協力する種 その43<完>

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

協力する種:制度と心の共進化 (叢書《制度を考える》)

第12章 結論:人間の協力とその進化 その2

この複雑な本もようやく最後になった.著者たちはこれまでの結論を踏まえて以下のように結んでいる.

12.2 協力の未来
  • ヒトの協力の起源についての決定的証拠は入手困難であり続けるだろう.我々は観察できる事実と一貫し,かつ妥当性の高い説明を提供しようとしてきた.
  • 探索においては狩猟採集バンドや小規模国家を考察対象にした.人類歴史のほとんどはそうした環境であったからだ.
  • そのような社会では強制力のある契約は存在せず,非協力ゲーム理論は必要不可欠な道具だった.
  • 現代社会では協力のほとんどは誘因と制裁によって支えられている.個人間の多角的相互作用と第三者による強制力が存在し,さらに近代国家による誘因と制裁が提供されている.
  • だから我々の協力の進化の考察をもとに21世紀の協力について何らかの強い結論を出すべきではないだろう.現代の紛争や気候変動に必要な協力が我々の考察したようなメカニズムで生じて問題を解決できるという主張は人々に疑念を持たれるだろう.
  • しかし,我々の祖先が直面していた社会生活上の困難は,我々が今日直面する困難と根本的に異なっているわけではない.
  • 現代国家とグローバル市場は,見知らぬ人々の間の相利的協力発生条件をかつてない規模で整備しつつある.それでも経済的社会的生活から利他的な協力の必要性が消えることはない.
  • なぜなら私的契約の強制と政府の規制のみで現代社会を統治することは困難だからだ.現代の経済の社会的相互作用は,よくいっても準契約的なものだ.財の交換は契約によって制御されているが,それだけでは十分ではない.(信用,雇用,情報など,室の監視が困難な財とサービスの取引が準契約の例になる)
  • 契約が不完備であれば,アダム=スミスの見えざる手の論理はもはや機能しない.市場が失敗すれば政府の統治は機能しない.政府は必要な情報も動機も持ち合わせていないことが多い.
  • しかし我々は,契約が完備でない場合にも,市場参加者がアダム=スミスのいう「高潔な市民」のように振る舞うことを知っている.このように社会的選好は社会の維持,生活の向上のために必要とされ続ける.
  • ヒトを成功させた社会的選好は現代社会においてもその重要性を増しているのだ.


ここでは著者たちは,まず自分たちの試みは人類の進化史における環境を考慮した進化仮説を立てようとしたことであることを述べる.進化産物を議論するのだからここは正しい探求姿勢だろう.そして現代社会における協力のほとんどはリバイアサンを前提にしているものであり,その中でそれ以前の協力推進メカニズムの利用をあまり強調すべきではないことも認めている.ここもその通りだろう.

しかしここから著者たちは「市場が失敗するような場面ではこのようなメカニズムで進化した協力が重要なのだ」と結んでいる.これは本書の冒頭部分の「マルチレベル淘汰と文化と遺伝子の共進化により達成できた偉大な結果」というような認識よりは相当抑えられた穏やかな言い方になっている.まあ,結びとしては穏当なところなのかもしれないが,ここまで著者たちのひねくれた議論につきあわされた後では突っ込みたいところもないわけではない.最後の最後に残る私の違和感は以下のようなところだ.

  • 本来市場の失敗についてはどのように制度デザインで補完するかが(著者たちは経済学者なのだから)議論されるべきであり,その際には市場参加者がどのような行動傾向を見せるかが非常に重要だろう.
  • 著者たちの議論をそのまま受け取るなら,ここで採り上げられている「社会的選好」は,部族が全滅するという強い淘汰圧の元で進化したグループメンバーのためには死をもいとわずに戦う心から派生した「グループメンバーに対する全くの利他的な精神」だ.だから単一メカニズムによる一般的な利他的傾向ということになる.だから市場の失敗に対して一般的に良い結果をもたらすと議論しているのかもしれない.
  • しかし実際に広く見られる「社会的選好」はおそらく間接互恵性の評判形成や罰に対する報復の可能性にかかる文脈や条件に敏感に反応する複雑な行動傾向だろう.市場の失敗に対してこのような条件に敏感な利他性を持って補完するというのはあまりにナイーブな態度ではないだろうか.敏感に反応する条件により目を配った制度デザインが望ましいだろう.そして著者たちは無視しようとしているが「目の効果」はまさにそのような可能性を示しているものと受け取るべきではないか.


以上が本書のあらましになる.とにもかくにも進化生物学をあまり理解しないまま,既往の議論や仮説を批判して,論破できたと上から目線の不愉快な部分の多い本だった.とはいえ全くのトンデモ本というわけでもないところが本書の評価の難しいところだ.全体の評価はまた項を改めて整理いたしたい.


<完>