「進化心理学を学びたいあなたへ」 その3

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

第1章 そもそもなぜ進化なのか:進化心理学の基本問題 その2

1.4 心というぬり絵に潜む動機と合理性 ダグラス・ケンリック

ケンリックは意思決定の合理性について深く考察している心理学者だ.ここでは自らの見解を中心に寄稿している.

  • 私が学んだ教訓は3つにまとめられる.それは「ヒトの心は白板ではなくぬり絵帳のようなものだ」「ヒトの心は複数のセルフの集合体として理解した方が良い」「その複数のセルフはそれぞれ特定の機能合理性を持ってバイアスしている」ということになる.


<ぬり絵帳>

  • 男性は,(単に自分より若い女性に魅力を感じるのではなく)繁殖能力のピークの女性に魅力を感じる*1.だから非常に若い男性は自分より少し年上の女性に惹かれる.そしてそれは進化的に見て理にかなっている.これは「心は白板である」である(そして西洋の男性は「若い女性に魅力がある」とする文化に染まっているから若い女性を好む)とする伝統的な社会学的見方に疑問を投げかける知見である.
  • この「非常に若い男性は少し年上の女性に魅力を感じる」という進化的見方と整合的な知見に反するような民俗学的証拠(オーストラリアのティウィ族の若い男性は年上の未亡人と結婚する傾向がある)が示されたが,この社会をよく知ることによりなぜそうなっているかを理解できた.(ティウィ族では若い男性も若い女性に魅力を感じているのだが,年長者が社会的権力によって若い女性を独占しており,すぐに若い女性と結婚できない.このため若い男性にとって年上の未亡人と結婚して社会的な関係を強化することが将来的に若い女性を得る最も良い手段だとなっている)これは進化心理メカニズムとローカルな社会的要因が社会規範を形成する例だ.つまり進化した心は輪郭を与えてくれるが,どのような色が塗られるかは様々な事情によって決まると考えることができる.


<複数のセルフ>

  • 20世紀中葉の心理学界で主流だった行動主義は節約的であり,古典的条件付けとオペラント条件付けですべての行動を説明しようとした.またヒトについては飢えなどの原初的衝動からより社会的な動機も形成されると考えていた.
  • しかしネズミの食物嫌悪学習実験は生得的な学習傾向があることを示した.そしてその後の比較認知科学認知神経科学の統合により,ヒトは様々な問題に対して,様々な認知プロセスを利用しているのではないかという視点が生まれた.私は,ヒトの様々な社会的課題解決の動機をプライミングした実験により,動機の種類により認知プロセスが異なっていることを確かめた.そしてプロセスの詳細は親の投資や性淘汰という進化生物学的な原理に基づく予測と一致していた.


<深い合理性>

  • 行動経済学者たちはヒトの様々な非合理的なバイアスを明らかにした.
  • 進化的視点から考察するとこのような非合理的バイアスも深いところで合理的なことがある.損失回避のような現象も,それがどのような進化的課題を解こうとしているかによって機能的に異なっていると予想される.
  • これらを考察するときには心のモジュールごとに効用が異なっていることを理解しておくことが重要だ.だから心のあるセルフにとっては非合理的でも別のセルフにとっては合理的なことがあり得る.そしてそれぞれの動機ごとにどのようなバイアスがどう変化するかというより詳細な予測も可能だ.


心がスイスアーミーナイフのようなモジュールの集合体だというのは進化心理学初期からの大きな主張だが,その仮説が様々な検証を経て精緻に磨かれていく様子がよく描かれている.


ケンリックの本

様々な動機ごとにある効用と認知プロセスについての本.


同邦訳.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20140809

野蛮な進化心理学―殺人とセックスが解き明かす人間行動の謎

野蛮な進化心理学―殺人とセックスが解き明かす人間行動の謎


本稿でも書かれている「深い合理性」についての本.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20150116

The Rational Animal: How Evolution Made Us Smarter Than We Think (English Edition)

The Rational Animal: How Evolution Made Us Smarter Than We Think (English Edition)


同邦訳.私の訳書情報はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20150123

きみの脳はなぜ「愚かな選択」をしてしまうのか 意思決定の進化論 (KS一般書)

きみの脳はなぜ「愚かな選択」をしてしまうのか 意思決定の進化論 (KS一般書)


1.5 心を生む1100グラム:脳という物質 ヴィクター・ジョンストン


ヴィクター・ジョンストンは「Why We Feel」で感情(特に「価値」を巡るもの)の進化的な説明を行ったことでよく知られているが,本稿ではそれに至る思考過程,特に脳の知覚が「適応的な幻影」であるとする作業仮説について自らの研究歴とともに語っている.

  • 40年以上前,ある日「人体資料」で脳の解剖に立ち会って以来,私は「一体どうやってこの脳が痛みや誇りや愛を創り出しているのだろうか」という疑問を感じ,それは研究生活においてずっと私の前に立ちふさがってきた.そして次第に自然淘汰による進化の力を信じることによって解明できるのではないかと信じるようになった.
  • また学生時代に薬剤分子の単純な変更で幻覚を起こせることを知り,我々の知覚は「幻覚」ではないかということを意識し始めた.もっとも当時は幻覚にしても適応的であるはずだ(だからおおむね正確だろう)と思っていたから気が楽だった.まだまだ意識を「大いなる幻影」として受け入れる準備ができていなかったのだ.
  • そのころから脳の活動はその電気化学的事象であることが理解され始めていた.しかしそれがどのように起こっているかについては謎だった.ポスドク時代にプログラミングと事象関連電位測定の技術に親しみ,ニューメキシコ大学に常勤職を得てからヒトの脳電位測定リサーチを始めた.そして刺激の(被験者にとっての)価値によって生じるP3波の振幅が変化することを見いだした.
  • ちょうどそのころ進化心理学という学問分野が興隆し始めた.ウィルソンの「社会生物学」とドーキンスの「利己的な遺伝子」は私に計り知れない影響を与えた(ここでジョンストンは「進化心理学」と書いているが,その基盤の1つであるハミルトン革命による社会生物学,行動生態学の興隆のことを言っているようだ).脳は繁殖成功度を高めるための一器官なのだ.私はヒトの脳内の「価値」の進化的起源を考えるようになった.そして魅力的な女性の写真を見たときの若い男性の大きなP3波を観測したときに,私は進化主義者に転向した.
  • 我々は生活の質について語るときに(愛,恐れ,幸せ,痛みなどの)意識的感情を示す語を用いる.しかしそれが何で,どう進化したのかはわかっていない.洞察を得るにはまず感情の構造を考えてみるとよい.意識的感情には感覚的感情と社会的情動があるとされるがこれらには共通点が多く見られる.あらゆる意識的感情は快か不快かに分けられ,その強度があり,さらにそれぞれ異なる質を持つ.これは進化的な意味での脅威の質と関連があるのだろう.そしてその対応状況は進化的に考えてのみ説明可能になる.あらゆる意識的体験は遺伝子生存のためにデザインされた機能特性だと考えるべきなのだ.
  • では物質である脳はどのように(非物質的に思われる)感情を生みだすように進化できたのか.それは意識的感情を脳の物理的化学的組成から現れた創発特性と見做すことにより理解できるだろう.そして自然淘汰はその創発特性のレベルで働き,遺伝子の生存により資する心の創発特性,つまり感覚,感情,知覚を含むあらゆる意識的体験の機能特性が進化するのだ.色や音の感覚も含めて我々が意識している世界は「適応的な幻影」なのだ.この見方をとれば,「物質的な脳と被物質的な心がどのように相互作用しているのか」という二元論的落とし穴を回避できる.
  • 最近流行の心の計算理論によると,ヒトの脳は色や音などの性質を描出する精巧な計算機であり,主観的経験は意味のない付帯現象だということになる*2.しかし主観的意識経験は適応価と結びついた快不快の体系を持っており,意味のない付帯現象であるはずがない.それどころか,観察者におけるこの快不快の感覚こそが世界に(生物学的な価値としての)「意味」をもたらしているのだ.コンピュータは外部から価値基準を与えられない限り,1つの無意味な状態から別の無意味な状態に変化するだけだが,脳は自律的に価値を見いだすことができるのだ.
  • このような考え方に立てば,ヒトの持つあらゆる感情の機能デザインに自然淘汰や性淘汰の指紋を見つけることができるはずだ.例えば,ある顔を魅力的だと感じるなら,それはどのような点がどう機能的に重要であるかを調べることができる.(ここで男性が魅力を感じる女性の顔,そして女性が魅力を感じる男性の顔は,単に平均顔ではなく,適応的予測が示す方向にずれていることを調べたリサーチが解説されている)


感情の進化心理学的な議論については,個別の「怒り」や「愛」をコミットメントの観点から説明しようというロバート・フランクの議論が有名だが,このジョンストンの議論は感情について「適応的な価値判断を行動決定に組み込むための機能」というより基礎的な部分からの考察になっている.最初にこの議論を読んだ時にはまさに目から鱗が落ちるような気がしたことをよく覚えている.確かにコンピュータに何かを選択させる時には価値基準を外側から入力してやらなければならない.これを自律的に,しかも何らかの「意味」を持って行わせるのは至難の業だろう.よく考えると自然淘汰の偉大な成果を深く感じることができる部分だ.


ジョンストンのこの議論にかかる本

Why We Feel (Helix Books)

Why We Feel (Helix Books)


同邦訳

人はなぜ感じるのか?

人はなぜ感じるのか?

*1:ケンリックはその時点の繁殖能力かその後の生涯繁殖能力かについて明確にしていない.短期的配偶戦略ではその時点の繁殖能力が,長期的配偶戦略においては生涯繁殖能力が重要になることになる

*2:ジョンストンはピンカーもこの見方をとってるように書いているが,誤解ではないかと思われる