書評 「なぜ大国は衰退するのか」

なぜ大国は衰退するのか ―古代ローマから現代まで

なぜ大国は衰退するのか ―古代ローマから現代まで

 
本書はグレン・ハバードとティム・ケインという経済学者による大国の衰亡を扱った本になる.原題は「Balance: The Economics of Great Powers from Ancient Rome to Modern America」.経済的な均衡がテーマになっており,タイトルからは一見財政緊縮本かという印象を受けるが,読んでみると単純な財政均衡主義を主張するものではなく,歴史を踏まえ,制度や政治過程を含んだ深い本になっている.また本書の議論はアセモグルとロビンソンによる「国家はなぜ衰退するのか(原題:Why Nations Fail)」における「一国の繁栄には包括的制度が重要」という主張や行動経済学的な知見を踏まえてなされていて著者たちのスコープの広さが感じられるものになっている.
 

第1章 序論

 
まず最初に本書では大国の衰亡を(指導者や軍隊や文化からではなく)経済的なデータから読み解いていくものだと宣言されている.これはポール・ケネディが1987年に「大国の興亡」で示した「大国の軍事的外交的力の主な基礎は経済である」という主張に沿うもので,近時入手できるようになった様々なデータから考察していくものになる.そして結論は「大国は国境に押し寄せる異邦人により滅ぼされるのではなく,その文明が自ら生みだした内部の経済的不均衡により衰退していくのだ」であること,その不均衡を生みだすのは中央集権的制度と政治的に合理的だが経済的に不合理な制度の積み重ね(特に既得権擁護,レントシーキング(特定の集団が政府のルールを操作して自分たちの利益を図ること))であること,アメリカの最大の懸念は中国の台頭ではなくエンタイトルメント支出(医療,福祉など)であることが予告される.
 

第2章 大国の経済学

 
第2章では大国の経済力にかかる総説的な議論が収められている.

  • ポール・ケネディは一国の興亡の要因が経済力にあると主張した.これを受けてかつてはソ連,日本の脅威が喧伝され,今日では中国の台頭が懸念されている.
  • 経済成長を扱う収斂理論では後発国は既存の知識を利用できるために高成長が可能でいずれ西洋先進国のフロンティアに収束すると予測する.それは日本,中国を含む一部の東アジアの国には当てはまるように見えるが,アフリカやラテンアメリカには当てはまらない.なぜ当てはまらないのかを検証するには歴史の吟味を行い,経済力の測定方法の問題を解決しなければならない.
  • 国富とは何か:アダム・スミスは一国の年間労働量は年間消費量の基盤だと指摘し,「富とは手元資金の蓄積だ」という重商主義からの脱却を可能にした.国の力は継続的に兵士や武器を生み出せる力であり,一回限り傭兵を雇える金ではないのだ.これは後のクズネッツのGNP概念,さらにGDP概念につながる.(ここでGDPをめぐるテクニカルな問題,トレンドと循環,インフレと為替レートの調整が解説されている)

 

  • 国別の1人あたりGDPの1950年~2010年の推移グラフを描くといくつかのことがわかる.
  • アメリカは絶対的にも相対的にも優位に立っている.ヨーロッパの主要国と(1970年以降の)日本はアメリカの80%程度の水準を天井にほぼ同じ動きになる.この間に韓国は先進国の水準に入りつつある.中国とインドはまだ貧しいが中国の方が成長率が高い.ラテンアメリカは米国の20%程度の水準で足踏みをしている
  • これまで経済成長が先進国に追いついたのは日本だけだが,その日本もヨーロッパ諸国とおなじく米国の80%という天井を抜け出せない.ここを抜け出すには中央集権的資本主義ではなく,企業家精神に基づく別の経済活動が必要になるようだ.
  • ソ連の1960年代までの驚異的な成長は環境や労働者の厚生を無視し物理的資源を使い尽くすことにより一時的に達成されたものに過ぎなかった.日本はバブル崩壊のあと失速し,現在ではかつて強みと考えられたものは縁故主義の弱みだと考えられるようになった.
  • 経済成長理論の研究が進展し,GDPの増大は資本や労働力の増大だけでは説明できないことがわかってきた.アセモグルとロビンソンは理論に欠けたピースは「制度」であると論じた.
  • 制度がどこまで重要なのか.我々はそれはほぼすべてが説明できるほど重要だと考える.ローマ帝国の繁栄は国境の安全確保,法の尊重,公共事業という制度があって初めて可能だったのだ.
  • これに対して技術や地理的要因の重要性を指摘する見解もある.しかし地理的要因説は歴史的事実に合わない.そして技術は制度という基盤の上で成立すると考えるべきだ.

 

  • 現在の中国の脅威論をどう考えるべきか.脅威を訴える論者は中国の高い成長率をよく採り上げる.しかし成長率だけを問題にするのは適当ではない.GDP総額,1人あたりGDP(生産性)も問題にすべきだ.我々はうまく経済力を表せるような単一の指標を試行錯誤しながら作り上げた.それは経済力=GDP×生産性×(GDP成長率^0.5)というものだ.
  • この指標をもとに世界各国の経済力の推移をよく見ると,中国経済の成長率や全体的規模は印象的だが総合的にはなお脆弱だと評価できる.アメリカの最大の脅威はアメリカ自身にあるのだ.
  • 大国の衰退は基本的・本質的に経済的な現象であり,それは制度の停滞(政治的制度が現状維持のために不作為に変更すること)の結果だ.ポール・ケネディは帝国の拡大のしすぎを衰退の原因と捉えたが,我々はこれに同意しない.そして制度の停滞は必然だとも考えない.

 

第3章 経済的行動と制度

 
第3章では第2章の結論部分にある「制度の停滞」のより詳しい考察になる.

  • 国家の不均衡は集団レベルでの行動により生じる.社会的要因を考察するのは重要だ.(ここで主流の経済学の単純化されたモデルの説明,行動経済学的な「限定合理性」の知見についての概説がある)大国の歴史に関する限定合理性で最も重要なのは「(政策立案者にとって)経済的な真実が完全に明らかにされていることはない」ということだ.大国は自国の経済が危機に瀕していてもその原因を突きとめられることは滅多にないのだ.
  • アイデンティティに根ざす行動も大国の興亡に関係する.それは国家の中で強化され,政治的なイデオロギーになり,独自の規範を確立し,合意に基づく進歩を妨げ,制度改革を困難にする.
  • 損失回避性は経済の変革を消極的にさせるもう1つのメカニズムだ.短期的利益の偏重(双曲的時間割引率)も同じ効果を与える.

 

  • 産業革命がなぜ1750年頃英国で生じたのか.それは名誉革命後に成立した,私有財産の保護,恣意的な増税の廃止を含む制度が企業家にインセンティブを与えたからだ.
  • そして国家が経済成長を妨げる戦略をとることがあるのは政治的制度に問題があるからだ.静的な経済はレントシーキング型の派閥に支配される傾向を持つ.
  • アセモグルとロビンソンは包括的な制度と収奪的な制度という視点から制度の重要性を主張した.しかしこの見方は不完全だ.現在のアメリカの財政危機は包括的な制度のもとに生じている.
  • おそらく経済成長を保証する経済的ルールを完全に設定するのは不可能なのだろう.ルールや制度が常にアプデートされなければ経済成長は継続できないのだ.つまり政治的制度が停滞すると経済的な発展が不可能になるということだ.

 
 
ここまでが総説になる.ここからは個別のケーススタディになる.
 

第4章 ローマ帝国の没落

 
最初のケーススタディはローマ帝国の衰亡になる.あれほどの栄華を誇った帝国はなぜ没落したのか,過去多くの歴史家がこの謎に挑んでいる.
 

  • アセモグルとロビンソンはカエサルがルビコン川を渡って帝政に道を開いたときにローマは収奪的制度に変わったのであり,そこがローマの終わりの始まりだと論じている.しかしローマ帝国の経済的ピークは(カエサルより200年以上後の)元首政の末期(3世紀の危機の直前)だ.元首政の制度(軍隊,交易を促す諸制度,都市化)により200年にわたり経済成長が促され,その後停滞したのだ.
  • ローマ軍は自発的な従軍によるプロの軍隊で,軍隊を国境に重点的に配置することによりその広大な内側では安価に平和を享受することができた.
  • ローマ帝国は市民権を他の民族にも開放し,連邦主義的に統治し,ローマ法により財産権を保障し,コンクリートの発明により都市化を可能にした.これらは交易や投資を促すことにつながった.
  • しかしローマ帝国はついに自由市場の力を完全に理解することはなかった.ローマ文化は単純労働を蔑み,奴隷制を含むカースト制を容認していた.

 

  • 近時「ローマ帝国の滅亡により文明が失われ暗黒の中世が始まった」という伝統的理解に対立し「ローマは衰亡などしておらず,その文化は中世のそれに漸進的に変容した」という歴史学説が人気を集めている.しかしこれは5~7世紀にかけて西洋の生活水準が驚くほど低下したという考古学的証拠に噛み合わない.この「政治的に正しそうな」人気学説を痛烈に批判するパーキンスは国内交易市場の崩壊による経済力の低下を指摘している.
  • この経済の崩壊の原因はそれに先立つ300年間に作られた.経済学者のバートレットは衰退の原因について食糧補助,増税,インフレの増大,国家社会主義だと指摘している.我々も原因は財政の不均衡だと考える.ハドリアヌス帝以降ローマ帝国は内向きになり,長城を建設し福祉政策を導入し,徳政令によりモラルハザードを引き起こし,(財政赤字を埋め合わせようと)銀貨を改悪し,(その結果のインフレに対し)統制経済を導入し,市場経済を崩壊させた.さらに皇帝の即位権限を握った軍団はレントシーキング戦略をとり,安定,繁栄,自由を犠牲にして自らの収入と権力の最大化をめざした.歴代の皇帝はアダム・スミスの唱えた長期的な経済理論もレントシーキングや産業国営化の危険も知らなかったのだ.

 
ローマ帝国の没落については,そのピークを元首政の時代に捉えており,アセモグルたちの見方よりはるかに納得できるものだ.制度という観点から見るとカラカラ帝の勅令によるローマ市民権の変容がインセンティブに与えた影響とコンスタンティヌス帝によるキリスト教公認以降に始まるドグマ的な硬直にも没落要因があるようにも思うが,著者たちはそこには触れていない. 

 

第5章 中国の宝

 
次のケーススタディは中国明王朝.14世紀には世界のトップを走っていた中国は停滞し,その後西洋に抜き去られる,
 

  • 中国における最も重要な思想は儒教になる.孔子は「仁」を重視し,法の支配より徳による仁政を上に置いた.また実力主義を唱え,科挙により選ばれた官僚が法の支配や政治的説明責任を負わずに中央集権的に統治することが伝統になった.法人の権利を保護する仕組みがなかったために企業は家族を超えて大きくなることはできず,優れた発明や技術が企業化されることは困難だった.
  • 中国の王朝は何度も衰亡したが,最多の原因は中央集権化した官僚制の高いコストだった.統一が容易だったために国同士の競争を通じた情報のフィードバックが効きにくかった.物事が進歩するかどうかは支配者の気分次第だったのだ.

 

  • データを見ると中国の成長は明朝の頃に止まっている.元朝崩壊のあと反乱集団間の争いで勝利した明朝の洪武帝は強く中央集権化した支配体制を作り上げた.第3代の永楽帝は父帝による対外貿易の制限を撤廃し宦官であった鄭和に大船団の創設を命じた.鄭和は7回の大航海を行った.しかし身分や家柄にとらわれずに体外交易を押し進める姿勢は儒者の官吏たちの反感を買った.
  • 次の洪熙帝は伝統的な儒者の一団で周囲を固め永楽帝の政策をすべて覆した.その後皇帝が変わるたびに政策は動いたが,結局体外交易制限で固まった.探検と貿易の時代が終焉を迎えたのは過度に中央集権化した政府内部の権力闘争の結果だったのだ.
  • 明朝を内向的にさせた真の原因は「制度の脆弱性」ということができる.政治過程は皇帝をめぐる各利益集団のゼロサム型闘争に支配されていた.

 

第6章 スペインの落日

 
続いてはスペイン.ハプスブルグ朝スペインはイベリア半島と神聖ローマ帝国領内に広大な版図を持ち,新大陸に広大な植民地も有していた.しかしヨーロッパで覇権を得ることができなかった.なぜあれほど機会に恵まれたように見えたスペインが成功できなかったかが扱われる.
 

  • スペインは経済的に繁栄する可能性をあれほど持ちながらそれを生産性に結びつける方法を全く理解できなかった.重商主義的な考えにとらわれ国庫は新大陸からの銀で溢れかえったが,国民の生産性や長期の生活水準は改善されなかった.そして財政不均衡から何度も債務不履行に陥った.
  • 16世紀から17世紀にかけてのスペインはヨーロッパに広大な領地を持ち,新大陸に進出し,資源に恵まれていた.しかし歴代のスペイン王は生産性を上昇させようとせず,ただ資源を収奪し,それをヨーロッパの宗教戦争につぎ込んだだけだった.特に新大陸から持ち込まれた銀は当初スペイン帝国に繁栄をもたらしたが,17世紀に銀山からの採掘量が激減すると,銀によりもたらされた財政の歪みが顕在化した.国内はインフレになり,銀を背景に重ねた債務は履行不可能になった.
  • また国内では交易を統制しようとし,商売を免許制の下においた.ユダヤ人を排斥し,個人の財産権への法の保護を軽視した.経済的インセンティブは商業家ではなく,兵士,聖職者,ギルドメンバーという非生産的な職業に与えられ,彼等はレントシーキングに励むことになった.その結果最終的にスペインの国力はオランダや英国に凌駕されてしまった.

 

第7章 奴隷による支配:オスマン帝国のパラドックス

 
第7章はオスマントルコ帝国の衰退.中東,北アフリカ,イベリア半島,バルカン半島にまたがる大帝国を築き,東ローマ帝国を滅亡させ,ウィーンを取り囲んだこともあるオスマン帝国は何故隣接するヨーロッパ諸国のような繁栄を得ることができなかったかが扱われる.
 

  • オスマン帝国は長く続いた帝国で,その興隆にはイスラム的情熱が大きな役割を果たした.しかし16世紀以降停滞し,17世紀にはヨーロッパのような革新を遂げることができなかった.
  • オスマン帝国は単に収奪的な征服の帝国に過ぎなかったわけではない.初期のオスマン帝国は多様性に富んでおり,スルタンたちは迫害されたユダヤ人やキリスト教徒を受け入れ,彼等の自由を保障した.またスルタン制による脆弱性を中国と同じように持っていたが,政治制度は柔軟で,地方ごとに異なる制度がしかれ,連邦的な側面を持っていた.(1代限りの軍事的特権階級である)シバーヒーの制度と(異教徒出身で結婚を許されない)直属のイェニチェリ軍団を持つことにより,地方の大地主貴族に権力が集中するのを避けた.
  • この制度は個人としての自己利益のためのレントシーキングを防ぐうまい仕組みだったが,それでも階級としての利益実現のためのレントシーキングは生じた.イェニチェリは何百年もかけてレントシーキングの主体に変容した.16世紀には結婚の禁止が解除され,17世紀に子へのイェニチェリ身分の相続も認められた.最終的には事実上の支配者になり,軍事組織の改革や代替的軍事組織の開発の動きをすべて圧殺した.
  • 経済的不均衡は財政面から生じた.取り立てのためのタックスファーミング(徴税権の入札制)が終身契約化し,民間投資のクラウディングアウトを引き起こした.
  • 19世紀には多大な改革を行おうとした.しかし制度的停滞により脆弱になっていたこの帝国はロシアに狙われ,クリミア戦争でその脆弱性を暴露され,その後もう一度ロシアに攻め込まれて多大な領土の割譲を余儀なくされた.戦争遂行のための借財により帝国政府は破産し,革命によって帝国は崩壊した.

 

第8章 日本の夜明け

 
第8章ではバブル崩壊以降の日本の衰退がテーマになっている.少し詳しく紹介しよう.
 

  • 日本の台頭と衰退の物語は3部構成になっている.
  • 第1部は1860~1905年の急速な近代化期.これは国家管理型,輸出主導型の資本主義の形をとり,成功を収めたモデルだ.
  • それ以前の徳川期は平和と安定を確立したうえでの1種の連邦的な統治のもとにあり,比較的うまく運営されていた.19世紀にはマルサスの罠を抜け出していたが,支配層である武士は保守的であり,特定利益集団により経済改革は阻害されていた.
  • 明治維新は,若い武士と宮廷貴族の一団が階級差別主義への憤りを利用して政治経済的硬直状態を打破したものだ.(象徴的な人物としてジョン万次郎が採り上げられている)
  • 日本は産業と海軍の力が成長し続け,貧しい国が強国に急成長する全く新しい「スーパーモデル」を世界に提示した.それは政府の誘導のもとに民間企業が供給する最終財の自由市場を重視するやり方だった.農業改革により農村の労働力を開放したことや高い個人貯蓄率を実現させた文化も成功要因だった.特に大きな原動力になったのは垂直水平に統合された大企業(系列)の生産チェーンの生産性の高さだった.このモデルは第二次世界大戦後多くのアジア諸国で採用されて成功している.
  • このモデルの長所は国民に実力主義を提供する一方で高齢者や労働生産性の低い労働者に1種のセーフティネットを提供できたことだが,短所は企業家精神が育ちにくくなったことだ.(高い貯蓄率自体企業家精神と相容れないリスク回避傾向であるかもしれない)

 

  • 第2部は収斂の20世紀.植民地支配の拡大と第二次世界大戦での過酷な敗北を経ながらも国家管理型の資本主義の制度は成功し続け,1980年代に日本の一人あたりGDPはアメリカの80%に達した.

 

  • 第3部は1990年代以降の均衡状態.日本型の経済モデルは限界に達し,生産性フロンティアの80%の水準にとどまるという定型的なパターンに落ち着いた.
  • 日本型のスーパーモデルはフロンティアの80%程度まで成長できる道を示したが,フロンティアに近づくと中央集権的産業活動監視体制,輸出操作,インフラへの過大投資などは効果的ではなくなった.
  • 経済面での根本的な問題は互いに手を組んで経済発展を阻害している利益集団の存在だ.利益集団の圧力を受ける政府は広範な規制権限を握っており,各地方間での制度面での競争も生じない.さらに90年代のバブル崩壊後の不況に対し,この問題を解決せずにケインズ的刺激策のみで対処したために債務バブルに陥っている.
  • 国債の増大は金利が低くても問題になるのだろうか.確かに低金利と高い民間の貯蓄率によって日本は現在まだ純債権者の立場にある(債務を国内でまかなえている).
  • しかし人口と貯蓄の長期的な変動パターンを推定して試算すると,今後20年程度はこの状態が安定的に保たれるが,その後の10年間で家計の純貯蓄はマイナスに転じ(つまり対外借り入れの必要が生じ),その時点で日本の純債務はGDPの400%を超えていると予測される.この状態で日本に投資する意欲がある外国の貸し手は存在しないだろう.
  • 不況に対するケインズ的な刺激策は,時間を稼いでその間に構造改革を進めるために使うなら意味があるだろう.しかし歴代の日本の政府は構造改革を約束しながらも様々な理由でその遂行に失敗している.我々は日本は維持できない国家債務を抱え,(特定利益集団のレントシーキングによる不均衡という)大国が衰退する一般的な道のりを歩んでいると考える.
  • 日本の状況は経済的不均衡は政治的停滞に原因があるという我々の説を裏付けている.日本が復活するには,企業家精神や革新を重視し,個人の失敗に寛容な制度を新しい形で構築しなければならない.

 
なかなか深い論考になっている.現時点での日本の債務はすべて国内で円建てでまかなわれており(つまり日本全体で見ればネットの借金はない),ユーロという非自国通貨建てで借金を行っているギリシアやイタリアとは全く異なる.原理的には財政刺激をさらに大きくして経済を成長軌道に乗せてから国債金利の動向を見ながら均衡を考えれば十分だということになる.(それすら財政均衡主義者が優勢な昨今の政治情勢では実行が難しい状況だが)
しかし人口動態を含んだ長期的視点に立てばいずれ民間貯蓄が純減していってその状態は永続しないというのが著者たちの主張だ.そして著者たちの議論によれば,本当に成長軌道に乗せるには構造改革が不可避であり,時間は(本書刊行後5年が経過しているので)15年ほどしかないということになる.
 

第9章 大英帝国の消滅

 

  • 英国は1880年には世界の覇権国だった.英国が覇権国になった原動力は産業革命を経てその経済が規模と技術水準の両面で比類ないレベルに達していたことだ.それは商人階級を下賤の民ではなく英雄的な人々として受け入れる文化的容認,そして統治,財産権,文化,商業,宗教,科学の面での自由化の実現によるものだ.
  • しかし英国は第二次世界大戦後数十年でその植民地帝国を失った.歴史家のニール・ファーガソンはこの衰退の原因は2度の世界大戦にかかる莫大なコストだったと論じた.
  • 我々はこのストーリーを疑問に思っている.データから見ると,英国は絶対的な意味では決して衰退していない.また人口の多い国が成長軌道に乗れば英国の(相対的な)力の衰退はある意味不可避な状況でもある.そしてその相対的な衰退は(戦争コストではなく)一般的な利益集団による損失回避や政治的停滞によっていると考えられる.
  • 植民地帝国が不均衡に陥った直接的最大の原因は,その人的資本政策,あるいは市民権の考え方にあった.英国政府は世界中の植民地の住民を市民ではなく被支配者として扱った.それがアメリカの独立につながったのだ.アメリカ植民地市民に英国市民と同等な市民権を与えて統合連邦政府を構成していれば(アダム・スミスはローマ帝国の例を引き,そうすべきだと強く主張していた),英国は未だに超大国だったかもしれない.
  • なぜ英国政府は議会に植民地代表を入れるようにしなかったのだろうか.それは(植民地議員に多数派を奪われることをおそれた議会議員と)大西洋貿易を独占していた商人たちの損失回避行動のためだっただろう.

 

第10章 ヨーロッパ 統一と多様性

 
第10章はEUの苦悩が描かれる.現在では移民問題の影に隠れているが,原書刊行当時大問題だったギリシア,そして南部諸国の財政問題がテーマになる.
 

  • ヨーロッパは2世紀にローマ帝国に,9世紀にカール大帝により統合されたことがあり,20世紀にもヒトラーによりその一歩手前までいったが,基本的には複数の政治主体に分裂し競い合ってきた.ヨーロッパ諸国間で繰り広げられる「永久的な戦争」は多くの人の懸念の対象だったが,片方で政治主体間の競争によりその相対的な経済力が高まり世界のリーダーになったとも考えられる.
  • (ナチスドイツの台頭は我々の説を反証しているように見えるかもしれないが)ナチズムの興隆の基礎にあった経済力はナチ台頭以前の制度の結果だ.ナチスドイツはユダヤ人を迫害し,中央集権的な統制経済(国家社会主義)を志向した.これは経済成長を阻害するものだ.ナチスドイツはそれまでに成長した民間企業の富を一気に吸い上げることにより一時的な繁栄を示したに過ぎない.
  • ソ連の計画経済は50年続いたが,やはり効率的ではなかった.自国民や近隣諸国の犠牲の上に無理矢理生産性を上げようとしたが,結局アメリカのフロンティアの50%水準にしか達することはできず,その後瓦解した.
  • 破局的な第二次世界大戦後,ヨーロッパは平和的な統一をめざす.フランス,ドイツ,英国の知識層はソ連の計画経済とアメリカの自由放任経済の中間にある穏健な中道の立場である「混合経済」を理想と考えた.しかしアメリカの経済は決してどこまでも野放図な自由放任ではないし,現実世界の制度はもっと複雑だ.
  • ヨーロッパは制度的には,独仏英ベネルクスの中心国,北部諸国,南部諸国,東欧という4つのブロックに分かれていて,経済は制度から決まる生産性水準にそれぞれ収斂している.
  • EUの経済統合は,多様性の低下による戦争の抑止と規模拡大による経済成長の促進をめざしたものだった.共通通貨の導入はブロック間の制度,そして経済モデルの差を無視したものだったが,導入後数年間市場はそれを評価し損ない,南部諸国も低い金利で借り入れが可能になった.投資家はイタリアやギリシアの国債とドイツの国債の安全性がほぼ同じと考えるべきではなかったのだ.これにより南部諸国の債務は増大した.(ギリシアの債務問題にどう対処すべきかについても議論されている)
  • 制度的には,共通通貨のもとでも各国政府が自国民の金融資産の没収権限を保持し続けていることが弱連結になっていると考えられる.この弱連結問題を解決した上で,各国の制度面での多様性を維持し,制度間の競争を促す体制を作るのが,現在の問題を解決するための経済成長を促す最良の道ではないかと考える.

 

第11章 カリフォルニア・ドリーム

 
第11章ではカリフォルニア州が採り上げられている.これはアメリカ全体の問題を考えるための予習という位置づけのようだ.
 

  • 米国の連邦制の下では各州は制度的な競争を行っていることになる.州政府は公共財の提供者で,納税者,消費者,労働者,企業,資本は自由に移動する.
  • カリフォルニア州は気候に恵まれ,ゴールドラッシュの後,映画産業,服飾産業,防衛産業,エレクトロニクス産業が次々に興隆した.ベンチャーキャピタルの集積地でもあり,人口も増え続けている.
  • カリフォルニア州の政治構造が転換したのは1992年だった.同州は保守からリベラルにイデオロギー的に変化し,共和党支持から民主党支持に転換した.そして累進的な課税,最高レベルの最低賃金,手厚い福祉,複雑な規制体系を持つ制度に急速に転回していった.そして2008年の不況以降カリフォルニアのあちこちで財政がコントロール不能になっていることが明らかになった.
  • 財政問題の中身を見ると赤字の最大の原因は人件費,特に年金であることがわかる.アメリカでは税法の影響で給与の増額より福利厚生の増額が好まれる.政府は民間企業に対しては規制の網を張ったが,地方自治体は規制の対象外で,公務員組合と自治体の交渉は時間選好と損失回避バイアスから年金の対象拡大と増額に突き進んだ.
  • 州政府の財政赤字は税収の非合理的な制限によっても悪化している.提案13号により固定資産税の増大は制限され,累進性の高い税制は不況期の税収を激減させる.さらに公務員は議員に対して極めて強い影響力を持っており,政治的なレントシーキングが横行している.これは歴史的にはローマ帝国の近衛軍団によく似ている.
  • 2000年の国勢調査後のゲリマンダー的選挙区割りで議員にとっては予備選の方が重要になり,思想的により極端になる方が有利になるため分極化も進んでいる.
  • 地方債の税制上の優遇措置も問題を悪化させる原因になっている.
  • カリフォルニア州の現状は,政治的制度の構造が拙劣だと経済管理の失敗というアリ地獄にはまりかねないことを示している.

 

第12章 米国に必要な長期的視野

 
第12章と第13章は現在のアメリカについて.ここはこれまでの分析を踏まえて深く考察するところで,著者たちにとってまさに最も強く主張したい結論章になる.
 

  • アメリカは果たして生き残れるのか.大国の衰亡の典型的パターン,つまり中央集権化,個人の自由の後退,レントシーキング集団の強大化を繰り返す運命から逃れられるのだろうか.
  • アメリカの最大の難題は中国などの外国ではない.この国の内部から政治制度の行動的機能的不全として発生している.その徴候は増大する財政赤字だ.連邦政府予算は財源のない将来的エンタイトルメントから生じる莫大な長期的債務に直面しており,政治過程は分極化している.

 

  • 憲法上,連邦政府は中央集権に対してはっきりと敵対的な構造になっている.しかしここ100年間で連邦政府の守備範囲は広がっている.政治的分極化は時間的視野を制限する力となることによりその近因となっていると考えるべきだ.
  • 1960年代にアメリカの議員たちの大半は中道だった.議員たちの分極化は1970年代に始まりどんどん進んでいる.現在では「穏健」は政治的美徳ではなくなっているらしい.
  • これがアメリカ国民の政治的分極化を反映しているだけだという主張は疑わしい.リサーチによるとアメリカでは支持政党のない人の割合が増えているし,中央集権化した政府を信頼しない傾向は不変で,妥協は支持され続けている.
  • 問題は政治家へのインセンティブにあるのだ.社会保障と医療費補助が増加し続けるなか,共和党民主党の議員が陥っている選挙のインセンティブ状況は囚人のジレンマゲームになっており,共和党議員は高い支出水準の維持を受け入れ,民主党議員は低税率を受け入れるという財政不均衡解がナッシュ均衡になっている.もう1つの問題は1970年代になされた選挙資金関連の制度改革だ.分割投票の不合理を減らそうと政治資金に関する独占的権限を政党に与えたことが議員たちには短期的視点に立つ分極化した姿勢を打ち出すインセンティブとして作用した.
  • 我々はアメリカに真の自由選挙による政府が成立すれば,新たな政治的連携により長期的な視野を持つ行動(つまり財政均衡へ向けた動き)が可能になると信じる.

 

第13章 米国を改革する

 

  • アメリカの現在の経済的混乱に対処するためには,まず「良い政府」を想定するのは不可能であることを認識しなければならない.「民主主義硬化症」に対して一連の経済的手段で対処していかなければならないのだ.
  • 歴史から学ぶべき教訓は,「何事も必然ではない」「ヒトはどこでも同じであり,商業,企業,技術へのインセンティブを生む制度を確立すればどこでも経済成長は加速する」「脅威は内部の政治過程から生まれる不均衡だ」「無知は究極の限定であり,改革のためは制度の重要性を理解しなければならない」「不均衡を生むのは派閥だが,政府が最も危険な派閥になる」「派閥の行動で特に危険なのは損失回避バイアスから来る現状維持の要求だ」「規模の過小化(閉鎖性)は過大化よりも脅威になる」だ.
  • 最適な政策は財政赤字をなくすこと自体を目的にするものではなく経済成長を最大化するものだ.アメリカの成長を加速するには,税法を改革して投資主導型の経済成長を促すこと,50州間,対外国のアイデア,資本,労働の流れを自由にすること,進取的な起業をはばむ規制を緩和することが重要だ.
  • 財政にかかる政治過程の変革は中央集権化ではなく,政治家への歪んだインセンティブを正す民主制の構築によるべきだ.またイデオロギー色のない長期的スパンの財政均衡憲法条項も考慮に値する. 
  • アメリカは世界でも前例のないほど優れた経済制度のおかげで生産性フロンティアを超えて成長を続けている.政治を正すことによりなお昇りゆく太陽であり続けることができるだろう.

 
 
本書は歴史上様々な帝国の没落事例を集めて,その原因が権力を握った派閥による現状維持バイアスに乗ったレントシーキングのために生じる経済的不均衡が成長を阻害することであることを強く主張し,アメリカがその轍を踏まないためにどうすべきかが書かれた本になる.経済成長における制度の重要性が各所で強調されている.そして何が問題かについては,財政赤字自体ではなく,その背後にあるレントシーキングによる成長阻害であるということが著者たちの力点ということになる.
歴史の分析部分においてはレントシーキングのみに焦点を当てすぎているような印象もあるが,それぞれの没落事例で少なくとも要因の一部であっただろうという意味では説得的だ.現在先進国の中で最も低成長に苦しんでいる日本にとってもいろいろ示唆の多い本だと思う.

 
関連書籍

原書

Balance: The Economics of Great Powers from Ancient Rome to Modern America (English Edition)

Balance: The Economics of Great Powers from Ancient Rome to Modern America (English Edition)

  • 作者:Glenn Hubbard,Tim Kane
  • 出版社/メーカー: Simon & Schuster
  • 発売日: 2013/05/21
  • メディア: Kindle版


アセモグルとロビンソンによる繁栄の要因としての制度を論じる本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20130713/1373673131

ポール・ケネディによる帝国の衰亡原因についての本.

決定版 大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈上巻〉

決定版 大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈上巻〉

決定版 大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈下巻〉

決定版 大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争〈下巻〉


パーキンスによる「ローマ帝国が衰亡せずに緩やかに中世に移り変わった」という見解をデータに基づいて否定する本.

ローマ帝国の崩壊: 文明が終わるということ

ローマ帝国の崩壊: 文明が終わるということ