「進化心理学を学びたいあなたへ」 その4

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

進化心理学を学びたいあなたへ: パイオニアからのメッセージ

第1章 そもそもなぜ進化なのか:進化心理学の基本問題 その3

1.6 反発あってこその進化心理学 ロバート・クルツバン


第1章の最後を飾るのはロバート・クルツバン.クルツバンはまさにサンタバーバラ学派の正統な系譜につながる研究者で,進化心理学の中核ともいうべきモジュールの議論を突き詰めた考察を行っていることで知られる.本書の紹介によるとコーネルの心理学部を卒業して,サンタバーバラのコスミデスとトゥービィのところに行くまでに一時ディズニーランドで働いていたそうだ(残念ながらその詳細についてはここでは触れられていない).彼は社会学者たちからの進化心理学批判に対して真っ向から反論をすることでもよく知られているが,ここではそれがテーマになっている.

  • 学生時代には行動生態学とヒトの行動に興味を持っていた.しかし当時まだ行動生態学をヒトの行動に応用する試みは一般的ではなかった.その中でデイリーとウィルソンによる殺人の研究,バスによる配偶行動の研究は二筋の光明だった.そしてこのような研究こそやりたかったことだと確信した.
  • 大学院に進むと進化心理学の初期の本(バス,デイリーとウィルソン,ピンカー,サイモンズ,コスミデスとトゥービィなど)が出版され始めた.それらの議論は明解で論理的で説得力があるものだった.私は他の研究者も当然それを積極的に受け入れるだろうと考えた.しかしそれは完全な誤りだった.
  • 進化心理学の分野で研究するということは,科学の大きな流れに逆らうことであるというのは重要な事実だ.この分野に進むのなら,今後しばらくの間は激しい抵抗に遭うことを肝に銘じておくべきだ.
  • E. O. ウィルソンは社会生物学の提唱者だが,学会の発表時に聴衆から水をかけられたことでも有名だ.この出来事は「人間も自然淘汰の原理によって理解できる」というアイデアに対する感情的反応の予兆だった.
  • このような身体的な攻撃がその後なされたことはないが,様々な形での抵抗や批判は根強い.私はスティーヴン・ローズとヒラリー・ローズによる進化心理学批判書「Alas Poor Darwin」に対して反論したが,このような進化心理学批判書は多い.要するにこの世には「反進化心理学」というニッチ市場があるのだ.
  • しかし「反進化心理学」という表現は正確ではない.このような攻撃の多くは進化心理学の実際のロジックやアイデアに対する批判と呼べるようなものではなく,典型的な藁人形論法に過ぎないからだ.しかしこのような批判は驚くほど頻繁に繰り返されている.そのアイデアを理解することもなく公然と批判していいと巷で思われていること自体が進化心理学の特徴だと言えるかも知れないほどだ.
  • ここでは今後も対処しなければならない可能性の高い主張をいくつか説明しておこう,
  • 最もありふれた誤解は「ヒトの行動の進化的な説明には遺伝的決定論が必然的に伴うはずだ」というものだ.まず明確にしておくべきことは,進化心理学は生物学一般と同じく,遺伝的決定論ではなく遺伝と環境の相互作用が発達的な結果を定めるという考え方にのっているということだ.このような誤解は「あひるの子はは白鳥に育てられてもあひるになる*1」という直感的生物学によって引き起こされるのだろう.
  • そして批判者は,「ヒトは環境や文化の影響を受ける」という当たり前の事実を示して,進化心理学は遺伝的決定論を信じているが間違っていると主張する.このような批判は将来も繰り返されるだろう.ばかばかしく時間の無駄だが,それが現状なのだ.
  • 2番目の戦場は「適応主義の文脈におけるデータと仮説の関連」になる.ウィリアムズは明確に適応主義の論理を示したが,多くの人は進化的な仮説を「機能に関する仮説」と考えずに「歴史に関する仮説」だと考えてしまう.そして進化心理学の射程は「ある特性がどのように進化してきたのか」にあると誤解する.
  • しかしそうではない.ウィリアムズのアプローチに則った進化心理学の目標は「ヒトの認知メカニズムの機能に関する仮説」を生成することにある.(例としてハーヴェイの心臓の機能に関する仮説を解説している)
  • 進化心理学に対する多くの誤解の原因は,特性と行動の観察に基づいて機能を推測できることを批判者が理解できていないことにある.しかし実際にこの誤解は多いので進化心理学者は「反証不可能な仮説を生成している」と批判されるいらだちに耐えなければならない.(最近の例としてNatureに載せられた批判論文が紹介されている*2.またここでは「なぜなに物語」批判についてもコメントがある.)
  • 進化心理学は,それまでの心理学が全く誤った理論(フロイトを引いている)をこねくり回したり,極端に曖昧な説明しかしてこなかった領域に,進化理論から導き出された具体的な仮説を提示し,それを検証することに成功してきた.進化心理学科学史上最も強力な理論の1つであるダーウィンの理論を科学史上最も難しい問題の1つである人間心理に適用するという刺激的な試みだ.しかしこの領域の研究者は誤解と抵抗を受けてきた.今後この分野に進もうとする人は状況をしっかりと把握した上で研究に邁進して欲しい.


あまりにもばかばかしい批判に長年耐えてきたクルツバンのフラストレーションが吹き出すようなガイダンスだ.アメリカではやや左寄りのリベラリズムがアカデミアに深く浸透しているので,「ヒトの行動特性を進化で説明する」→「それは遺伝(そして人種や性別)に基づく差別につながりかねない主張であり,過去の優生学の亡霊なのではないか」→「徹底的につぶさなければならない」という短絡的な反応が進化心理学への最初の批判につながり,そして引くに引けなくなったり,自己欺瞞に深く捕らわれた批判論者が執拗に批判を繰り返すという状況が基本的にあるようだ.(そしてアカデミアの外側の右派の一部に進化そのものを認めない宗教原理主義がこれまた深く根付いているということになる)実際にアメリカの学者の書いた本を読んでいると,文脈から離れたところでいきなり誤解に基づく進化心理学批判が始まって鼻白むことがよくある.サイエンティフィックアメリカンがダーウィン生誕150周年記念特集に全く脈絡なく哲学者による誤解に基づく馬鹿げた進化心理批判記事をはめ込んだのも記憶に新しいところだ.(該当記事についての私の記事はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090228


日本ではややニュアンスが異なり,進化心理学批判が党派的な批判として表立ってなされることは少なく,むしろ人文科学・社会科学業界の単純な生物学ぎらいが進化心理学を無視しようとする基調にあるように思われるところだ.このあたりは中国ではどうなのだろうか.


クルツバンの本.基本的にはいかにヒトの心理が特殊モジュールの集合体になっているか(そして意識は報道官に過ぎない)についてのものだが,誤解に基づく進化心理学批判についても書かれている.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20111001進化心理学批判についての部分のノートはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20110625

Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind

Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind


同訳書.私の訳書情報は私の訳書情報はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20141001

だれもが偽善者になる本当の理由

だれもが偽善者になる本当の理由


アメリカの党派性がどこから来たのかについての本.ウィーデンとの共著.意識は報道官に過ぎないという知見が具体的に応用されているエキサイティングな本だ.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20180322


行動生態学の適応主義ロジックを最も早く明確に示したウィリアムズによる古典的名著(1966年出版)

Adaptation and Natural Selection: A Critique of Some Current Evolutionary Thought (Princeton Science Library)

Adaptation and Natural Selection: A Critique of Some Current Evolutionary Thought (Princeton Science Library)


代表的な(誤解に基づく)進化心理学批判本

Alas, Poor Darwin: Arguments Against Evolutionary Psychology

Alas, Poor Darwin: Arguments Against Evolutionary Psychology

コラム1 私たちはこのような存在です 小田亮


日本語版に追加された日本の進化心理学者によるコラム.第1章の最後には小田亮によるものが載せられている.自らの経歴と今のリサーチへの姿勢を楽しく語っている.科学者を志したのは13歳の時に見たテレビシリーズ「コスモス」のカール・セーガンが格好良かったからだそうだ.あのシリーズは確かに素晴らしかった.私の評価では歴代のテレビの科学シリーズの中で,アッテンボローの最初の「Life on Earth」と並んで双璧だろう.そして確かにセーガンの方がアッテンボローよりカッコイイ.
そして映画「未知との遭遇」を見て,ファーストコンタクトの際には自分たちのことがわかっていなければだめだと考えて自然人類学に進む.霊長類のコミュニケーションを最初に研究するが,そこから社会性の進化,そしてヒトの利他性の進化に興味が移っていく.最後に心の進化を探るには,現代人の心を適応主義から捉えるトップダウン的視点と霊長類との比較から考えるボトムアップ的視点の両方が大切であると結んでいる.


小田によるヒトの利他行動のリサーチ物語.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20110615

利他学(新潮選書)

利他学(新潮選書)


カール・セーガンによるコスモス


アッテンボローのLife on Earth

Life on Earth [DVD] [Import]

Life on Earth [DVD] [Import]

*1: なぜおとぎ話にあるように「白鳥の子は・・・」にしていないのかはよくわからない

*2:Bolhus & Wynne 2009:そこでは「このアプローチの重要な問題は過去の世代の認知的特性が化石記録にほとんど痕跡を残さないことである」と進化心理学が批判されているそうだ.しかし心臓や目でさえも化石にはほとんど残らないがその機能を推測することは可能だとクルツバンは指摘している.