産研アカデミックフォーラム「 文化を科学する:進化論で社会を理解する」 その1

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7月27日に早稲田大学で「文化を科学する」という講演会があったので参加してきた.早稲田のキャンパスも最近は近代的な校舎が立ち並んでなかなかモダンだ.主催が早稲田大学産業経営研究所ということで経済学・経営学系のフォーラムということになる.司会者がスーツにネクタイだったりして生物学周りの集まりとは随分違う雰囲気だ.冒頭の主催者側の挨拶のあとイントロダクションが始まる.
 

イントロダクション 佐々木宏夫

 

  • 私自身は経済学者だが,現在様々な分野の研究者と一緒にミクロネシアの社会・制度のリサーチをしている.今日は進化の視点で社会を理解するということでたくさんの講演者をお呼びして,勉強させていただきたいと思っている.
  • ミクロネシアのプロジェクトを紹介したい.なぜミクロネシアかというと,このプロジェクトの前にケニアでの民族多様性にかかる経済実験プロジェクトがあって少し面白い結果が出かけていたのだが政治情勢から継続が難しくなり,そういう治安上の問題がないミクロネシアでやってみようということになったという経緯がある.
  • ケニアでやったのは,「市場経済への適性には民族差があるのではないか」というものだった.このテーマは,ここまで国際機関は「市場経済は良いもので,どの国でも導入可能」という前提で多くの支援プロジェクトを進めてきたが,どうもそれは必ずしもそうではないのではないかという問題意識から来ている.ケニアで様々な実験を行うと確かに市場適性には民族差が計測されていたのだ.
  • ミクロネシアは調べてみると大変面白い地域だ.元々何千年か前に台湾から広がってきた民族が分散していて,いくつかの地域に分かれ,さらに島ごとに独自の文化や制度を持っている.地域ごとの違い,離島と本島の違い,階層社会かそうでないかの違いなどを調べられる.歴史も多様だ.たとえばコスラエ地域は元々中央集権の王政だたが,19世紀に感染症で人口が大幅に減って王政が崩壊,その後教会主導の社会に変わっている.
  • まず島ごとの市場適性を調べることにしている.時間選好が島ごとや離島と本島やその中の社会階層間でどう違うかを実験により調べたい.
  • 貨幣制度や金融制度の面からも興味深い地域だ.ヤップ島の有名な石貨はほかにないものである意味ブロックチェーンの先駆けのようにも見える.中央銀行のないところでのマネーサプライの問題も興味深いし,島ごとに独自の小規模金融制度ができているようだ.Musinという日本の無尽や頼母子講に類似の仕組みも見つかっている.音が似ていることから見てこれはおそらく日本統治時代に持ち込まれたものだろう.
  • 文化と市場との関係は,文化という土台の上に社会制度がありその上層部に市場があるという理解だ.すると市場制度がうまくいくかどうかは文化にも依存することになるだろう.それをミクロネシアのそれぞれの島での事情を見ることによって調べていきたい.

 

文化の小進化と大進化 井原泰雄

 
<文化とは何か>

  • いろいろな定義が提唱されている.私としては定義をきちんと行うのは難しすぎると思っていて,カヴァリ=スフォルツァとフェルドマンの「刷り込み,条件付け,観察,模倣,教示の如何を問わず,あらゆる非遺伝的過程により学習される形質を「文化的」と呼ぶ」という態度に従いたい.

 
<ヒト以外の文化>

  • ヒト以外の動物にも文化があることが知られている.(幸島のニホンザルのいも洗い,チンパンジーのオオアリ釣り,コウウチョウの歌の学習,イルカのカイメン利用などが紹介される)

 
<文化伝達の定量的分析>

  • 大学生を用いたリサーチの紹介(食塩の使用は母親経由で伝達,成功が運か実力かという信念については有意の伝達なし,政治的関心については父母両方から伝達ありという結果)

 
<文化の進化>

  • ここでは「小進化」と「大進化」と「変態」を区別することが重要だと強調したい.
  • 小進化は集団内の文化的構成が個体間の伝達や革新により短期的に変化していくものをいう
  • 大進化は集団の分岐や絶滅を考慮した長期的な文化的変容をいう,例えば言語系統樹で扱うような現象などはこの例になる.
  • 「変態」:かつていわれていたような「野蛮→未開→文明」のような変容は「変態」として進化とは区別すべきだ.

 
<伝達メカニズム:模倣>

  • かつて英国のシジュウカラの牛乳瓶の蓋開け行動は模倣による文化伝達の例だとされていた.しかしこれはよく調べると,2羽目の鳥は蓋取り行動を目撃して真似ているのではなく,1羽目の鳥がクリームを食べたあとの牛乳瓶を発見して,牛乳瓶の中に餌があることを学習し,あとは試行錯誤で蓋を取っていることがわかった.するとこれは模倣による文化伝達ではなく,蓋取り行動が洗練されたものに進化していく可能性はないことになる.
  • これに対してヒトの文化は模倣やその上の工夫により累積的に進化していく.

 
<基本色彩語の文化進化>

  • 色は色相と彩度と明度で決まる.色彩語は連続的なものを離散的なカテゴリーで区切っていることになる.では言語によってこの区切りはばらばらになっているだろうか.
  • バーリンとケイは60年代に320色のチップを用い20言語でこれを調べた.ばらつきは大きくなかった.
  • 実際にこの320色を並べて見ると連続しているはずの色をヒトは離散的に経験することがわかる.網膜や脳における情報処理の特性が先験的学習バイアスを生むのだ.これに合致しない色彩語は学習しにくい.
  • このような特性をEOウィルソンとラムズデンは遺伝だけモデルでもなく,学習だけモデルでもない,遺伝子文化モデルとして提唱した.ウィルソンは「遺伝子は文化を紐につないでいる」と表現している.

 
<考古遺物に見られる小進化>

  • ドイツの線形土器文化(BC5300~BC4850)について5804点の土器を36種類の模様に分類し,そのうち180年間の出現頻度と時間変化を分析したリサーチがある.文化の伝達モデルを立て,このデータを用いて伝達パラメータを推定するものだ.パラメータの1つは同調性パラメータと呼ばれ,多数派を真似るか,少数派を真似るかの傾向を決める.これは実際に時間と共に動いていることが認められる.

 
<政治体制の大進化>

  • 東南アジアからオーストロネシアの政治体制の文化進化のリサーチがある.政治体制をすべての個人が意思決定する社会,意思決定する層としない層の2つ層がある社会,意思決定する層が2層になっている社会,3層以上になっている社会に分類する.片方で言語から社会の系統樹を作り,政治体制がどう変化していったかを推定する.すると各社会間の推移確率が計算できる.これによると1段階ずつ上下する確率が大きい,上がっているときは一気に2段階以上上がる確率はほとんどないが,下がっていくときは2段階以上下がる確率がある程度あることがわかった.

 
色彩語のところまではよく聞く話がコンパクトにまとめられていた.
「小進化」と「大進化」と「変態」の区別については,何故そう区別することが重要なのか(生物進化の場合にはリサーチの手法や同種内なのか異種への進化なのかという部分である程度違いがありそうだが,文化の場合にはあまり差は無いのではないか)そもそも進化と変態をどう区別するのか(生物の場合は個体成長の段階の変化なのか世代間の変化なのかでかなり明確に異なるが,同じ社会が文化的に変容していく場合にどう区別するのだろうか)あたりの解説がなく,わかりにくかったように思う.
 

言語の文化進化はどこまでわかったか~生物進化との対比から~ 松前ひろみ

 
現在の関心はゲノムからみた生物進化,生物ゲノミクスと生物進化と文化進化特に言語周りということになると自己紹介.
 
<生物進化とゲノム進化>

  • ゲノムの解析は急速に進んでいる(ヒトゲノム計画から現在までの急速な進歩を概説)
  • ここから進化情報を解析する手法には大きく分けて2つある.1つは分子進化と分子系統学でもう1つは集団遺伝学になる.
  • 集団遺伝学は1960年ぐらいから中立説などの理論が先行してきたが,いまデータがそれに追いつきつつあるステージだ.

 
<ヒトゲノムの多様性と歴史の解明>

  • 最初のヒトゲノムプロジェクトから始まったヒトゲノムのデータや手法は臨床遺伝学,集団ゲノミクス,パレオゲノミクス,個人ゲノミクスに利用される様になっている.
  • 集団ゲノミクスでは,民族差,集団の歴史,系統,混血,集団内の多様性,淘汰の有無,人口動態などを調べる.解明された例としては人類拡散の歴史地理がある
  • 集団ゲノミクスの「集団」とは何かという問題もある.アイデンティティには生物学的背景,言語,制度など様々な要素がある.実際には連続的でかつ流動的なものだ.
  • データにはミトコンドリアによる母系を見るもの,Y染色体による父系を見るもの,その他のゲノムによる双方の系統を見るものがある.

 
<データ解析に基づく文化進化研究>

  • 文化要素にはいろいろあるが,この中で言語はデータ集積と規格化が進んでいて,定量解析に向いている.様々なデータベースがあるし,テキスト自体もコンピュータ解析に向いている.
  • このほか現在音楽を扱うことが進みつつある.
  • 解析にはデータベースがキモだ.曖昧なままでは解析できないので,どこかで妥協して規格化していくことになる.ここでやり方はいろいろだが,オレオレ基準では誰も使ってくれないので,時間とコストがかかるが,議論して妥協して進めていくことになる.使われるものにはほかのデータベースとも連結され,相互参照が可能になる.リンクトオープンデータと呼ばれている.

 
<言語とゲノム>

  • 世界中の民族が言語を持っている.チンパンジーにはない.
  • ゲノムから言語についてわかる可能性があることには,言語能力に絡む遺伝子の同定と言語進化の歴史とゲノム進化の歴史を対比することがある.前者は難航している.私は後者に取り組んでいる.
  • 現在7000以上の言語があるとされ.400ぐらいの言語族が認められている.この言語族の中では言語の系統樹を描くことができる.
  • ではこの言語の系統樹とゲノムから推定される集団史は一致するのか.調べてみると言語系統樹は言語学者の分類とかなり一致することがわかった.(いくつか例外がある)
  • 語彙から語族の系統樹を推定する研究は多く,有名なものではおインドヨーロッパ語族やオーストロネシア語族のものがある.オーストロネシア語族は3000年ぐらいまでに台湾から各地に広がった民族により話されており,これまでよく研究されている.南太平洋では台湾からまずラピュタに広がり.そこから分岐している
  • しかし言語系統樹は通常語彙から作るため(語彙の進化速度が速く,外来語や借用語などの水平伝播があるため)語族を越えた分析ができない.
  • ここで語彙だけではなく文法や音声もデータとして取り込み,データ解析すればどうかと考えた.

 

  • ここでこれらの言語の文法に着目した.SVO,SOVなどの特性に着目して77語族をデータ解析すると,語族を越えた系統がある程度推測できる.また語彙分析からはわからなかった北東アジアの言語の多様性も浮かび上がってきた.
  • さらにいまは音素も加えた分析に着手している.韓国,日本,アイヌの距離を見るとゲノムと語彙と文法と音素でそれぞれ微妙に異なっている.韓国と日本は音素的には遠いが文法的には近いことがわかった.
  • これに冗長性解析を加え,話者の系統,征服や言語転換,文化進化をモデル化し,集団史を解明していきたい.

 
文法を使った言語系統解析は,これまでの(語彙を用いたものによる)数千年程度の解像度の限界を越える可能性を示すもので興味深い.とはいえ語彙ほどデータポイントが多くなさそうで,その辺の処理は少し気になるところだ.うまくウエイトを付けて語彙と音素も合わせて解析というのが望ましいのだろう.また音楽も楽譜は離散データなのでこういう解析ができるということになるのだろう.合わせて面白そうだ.
 


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関連書籍
 
色彩語についてはなんといってもこの本が面白かった.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20130424/1366809413

言語が違えば、世界も違って見えるわけ

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