Enlightenment Now その51

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

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第18章 幸福 その5

 
幸福に関係しそうな自殺と鬱も特に近時の上昇傾向があるわけではない.ピンカーはここで幸福についてのまとめに入る.
 

  • すべてがうまくいっている.では何故我々はこんなに不幸なのか.実は我々はそんなに不幸ではないのだ.先進国の人々は実際とても幸福だ.すべての国のほとんどの人はより幸福になっている.そして一国が豊かになると国民も幸福になる.孤独や自殺や鬱にかかる警告はファクトチェックをくぐり抜けられない.

 

  • それでも幸福に関して,多くの人々があるべき水準に達していないのも事実だ.アメリカ人は先進国の中では劣後し,幸福度の伸びは停滞している.そしてベビーブーマーはトラブルを抱え,女性の幸福度の伸びは男性に及ばない.
  • このような問題をどう考えるべきだろうか,多くの批評家はこれらを現代の病だといいたがる.例えばこうだ「我々の不幸は個人主義や物質的な豊かさを追い求めたこと,そして家族や伝統や宗教や共同体の崩壊のつけなのだ.」
  • しかし別の理解のしかたがある.過去のノスタルジーに浸っている批評家たちは,かつて人々が伝統の軛から逃れるために戦ってきたことを忘れている.伝統的なコミュニティにはダークサイドがある.偏狭さ,服従の強要,部族主義,そして女性の抑圧だ.18世紀後半の文学作品や20世紀のアメリカのポップソングにはこのダークサイドからの解放というテーマがしばしば扱われている(多くの例が引かれている)
  • 現在の私たちはこれらの小説の主人公が渇望した個人的な自由を手に入れている.今日の批評家はアンナ・カレーニナに対して「家族や伝統的コミュニティの絆なしにコスモポリタン的に生きることは不安や不幸を招く」と警告するかもしれない.しかしきっと彼女は自由が手に入るならそんなことどうでもよいと考えるだろう.
  • ごくわずかの不安は自由による不確実性の対価なのかもしれない.それは自由が要求する警戒,思案,自省と言い換えてもいい.女性の幸福度の上昇度が男性を下回っているのはこのためかもしれない.自由を得た若い女性はキャリアや結婚や社会への貢献などについて考えることが大幅に増えたはずだ.

 

  • 自由による選択肢の増加のほかに「実存的不安」という問題もあるだろう.人々がより教育を受け権威に対して疑問を持つようになると,伝統的な宗教的真理には満足できなくなり,モラルに無関心な宇宙に心のよりどころを失う感じを受けるかもしれない.(ここでウッディ・アレンによる実存的不安についてのコメディラインが紹介されている.傑作だ)
  • 心地よかった信念の喪失という問題もある.1960年代のアメリカは偉大だった.べビーブーマーたちの目から見るとアメリカは原爆開発の技術的優位性を持ち,女性は家庭で幸福で,黒人たちは立場をわきまえていたのだ.そしてベビーブーマーたちはその後の幻滅を味わった.振り返って考えてみると,環境,核戦争,人種や女性差別の問題を永遠に無視できたはずはない.幻滅を感じさせたにせよ,それを自覚することによって世界は良くなっている.私たちは世界の抱える課題について相応の関心を持つようになったのだ.(ここでピンカーは1989年の映画「Sex, Lies, and Videotape」を紹介している.主人公はマスメディアが騒ぎ立てるニューヨークのゴミ運搬バージの漂流問題(実際の事件)を見ているうちにゴミ処理場不足から世界がゴミに埋もれる不安が頭から離れなくなる)

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  • それが重要な問題解決に役立つ政策の支持を生みだすなら少々の不安は悪いものではないだろう.何十年か前,人々は専制独裁政を憂えた.今日60以上の宗教指導者は地球温暖化を憂えている.バーナード・ショーはこういっている.「信仰心を持つ方が懐疑主義者より幸福だというのは,酔っ払いがしらふの人よりもハッピーだというのと同じだ」

 

  • 我々の政治的あるいは実存的な問題から幾ばくかの不安が生じているといえ,それは絶望を生むほど病的なものではない.問題に対して解決を図り,バランスの取れた人生を模索することは可能だ.メディアやコメンテイターにもできることがある.映画の中のゴミ漂流はマスメディアの不安創造能力をよく示している.実際にはこのゴミ漂流問題は処理場不足ではなく事務ミスとメディアの騒ぎ立てによるものだった.すべての問題は危機ではない,人々は問題に対処できるのだ.
  • パニックについても考えてみよう.人類への最大の脅威はなんだろうか.1960年代に,何人かの思想家たちは,それは人口爆発と核戦争,そして倦怠だと主張した.倦怠だって? そう,彼等は生産性が極大化しすべてが供給されるようになる世界で人類が何もすることがなくなることを恐れたのだ.50年後,私には人類はこの問題(あるいはそもそもそんな問題があったのか?)を解決したように思える.アメリカ人は1970年以降ますます「人生はエキサイティングだ」と答えるようになっている.

そのグラフが掲載されている.アメリカ人はこの50年間で「とても幸福」と答える人の割合が30~35%のゾーンの中にあり,「とてもエキサイティング」と答える人の割合が45%近辺から50%以上に増加している.ソースはスミス,サン,シャピロ2015.

  • グラフが別の方向を示しているのは矛盾ではない.意味ある人生を切り開く人々はよりストレスや競争や心配に晒される.不安が大人の責任を意識する若者期に上昇し,大人になってそれに慣れて安定すると減少することの意味を考えてみよう.人々が本来そうであるべきほど幸福でないのは,彼等が現代の大人の人生をその心配とエキサイトメントと共に味わっているからなのだろう.そもそもの「啓蒙」の意味は結局「人類の自ら招いた未熟さからの脱出」であるのだから.

 
幸福についてのピンカーの議論はここまでの進歩の議論と少し異なって曲がりくねっていてわかりにくい.それは世界全体では幸福度も上昇傾向を続けているとある程度主張可能なのに対して,少なくともアメリカではここ50年間で幸福度が上がっていると主張できないからだろう.そしてそれは日本でも同様であるように見える.
そしてアメリカ人が健康や寿命や教育や娯楽の増加ほど幸福になっていないことについていろいろ考察している.ピンカーの結論は,まず進歩は,世界の諸問題を自覚することによりその解決を進め,また人生をより意味のあるエキサイティングなものにしている.そしてわずかな不安の増加は十分それに引き合うというものだ.
日本でも人生がエキサイティングだと答える人の割合が増えているのだろうか.なかなか微妙なところのようにも思える.