Enlightenment Now その73

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 

第23章 ヒューマニズム その3

 
ピンカーはヒューマニズムをエントロピーと進化を用いた議論によって擁護した.これは価値の議論であって科学の議論とは異なるものだ.ピンカーとしては力が入っているように感じられる.ここからピンカーはヒューマニズムに対する批判に反論していくことになる.最初は道徳哲学者によるヒューマニズムの功利主義的側面への攻撃がテーマになる.
 

  • ヒューマニズムへの哲学的批判には「それは単なる功利主義だ」というものがある.道徳哲学の講義のイントロダクションを聴いたことがあれば功利主義の問題とされる議論にもおなじみだろう.(他人の痛みを喜びとするような)「功利性の怪物」をどこまで考慮する必要があるのか? 5人の命を救うために1人殺して臓器移植するのは許されるのか? 暴動による大虐殺を防ぐためには無実の罪人を絞首刑にしてもいいのか? 永遠の恍惚を得られる薬があれば飲むべきか? 安価に十億匹の幸せなウサギを飼えるなら,飼育施設をどんどん作るべきか? 
  • これらの議論は権利.義務.原則に沿って何が許されて何が許されないかを定めようとする義務論的道徳(その一部は原則が神由来だとする)を擁護しようとする試みだ.

 

  • 確かにヒューマニズムには功利主義的,あるいはすくなくとも帰結主義的(行為や政策の是非は結果によって決められるとする立場)な香りがある.帰結主義の結果は単に笑顔になる幸せのような狭いものではなく,子育て,自己表現,教育,豊かな経験,価値あるものの想像などを含む広いものだ.帰結主義の香りは実のところヒューマニズム擁護の核心でもある.その理由はいくつかある.

 

  • 第1に道徳哲学講義の2コマ目に出席したものならわかるように,義務論的道徳も問題含みだ.嘘が本質的に悪なら,ゲシュタポにアンネ・フランクがどこにいるかを尋ねられても嘘をついてはいけないのか? (カントがそう論じたように)マスターベーションは自分自身を道具として動物的衝動を満たそうとするから悪なのか? テロリストが百万人を殺す時限核爆弾を既にセットしているときにそのありかを吐かすために拷問してはいけないのか? 天からの声がない中で,誰がどの行為(特にその行為が誰も傷つけないときに)が本質的に非道徳なのかを決めるのか? これまでも義務論的道徳主張者はワクチン接種,安楽死,輸血,生命保険,人種間結婚,同性愛を本質的悪だとしばしば主張してきたのだ.
  • 多くの道徳哲学者たちは入門コースの二分法は極端すぎると考えている.義務論的原則は多くの場合最大多数の最大幸福に結びつくだろう.誰も自分の行為の結果をすべて計算することはできないし,自分の行為が他人のためだと理屈づけることは容易だ.だから幸福を最大化するいい方法は誰も異論を唱えないような明確なラインを設定することだ.
  • 例えば,政府には市民を騙したり殺したりする権利を与えるべきではない.なぜなら権力者は恣意的になり得るからだ.これは死刑や(刑罰としての)去勢に反対するいい理由になる.公平の原則を考えれば,女性差別や人種差別に功利的な理由付けは不要と考えるべきだ.逆に重大な結果をもたらすような(例えば輸血の禁止のような)原則は破棄されるべきだ,

 

  • 第2に,これまで功利主義的なアプローチは人々の幸福を増加させてきたトラックレコードを持っている.古典的功利主義者(ベッカリーア.ベンサム,ミル)は奴隷制,残虐な刑罰,動物虐待,同性愛の犯罪化,女性の抑圧に反対した.抽象的な表現の自由や信仰の自由も功利主義的に擁護されてきた.義務教育,労働者の権利,環境保護も功利主義的に推進されてきたのだ.そして今のところ「功利性の怪物」も巨大ウサギ小屋問題も実際上は問題になっていない.
  • 功利主義がうまくいくのには理由がある.誰でもそれを容易に評価できる.「害のないところに悪はない」などの原則は深遠ではないし,例外もあるだろうが,わかりやすく,反論するのは難しい.しかしそれは功利主義がヒトの直感に沿っているからではない.古典的リベラリズムは人類の歴史の中では非常に新しいし,伝統的文化は大人のプライベートな行為を重大な関心事だと扱ってきたのだ.ジョシュア・グリーンは多くの義務論的信念は部族主義,清浄さ,嫌悪,社会規範などの原始的直感にルートを持つと指摘している.功利主義的結論は(ヒトの本性や直感からではなく)理性的熟考から生まれるのだ.
  • グリーンはまた,異なるモラルコードを持つ人々が道徳的合意を迫られるとそれはしばしば功利主義的な議論になると指摘している.これは女性解放やゲイマリッジ合法化の動きが非常に素速く展開したことを説明する.「現状維持」はそれを支持する理由が慣例しかない場合に功利主義の前に簡単に瓦解する.
  • ヒューマニズムを義務や権利の理屈,抽象的議論,宗教的信念で構築しようとしても,そのようなシステムは薄弱なものにしかならないだろう.皆が理解して賛成できるようなものは簡潔で透明性のある原則で表現されなければならない.「人類の繁栄」はまさにそういう原則なのだ.
  • そして歴史は多様な文化が共通の道徳的基礎を築くときにはヒューマニズムに収斂することを示している.アメリカ憲法が政教分離原則を採っているのは啓蒙運動の哲学由来だというだけではなく,実践的な必要性があったからだ.最初の13州のうち8州には既に公的教会が存在し,様々な権力を行使していた.統合するには政府と教会を分離して信教の自由を認めるほかなかったのだ.百数十年後に世界が協力するための原則を作ろうとした時,それは「キリストを救世主として受け入れる」「アメリカこそが丘の上の輝ける都市だ*1」ということでは各国が同意できるはずもなかった.だから世界人権宣言はあのようなヒューマニズムを体現するマニフェストとして起草されたのだ.

 
ここまでがピンカーによる(ヒューマニズムの一側面としての)功利主義の擁護になる.確かグリーンが強力に議論しているようにヒトの本性や直感に沿った道徳は部族主義的になりやすいし,多くのパタメータがあるので集団ごとに異なる内容を持つ.そして部族間,民族間,国家間の道徳の衝突に対しては功利主義を用いて議論するのがおそらく唯一の合理的な解決法なのだ.
 
関連書籍

グリーンによる道徳哲学の解説本.非常に深い.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20151005/1443998491

モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(上)

モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(上)

モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(下)

モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ(下)

 
同原書

Moral Tribes: Emotion, Reason and the Gap Between Us and Them (English Edition)

Moral Tribes: Emotion, Reason and the Gap Between Us and Them (English Edition)

*1:アメリカ大統領選のキャンペーンでよく使われる言い方らしい.レーガンが言ったと引用されることが多いようだ.