Enlightenment Now その81 <完>

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

 

第23章 ヒューマニズム その11

 
ピンカーはここまでヒューマニズムへの敵対勢力である有神論的道徳論とロマンティックヒロイズムの欠点を指摘した.ではヒューマニズム推進派はどうすればいいのか.本書も大詰めだ.
 

  • ヒューマニズムについての道徳的そして理知的な正当性は圧倒的だと私は考えるが,ヒューマニズムの人々の心に訴えかける力は,宗教,ナショナリズム,英雄的ロマンティズムにかなわないのではないかと考える人もいるだろう.ではヒューマニズム推進派は派手な売り込みマーケティングキャンペーンを企画すべきだろうか.私はそうは思わない.脆弱性とニーズは異なるということを思いだそう.デンマークやニュージーランドなどの幸福な市民はそのようなものなしでうまくやっている.コスモポリタンな世俗的民主制の恵みは誰にでも感知できるのだ.
  • それでも逆行的なアイデアはいつもはびこる.だから理性,科学,ヒューマニズムについての擁護は常に行うべきだ.私はここまで自分でできる最高の擁護を行い,インテリたちが啓蒙運動の恵みについての無思慮振りに加担しないように警鐘を鳴らしてきた.

 

  • もう一度考えよう.逸話はトレンドを示すわけではない.現在の状況が悪いと言うことが過去は良かったことを意味するわけではない.理性などというものがないと理性的に主張することはできない.神が言ったから善悪が決まるわけではない.皆が知っていると思うことが正しいとは限らない.
  • 冷静になろう.すべての問題が,危機,疫病的厄災,あるいは実存的脅威であるわけではない.すべての変化が,何らかの終わり,死,時代の終焉を意味するわけでもない.深遠さと悲観主義を同一視しないようにしよう.問題は不可避だが,解決可能なのだ.そしてすべての障害物を社会の宿痾だと考えるのは間違っている.そしてニーチェを追い払おう.ニーチェ思想は鋭く真正っぽくそして邪悪だ.片方でヒューマニズムはイケてないかもしれない.しかし平和と愛と理解のどこがおかしいというのか.

 

  • 啓蒙運動の擁護は単に誤った議論を正しデータをまき散らすだけではない.それはより感動的な物語にできるはずだ,私は私よりもっと才能のある人に啓蒙運動の素晴らしさを語って広めて欲しいと思っている,人類の進歩は真に英雄的であり,栄光に包まれ,鼓舞するものだ,あえてスピリチュアルだといってもいい.

 

  • 我々は冷酷な宇宙に生まれ,エントロピーに逆らって命をつなぐという確率論的に厳しい状況を克服してきた.競争を勝ち抜くようにかかる力に形作られた.我々は植物の老廃物からなり,錯覚に弱く,自己中で,時にどうしようもないほど愚かだ.しかしヒトの本性は同時に祝福を受けている.我々はアイデアを組み合わせ,思考し,言語を操り,経験と創意から生まれる果実を享受できる.他者の視点を持ち,想像し,憐れみ,同情することができる.
  • これらの恵みは,さらにその力を強める方法を見いだしてきた.言語は文字で表され,書物から電子文書の世界に広がった.同情の輪は歴史や物語芸術によって拡張されてきた.理性的な才能は規範と合理的な組織により拡大され,知的好奇心を持ち,オープンに議論し,権威やドグマに疑問を持ち,アイデアを現実のデータに照らして検証するようになった.
  • この改善スパイラルがモメンタムを持つにつれ,我々はこれまで我々を苦しめてきたものから逃れられるようになっていった.我々は宇宙,生命,心のなぞを解明していき,より長く生き,よく学び,賢くなり,人生を楽しむようになった,殺されたり奴隷にされたり抑圧される人は減っていった.平和と繁栄のエリアは最初はいくつかのオアシスから始まり,成長しており,いつか世界中に広がるだろう.確かにまだ苦痛や危険は残っているが,どのように減少させればいいかのアイデアは既に表明されているし,さらにほかにも無数のアイデアがこれから生まれるだろう.
  • 我々は完璧な世界を作ることはできないだろう.そしてそれを求めるのは危険かもしれない.しかし我々が知識を人類の繁栄のために使い続けるなら改善の余地に限界はない.
  • この英雄的な物語はもう1つ別の神話であるわけではない.神話はフィクションだが,この物語は現在の我々の最善の知識に照らして真実なのだ.それがこの物語を信じる理由だ.そしてより学べば,この物語のどの部分が真実でどの部分が虚偽であるかもさらにはっきりさせることができるだろう.
  • この物語は特定の部族についてではなく,人類全体,つまり理性を持ち,存続を渇望し,意識を持つものすべてについてのものだ.そしてそのために必要とされるのは生は死より,健康は疾病より,豊穣は渇望より,自由は強制より,幸福は苦痛より,知識は迷信と無知よりましであるという信念だけなのだ.

 
本書の最後はいかにも格調高く,ダーウィンへのオマージュ的でもある.延々と読んできたが,我々は安易なポピュリズムに屈するべきではなく,そして上から目線で理性と科学とヒューマニズムをこき下ろす似非インテリどもに追従すべきではないというピンカーの思いはよくわかる.「いまこそ啓蒙運動」なのだ.
 

<完>