書評 「突然変異主導進化論」

突然変異主導進化論: 進化論の歴史と新たな枠組み

突然変異主導進化論: 進化論の歴史と新たな枠組み

 
本書は集団遺伝学者根井正利の2013年の著作「Mutation-Driven Evolution」の邦訳本になる.根井は様々な集団遺伝学の理論的な研究や分子系統学の研究で知られるが,本書では進化における主要なドライブは何かという問題意識から,様々な分子遺伝学,集団遺伝学的な知見を積み上げて,突然変異の役割が大きいことを論じている.
 
序文では自身が見た学説史と問題意識が書かれている.まず1960年代から理論集団遺伝学の研究を始めたこと,当時集団遺伝学は(単純な前提を仮定した上での)数学理論の膨大な体系として結実していたが,実証研修はなかなか難しかったこと,70年代にはタンパク質の分子レベルでの進化研究が進み異種間での相同遺伝子の同定が可能になり長期的な進化を追えるようになったこと,さらに遺伝子の分子データ解析から突然変異の重要性が明らかになったこと,遺伝子重複やゲノム重複が頻繁に生じたこともわかってきたことが描かれ,この時点で進化の主要なドライブは突然変異であると考えるようになったと書かれている.根井はこの考え方(突然変異主導進化説*1)を何度か論文や著書で表明したが,あまり反響はなかったそうだ.
しかし80年代以降分子データが積み上がりこの突然変異主導進化説を評価できるようになり,本書ではこれを提示していくと共に分子生物学の知識の上に進化生物学を再構築すべきだという考え方も提示したいとしている.
 

第1章 自然淘汰主義と突然変異主義

 
ここでは最初にダーウィン以降の進化学説史を淘汰と突然変異をどう取り扱ってきたかという視点でたどっている.

  • ダーウィンは(その変異源については知らなかったが)変異は集団中にありふれていることを観察し,そこに自然淘汰が働き,集団間の相違が漸進的に大きくなり,ついに異なる種,属,科などにに分岐すると説いた.
  • ダーウィンの死後,その学説は様々に批判された.*2
  • ダーウィンは連続的変異の上に自然淘汰が働くとしていたが,ベイトソンやド・フリースはそれに納得せず不連続変異に基づく進化学説を提唱した.彼等の議論は突然変異だけで進化が説明できるというものだとされ,のちに否定されたことになっているが,実際には彼等は自然淘汰の重要性も十分理解していた.またド・フリースが一度の突然変異で生まれた新種として提示したオオマツヨイグサの中の1例は確かに倍数化により一気に別種となった例であり,その点では間違っていなかったとも評価できる.
  • 1900年以降メンデルの法則が再発見され,集団遺伝学が勃興し,量的遺伝形質もメンデル遺伝であつかえることが解明された.(集団遺伝学を理解していた)モーガンは突然変異がランダムに生じそれに自然淘汰や浮動が働いて進化すると考えた.
  • フィッシャー,ライト,ホールデンはネオダーウィニズム*3と呼ばれる進化理論の定式化を行った.彼等は自然淘汰の重要性を強調し,自然集団には常に自然淘汰が働くのに十分な遺伝的変異があることを前提にしていた.ネオダーウィニズムは淘汰万能主義と呼ばれるにふさわしい.(根井はここでモーガンとフィッシャーたちの違いは突然変異と淘汰のどちらを重要と考えるかだとしている)
  • 1960年代以降分子生物学が発展し,アミノ酸置換速度がほぼ一定であることがわかり,木村とキングは分子進化の中立説を提唱した.

木村もキングも表現型については淘汰の方が重要であると考えていたが,根井はそれには納得できず,表現型においても突然変異の方が重要であると考え,本書を書くに至ったとする.そしてフィッシャーの基本定理を簡単に説明した後,これは短期的進化しかうまく説明できず,長期的な進化は偶然が主導する突然変異により変化した表現型個体がそれに合うニッチを獲得していくとして説明する方が良いのではないかと指摘してこの章を終えている.
 
この本書の中心をなす「進化において突然変異と自然淘汰のどちらが重要か」というテーマははっきり言ってわかりにくいというか,ピントがずれているようにしか感じられない.「突然変異は進化の材料を作り,そのアレル頻度の増減は淘汰と浮動により決まる.そして淘汰と浮動について言えば,機能的な有利形質が累積的に組み合わさるには淘汰が圧倒的に重要だ」というのが普通の理解であり.突然変異と淘汰は働く次元が異なるもので,そもそも突然変異と淘汰のどちらが重要かという問題意識自体が的外れのように感じられるからだ.そして根井は本書を通じて重要性の定義あるいは判定基準を提示していないので,議論はどこまでも曖昧で納得感のないまま続けられる.
あえて言えば,集団に既に十分なだけ変異があるのか,多くの場合十分な遺伝的変異はなく,どのような突然変異がいつ生じたのかが進化の方向性を決めているのかという「前提」についての議論ということになるのだろう.そして少なくとも現在の多くの進化生物学者は集団に常に十分な遺伝的変異があるとは限らないと考えているだろう.だからここにことさらこだわるのがよくわからないのだ.あるいは中立説周りの日本の集団遺伝学者特有の淘汰主義への反感が過剰に表出しているということなのかもしれない.
 

第2章 ネオダーウィニズムと自然淘汰万能主義

 
第2章は第1章で触れたネオダーウィニズムのより詳しい解説から始まる.

  • メンデルの法則の再発見後,ヨハンセンが量的形質の遺伝的性質を解明した.この結果ほとんどすべての形質がメンデル遺伝を行う遺伝子によって制御されていることが明らかになった.ただし当時は種間の遺伝子の相同性を知る方法がなかったので,進化の研究は種内進化に限られた.
  • フィッシャー,ライト,ホールデンは突然変異,自然淘汰,遺伝的浮動によるアレル頻度の変化について詳細な数学的な研究を行った.そして進化には突然変異より自然淘汰の方がはるかに重要であると結論づけた.彼等の(突然変異と自然淘汰についての)結論は淘汰万能主義であり,以下のようにまとめられる.
  1. 過去に生じた突然変異により,自然集団には大抵の自然淘汰に適応可能な量の遺伝的変異が含まれている.
  2. (その時点で生じている)突然変異が遺伝子頻度の変化に及ぼす影響は小さい.
  3. 進化は環境の変動とそれに伴う淘汰により生じる.(既に十分な遺伝的変異があるために)新たな突然変異が生じる必要はなく,突然変異の速度と進化の速度に関係はない
  4. 自然集団のサイズは一般的に大きい.この場合アレル頻度変化はあまり浮動を考慮することなく決定論的に記述できる.進化はほとんどすべて淘汰により生じ,形質が中立に進化することは事実上ない.ただし自然集団が非常に小さい場合には浮動を考慮に入れる必要がある.

 
根井はネオダーウィニズムは淘汰万能主義として上記のようにまとめているが,淘汰万能主義かどうかは「集団には十分な遺伝的変異がある」「自然集団は通常大きい」という「前提」にかかるものになると思われる.

ここで根井は集団遺伝学者から見た細かな議論をいくつかしていて面白い

  • 平衡アレル頻度を計算し,(その時点で生じる)突然変異による頻度変化と自然淘汰によるアレル頻度を比べると(ある程度大きな淘汰圧のもとでは),淘汰による頻度変化の方がはるかに大きいという(ネオダーウィニズムが考える通りの)計算結果が示される.(詳しい数式が掲載されている)長期的な進化を考える場合のこの議論の問題点は,淘汰圧の方向と大きさが一定であるとしているところだ.
  • ネオダーウィニズムの前提は自然集団には既に遺伝的変異が大量に含まれているというものだ.実際に自然集団には様々な形態的な多型が認められる,遺伝学的研究が進むとこの変異は多くの場合単独か,強く連鎖した遺伝子群により制御されていることが明らかになった.この遺伝子多型がなぜあるのかが議論になり,中立,置き換え過程,超優性淘汰,頻度依存淘汰などのアイデアが提示された.
  • 連鎖した遺伝子群による淘汰をモデル化すると染色体型の変化はその適応度だけでなく組み換え価の影響も受けることがわかる.また相互作用する遺伝子の数が増えると淘汰方向が時間と共に反転することもある.(これは一時的にあるアレル頻度が下がったからといってそのアレルが不利であるとは限らないことを意味する)

 
ここから根井は自然淘汰を実証することの難しさを解説する.自然淘汰の実証という問題意識自体やや古風に感じられるが,根井の世代にとっては重要な問題意識なのだろう.そしてオオシモフリエダシャク,モリノオウシュウマイマイ,シタベニヒトリなどのリサーチに触れながら淘汰係数の推定の難しさが議論されている*4.いろいろと細部は面白い.根井によると淘汰係数の推定が難しいのは,大型動物では時間がかかりすぎ,微生物では集団の定義が難しく,形質はしばしば多数の遺伝子の影響下にあり,さらに遺伝子間相互作用やエピジェネティックな作用も生じ,環境も一定ではないことが多いからということになる.
続いて集団が小さい場合に重要になる遺伝的浮動を解説し,アレル頻度の平衡分布の概念,無限座位モデルでアレル平衡頻度を用いた淘汰の検出法,集団の有効サイズと浮動の関係,淘汰係数が変動する場合のアレル頻度の変化と固定確率の計算などが次々に説明されている.深い内容がコンパクトに詰め込まれていて充実している部分だ.
 
ここから根井は自然集団に十分な遺伝的変異が常にあるかという(突然変異か自然淘汰かというテーマにとって核心となる)問題を扱う.

  • 実験室でショウジョウバエの剛毛数などについて人為淘汰をかけ続けると形質変化量が下がっていく.当初はこれは何らかの自然淘汰と釣り合っているのだと解釈されたが,リサーチが進むにつれて,長期的に人為淘汰に反応し続けるためには新しい突然変異が必要であることがわかってきた.
  • ただし単一遺伝子による単一形質に強く淘汰をかける人為淘汰と,多数遺伝子(突然変異も多くなる)が絡む量的形質に(それぞれの遺伝子に対しては)弱くかかる自然淘汰はかなり性質が異なる.また人為淘汰に強く反応する形質は,純化自然淘汰があまり働いていないと考えられる.
  • 最近の薬剤耐性の進化は主に新たに獲得された酵素の遺伝子の突然変異によることが明らかになってきた.

議論の筋が複雑でいろいろ力が入っているが,材料として使える遺伝的変異がない場合にはその突然変異の出現が淘汰がかかるための必要条件になるということで,現代の普通の進化生物学者なら当然だと考える部分になるだろう.
 
次に遺伝的変異の維持機構のテーマが扱われる.ここは深くて面白い.

  • ドブジャンスキーは遺伝子多型の維持機構についての学説を古典説と平衡説に分類した.古典説は突然変異と自然淘汰の平衡を,平衡説は超優性淘汰あるいは頻度依存淘汰を維持機構と考えることになる.この論争は激しく,DNA多型が分子レベルで解析できるようになるまで続いた.(この決着は第4章に持ち越される)
  • これに絡む重要な問題が「遺伝的荷重(を補填できる余剰生産力があるか)」になる.これは有害な突然変異アレルが累積することにより生じる有害効果が生物集団の潜在的繁殖能力を超えると絶滅してしまうという問題になる.(数理的な詳細が解説されている.超優性淘汰による場合の遺伝的荷重の議論は面白い)この議論はややおおざっぱで,世代あたりの繁殖能力が低い大型哺乳類のような動物以外ではあまり問題にならないが,しかし淘汰に関する仮説を評価する大まかな篩にはなる.

 
ここで自然淘汰の創造性に関して,フィッシャー,ホールデン,マラーによる複数の遺伝子座で同時に淘汰が働き,組み換えがある場合に迅速に新しい形質を進化させられるという理論,ライトの平衡推移説,遺伝子複合体の議論を簡単に扱っている.前2者についてはこれを示す実際のデータがないというのが根井の評価になる.
 
最後にまとめがおかれ,ネオダーウィニズムの数学的な理論は自然集団での自然淘汰の証明にはあまり役に立たなかったということが強調されている.
 

第3章 ネオダーウィニズムの時代における進化学説

 
第3章では初期ネオダーウィニズムの様々な理論が検討される.現代の集団遺伝学者から見た解説ということで内容は深く,興味深いものになっている.
 
<修飾遺伝子>

  • 優性度の進化理論:フィッシャーは,野生型アレルAに対して(有害である)変異型アレルaが生じるときに,優性度を調整する別の遺伝子座のアレルM(Aを優性にする), m(しない)があるとAが優性になる方が有利なので,M, mに働く淘汰によってAの優性が進化すると考えた.これに対してライトはMに対する淘汰係数は最大でもA→aの突然変異速度と同じ程度にしかならない,Mの固定確率は大きくならない場合があると批判した.両者の論争は決着しなかったが,ライトの最初の指摘は基本的に正しいことがのちに判明している.ただ発現量の調節遺伝子があることも判明しており,そこに働く淘汰を考察することが無意味というわけではない.
  • 連鎖強度の進化理論:フィッシャーは遺伝子間の組み換え価は自然淘汰によって減少しうると主張した.根井はこのことの数学的な証明を行い,遺伝子座間に相互作用(エピスタシス)があると組み換え価が減少することを示した(簡単に解説がある).総じて複雑な多細胞生物では単細胞生物よりDNA単位長あたりの組み換え価が低いのはこれで説明できる.また機能的に相互作用する遺伝子は同一の染色体に近接して存在する傾向があることも明らかになった.機能的に関連のある遺伝子が遺伝子重複などにより近接し強い相互作用が構築されると,クラスターとして保存されるようになるのだろう.

 
<フィッシャーの自然淘汰の基本定理>

  • フィッシャーは集団の平均適応度の上昇率は適応度の遺伝分散に等しいという自然淘汰の基本定理を提唱した.
  • この定理は数学的には正しいが,生物学的には問題がある.まずこの定理は遺伝子型の適応度は常に一定であることが前提になっているが,適応度は環境に依存し環境は変化するので,これは非現実的であり,長期的な進化を説明するには役に立たない.例えばこの定理に従うと,ある環境で長期間進化した生物があると,(その環境に対して適応度が上昇し続けたあとなので)そこに外来種は侵入できないと予想されるが,実際にはそうではない.
  • さらにこれを観念的な定理であるとみるにしても,この定理に従うと集団が(絶滅に向かって)減少していても分散があれば適応度が上昇し続けることになるが,それには意味がないだろう.さらに浮動や突然変異の影響が無視されているので小集団にも適用できない.ゾウの鼻やクジラの体などの形質の進化の理解にもつながらない.

 
<ホールデンの自然淘汰のコスト>

  • ホールデンは生物集団で同時に置換できる遺伝子数は生物種の生殖力に依存すると考え,遺伝子置換の過程で生じる適応度減少の総量を自然淘汰のコストとした.これは集団サイズをほぼ一定に保ちながら特定の速度で遺伝子置換するために有利な遺伝子型が備えていなければならない余剰な生産力である.(根井自身のモデルを含めた数理的な解説がある)木村が自然淘汰のコストの議論を元に分子進化の中立説を提唱したことはよく知られている.なおこの自然淘汰のコストは小集団では小さくなる.
  • この議論は(実際のコストを計算しようとすると余剰生産力に大まかな推定値を当てるほかなく)おおざっぱなところがあるが,遺伝子置換数の大まかな上限を知ることができる点で有用である.

 
<進化の平衡推移説>

  • ライトは自然淘汰,遺伝子間相互作用,浮動によって表現型がどのように進化するかを抽象的に示す平衡推移説の数学的理論を組み上げた.これは「集団構造は一定」「遺伝的多型は超優性淘汰や頻度依存淘汰で維持される」「遺伝子には相互作用や多面的作用があり,遺伝子座間のアレルの組合せが適応度を決定する」という前提をおいている.ライトはここから分集団構造を持つ大集団の方がそうでない大集団よりも進化速度が格段に速くなると主張した.これはそのような集団構造の方が適応地形の谷を越えやすいということから導かれる.
  • 根井は,集団構造が長期間一定であることはあまりないこと,発生生物学的な研究によると相互作用に関与する遺伝子座はほとんど単型的であり適応地形を考える必要はそれほど高くないこと,そもそもいかなる生物集団も(特定の形質を進化させるために)高速で進化する必要はないことから平衡推移説を批判した.そして平衡推移説を支持するデータはほとんどなく,実際のデータからは分集団化された大集団よりも小集団で進化が速く怒ることを示唆している.

 
<非機能突然変異と有害突然変異の集積>

  • マラーはY染色体が不活性化する理由についてホモ接合致死突然変異が(Y染色体では基本的に(X染色体と)ヘテロ接合になるので)固定しやすいためであると主張した.フィッシャーは無限集団でそのような固定確率を計算するとほぼゼロになることからこれを批判した.根井は有限集団では十分高い固定確率が生じることを確かめた.(このあとこの根井の主張を巡るチャールズワースとの論争が詳しく解説されている)
  • ホールデンは倍数化や遺伝子重複が生じると,2つの遺伝子コピーのどちらかは有害な突然変異の固定によって機能を失う可能性があることを示した.根井は複雑性の高い生物種のゲノムには遺伝子コピーが複数あることによって劣性致死突然変異が実質的に無害になり蓄積し,多くの非機能遺伝子(偽遺伝子)が蓄積すると予想した.フィッシャーによると大集団ではそのような致死突然変異は固定しないが,根井はNが4000以下の集団では固定確率が比較的高くなることを見いだした.
  • マラーは有害突然変異は有性生物より無性生物で速く蓄積することを示した.これは組み換えの有無によるものでマラーのラチェットと呼ばれる.(これにかかわる理論的な論争がいくつか紹介されている)

 
<ボトルネック効果と遺伝的変異>

  • マイヤーは,新種は,しばしば少数の個体が隔離されボトルネック効果,創始者効果を通じて革新的な形態形質を進化させて生じると主張した.これに対して一部の集団遺伝学者は有益な突然変異の数は大集団の方が多いと批判した.
  • このような論争の多くは創始者効果の定義の曖昧さから起因している.根井らは集団内の遺伝的変異や集団間の遺伝的分化に対するボトルネック効果を数理的に検討した.(モデルの詳細が解説されている)これによるとボトルネックで遺伝的多様度が大きく下がり,その後も多様度の増加ペースは小さい.これは新規突然変異が(個体数の少なさから)少ないためだ.これに対して親集団からの遺伝的距離はボトルネック後も浮動により素速く増加する.(集団数が回復すると通常ペースに戻る)マイヤーの予想のいくつかは支持されたということになる.

 
<マイヤーによる集団遺伝学への批判>

  • 集団遺伝学はメンデル遺伝学の発展として始まった.そして理論構築のためにいくつかの単純化した仮定をおいていた.
  • マイヤーはこれらの非現実的な仮定に不満を抱き,特に遺伝子間相互作用が考慮されていないとして集団遺伝学を「お手玉遺伝学(Beanbag Genetics)」と批判した.
  • ホールデンは「お手玉遺伝学者の弁明(A Defense of Beanbag Genetics)」という反論を書き,問題の本質を理解するには単純な仮定をおくことが有用だと主張した.これは多くの集団遺伝学者を勇気づけたが,実際のところ,マイヤーの「アレル頻度をいくら研究してもゾウの鼻の謎を解き明かすことはできないのではないか」という指摘から逃げていただけだと評価せざるを得ない.ホールデンは進化にかかる現象についてメンデルの法則に基づいて説明することのみに興味があり,複雑な形態形質や生理形質の説明には興味がなかったのだ.(自然淘汰のコストにかかるマイヤーの批判についても解説がある)
  • マイヤーは集団遺伝学に批判的だったが,自分たちで形態形質の長期的変化を説明できたわけでもなかった.これを説明するには発生などの分子的基盤の解明を待たねばならなかった.

 
根井の解説は充実していて大変面白いが,いくつかの部分で違和感がある.フィッシャーの基本定理を「長期的進化を説明するのに役に立たない」とディスっているが,そもそもフィッシャーの基本定理はゾウの鼻の進化を説明するためのものではない.基本定理は自然淘汰の働き方の本質を洞察するためのものであり,遺伝子間相互作用,非相加的効果,浮動などの影響をすべて除いてみるとどうなるのかを記述しようとしたものだ.そして進化速度を決めるのには適応度の遺伝的分散が重要であることを見事に提示するものであり,それはのちのハミルトンの包括適応度理論やプライスの方程式につながるものなのだ.根井は「長期的形態進化の至近的な解明のみが理論の役割である」という不思議な独自の価値観に基づいているためにフィッシャーの基本原理の真の価値を評価できないのだろう.グラフェンによるとフィッシャーの自然淘汰の基本原理の意義は大半の集団遺伝学者に理解されなかったということなので,根井もその1人だということになろうか.またこの独自の価値観は最後のホールデンの弁明への批判にも見られるところだ.
それ以外の本章の解説は充実していて大変面白い,ただ遺伝的荷重とホールデンの自然淘汰のコストの関係をきちんと解説していないために違いがわかりにくくなっている.ここだけは少し残念だ.
 

第4章 分子進化

 
第4章には分子進化の解説が置かれている.ここはまさに根井の専門分野であり第3章に続いて充実している.

<中立説>

  • 1950年代から分子を用いた進化の研究が始まった.そして異種間の相同遺伝子を同定できるようになると遺伝子の長期的進化を調べることが可能になった.タンパク質の進化,塩基組成の解明,アミノ酸置換の詳細の理解などの知見が次々に得られていった.
  • そして60年代後半に木村(1968),キングとジュークス(1969)によって分子進化の中立説が提唱された.
  • 木村はアミノ酸置換データと自然淘汰のコストの議論に基づいて塩基置換速度を推定した.直後になされたメイナード=スミスからの中立説批判もこの自然淘汰のコストの解釈を巡るものだった.(キングとジュークスによる議論についても解説がある)
  • 木村の論文の1つの問題点は中立性の定義(選択係数sについて|s|<1/2N)が厳しすぎることだ.木村はどこからその定義を導いたかの説明をしていないし,生物学的にもあまり意味はない.根井はより実質的な中立性の定義(|s|<(2/N)^(1/2))を考案した.中立説の本質は「種内変異が厳密に中立だ」ということではなく,「変異の運命がおおむね浮動により決まっている」ということであり,根井の定義はそこからもたらされている.

 
<分子時計>

  • 分子進化学が開拓されてすぐに,ヘモグロビンなどのタンパク質のアミノ酸置換速度が一定であるという興味深い現象が発見された.これはアミノ酸置換の大部分は機能にあまり影響を与えないと考えればいい.
  • ただし解釈上いくつか問題があった.第1は進化速度がタンパク質間で大きく異なっていたことだ.これは核タンパク質に働く機能的制約の強さに依存すると考えて解決された.
  • 第2は置換速度が世代あたりではなく,年当たり一定であったことだ.太田朋子はほぼ中立説を提唱し(1974),突然変異の大部分は弱有害で,それは大集団よりも小集団で浮動により固定されやすく,大型で世代の長い生物は一般に集団サイズが小さいためだと説明した.しかし分子時計は真核生物,原核生物を通じてほぼ例外なく成り立っており,太田の主張がこれらすべての生物に当てはまるとは考えにくい.
  • この問題は,有害でない突然変異の速度は年あたり一定で,有害な突然変異の速度は世代あたり一定だと考えることで解決できる(根井1975).古典遺伝学では突然変異の速度はホモ接合で致死になるような高度に有害な突然変異で計測されており,このような突然変異は減数分裂時に生じるために世代あたり一定になり,古典メンデル遺伝学者は突然変異一般について世代あたり一定と信じるようになったのだと思われる.
  • この突然変異の速度は長い間論争の種となった.根井は脊椎動物間のモデル生物間でゲノム配列を比較することによりこの問題を再検討した(根井ほか2010).化石による分岐年代推定を用い,4198の核遺伝子について調べた結果,アミノ酸置換数も塩基置換数も時間に比例して増加していた.

 

  • 分子時計は相同遺伝子間で常に成り立つわけではなく,系統間で同じタンパク質のアミノ酸置換速度が異なってくる場合もある.それは系統間で機能的制約条件が異なってきたためだと解釈できる.
  • また突然変異速度自体が変動する場合もある.動物のミトコンドリア変異速度の方が植物のそれより速いのはDNAのエラー修復遺伝子の消失のためだと考えられる.

 

  • 木村は分子時計は中立突然変異の蓄積を表すため中立説の検定に使えると考えたが,実際には分子時計と中立説の関係は複雑である.突然変異速度自体が変化すると分子時計は成り立たないし,適応が生じて機能が改良され機能的制約とともに純化淘汰強度が変わっても分子時計は成り立たない.

 
<タンパク質コード遺伝子の進化>

  • 遺伝子は一旦機能が確立すると長期間にわたって機能が維持される傾向がある.このような保存性は純化淘汰が働いているために生じる.
  • 一方でdN/ds値(非同義置換/同義置換)が高い遺伝子カテゴリーも存在する.例としては哺乳類の臭覚受容体遺伝子,重要な機能を持たない遺伝子,免疫グロブリンやMHC遺伝子などがある.

 
<タンパク質の多型>

  • 1960年代の終わりから自然集団にタンパク質の多型が高水準に見られることが明らかになり,この維持機構についての議論が始まった.これは基本的にDNA多型の維持機構に関する古典説と平衡説と同じ議論だが,当時平衡説には超優性淘汰で維持されるための遺伝的荷重は哺乳類のような動物では耐えられないのではないかという問題点があった.
  • 平衡説論者はいろいろな説明を試みたがうまくいかなかった.これはタンパク質多型の多くが中立であると考えることによって説明できる.
  • この論争は中立説を帰無仮説として分子進化を統計的に分析する道を開いた.

 
<DNAレベルでの中立進化>

  • キングとジュークスはアミノ酸コードの同義置換は中立であるはずなので,非同義置換より速度が速いはずだと予測し,これは実際のデータで確認された.偽遺伝子の進化速度も(中立説の予測通り)中立突然変異の速度を同じ程度であることがわかった.
  • 太田は,タンパク質コード遺伝子のヘテロ接合度が生物種の集団サイズと無関係であることは中立説では説明できないと考え,弱有害突然変異説(集団サイズにより弱有害突然変異への淘汰効果が異なり,中立説によるヘテロ接合度の集団サイズ効果を打ち消すと考えるもの)を提唱した.
  • 根井は多くの生物種のデータを解析し,ヘテロ接合度は集団サイズの大きな無脊椎動物より集団サイズの小さな脊椎動物の方が低いことを見いだし,ボトルネック効果の影響を除くと集団サイズが大きくなるとヘテロ接合度も高くなるという解析結果を得た.このため太田の議論は不要になった.(さらに太田の弱有害説の問題点についても詳細に解説されている)

 
<有利な突然変異>

  • 少数の突然変異により生理的な機能が有利に変化した例がいくつか知られている.また多くの突然変異が関係しているものもある(それぞれ具体例が示されている)
  • dNとds(非同義置換数と非同義置換数)を比較することにより淘汰の向きを知ることができる.ヒトやマウスのMHC抗原認識座位遺伝子,免疫グロブリン遺伝子,植物の耐病性遺伝子については正の自然淘汰が働き高度に多型的になっていることがわかった.これはヘテロ接合が有利になる超優性淘汰の結果だと考えられる.MHC遺伝子などはパラサイトとのアームレースで長期間平衡淘汰圧がかかっており,異種共有多型になっていることがしばしば観察される.それ以外の多くの遺伝子座では純化淘汰が働いていることが一般的であり,マラーの古典説が当てはまっている.

 
<正の自然淘汰を検出するための最近の統計的研究>

  • 最近,タンパク質レベルに働く正の自然淘汰を検出したとする論文が数多く発表されているが,これらに用いられている統計的方法はしばしば現実的には成り立たない仮定を前提にしていることがあり,注意が必要である.(ベイズ法,マクドナルド-クライトマン法,田嶋のDを用いる方法,SNPデータの広域ハプロタイプホモ接合度を利用する方法,FST 法の問題点が詳しく解説されている)
  • ゲノムワイドな統計的研究は無意味というわけではなく,有意義な研究例もあるが,しばしば生化学的な理解を軽視しがちであり,注意すべきである.

 
この章の記述は深い.私的には根井が太田のほぼ中立説に批判的なのが印象的だった.
 

第5章 遺伝子重複,多重遺伝子族,繰り返し配列

 
第5章は引き続き分子進化の解説になる.前章では単純な塩基置換の突然変異を主に扱ったが,第5章ではよりダイナミックな突然変異を扱う.
 
<遺伝子重複>

  • 新しい遺伝子が生じる上での遺伝子重複の重要性は早くから指摘されていた.しかし実際にどの程度重要であるのかはモデル生物のゲノム配列が明らかになって初めて解明されるようになった.(ここで1969年の根井の予測と1970年以降の大野乾の主張の解説がある)
  • 遺伝子重複にはいくつかのメカニズム(ゲノム重複,縦列重複,部分重複,転移)があるが,いずれも進化的革新を生む突然変異の1種と考えてよい.特に植物の進化におけるゲノム重複の重要性は疑う余地がない.

 
<多重遺伝子族>

  • 多くの超多重遺伝子族が細胞の種類と強い相関を持っている.生物の複雑性を細胞腫類の多さと考えると,それは特定の多重遺伝子族によって生みだされているようだ.(脊椎動物の陸上進出が例にとられて解説されている)
  • 多重遺伝子族の進化がどう生じたのかについてはいくつかのモデルの間で長年にわたって論争となってきた.発散進化なのか協調進化なのかが争われたが,いずれもうまくすべての多重遺伝子族を説明できなかった.
  • 根井は出生死滅モデルを提唱した.これは新しい遺伝子は重複により生じ,長期間保持されるものも除去されたり偽遺伝子になるものも生じると考える.近年のデータはほとんどの多重遺伝子族が出生死滅モデルに適合していることを示している.(MHC多重遺伝子族,免疫グロブリン多重遺伝子族,T細胞受容体多重遺伝子族.嗅覚受容体多重遺伝子族について詳しい解説がある)
  • ただし一部の多重遺伝子族は協調進化モデル(1つの遺伝子に生じた突然変異が不等交叉や遺伝子変換によって他の遺伝子に広がるとするもの)に合致する.(rRNA多重遺伝子族,ヒストン多重遺伝子族についての解説がある)

 
<多重遺伝子族と新規遺伝システムの進化>

  • ほとんどの遺伝システム(嗅覚,免疫,花器形成,減数分裂などの機能を指している)や表現形質は多くの多重遺伝子族の相互作用により制御されている.(獲得免疫システム,花器形成システムについて解説がある)
  • HOX遺伝子クラスターは断続的な遺伝子重複と機能分化によって進化したようだ.

 
<ゲノム浮動とコピー数変異>

  • 出生死滅モデルの元では多重遺伝子族のサイズ(遺伝子数)は時間と共に変化する.
  • この問題についてよく研究されているの哺乳類の嗅覚受容体遺伝子だ.進化過程での大規模な嗅覚受容体遺伝子数の変化はその生物の生息環境の変化と関連しているようだが,ランダムな要因もあり,これはゲノム浮動と呼ばれる.

 
<非コードDNAと転移因子>

  • 非コードDNAの一部は遺伝子発現に関して何らかの機能を持っているようだが,一般的に非コード領域の進化パターンは主に突然変異(および浮動)によって決まっており,自然淘汰の役割は小さい.(エクソン,イントロンの構造について解説がある)
  • 多重遺伝子族の中にはエクソンの種類や数と機能分化に関連のあるものが見つかっている.(霊長類のキラー細胞免疫グロブリン遺伝子の解説がある)
  • 転移因子はゲノムのある位置から別の位置に転移するDNA配列である.(トランスポゾン,レトロトランスポゾン,さらにLTR型,LINE,SINEの解説がある)
  • 転移因子の進化はほとんど突然変異と浮動によって決まる.
  • またゲノムには表現形質にほとんど関係しない繰り返し配列がある.(マイクロサテライト,ミニサテライトの解説がある)

 
本章の記述の中心は多重遺伝子族の説明であり,その生成に遺伝子重複が重要であること,表現型形質の革新にとって重要であることが強調されている.
転移因子については単に突然変異と浮動によって進化しているとだけ述べられている.しかし転移因子の進化については利己的な遺伝要素にかかる自然淘汰とそれに対抗するエピジェネティックス機能の進化が大きなメカニズムになっていることが明らかになりつつあり,根井がこの部分を無視しているのは残念だ.
 

第6章 表現型の進化

 
根井は第5章までで分子進化を扱ってきた.ここからは分子進化が表現型にどうつながっていくかを扱う.
 
<遺伝子概念と遺伝子発現>

  • ワトソンとクリックによるDNAの発見以降,遺伝子はまずポリペプチドをコードする連続したDNAと定義された.しかしオーバーラップ遺伝子,選択的スプライシングが発見され,1遺伝子1ポリペプチドという対応関係は成り立たなくなった.さらに遺伝発現の制御メカニズムが発見され,遺伝子の発現変動こそが発生の基本であることが明らかになった.(コード領域と調節領域,遺伝子調節ネットワーク,発現量調節する低分子RNA,メチル化とエピジェネティックス,シグナル伝達経路と遺伝子間相互作用が解説されている)

 
<生理形質,形態形質の進化>

  • 分子進化の中立説で扱われるタンパク質コードの置換は主に生理形質に影響を与えるものが念頭にあったが,形態進化にかかる遺伝子のタンパク質コード領域の分子進化の状況もほぼ同様であることが明らかになってきた.(厳密に生理形質と形態形質を区別することは困難であることも説明されている)
  • 調節領域は絶妙なバランスで協調的に働くことが必要で,基本的に保存的であるはずだ.シス調節因子領域の塩基置換速度を調べると,タンパク質コード領域の同義置換より遅く,非同義置換より速いことがわかった.

 

  • 形態形質の進化について,タンパク質コード領域と調節領域のどちらが重要かについては議論があった.
  • 調節領域の方が重要だという考え方は遺伝子調節仮説と呼ばれる.(それを示すダーウィンフィンチのクチバシの形態進化,淡水産トゲウオのトゲの進化などのリサーチが紹介されている)ショーン・キャロルはそれを示す観察事実を整理体系化した.
  • ここでHOX遺伝子群の系統進化を調べると,その領域は非常によく保存されており,調節遺伝子の変化により形態の大きな変化が生じるという考え方には無理があると考えられる.キャロルはこの批判に対して,調節遺伝子の変化ではなく調節領域の変化(重複,ネットワークの変化)が重要だと答えた.
  • 遺伝子調整仮説に対して,調節領域とコード領域両方が重要だという考え方は主要遺伝子効果仮説と呼ばれる.
  • 根井は転写因子は通常タンパク質であって,コード領域に生じた変異も調節領域に生じた変異も同様な効果を持つはずだと推測した.2007年根井は生理形質か形態形質かにかかわらず,発生初期に発現する遺伝子は通常保存性が高いと主張した.(遺伝子ネットワーク,発生拘束の解説もある)
  • 実際にはコード領域の変化だけで形態変化を生じる例も数多く見つかっている.(哺乳類や鳥類の眼の色,哺乳類の毛の色の種内変異の例が取り上げられている)

 
<遺伝子調節システムの進化>

  • ショウジョウバエのシス調節遺伝子はよく調べられている.シス調節遺伝子のゲノム上の位置が変化しても活性因子と抑制因子として作用する調節遺伝子の数が適正であれば調節システム自体は変化しない.ほとんどの塩基置換は中立的であるようだ.
  • 発現調節機能を持つ低分子RNA遺伝子も多くは出生死滅進化をしているようだ.

 
<エピジェネティックスと表現型進化>

  • 環境条件によって表現型を変化させるエピジェネティクな機構がいくつか知られている.(温度依存性性決定と植物の開花における春化効果の例が取り上げられている)

 
<遺伝子転用と遺伝子水平伝播>

  • 同じ配列の遺伝子が2つ以上の異なる機能を持つことがある.これは遺伝子共有と呼ばれる.主要な効果と二次的な機能を持つので掛持遺伝子をも呼ばれる.
  • 異なる機能を持つ多重遺伝子族が形成されているような遺伝子転用もある.(不凍化タンパク質遺伝子の出現の事例が説明されている)
  • 異なる種に遺伝物質が伝わることを遺伝子水平伝播と呼ぶ.細菌に多いことはよく知られていたが,真核生物でも最近ではボルバキア遺伝子の宿主昆虫への伝播,捕食された藻類の光合成遺伝子の利用を行うウミウシ(捕食世代限りの利用)の例が見つかっている.

 

第7章 種分化における突然変異と自然淘汰の役割

 
次に根井は種分化の遺伝基盤と分子基盤に話を移す.生殖的隔離が自然淘汰で生じるかどうかというのはダーウィン以来の問題で,ダーウィンは否定的だった*5.根井は種分化で最も重要なのは種間の生殖的隔離でありこれは主に突然変異によって生じると主張している.淘汰か突然変異かという問題提示はここまではあまり納得感のないものだったが,染色体変異で一気に形態的変化と生殖的隔離が生じるような場合には適切な問題フレームになる.またそれ以外の場合も淘汰か浮動かと考えれば,生殖隔離の形成は淘汰より浮動の影響が大きいという主張になるだろうし,それはダーウィンの考えとも整合的で説得的だ.そういう視点で眺めると本章の「(種分化については)突然変異の方が重要だ」という記述は他章と異なりすっきり読める部分になっている.
 
<染色体変異による種分化>

  • ド・フリースが報告した突然変異による新種オオマツヨイグサの1つは実際に4倍体変異による新種であることがわかった.またのちの顕花植物の研究で,20~40%の植物種が倍数化によって出現していることが明らかになった.ゲノム解析の統計解析でも顕花植物で倍数化やゲノム重複が頻繁に生じたことが確かめられている.動物ではその頻度は低い.これは染色体による性決定システムによっているため倍数化で性決定が阻害されるためだと考えられる.実際に染色体性決定システム進化前には倍数化が頻繁に生じていたようである.(倍数化に伴うゲノム構造の変化の傾向,異質倍数体による新種の例,染色体相互転座などが解説されている)

 
<遺伝子突然変異による生殖的隔離の進化>

  • 遺伝子突然変異による生殖隔離の進化についてはいくつかモデルがある.最も単純なモデルは系統ごとに異なる重複遺伝子に劣性致死突然変異が(浮動により)固定化することにより(交雑個体の一部が致死になり)生殖的隔離が進化するという岡モデルだ.イネのジャポニカとインディカの分化はこれによるようだ.
  • 交雑個体において2つ以上の遺伝子が負の相互作用をすることによるのがドブジャンスキー-マラーモデルになる.根井はこれを数理的に研究し,負の相互作用をする遺伝子が系統ごとにランダムに固定し,隔離作用を進化させることを確かめた.このモデルは広く受け入れられているが,実証例は少ない.
  • 根井はドブジャンスキー-マラーモデルを拡張し,複対立遺伝子補完モデルを提唱した.(詳しく説明がある)
  • 理論的には単一遺伝子座でもヘテロ接合が致死や強い有害作用を持てば.系統間で異なるアレルが固定することにより生殖隔離が成立しうる.また植物の開花時期制御遺伝子座のような受粉や交尾にかかる遺伝子座でも(系統ごとに異なる表現型が固定することにより)単一遺伝子座で生殖隔離が成立しうるだろう.

 
<複雑なシステムによる生殖的隔離>

  • メンデル分離比の歪比遺伝子(トランスポゾンと並んで利己的遺伝要素として最も有名なものだが根井はやはりそのことには触れず,分離異常遺伝子とのみ記述する)とそれへの抑制遺伝子がある系統で固定すると,これは生殖的分離につながる.
  • 分離比の異常遺伝子はX染色体で頻度が高い.これはホールデンの法則(2種が交雑したとき異型配偶子を持つ性(XYシステムのオス,ZWシステムのメス)の方が不妊や生存不能になりやすい)の説明の1つになる.

 

  • ゲノムのヘテロクロマチン領域に存在する反復DNA配列が雑種不妊や雑種生存不能に関わっていることが報告されている.繰返し回数は種特異的で比較的速く変化する.これらは突然変異と浮動により生じているようだ.

 
<生殖的隔離の進化にかかわる他の機構>

  • 種分化のモデルはこのほかにも数多く存在する.(遺伝子の転移が雑種不和合を起こすモデル,組み換え種分化モデル(2種が交配しその子どもがそれぞれの親種から特定の染色体セットを受け継いで新種が誕生するというモデル),細胞質不和合モデルなどが解説されている)
  • これらを考えると,生殖的隔離は多くの要因によって引き起こされ,我々の知識は限定的だと考えざるを得ない.

 
<ボトルネック効果による種分化>

  • ボトルネック効果が集団の遺伝的変異と遺伝的分化に与える影響を適切に扱える数理モデルを見つけることは難しいが,ボトルネック効果と雑種不妊については数理モデルで研究可能だ.(根井によるモデルが詳しく解説されている)

 
<表現型進化の副産物として生じる雑種不妊>

  • 多くのネオダーウィニズム主義者は雑種不妊も(異所的な集団で生じるそれぞれの)自然淘汰によって遺伝変異を蓄積することによって生じると考えている.そうかもしれないが,正の自然淘汰は雑種不妊と何の関係もないかもしれない.むしろ雑種不妊は単に相互作用するそれぞれの種内の遺伝システムの変化の結果と考えるべきだろう.

 
本章の記述は種分化の重要な要素である生殖的隔離が生じるメカニズムを細かく調べることにより,それは様々な遺伝的な変化から生じており,自然淘汰の方向性よりも,突然変異の出現や浮動などの偶然的な結果の方が重要だということを説得的に示している.ネオダーウィニズムへの当てこすりはやや観念的で,実際の進化生物学者の大半はこの章の議論を喜んで認めるのではないかと思う.
最後のまとめにおいて根井は多くの研究者が実証的な結果を示さずに盲目的にドブジャンスキー-マラーモデルを信奉していることを当てこすっていたり,ド・フリースは(少なくともその主張の一部は)結局正しかったのだとかダーウィンは雑種不妊を副産物と考えており結局種の起源を研究していたと評価できるということを強調していたりしていてちょっと面白い.
 

第8章 適応と進化

 
第8章で根井は表現形質の適応,淘汰を解説する.ここは本書の納得しがたいテーマ「進化において淘汰より突然変異が重要だ」に直接関わるところで,予想通り首をひねらざるを得ない主張も混じってくる部分になる.やや批判的に紹介しよう
 

  • ネオダーウィニズム主義者の中には変異は集団の中にありふれていて,適応は自然淘汰のみで生じると主張している者もいるが,実証的なデータはない.
  • モーガンはホッキョクグマの白い体色(圏内最強の動物が保護色を必要とするはずがない)や熱帯の鳥の鮮やかな体色を例にあげて表現形質には中立や転用進化(コオプション)によって進化したものもあるのではないかと示唆した.
  • ルウォンティンは適応の定義の難しさを示した.ある生物にとっての最適なニッチを定義することの困難さ,淘汰は種の最適性に向かうわけではないことがその理由だ.
  • ここまで表現型の進化にはランダムな要素が強く影響することを示してきた.だから適応が自然淘汰のみによって生じるという考えは成り立たない.

 
集団に既に十分な遺伝的変異があるというのは単純化のための前提条件であって,現在の進化生物学者は常にその仮定が満たされると考えてはいないだろう.だから最初の点はまさにかかしの議論になる.2番目の点は「進化はあなたより賢い」という問題だ.シロクマの体色はアザラシを襲うのに有利かもしれないし,熱帯の鳥の鮮やかな色は性淘汰でほぼ説明できるだろう.定義の難しさの部分はやや古風な「自然淘汰の実証」という問題意識に絡むものだが,淘汰の実証に「最適ニッチの定義」が必ず必要だとは思えないところがある.そして最後の根井の主張はまさにかかしの議論風で,現代の進化生物学者は誰も進化が淘汰「のみ」で生じるとは考えておらず,浮動や材料の突然変異の出現というランダム性を認めているだろう.
 
<特定の形質の進化>

  • 動物の眼は動物門ごとに非常に多様である.この結果は突然変異が自然淘汰よりも重要な役割を果たしたことを示唆している.
  • 社会性昆虫のカースト制の進化についてはハミルトンが社会性進化の条件式を提示したが,最近ノヴァクによって批判されている.またカーストごとの形態分化についての発生学的研究はそれがシグナルタンパク質の突然変異で生じたことを示唆している.
  • ダーウィンはラマルク的にヒラメの非対称性の進化を説明しようとしたが,この問題は発生過程における遺伝子発現制御を研究しないと解決しないだろう.

 
この部分はもうどうしようもなくだめな議論になっている.根井は行動生態学をよく理解していないのだろう.眼の話は(そもそもの淘汰と突然変異が別次元の問題だということをおいておくとしても)系統ごとに既往の身体や環境条件が違うのだから淘汰がそれぞれ重要だったという結論になっても何ら不思議ではない.
社会性の問題については,どこから突っ込んでいいかと思うぐらいダメダメだ.まず包括適応度の説明が間違っている(誤訳なのかもしれないが,r>c/bのb, cが包括適応度だと書かれている).ハミルトンの包括適応度理論とその応用の1つとしての3/4仮説がきちんと区分できていない.激しい批判が浴びせられているのを無視して筋悪のノヴァクの議論に乗ってしまっているのもいただけない.そして何より,至近要因と究極要因の区別ができていない.シグナルタンパク質の変異がカースト形態を生むという話と,包括適応度的な条件が満たされると利他行動が進化するという話は別次元の話で完全に両立する.これはヒラメの眼の話も同じだ.遺伝子発現制御でわかることと,ダーウィンの議論(根井はラマルク的と書いているが,そこが問題ではなく,少し頭を持ち上げて周りを見ることが有利になり,すると少し眼が非対称に位置を変えた方が有利になるという漸進的な適応経路を示した部分が重要だ)も完全に両立するのだ.この至近要因と究極要因がわかっていないという問題はこのあと何度も現れる.このような包括的な内容を扱い通説を批判する本を書くなら行動生態学の教科書ぐらい目を通してほしいものだ.
 
<退行進化と偽遺伝子>

  • 洞窟魚の眼の退化など,使われていない器官や形態構造の消失は極めて一般的だ.ネオダーウィニズム主義者にはそれが正の自然淘汰で生じると考える者も現れた.しかしこれは(純化淘汰で取り除かれていた)有害突然変異が洞窟で中立になるということで説明可能だ.
  • 確かに当該遺伝子が多面発現的であるなら,例えば洞窟魚で眼の発生を抑えて他の形質にとって有利になる遺伝子があれば,それが正の自然淘汰で広がる可能性はある.しかし洞窟魚のように集団サイズが小さい場合には圧倒的に遺伝的浮動が重要になり,適応進化より中立進化がより頻繁に生じていただろう.この分子基盤についての理解はまだ限定的でさらなる研究が必要だ.
  • 寄生細菌では共生の初期段階で多くの遺伝子欠失が生じるようだ.ここでブフネラではタンパク質コード遺伝子のアミノ酸置換速度が禁煙の自由生活最近の約2倍であることが知られている.これはほとんどの置換が中立であることことからは説明しにくい.どうやら共生体のDNA修復酵素の1つのクラスが欠損しているためらしい.

 
洞窟魚の眼の退化に正の自然淘汰も関わっているのか,中立的な浮動のみによっているのかは分子的に調べればある程度推測できるので,面白い問題意識だろう.なお眼の退化については眼があると怪我や病気になりやすいコストが生じて正の自然淘汰にかかるという可能性もあるように思う.
 
<性決定機構の進化>

  • 多くの動植物は染色体で性が決まるが,中には環境決定を行う生物も存在する.これらを統合的に(自然淘汰で)説明するのは難しい.(これまでわかっている脊椎動物,昆虫類の性決定の至近的なメカニズムが解説されている)
  • (このようなメカニズムの詳細,多様性は)性決定の最も基礎となる部分は動物進化の初期段階で誕生したこと,そして現在みられる非常に多様な性決定システムはこの基盤に新たなシグナル分子が負荷されることによって確立されてきたことが示唆している.これは新しい突然変異のよって性決定機構が比較的簡単に変化することを説明できる.だから自然淘汰はそれほど重要でないと考えられる.

 
ここも違和感満載だ.なぜ突然変異で性決定が変更できるからといって,そこに淘汰がかからないと考えるのだろうか.性決定システムの変更は性比を大きく変え,適応度に重大な影響をもたらすだろう.これに淘汰がかからないと考えること自体全く理解できない.根井は至近要因と究極要因がわかっていないことに加え,性比にかかる行動生態学の膨大な議論について全く無知なのだろう.
 
<Y染色体の退化>

  • Y染色体の非組み換え領域には致死突然変異が蓄積する確率が極めて高く,これだけで不活性化を説明できる.チャールズワースはこれに対し,マラーのラチェット効果とX染色体の遺伝子量補償が同時に進化することによって説明すべきだと主張した.
  • しかし最近の研究では致死突然変異の蓄積と遺伝子量補償は独立に進化したことが示された.(これに対するチャールズワースの主張,その問題点が解説され,さらに遺伝子量補償の分子基盤の多様性が説明されている)
  • 遺伝子量補償の分子メカニズムは種によって様々であり,おそらくY染色体の退化ののちに系統ごとに独立して進化したのだろう.これは性染色体の進化が突然変異主導で決まり,淘汰の役割が小さかったことを示唆している.
  • ライスは性拮抗突然変異とマラーのラチェットを組み合わせて性染色体の進化を説明しようとしたが,問題が多い.

 
ここもメカニズムの詳細は大変面白いが,「性染色体の進化が突然変異主導で淘汰の役割が小さい」という結論については淘汰と突然変異は次元の異なる問題であり違和感しかない.(なお性拮抗形質をもちだしたライスへの批判において,「オスの装飾形質が性淘汰形質であるならそれはオス間の問題であるはずだ」という記述があり,根井がメスの選り好み型性淘汰について全く無知であることを暴露している)
 
<行動形質の進化>

  • ウィリアムズは淘汰は有益なアレルの組合せを次世代に残すように作用すると説いた.これは自然淘汰は表現型に作用するという一般的な考え方と異なる.ドーキンスは自然淘汰を遺伝子中心的な見方として捉えた.
  • 彼等は自然淘汰はそれぞれの遺伝子座のアレルの平均適応度によって記述されると主張した.しかし彼等の理論は遺伝子相互作用や連鎖不平衡,さらに環境条件の変動を考慮しておらず,極めて複雑であるゲノムレベルでの自然淘汰の記述としては妥当ではない.
  • 利己的な遺伝子説は多くの研究者によって批判されてきた.グールドは自然淘汰は個体の生死の問題であり,淘汰の単位を遺伝子とするのは間違いであると主張した.マイヤーは集団遺伝学の理論は表現型の適応度に基づいているので淘汰の単位は表現型であると主張した.ノヴァクは真社会性の進化にかかる遺伝子のアレル頻度の変化を研究し,それは必ずしも増加していないと主張した.
  • ドーキンスはこの自然淘汰に関するモデルを提示していないためこの説は反証できない.

 
ここも全然ダメダメで,根井が行動生態学を全く理解できていないことをよく示している(そしておそらくドーキンスを一度もきちんと精読していないのだろう).根井の理解は自然淘汰の単位とは何を指すかという1980年代の議論の水準で止まってしまっている.グールドの批判やマイヤーの指摘は淘汰の単位とは何かをきちんと定義すれば全く意味のないものであることが理解され,この論争ははるか昔に決着がついている.ノヴァクの引用に至っては一体これで利己的な遺伝子のフレームの何を批判しているかさえ明らかではない.利己的な遺伝子のフレームとはハミルトンの包括適応度理論を別の角度から解説して見せたもので,何かことさら新しい進化モデルではないこともわかっていない.包括適応度理論が遺伝子相互作用や連鎖不平衡の問題を単純化のための前提で省いていることは確かだが,それは物事の本質を見極めるための単純化であり,実際に驚くほど豊かな実証研究に結びついていることも全くわかっていないのだろう.(この根井の「見通しをよくするための単純化」への不思議な敵意はフィッシャーの自然淘汰の基本原理やホールデンの弁明への批判にも現れている)ここは本書で一番がっかりさせられる部分だといってよいだろう.
根井はこのあと行動基盤の分子的基盤についての研究をいくつか紹介し,意味ある理論研究を行うにはまず分子レベルの研究がなされるべきであるとしているが,これも「意味ある理論研究」についての独自の価値観の押しつけ的な主張であり,至近要因と究極要因が別次元の問題であること(そしてどちらの探求にも意味があること)がわかっていないと評価せざるを得ない.
 

第9章 進化における突然変異と自然淘汰の役割

本章の冒頭で,根井は驚くべきことに「進化研究においては以下のような問いがよくある.それは突然変異と自然淘汰はどちらが重要なのか,という問いである.しかしながら,この問いは適切ではない.なぜなら突然変異と自然淘汰の役割は質的に異なるからである」と書いている.じゃあこれまでの記述は一体何だったんだということになるが,そこから根井は分子レベルで淘汰的有利性が理解できればどのように進化が生じるかが理解できるので,突然変異こそが進化の主要因だと考えるのだと話を進めている.一体何を主張しているのか全くよくわからない.根井の議論は淘汰的有利性の理解にはどのような突然変異があったのかの分子レベルの理解が有用だという話であり,進化においてどちらが重要だったかの問題ではないとしか思えない.そしてこのあとも根井は納得感のない「進化において淘汰より突然変異が重要だ」という主張を繰り返していくのだ.このテーマに関しては本書は全く読みにくい.
 
<進化過程における突然変異と自然淘汰の違い>

  • ネオダーウィニズムは集団中に十分な遺伝的変異があり,進化は環境の変化により進むと考えていた.しかしこの考えを示すデータは少ない.ダーウィンの時代やネオダーウィニズムが興った時代には遺伝子の正体はブラックボックスとして扱うしかなかった.しかし現在では我々は分子基盤を調べることができる.片方で自然界で淘汰係数を推定するのは非常に困難である.
  • では(研究において)淘汰をどう取り扱うべきか.淘汰圧は世代ごとに変わっていくので小さな淘汰圧を推定するような研究は行わない方がいいだろう.進化研究において重要なのはどのように異なる表現型を持つ種が進化してきたのかを明らかにすることだ.そして表現型の違いは分子レベルで研究できるし,そういう研究は淘汰かランダムかに悩まずとも良い.

 
根井のこのあたりの記述にも納得感はない.「進化研究で重要なのは分子レベルでの表現型の違いの探求しかない」と独断的な価値観を披露しているが,様々な問題意識から様々な研究があっていいだろう.このあたりも根井の至近因と究極因のレベルの違いがわかっていない部分のように思われる.
 
<進化における偶発的要因と遺伝子転用>

  • 遺伝的浮動の理論は1930年代に完成していた.それでも進化生物学者は適応進化,特に複雑な形質についての適応進化は淘汰で生じると考えて来た.しかし最近の分子研究は表現型進化についても染色体再編成,遺伝子転移,遺伝的浮動などランダム要因の影響を受けていることを明らかにしている.
  • 遺伝子転用が中立であることを示した例としては1つのタンパク質が2つの機能を持つ遺伝子共有がある.これらは主要な機能と二次的な機能を持つ.社会性昆虫の真社会性のカーストの表現型には余剰な遺伝子や調節システムの転用が重要である可能性があり,真社会性のような複雑な形質の進化も中立な過程で説明できるかもしれない.

 
ここも違和感満載の記述だ.表現型進化に(有用な突然変異の出現やランダムな環境要因の変動で)ランダム要素があることは現代の進化生物学者は皆認めるだろう.ランダム性があるから淘汰が効いていないことには全くならない.そして複雑で累積的な形質による適応形質は自然淘汰がなければまず間違いなく進化しえない.これとランダム性は何ら問題なく両立するだろう.
そして遺伝子共有があることがなぜ中立ということになるのだろう.ここは全く理解できない.二次的な機能が有用であればそれは中立ではあり得ないのではないだろうか.
 
<過去に起こった進化と将来起こりうる進化>

  • 科学的進化学には目的論を含むべきではない.しかしヒトの心は目的論に陥りやすい.またヒトを特別視し,チンパンジーの系統よりもヒトの系統の方がより多くの正の自然淘汰を受けてきたはずだと思い込みやすい.これらには注意しなければならない.
  • 進化には目的はなく,将来の進化の方向は基本的に予測不可能だ.
  • 過去環境はヒトの進化の方向性に影響を与えただろう,しかしその方向性は突然変異の影響を受けたはずだ.ほとんどの突然変異は中立でごくわずかな突然変異が新奇形質を生みだす要因になっている.その場合.突然変異が進化の方向性を決める主要因になっているに違いない.

 
目的論や人間中心主義に注意せよというのはその通りだ.しかし最後のところは何を言っているのかよくわからない.ごくわずかな突然変異が新奇形質を生んでいるとしてもそれが固定するかどうかは基本的に淘汰で決まる*6.突然変異と淘汰の両方が重要だと言うことではないのだろうか.
 
<ゲノムに対する制約と制約突破進化>

  • 分子レベルで見ると進化の主要因は突然変異であり,自然淘汰が進化の方向性を決定してきたことを示す証拠はほとんどない.有用なタンパク質は突然変異で生まれ,自然淘汰はそれを残す上で重要なだけで,これは進化において二次的な重要性でしかない.ドーキンスは眼の進化は(機能的に)進歩的で自然淘汰によって生じたと主張したが,ヒトの目は突然変異,自然淘汰,遺伝的浮動により進化してきたもので,原動力はあくまで突然変異なのだ.

 
ここも違和感しかない.主要因とか二次的な重要性の定義は一体何なのだろうか.突然変異も淘汰も共に重要であるということでしかないようにしか思えない.
 

  • 遺伝形質や表現形質の変化は保存的形質の上に生じ,時として革新的変化を生みだす.これが表現形質の改良につながるのだ.このような制約突破進化が重要な進化様式になる.(生命の起源のRNAワールド仮説とそこにおける制約突破について説明がある)
  • 制約突破進化の分子レベルをよく見ると,そのような変化は数多くの正の自然淘汰によるのではなく少数の有用な突然変異によって生じたことがわかる.系統の大きな分岐はそのような突然変異によって生じている.

 
少数の有用な突然変異が分子レベルで観察されたとして,それが固定するには自然淘汰が効いたはずであり,やはり根井の記述には納得感がない.もっとも後段については,種分化の際の生殖的隔離に向けた淘汰は働かないので,その部分では是認できるところになる.
 
<種内の遺伝的変異>

  • 種内の表現型多様性の多くは中立またはほぼ中立であるようだ.(タンパク質のアミノ酸置換のほとんどは事実上中立であり,世代間の繁殖率には弱い相関しかないことが根拠とされている)
  • 第2章では表現型多型について古典説と平衡説で論争があったことを見た.分子レベルでの研究が進み,いくつかの遺伝子は超優性淘汰を受けているが,多くの遺伝子は出生死滅進化をしていることがわかった.

 
<ニッチ獲得進化>

  • 第3章で見たようにフィッシャーの自然淘汰の基本原理には,一定環境という不自然な前提,原理が集団の絶対適応度と無関係であるという問題がある.しかしニッチ獲得進化の概念を使えばこれらの問題はなくなる.
  • ニッチ獲得進化では新種は既存種と置き換わるのではなく,新しいニッチを獲得して生じる.既存種との競争を考える必要はない.わかりやすい例は洞窟魚の進化だ.洞窟魚の表現型の進化は淘汰を受けたかどうかにかかわらず,突然変異によって生じたものだ.

 
この最後の記述にも違和感がある.自然淘汰が単純化された前提でどう働くかという話と,種分化の話はそもそも次元が異なる.そして新しいニッチで適応が生じるときには淘汰は重要な問題になるはずだ.総じてこの第9章は勘違いしたまま突っ走る老学者の妄執のような記述にあふれていて大変読みにくいところだ.
 

第10章 全体の総括と結論

 
第10章では総括として学説史を中心にこれまでの根井の議論がまとめられ,結論を提示している.

  1. 突然変異はあらゆる進化の元となる遺伝的変異を産出する.
  2. 自然淘汰は有益な突然変異を保存し,有害な突然変異を排除する.ある突然変異が有益かどうかはその突然変異の性質に,そして環境や他の遺伝子に依存する.自然淘汰は突然変異の出現により自動的に引き起こされる過程であり,創造力はない.
  3. 進化は生物の複雑性が増減することにより種間で表現型が多様化していく過程である.進化には自然淘汰のほか遺伝子重複や遺伝子転用というランダムなプロセスも関与する.進化の過程では必ずしも適応度が上昇するとは限らない.
  4. 遺伝子はヌクレオチドが特異的な順番で並んだもので,機能を持つタンパク質やRNAをコードする.遺伝子に生じる突然変異の大部分は有害で純化淘汰によって排除される.
  5. 遺伝子が新たな機能を獲得する際には,制約突破突然変異が生じて新たな遺伝子や遺伝システムが形成される.
  6. ゲノムは機能的に統合された遺伝子の集合であり保存的に進化する.表現形質の革新的な変化は制約突破突然変異が生じることにより起こる.ゲノム制約にはかなりの柔軟性があり,種内には大量の中立変異が生じる.複数の集団が長期間隔離されていると独自のゲノム進化により集団間での遺伝子の適合性が次第に減少し,雑種弱勢が生じる.雑種不稔の確立には自然淘汰は不要である.
  7. 生態学的な制約は一般にあまり強くない.それぞれの生物種は多様なニッチで生息可能であり,新たな地域でも容易に繁殖できる.
  8. 進化は生存競争ではなく制約突破突然変異より起こる.生物種が新たな環境に移住すると純化淘汰が緩和し適応放散が起こることがある.

 
そして最後にこれらの結論は分子レベルの研究から導かれたものであること,自然淘汰の研究においても分子レベルの研究が重要であるが野生集団では難しいこと,そもそも研究者が興味を引かれるのは自然淘汰ではなく遺伝子型間や種間の遺伝的な相違であり突然変異の分子的性状や有益性の分子メカニズムを理解することが重要であること,統計的手法より発生学的手法を用いることが重要であること,表現型の進化を研究するにあたってはゲノム保存圧とゲノム多様化圧(制約突破突然変異)を考慮することが重要であることを強調して本書を終えている.
 
結論にもいろいろな違和感がある.自然淘汰は突然変異の出現により自動的に引き起こされる過程だが,それがどう働くかこそが累積的に機能が向上していくことを理解するのに非常に重要ではないだろうか.これをもって創造力がないとするのには賛成できない.進化の過程で必ずしも適応度が上昇するわけではないと書かれているが,それは当たり前であり,フィッシャーの自然淘汰の基本定理の意味を誤解していることを示しているだけに思われる.ニッチ獲得進化の概念については本書内ではあまり議論されていないが,これにどんな分子レベルのエビデンスがあるのだろうか.新しいニッチで純化淘汰が緩むのはまさに一時的に生存競争が緩和されることによる自然淘汰の働き方の問題だろう.
 
本書全体を評価すると,本書の「進化においては自然淘汰よりも突然変異が重要だ」というテーマについては違和感の残るものだと評価せざるを得ない.それは「ごく初期のネオダーウィニズムは集団内に常に十分な遺伝的変異があると仮定していたが,そうとは限らない」「雑種不稔の進化には自然淘汰は効かず,突然変異の集積により生じる」「進化の研究において表現型の変化の至近的なメカニズムについて興味があるなら,淘汰を統計的に調べるより突然変異の分子基盤を調べる方が良い」というだけの主張に思える.そして現代の進化生物学者はそこには誰も異論はないだろう.だからこのテーマについては本書は壮大なかかしの議論という印象を禁じ得ない.また行動生態学を全く理解できていないにもかかわらず見当外れの批判をしている部分もいただけない.
しかしその点を割り引いて読むなら本書は集団遺伝学と表現型変化の分子基盤を研究してきた大御所による学説史を交えた詳細な解説書であり,非常に充実している.特に第3章から第5章にかけてのトピックごとの解説は読み応えがある.それだけでも本書は読むに値するだろう.

 
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原書

Mutation-Driven Evolution (English Edition)

Mutation-Driven Evolution (English Edition)

 
根井の本.これは分子データを用いて系統樹を作成するにあたっての解説書.実務的で深い.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20060919/1158617793

分子進化と分子系統学

分子進化と分子系統学

*1:本書の訳では邦題にあるように進化にかかる学説について「進化論」という訳語を用いているが,本書評では私の好みにしたがって「進化学説」「進化説」を当てている.

*2:なおここで根井はダーウィンは融合遺伝説を採っていたとしているが,パンジェネシス説は明らかに粒子遺伝の考え方に立っており,ダーウィンをきちんと評価できていないように思われる

*3:本書では「新ダーウィン主義」を訳語としているが,当書評では私の好みにしたがって「ネオダーウィニズム」を用いることにする.章題なども適宜変えている

*4:なおオオシモフリエダシャクのリサーチにはまだ疑義があるとしているが,これは最近の再捕獲法を用いた検証リサーチを見逃しているのではないかと思われる.

*5:根井はそこまで解説していないが,ダーウィンは異なる系統との間に子を残せないのはその個体にとって不利だから自然淘汰でそうなるはずはないと考えた.これはダーウィンが基本的にはグループ淘汰的でないことを示す一例となる

*6:もちろん小集団なら浮動で決まることもあるだろう.それなら「淘汰か突然変異か」ではなく「淘汰か浮動か」を問題にすべきだ