「恐竜探偵足跡を追う」


本書は生痕化石から迫る恐竜本.著者のアンソニー・マーティンは古生物学者で特に生痕化石の専門家になる.これまで様々な恐竜本を読んできて,足跡化石や糞化石について聞いたことがないわけではないが,全編生痕化石だけの恐竜本というのは初めてだ.


第1章では,これまでに生痕化石から判明したことを中心に白亜紀の恐竜たちの一場面を再現している.どうしてこんなことまでわかるのかをこれから後でじっくり説明しようという趣旨になる.トリケラトプスの突進,逃げ惑う小型恐竜の群れ.営巣中のトロオドン,交尾するアンキロサウルス,ティラノサウルスの狩りが活き活きと描かれ,それらの舞台となった地形を作った数千万年前の竜脚類の群れの行動も示唆される.そして骨だけではわからないことも生痕化石から推測できることが特に強調されている.


第2章は足跡.まず足跡化石は骨化石に比べて圧倒的に多いこと,骨化石が出土しないところでも見つかることを指摘する.そして恐竜の簡単な分岐分類を示した後,各グループの恐竜の典型的な足跡を示す.結構難しいのが獣脚類と鳥脚類の区別,古竜脚類の識別だそうだ.分類だけではなく,年齢,雌雄,動作,社会生活,怪我の有無なども推測可能だ.ここで最古の恐竜足跡化石の話になり,骨化石を専門とする古生物学者との確執を窺わせていて面白い.古生物学者の推定では恐竜の起源は三畳紀中期の終盤となっていて,それより少し古いいかにも恐竜の足跡に見える足跡化石を生痕学者が提示しても,少し前までは嘲笑や「認めるに値しない」などの反応しか返ってこなかったそうだ*1.ここから足跡からの運動様式の推定,有名なアレクサンダーの公式を巡る論争,足跡テクトニクス,多くの足跡化石は直接の足跡の下の層の窪み(アンダートラック)であることなどを解説している.最速恐竜足跡化石,休息跡化石,泳いだ跡の化石の話は楽しい.


第3章はオーストラリアのラーク採石場にある恐竜足跡化石の解釈を巡る数奇な物語.これは100頭以上の恐竜による3000個以上の足跡が保存された白亜紀の生痕化石サイトだが,その解釈は二転三転したのだ.著者は,著名な学者たちが猛然と論争するその顛末を詳しく語り,解釈の難しさ(特に三本指の足跡が獣脚類のものか鳥脚類のものかは難しい)と面白さを語ってくれている.


第4章は営巣と子育て.まず,もし交尾中の足跡化石があったらどんなものか,恐竜にも托卵はあったのか(可能性はあるがまだ証拠となる化石はない)という楽しいネタを振り,巣の化石はまだ数種のものしか見つかっていないことを解説した後,マイアサウラ,トロオドン,ティタノサウルスの営巣化石の様子を詳しく語る.トロオドンの営巣化石からはかなり多くのことが推測されており,巣化石には昆虫の繭や巣穴の生痕も組み込まれている.竜脚類の卵はその巨大な体格に比べると非常に小さく,それまで謎とされていた後脚の第一指の爪は巣穴を掘るために進化したものであると推測できる.いろいろと面白い.


第5章は巣穴.恐竜が掘った穴の化石もある.穴を掘るような恐竜もいただろうと最初に提唱したのはロバート・バッカーだった*2.そして実際にそのような化石が見つかったのはここ15年ほどだそうだ.マーティンは,これは恐竜絶滅との絡みで重要なトピックだと説明する.巨大隕石落下地点から遠く離れた大陸で巣穴の奥に逃げ込んでやり過ごせた小型の非鳥類型恐竜がいたかもしれないからだ(とはいえそのような新生代以降の化石は骨,生痕を含め全く見つかっていない).ここからマーティンは友人である古生物学者ヴァリッキオと一緒にモンタナ州で行った恐竜の巣穴化石(そこには新種の親子の恐竜(オリクトドロメウス)の骨も一緒にあった)の発掘作業,さらにオーストラリアで別の巣穴化石の発見,それら論文執筆と査読,受理の経緯について詳細を書いている.ここは臨場感があって楽しい.


第6章は骨化石につけられた生痕.別の恐竜によって噛まれた跡がある骨化石は同時に生痕化石でもある.骨化石に本来の解剖学的特徴とは異なる孔,窪み,膨らみ,傷があればそれは解釈の対象になる.マーティンのお気に入りはトリケラトプスのフリルについた大きな穴だ.これはしばしば見られ,治癒跡から生前につけられたものとわかり,フリルの後方下部に遍在している.解釈としてはこれはオスオス闘争の跡だと考えられるのだ.これはパキケファロサウルスの発達した頭蓋の解釈にも影響を与え,そして実際に探し求めた研究者によって頭の衝突によると思われる損傷が発見された.またアロサウルスに残る傷跡化石はステゴサウルスのトゲが防御に役立っていたことを示している.ここでは歯形を解釈するための歯列の詳細,傷跡の深さを決める物理法則が解説され,共食いの証拠(マジュンガサウルス,ティラノサウルス類で見つかっている),どのような植物を食べていたか(グレーザーかブラウザーか)の見分け方(歯にシリカ質による微少摩耗が見られるハドロサウルス,角竜,アンキロサウルス,竜脚類はグレイザーだったことを示唆している)などを扱っている.


第7章は胃石の話.実は胃石は生痕化石の中でも最も物議を醸すトピックなのだそうだ.鳥は確かに石や砂を飲み込み砂嚢に入れて消化に役立てている.しかし偶然飲み込むもの,ミネラル摂取,浮力のバランスなどいろいろな境界事例があり確とした解釈は難しい.ここではプレシオサウルス翼竜で見つかった胃石らしい化石を例にとっていろいろと興味深い解説がある.そこからマーティンは恐竜の胃石化石に進み.その判別の難しさにふれた後,それでも恐竜の腹部骨格内から見つかったものは胃石と判断できるとしている.
かつてバーナム・ブラウンは竜脚類は植物をすりつぶすために胃石を利用したと考えた.しかし現在ではそれは否定されている.現在,胃石を持っている可能性が高いのは獣脚類だと考えられている.これは実際に確固たる例がいくつか見つかっているし,現生の鳥が獣脚類起源であることから考えるとある意味自然だ.竜脚類からはブラウンが考えたような挽き臼になるような大量の胃石化石は見つからない(あれば見逃されるはずはない).マーティンはこの後で,この分野の最新の考え方を解説し,将来的には様々な可能性があるとコメントしている.


第8章は吐瀉物,消化管内容物,糞その他だ.胃内容物化石はエンテロライト,腸管内容物化石はコロライト,糞化石はコプロライトと呼ばれる.現生動物の糞や尿について少し解説した後で,恐竜のエンテロライトとコロライトに進む.ミクロラプトルの胃の中の鳥の骨化石,シノサウロプテリクスの胃の中の3種の哺乳類の化石などは興味深い.バリオニクスの魚肉食いもエンテロライトで実証された.アンキロサウルスでは,葉,種子,果実のコロライトが見つかっている.恐竜の吐瀉物化石はまだ1例しか見つかっていないがマーティンは,フクロウのペレットを考えるといずれ様々なものが見つかるだろうと期待をかけている(竜脚類のものがどんな様子になるはずなのかの妄想図は楽しい).排尿跡の化石も2例のみだが,1つは竜脚類のもので大きく.図示されていて迫力がある.最後はコプロライト.コプロライトかどうかの判別のためのチェックリスト,どの恐竜が落としたものかの判別は難しいこと,よく解明されているマイアサウラのコプロライトとその元になる糞を処理していたフンコロガシの詳細,寄生虫が含まれるコプロライト,ティラノサウルスのコプロライトの中身,ティタノサウルスのコプロライトの安定同位体比の測定とC3植物の摂取などの話が語られている.


第9章は著者による足跡化石発見物語.それまで恐竜の足跡化石が発見されていなかったオーストラリア南部での探索行が臨場感豊かに語られている.突然岩の中に足跡パターン見いだした場面の記述は印象的だ.


第10章は現生恐竜と呼ぶべき鳥類について.冒頭はオーストラリアで野生のヒクイドリに遭遇したスリリングな逸話*3から始まる.そこから白亜紀の鳥類の足跡化石を紹介し,鳥類の進化を概説,人類の拡散後飛べなくなった島嶼部の鳥が辿った悲劇を語る.そして鳥類の足跡のパターンを解説し,自力飛行の進化の謎が足跡の解析で解き明かせるかもしれないと希望を述べている.また巣穴,クチバシ跡,道具作りなどについても楽しい解説がある.


最終第11章は恐竜が現代に与えている影響について.恐竜の通った道は,時に地滑りを引き起こし,川筋を変え,地形を変えた可能性があること,大量の植物食により生態の攪乱要因になっただろうこと,腸内で発生したメタンガスが温暖化効果を持っただろうこと,草食恐竜と顕花植物との共進化の可能性があること*4,頂点捕食者としての獣脚類の生態系への影響などが語られている.そして最後に今後数年内に発見されることを期待している生痕化石を一覧にして本書を終えている.


本書は生痕化石だけに焦点を絞った恐竜本であり,その狭いフォーカスが内容の深さにつながっていてなかなか読ませる,ところどころの体験談は臨場感あふれていて迫力があるし,生痕化石から解釈を広げて,さらに期待していくときの妄想ぶりも楽しい.恐竜好きには嬉しい本に仕上がっていると思う.


関連書籍


原書

Dinosaurs Without Bones: Dinosaur Lives Revealed by Their Trace Fossils (English Edition)

Dinosaurs Without Bones: Dinosaur Lives Revealed by Their Trace Fossils (English Edition)

*1:2010年のブルサットの論文では最古の恐竜形類(恐竜,翼竜,ワニを含むクレード)の足跡化石は三畳紀初期の245百万年前,最古の恐竜のものと思われる足跡化石は三畳紀中期245百万年前(最古の恐竜骨化石より5〜7百万年前)とされているそうだ

*2:ここでは「あいにく」ロバート・バッカーだったと書かれている.原文の英語表現はわからないが,バッカーに対する古生物学者たちのアンビバレントな気分が垣間見えるようで興味深い

*3:ヒクイドリの鉤爪は強力な武器であり,攻撃されると非常に危険なのだそうだ.

*4:これもロバート・バッカーが最初に提唱した.現在昆虫との共進化の影響の方が大きかっただろうとされているが,マーティンはなお恐竜の影響もあっただろうとしている