は以下のように進む.

  • (食物分配に関して)のシグナル理論と間接互恵性理論は似ているが,少し異なる.間接互恵性の場合は食物をくれること自体が好ましい性質を持つが,シグナルはその行為が行為者の質と相関しており,そういう行為者と関係を持ちたいからだ.
  • そこでシグナルを発信する利益がなければ非協力が支配戦略になる多人数公共財ゲームとシグナリング過程をモデル化した.シグナルが進化する協力の安定解は確かにあるが,そうでない安定解も存在する.問題はシグナルのコストが利他行動のコストでなければならない理由がないことだ.
  • つまりシグナルコストが利他的であるグループもあればそうでないグループもあることになる.ここでシグナル発信とグループの利益に相関があれば利他的なシグナルが選ばれたグループがグループ間競争で有利になるだろう.つまりグループ間淘汰圧が強ければ弱いマルチレベル淘汰により利他行動がシグナルとして進化しうるだろう.


この「弱いマルチレベル淘汰」によるコストのあるシグナルとしての利他行為の説明はなかなか興味深い理論的可能性かもしれない.もっとも著者たちもこの議論をこれ以上追求していない.

*1:訳者の大槻にとってはちょっと残念な部分かもしれない