協力する種 その42

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

第12章 結論:人間の協力とその進化 その1

この長大で複雑な本もようやく最終章にたどりついた.冒頭でホッブスのレヴァイアサンとダーウィンのDescentから以下の引用がある.

  • ハチやアリなど,ある種の生物は社会的な生活を営んでいる.だが彼らは自らの判断と欲求しかもっておらず,共通の利益を達成するために必要だと自ら考える手段を互いに伝え合うための言葉も持たない.なぜ人間には彼らと同じことができないのだろうか,その理由を知りたいと思う人もいるだろう - トマス・ホッブス
  • 親子間の愛情も含め,高度な社会的本能を持つ動物はそれがどんな動物であっても,人間と同等な知性を獲得するやいなや,必ず道徳観念や良心を獲得することだろう - チャールズ・ダーウィン


そこから人類史とその謎についてこう解説する.

  • 5万5000年前狩猟採集民の集団がアフリカを離れた.彼等の一部は4万年前にオーストラリアに到達し,一部はアジアに,一部はヨーロッパに広がった.現在ではこの小さな集団の子孫が全世界に広がりすべての現生人類の祖先となったのだと考えられている.
  • この2度目の出アフリカは拡散速度と到達範囲において際立っている,なぜ彼等は自分たちより大きな脳を持つネアンデルタールを絶滅に追い込み,大洋を渡ることができたのか.
  • 出アフリカより前に言語能力と文化伝達能力が進化していただろう.ただし特別な突然変異が生じたことを示す証拠はそういう事実があったということしかない.しかし人類の種としての成功はこうした能力抜きに説明することはできない.


いろいろ突っ込みどころがある.まず,文章からは,現生人類すべてが出アフリカを行った小集団の子孫であるという意味だとしか読めないが,サブサハラのアフリカの人々はそうではない.このあたりは,出アフリカ集団の母体になったサピエンス集団自体と出アフリカを行ったその一部の集団をきちんと区別して記述すべきだろう.あるいは著者たちはこのあたりについて理解が怪しいのかもしれないと思わせる書きぶりだ.また突然変異の証拠について妙なこだわりがあるところも怪しげだ.もちろん現在では様々な生物の進化形質について,その元になった突然変異が特定されているものもあるが,ほとんどのマクロの形質についてはわかっていない.だからここであえてそれを指摘すること自体不自然だろう.

12.1 人間の協力の起源
  • ヒトが協力的な種になったのは集団内での協力が大きな利益を生みだす環境にいたからであり,高度な認知能力と言語能力で利他性が進化しやすい社会構造を創り出すことができたからだ.
  • ヒトの生活は入手の分散の大きな食糧(狩猟の獲物など)におおきく依存していた.これにより獲得するのに時間がかかる技能を分業的に持つことが有利になり,大きな脳,忍耐力,長寿命が進化した.さらに食糧分配,血縁関係にない人間同士による共同子育てを行う集団が有利になった.
  • シミュレーションでは協力の潜在利益が大きいと協力が進化する.その理由のひとつには遺伝子と文化の共進化がある.
  • 進化環境で協力が集団に利益をもたらしたことだけでは進化の説明としては不十分だ.協力が生みだされるには社会的選好が必要であっただろう.それは制度構築能力,学習された行動を文化的に伝える能力によって社会的選好を持つ個人が増加できるようになったことで説明できる.これらにより,利他者のコストが減少しただ乗りのコストが増加する制度的ニッチが成立しうるようになった.ここで重要なのは次の3つの要素だ.
  1. 致死率の高い集団間競争が頻発する環境
  2. 食物分配などの繁殖均等化習慣
  3. 社会に利益をもたらす選好を子供に内面化させる制度
  • そもそも社会的選好が出現し増加していった具体的プロセスについては想像することしかできないが,出現自体は以下の2つの理由によって十分説明できるだろう.
  1. 強い社会的選好は,血縁に基づく利他行動か互恵的利他行動がわずかに変化したことで新しく誕生しうる.
  2. 後期更新世には膨大な数のバンドが狩猟採集を生業としていた.その中でいくつかのバンドで強い社会的選好が広まることはあり得るし,一旦そうなればそのバンドは競争上非常に有利になっただろう.
  • ここまでの説明は,分析のための単純化を含んでいるので,歴史的には不正確だろう.例えば狩猟の獲物の重大性が先にあってそこから協力が進化したというより,狩猟と協力が共進化した可能性の方が高いだろう.おそらく本書のモデルを適切に修正すれば共進化のシナリオも説明可能になるだろう.
  • 我々の説明はマルチレベル淘汰と遺伝子の文化の共進化という2つのアプローチに大きく依存している.我々はこれらのプロセス抜きで協力が進化した可能性は低いと考えている.
  • 第4章と第6章でみたように,血縁の基づく淘汰と互恵性ではヒトの利他性は説明できない.
  • なぜマルチレベル淘汰と文化の遺伝子の共進化が説明として適切なのか:それはまず進化環境では集団構造により行動レベルで正の同類性が生じているし,社会的選好は規範の内面化や繁殖均等化などの社会的行動の文化伝達により達成されてきたと説明できる.また真の利他的動機こそがヒトの協力行動の近接因であるからだ.


この節は本書の説明の要約ということになる.私の感想は以下の通り

  • 大きく違和感があるのは,ほとんどの場合の協力は相利的な状況である(分業の利益は基本的にそういうことだろう)のに,本節では相利的協力と利他的協力がきちんと論じ分けられていないことだ.相利的な協力(狩猟における役割分担,お互い様の共同子育てなど)は個体淘汰的に簡単に説明できるだろう.そもそも著者たちの説明したいのは観察される「集団内の赤の他人に向けられた自らにコストがかかる場合でも示される社会的選好」であり,相利的な協力で説明できるものを持ち込むのは説明振りとして適切だとは思えないところだ.このため「協力が生みだされるのは社会的選好が必要だった」と唐突に利他的な選好に議論を移す形になっている,
  • そして利他的な選好の進化的説明に移るが,著者たちの議論は「部族間の致死的な戦争という淘汰圧がもたらす集団間淘汰」「繁殖均等化という文化との共進化」「個体淘汰的に有利な規範の内面化にヒッチハイクする利他的規範」によって利他的な社会的選好を説明できると主張している.しかしこれらの要素の間の重み付けの議論はなされていない.
  • この進化的な説明の内容についてはこれまでも述べてきたように著者たちの議論は強引で我田引水的であまりいいものではないだろう.
  • 最大の問題は,進化的な議論についての初歩的な誤解から,有力な代替説明を無視していることだ.特に間接互恵性の否定についての彼等の議論はあまりにナイーブだ.
  • 「部族間の致死的な戦争という淘汰圧がもたらす集団間淘汰」を重視するマルチレベル淘汰の議論は数理的には血縁度を用いた包括適応度的な議論と同じになる.すると,彼等の議論の前半はFSTが実際に推定される0.05〜0.15程度であったなら,相当極端なbcの値を持つ淘汰圧がなければ利他性は進化できないというかなり常識的な議論だと評価できる.しかし後半のこの極端な淘汰圧にかかる議論はいろいろな問題含みだ.彼等の結論は「部族間闘争で部族メンバーに対する無条件で利他的に戦闘を行う形質が進化し,それがその他のすべての利他的な社会的選好を説明できる」というものになる.そもそも戦争に勝つ要因に利他性がどれほど重要なのかについては何のエビデンスもなく相当疑問視せざるを得ない.また彼等の結論は進化的に実装される心理メカニズムについてのリアリズムに欠けているだろう.そして実際に観察される戦闘時の利他的行動とも整合しない.さらにもしこれのみにより利他性が進化したなら当時の戦争の実態から考えて利他性に大きな性差が生じるはずだが,その点について考慮している様子すらない.
  • 「繁殖均等化という文化との共進化」「個体淘汰的に有利な規範の内面化にヒッチハイクする利他的規範」の2点については,それほどヒトの利他性進化に対して大きな影響があるようには思えないところだ.彼等の主張するように文化との共進化で本当に利他性が大きく進化したなら.ホモ・サピエンスの初期に様々な文化と利他性を持つ集団があり,ただひとつの文化を持つ集団が生き残って,その文化が何万年も変わらずに保たれていることになるが,世界の現状はそうなっているようには思えない.そして繁殖均等化というが,結局狩猟対象の肉を分配しているだけ(それも様々な個体淘汰的な説明が可能)で,(採集される様々な食糧を含む)それ以外のリソースについてはそのようなことはない.「個体淘汰的に有利な規範の内面化にヒッチハイクする利他的規範」の議論も,そもそもそれにより得られる利他性は小さなものに限られそうだし,「ではなぜヒッチハイクを防ぐような心理的な仕組み(有利な規範のみを内面化する能力)が進化できないのか」が説明できなければ説得力はないだろう.
  • さらに個人的な感想として本音を書くなら,ボウルズとギンタスは進化生物学の議論をきちんと理解しないまま傲慢にも有力な仮説を無視し,いかにも理論的にエレガントで興味深そうな「文化と遺伝子の共進化」「規範の内面化へのヒッチハイク」などの議論をひけらかしている浅薄な印象をどうしても感じずにはいられないところだ.