書評 「自由の命運」

 
本書は「国家はなぜ衰退するのか」で大国の興亡と制度の問題を論じたダロン・アセモグルとジェイムズ・ロビンソンによるそのテーマの考察をさらに深めた本になる.アセモグルとロビンソンは前著において,持続的経済成長が可能かどうかは政治・経済制度が包括的か収奪的かで決まるとした.しかし包括的制度がどのようにもたらされるかについては,収奪的制度下では創造的破壊が抑えられる傾向があるので収奪→包括の移行は難しいこと,しかしそれは不可能ではなく歴史的に何度か生じており,移行には多元的権力の成立が重要であるという要素はあるものの基本的には歴史的偶然の要因が大きいとしか説明していなかった(そして様々な具体例を見ていくのが前著の基本になっている).本書はそこをさらに詰めて考えていることになる.原題は「The Narrow Corridor: States, Societies, and the Fate of Liberty」.この「狭い回廊」というのは包括的制度に向かう歴史的な経路が狭隘であることを意味している.
 
序章では本書のフレームが解説されている.前著で「包括的」とされていたことの本質として「自由」を前面に出し,それがいかに獲得されたかという視点をとることが宣言される.そしてその考察の結果がまずまとめられている.

  • 自由はアナーキー(無政府状態)からは生まれない.権力の抑制と均衡からだけでも生まれない.自由は国家やエリート層によって与えられるのではなく,一般の人々つまり社会によって獲得されるものだ.
  • 自由が生まれ栄えるためには国家と社会がともに強くなければならない.どちらも無ければアナーキーの混乱(不在のリヴァイアサンに陥り,バランスが崩れると専制抑圧的な国家(専横のリヴァイアサン)や抑圧的な慣習を持つ社会(規範の檻)になる,自由が実現するバランス良くどちらも強い状態(足枷のリヴァイアサン)になるためには長いプロセスが必要になる,自由に至る道は扉ではなく狭い回廊なのだ.

このフレームを示す図が以下のようなものになる.この真ん中の細い部分が「狭い回廊」ということになる.前著では制度は収奪と包括の2種類のみで,この図にあるアナーキー状態は収奪的に分類されており,規範の檻については考慮されていなかった.ここはかなり概念的に分析が進んだということになるだろう.

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第1章ではまず様々な国家の状態を具体的に見ていく.まずアナーキー状態.ナイジェリアのラゴス地方のすさまじい様子が描写され,これがホッブスのいう原初状態に近く,人々は様々な暴力的集団に支配されている.ホッブスはここから抜け出すためにはリヴァイアサン,中央集権国家が必要になると論じた.しかしリヴァイアサンが生まれればすべてうまくいくわけではない.そして専横のリヴァイアサンの例としてナチスの第三帝国,毛沢東の共産主義中国,規範の檻の例として西アフリカの部族社会の例を上げて解説している.そして最後に社会に対して説明責任を持つ足枷のリヴァイアサンとしてアメリカ合衆国の例をあげる.そしてこれらがどのように生まれるのか(あるいは生まれないのか)が本書の残りの部分になる.

第2章は先ほど示したフレームの理論的説明になる.冒頭では(前著で持ち出した名誉革命やフランス革命ではなく)古代アテナイが規範の檻から足枷のリヴァイアサンに移行した過程を追っている.そこでは法の下の平等と民衆の政治参加が鍵になる.そして著者たちはここで「国家が足枷のリヴァイアサンとして強力になるためには,社会も共に強力にならなければならない.そうでなければ国家の経路は容易に専横のリヴァイアサンや不在のリヴァイアサンに逸れる」と主張し,この経路に至るために国家建設者たちが強力な国家を要求すること,そしてその強力な力に対抗するための社会的動員が国家の力と均衡することがさらに重要であることを解説している.(この両者が共に力を付けて高め合う様子を著者たちは「赤の女王」効果と呼んでいる) ここからいくつかのケースがこのフレームに沿って解説される.

  • 古代アテナイでは社会の力が国家の力の成長に対抗して強くなった.それはソロンの改革による債務奴隷制の廃止からクレイステネスの陶片追放制の導入として理解できる
  • ナイジェリアのティヴ社会では強力な国家の要求が(儀式や魔術の実践に裏付けさえる規範はスケールアップが困難だったこと,権力が1つのクランによる支配という形をとりやすいことから)なされなかったために足枷のリヴァイアサンへの移行が生じなかった.
  • アメリカでは足枷のリヴァイアサンが実現したが,それは建国の父祖たちによる強力な連邦政府を作りたいという願いと,それをどう抑制するかの工夫の末にできたものだ.具体的には連邦主義と州権主義の相克,奴隷制をめぐる南部と北部の対立,公民権拡大運動などがいくつもの衝突と妥協を繰り返して整備されたものだ.アメリカの社会の力はアメリカが元々小規模自作農の社会であり政治的野心を育む土壌があったことにその基礎がある.
  • レバノンは社会が国家を全く信用していないことによる不在のリヴァイアサンの例だ.建国時の妥協の末の宗教間協約が権力の主体を個々の共同体にとどめた結果,国家は極端にまで弱くなった.

最後に著者たちはこのフレームから導き出される結果として,制度の経路依存性が予測できること,政治主体の行動によって経路は変更可能であること,自由を単純に設計することはできず,厄介なプロセスが必要になること,経路依存性から制度の多様性が生まれること,最強の国家は(専横からではなく)社会との均衡の中で生まれることを挙げ,そして繁栄のためには国家と社会の繊細な均衡が必要であることをもう一度強調している.
 
 
第3章から第8章ではこのフレームを前提にした大きな歴史を扱うケーススタディが収められている.本書の読みどころだろう.私的にも大変興味深かったところなので,やや詳しく紹介しておこう.

  • 規範の檻の「権力を抑制しようとする力」を打ち破って国家を創造するためにはなんらかの強みが必要になる.イスラム帝国の場合それは宗教的権威だった.ムハンマド以前のアラビアはクラン支配による規範の檻の世界だった.交易が盛んになり檻が緩み始めた頃にムハンマドが登場し,クランを越えた共同体と個人主義を戒める規範を提示した.メッカを追われたムハンマドはメディナからクラン間抗争問題の調停者として招かれ,宗教的権威と裁判権限を持つ中央集権的政体を築き,そこから「聖戦」により支配領域を拡大することができた.南アフリカのズールーランドの場合にはシャカによる血縁クランを越えた軍隊組織が規範の檻を打ち破る力になった.ハワイのカメハメハ大王は西洋からの軍事技術の導入を背景に規範の檻を打ち破った.これらの社会はその後足枷のリヴァイアサンに移行しなかった.アテナイとの違いは,アテナイのような民衆によるなんらかの権力抑制の正式な制度がなかったこと,そしてソロンと違って専制君主たちが権力の拡大をめざし,社会の力を抑えようとしたことだ.国家建設が一旦軌道に乗ったあとにはそのプロセスを養成できる規範や制度が社会になければ回廊は出現しないのだ.
  • 規範の檻が非常に強い社会は人々の社会的選択,経済的選択を束縛する.紛争を抑制する平等主義は余剰生産物を共同体に取り上げるため,そこに勤労の意味はなく,終わりなき飢餓に直面する.(ティブとトンガの例が分析されている)
  • イスラム帝国の成り行きを見ると,専横のリヴァイアサンの場合建国当初は法制度による紛争解決の恩恵が経済を活性化させるが,権力が専横的になって行くにつれて,新税のひっきりなしの導入,徴税請負制,支配者自身のビジネス進出(とそれを守るための規制)によって活力が失われていくことがわかる.これは専横的成長とその限界をよく示している.イノベーションには創造性が必要でそれには自由が必要なのだ.(著者たちはこれをある種のラッファーカーブだとしている)(ズールーランドとハワイの成り行きについても分析がある)
  • シュワルナゼのジョージアは専横的成長を飛ばして「たかり」に入った例と考えられる.シュワルナゼは普通の専制君主に比べてはるかに弱い立場だった.権力を奪われないために有力勢力を賄賂で懐柔する必要があったのだ.
  • 足枷のリヴァイアサンに移行できた良い例は北イタリアのコムーネだ.これは司教や教会や領主の権威に対抗して市民が構築した様々な形態の共和制的自治組織になる.その特徴は市政を一定機関運営する執政官が市民によって選ばれている点だ.さらに執政官を抑制するためのポデスタが置かれることも興味深いところだ.この職には外部の人間がつく必要があった.この体制は法の下の平等を可能にし,幅広いインセンティブと経済的機会を提供した.(通商,金融のイノベーションの例が解説されている)それは技術的向上と(階級制度の弱体化を含む)社会的流動性をもたらした.経済的繁栄のためには足枷だけでなく,社会の政治参加と法の下の平等という経済制度を支える力を持てるようにすること,規範の檻を弱めて自由を拡大することも重要なのだ.(ここでは古代メキシコのオアハカ盆地のトルティーヤの発明のケースも取り上げられていて面白い)
  • アテナイもオアハカ盆地も足枷のリヴァイアサンは長続きしなかった.長続きしたのは西欧と北欧だけだ.なぜここだけなのか.その理由は1500年前の歴史的偶然の上にある.それはその地域が5世紀末以降に集会と合意的意思決定に規範の基礎を置く部族社会(フランク族をはじめとするゲルマンの伝統)によって支配されたこと,ローマ帝国とキリスト教の制度と政治階層の要素がローマ帝国の崩壊後も残存したことだ.ゲルマンの集会政治は強い参加型の統治形態であり,国王の権力でさえ絶対的なものでも恣意的なものでもなかった.この参加型の政治がローマ帝国由来の精巧な法制度の中で機能する大規模な官僚制の上に乗ったのだ
  • クローヴィスはキリスト教を受け入れて教会の位階制を後ろ盾にし,参加型政治と官僚制という2枚の刃を組み合わせた.これによりメロヴィング朝は回廊の入り口にたどりついた.サリカ法典はローマ法よりもアテナイでソロンの試みた既存の規範の成文化と強化に近かったが,法律による紛争解決が取り入れられ,ローマ法の要素が組み入れれた.
  • イングランドは最もローマ帝国が完全に崩壊した地域だった.ゲルマンの侵入と混乱ののち8世紀にはノーザンブリア,マーシア,イーストアングリア,ウェセックスの4王国が並立した.この王国はゲルマンの部族社会的に統治されていた.その後デーン人との抗争を経てウェセックス王アルフレッドがイングランドを統一する.その過程で議会が成立し,王は法の制約を受けるという考え方が定着した.アルフレッドの法典は大陸ヨーロッパの影響を受けており,中央集権国家権力への移行を象徴すると共に法の下の紛争解決を図るものになっている.11世紀にノルマンからやってきた征服王ウィリアムはそれ以前からの足枷を再確認せざるを得なかった.集会が深く根付いた環境では社会を政治から排除することは困難なのだ.その後法律は少しずつ変遷し血縁的関係は解体されていった.ヘンリー2世は十字軍国家支援増税のため,王政の力を高める見返りに社会の政治参加の強化(特に陪審裁判と判例法主義の確立)を認めた.これにより支配者が恣意的な法を押しつけることは難しくなり,国家と社会の力の赤の女王効果が発動し始めた.13世紀にはマグナ・カルタが制定され,同意なき課税がないこと,国王が法と制度に制約されることが確認された.注目すべきはマグナ・カルタは農奴も保護し,法の下の平等を押し進めていることだ.議会もより強力になり,封建制度は崩壊していった.イングランドではあらゆるレベルの市民の政治参加が活発化していった.地方共同体は不平を言うだけでなく政策を主導するようになる.これらが18世紀の名誉革命の土台になり,さらに19世紀の選挙権拡大,公務員採用制度,社会保障制度の創設につながる.女性差別の問題も19世紀から動きが始まり20世紀の改革につながる(詳細が説明されている).そしてこのような赤の女王効果による経済的機会の創設,自由の拡大に伴うイノベーションの増大が産業革命に直結した.
  • このようなマグナ・カルタ的憲章と議会はイングランドだけでなく多くのヨーロッパの国で見られるようになる.しかし例外もある.アイスランドは血讐の地にとどまった.ビザンチン帝国は参加型政治を持たず国家がビジネスに進出し専横的体制に傾斜した.
  • 中国:春秋時代の法家は全能の統治者による法により,儒教は統治者の徳によりリヴァイアサンを創り出すことをめざしたが,いずれも市民の政治参加は考えていなかった,秦による統一は専横のリヴァイアサンとして結実した.その後の中国の歴史は,法家と儒教の間の揺れ動きのみであり,市民の政治参加は実現しないまま現在に至り,片方で血縁集団は中国の社会で主要な役割を果たし続けている.専横的な政治体制は成長の限界を常に抱えていた.(漢から清までの各王朝,そして中華人民共和国の専横の本質,法家と儒教のスペクトラムの間の揺れ動き*1が概説されている.中国については前著と同じくその将来について専横のリヴァイアサン(収奪的制度)の限界からは逃れられないだろうと否定的だ.)
  • インド:インドにおいてはカースト制という規範の檻が圧倒的に重要な要素になる.市民の政治参加の歴史があったにもかかわらず,カースト制により社会は中で分断され,組織化して国家を監視することができず,赤の女王の力学は働かなかった.(インドの歴史についてもカースト制との絡みで概説されている)侵略政権であったムガル帝国は,カースト制社会の上に徴税請負制を敷いて専横のリヴァイアサンを作り上げた.

 
 
第9章から第14章は近現代を中心としたより細かなケーススタディになる.扱われるのはヨーロッパ諸国の成り行きの違い,アメリカのたどったうねるような歴史,南米などに見られる国家が機能していない「張り子のリヴァイアサン*2」,サウジアラビアの規範の檻と専横という最悪の組合せへの道,ワイマール共和国からナチス第三帝国への転落,チリの民主制から独裁への移行,コムーネの終焉,南アフリカのアパルトヘイトから民主制への移行,第二次世界大戦後の日本の民主化,トルコの民主化チャンスの逸失などになる.これらの個別ケーススタディではそれぞれ概念図のどの位置からどの位置へ動いたのか,それはなぜか,歴史環境条件が回廊の形と大きさにどう影響するのかを説明しながら行われている.ここは歴史というより現代政治の視点からの問題意識がより明確に立ち上がっており,詳細がことさら面白い.
 
 
最終第15章は民衆の政治参加の重要性をもう一度強調する章になっている.社会主義の優越を憂いたハイエクの誤りを指摘し,民主主義の進展と国家の力の増大は同時に起こること,民衆の政治参加は自由市場の欠点を補う制度構築力としても重要であること,ワイマール共和国の失敗の教訓などを交えて何度も強調を繰り返す章になっている.
 
 
本書は前著の包括的制度が可能になる条件として民衆の政治参加,それと国家のリヴァイアサンとしての能力が互いに強め合う経路をとることを挙げ,それを数多くのケーススタディで見ていくものになる.特に継続的な足枷のリヴァイアサンの実現にはそれが欠かせないのだと力説している.私の感想もまとめておこう.

  • 長期的な経済的繁栄のためには国家の力と共に成長する民衆の政治参加が重要だというのは著者たちのリベラル的な心情が反映されたイデオロギー的主張である可能性もあるが,豊富な実例を見ると説得力のある指摘だと感じられる.そしてその実現に至る経路は「狭い回廊」であり,必然的ではないというのにも納得させられる
  • 西ヨーロッパで可能になった政治参加の伝統としてゲルマンの部族社会の政治のあり方が特に強調されている.しかしここは古代ギリシアのポリス以来の民会と任期付き執政官という制度的伝統も大きいのではないかと感じられる.特にコムーネはそういう面が強い例ではないか.古代ローマを語る歴史書にはオキシデント(西洋)とオリエントの違いとしてポリス的政治制と専制君主制に注目するものがよく出てくる.この古代ポリスとゲルマン部族社会の政治参加の伝統が合わさって西欧に特有の(決闘裁判などの)自力救済を是とする法的政治的伝統を作ったのではないだろうか.
  • 日本については前著は明治維新で包括的制度に移行したとされていたが,今回は戦前の専横的リヴァイアサンから戦後の足枷のリヴァイアサンへの移行を扱っている.そこではアメリカ進駐軍の意向による国家の力として岸信介に代表される戦前のエリート官僚と民衆の政治参加として戦後のリベラル思想の連合がうまく狭い回廊への入り口になったのだという解説がある.アナーキーにならないように戦前の官僚機構を残存させたのは確かに大きいだろう.しかし民衆の政治参加の力についてはそれがどこからもたらされたかについて曖昧だ.ヨーロッパのようにうまく説明できないということかもしれないがここは物足りない.これは韓国や台湾の今後の成り行きについても大きな示唆を与えるところであり,著者たちの説明の弱点であるのかもしれない.
  • 第9章以降の近現代のケーススタディにおいては特に自分たちのフレームの中でどう解釈できるかという構図から解説しており,統一感を持って読める.ただそれはある意味後付け解釈的でもある.実際の読後感としては,この理論的枠組みへの当てはめよりも,個々の詳細条件の違い,偶然の出来事に一国の運命が大きく左右される態様の方がことさら印象的に感じられる.

 
全体を通してみると著述の流れは必ずしも良くないが,一つ一つの歴史物語に迫力があって面白い.歴史好きの人には堪えられない一冊だろう.


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原書



アセモグルとロビンソンの前著.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20130713/1373673131


同原書



 

*1:毛沢東は法家的,鄧小平は儒教的という解説になっている

*2:不在のリヴァイアサンとは異なって形式上国家はあるが機能していない状態を指している.