Enlightenment Now その60

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

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第21章 理性 その2

 
ピンカーによる理性の擁護.次は「実はヒトはかつて考えられていたほど合理的に行動するわけではない」という最近の心理学的な知見についてどう考えるべきかという部分になる.だからといってヒトはじっくり考えて理性的にもなれるわけだから,むしろ積極的に理性を擁護する理由になりそうなものだが,そうではない論陣を張る懐疑派が多いのだろう.ピンカーの議論はこう始まっている.
 

  • カーネマンやアリエリーがベストセラーで説明したこともあり,今や多くの人が認知心理学の「ヒトは不合理だ」という知見を知っている.しかしそのような発見が,啓蒙主義の信条を反駁するものだとか,我々がデマゴーグの軍門に降るしかない運命であることを示すものだと考えるのは間違っている.

ファスト&スロー (上)

ファスト&スロー (上)

予想どおりに不合理  行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」

予想どおりに不合理  行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」

 

  • まず,啓蒙運動の思想家で,ヒトが完全に一貫して合理的だと考えていたものはいない.彼等は「私たちはドグマを振り捨てて合理的に振る舞うべきであり,それは自由な言論や論理的分析により可能だ」と主張しているのだ.*1
  • 理性に対する懐疑主義者は,しばしば粗悪な偽進化心理学「ヒトはトラかもしれない茂みのざわつきに対し扁桃で考えて直感的に反応する」を用いる.しかし真っ当な進化心理学者はヒトについて異なった考えを持っている「ヒトは世界の説明を当てにする認知的な種なのだ.世界はヒトがどう信じるかにかかわらず存在する以上,真実の説明を行える能力へ強い淘汰圧がかかっただろう.」というものだ.つまり理性による理由付け(reasoning)には進化的なルートがあるのだ.(狩猟採集民の推論能力についてのリサーチの紹介がある)リアリティは強力な淘汰圧になる.

 

  • (それを踏まえると認知心理学の知見を受けた)現代の我々の課題は「誤りよりも真実に至れるような情報環境をデザインすること」なのだ.第1段階は,何故ヒトはこれほどインテリジェントなのに愚かな誤りに陥るかを理解することだ.

 

  • 21世紀はかつてないほど知識へのアクセスが容易になっている片方で,不合理性の動乱も渦巻いている.進化の否定,反ワクチン,温暖化否定,陰謀論の大繁殖,トランプの当選.理性を信じるものにはこれは絶望すべきパラドクスにみえる.しかし彼等も自身の非合理性を少し持っていて,説明できるかもしれないデータを見過ごしているのだ.

 

  • 大衆の愚鈍さの標準的な説明は「無知」というものだ.二流の教育システムが大衆を科学的な文盲にし,お馬鹿な芸能人や扇情的ケーブルニュースに煽動される.そして標準的な解決法は教育の改善ということになる.この説明は科学者である私にとっては魅力的だったが,今ではこれは誤っている(あるいは問題のごく一部に過ぎない)と考えるようになった.
  • 人々が進化を信じるかどうかは,進化の正しい理解をしているかどうかとはあまり関連していない.(リサーチが紹介されている)「進化を信じるかどうか」は「自分が世俗的リベラルのサブカルチャーに属しているかどうか」と最も関連しているのだ.(つまり反進化論を表明するかどうかは自分が信心深い保守派カルチャーに属しているかどうかに関連している)これは温暖化がフェイクかどうかについても同じだ.温暖化は科学的な知識の問題ではなく,政治的イデオロギーマターになっているのだ.

 

  • 法学者であるダン・カハンはある種の信念は文化的同盟のシンボルになっていると主張している.人々はこれらの信念の是非について,その是非を知っているかどうかではなく,自分がどの同盟に属しているかに従って態度を決めているのだ.これらの信念は二元の軸を持つ.1つは左派と右派の平等に関す軸,もう1つは個人主義と集団主義の自由に関する軸であり,ある特定の信念はその部族を選り分けるタッチストーンやモットーや聖なる価値になるのだ.そして人々を分ける価値は誰を敵とするか(強欲な企業,鼻持ちならないエリート,嘘をつく政治家,無知な大衆,エスニックマイノリティ・・・)によっても決まる.
  • カハンは,そういう意味では人々の選択は「合理的だ」と指摘している.人々が進化や温暖化について特定の信念を表明した場合に,それが世界を変える可能性は極めて小さいが,彼等の属するコミュニティにおける扱われ方には大きな差が生じるからだ.我々は「信念の共同体の悲劇」の登場人物なのだ.
  • この「表明される合理性」「アイデンティティ保護的認知」の背景にあるダークなインセンティブは21世紀の非合理性のパラドクスをよく説明してくれる.2016年の大統領選の中で,多くの政治評論家はトランプ支持者のあからさまな虚偽や陰謀論を支持するコメントを信じられない思いで聞いていた.実は彼等は「青い嘘(イングループのためにつく嘘)」を共有していたというわけなのだ.彼等は陰謀論を支持することで,リベラルに反対し,団結をディスプレイしていたのだ.そしてディプレイのシグナルとしては,ばかばかしい嘘を信じているということがコストのある信頼できるシグナルになる.

 
これは非常に重要な指摘だと思われる.ヒトはある社会グループの中でどのように振る舞えば有利になるかを意識的,無意識的に理解し,(場合によっては自己欺瞞と共に)周りが自分を重要視してくれる(つまりそれによって有利になる)ような意見を表明し,あるいは本当に信じ込むのだ.アメリカにおいてはこれは進化を信じるか,温暖化を信じるかに大きく効いている.日本だと福島を巡る言説に似た傾向があるのかもしれない.

*1:ここでピンカーは「それで,あなたがそれに賛成しないとしても,ヒトが合理的に振る舞えないというそのあなたの主張を私たちがなぜ受け入れなければならないのだろうか?」と反問している.そういう主張をすること自体ヒトが合理的に振る舞えることを示しているのだよという前節の主張を受けた見事なレトリックになっている