書評 「人類の祖先はヨーロッパで進化した」

 
題名だけから見るとサピエンスアフリカ起源説への異説本のような印象だが,そうではない.本書は中新世の類人猿の専門家であるデイヴィッド・ビガンによる(チンパンジーとヒトとの共通祖先より前の段階についての)類人猿の進化仮説を扱った本になる.本書の中心となる主張は「中新世の1700万年前からヨーロッパで繁栄していた類人猿が寒冷化・乾燥化を受けて1000万年前頃にアフリカに移動したものがアフリカ類人猿(ゴリラ,チンパンジー,ボノボ,ヒト)の祖先であり,そこから人類も生まれた」というものであり,「アフリカ類人猿は中新世からずっとアフリカで進化したもので,ヨーロッパの中新世の類人猿はアフリカから移動し子孫を残さずに絶滅した側枝である」という通説と対立している.本書は丁寧に類人猿化石を紹介しながらその主張の是非を読者に問いかけるものになる.原題は「The Real Planet of Apes」
 
アフリカ類人猿がどの類人猿から進化したものかという問題については謎が多い.中新世にはアフリカ,ヨーロッパ,アジアで多数の類人猿の化石が出土している.しかし(シヴァピテクス類がオランウータンの祖先であることにはほぼ異論がないが)アフリカ類人猿の祖先はどの類人猿かについては定説がないというのが私の理解だった.以前読んだボイドとシルクの「ヒトはどのように進化してきたか」においては人類祖先の系統進化を最古の霊長類からヒトまで258ページにわたって記述しているが,中新世の類人猿についてはわずか10ページの扱いで,この問題については「最初の人類が中新世のどの類人猿から進化したかについては全く定かでない」と素っ気なく記されているのみだ.本書はそのあたりについての詳しい議論が収められた本になる.
 
冒頭に日本語版で追加された馬場悠夫による基礎知識の解説があるのは大変嬉しい工夫だ.そこからの本書のストーリーラインは以下のようなものだ.

  • 漸新世3000万年前頃から狭鼻猿類が進化し,中新世前期にはそこから類人猿が進化した.これはアフリカで生じた.
  • 中新世中期1700万年前頃から類人猿は旧世界に拡大し,席捲する(著者はこれをThe Real Planet of Apesと呼び,本書の原題となっている.なおこの栄華は旧世界ザルが進化した後に劣勢になり長期低落傾向を迎える).
  • アジアとヨーロッパの中新世中期から後期にかけた地層から多様な類人猿化石が出土する.中新世のアジアの類人猿はその後のオランウータンとテナガザルにつながるものということで異論はない.ヨーロッパではドリオピテクスなどアフリカ類人猿といくつかの特徴を共有する類人猿が進化した.しかしアフリカでは1250万年前から1000万年前にかけて類人猿化石の空白期間がある.またヨーロッパでは500万年前以降類人猿化石は出土しなくなる・
  • 通説はこの空白期間は単に化石が見つからないだけで(あるいはいくつかの化石の候補を挙げて)アフリカ類人猿はアフリカで進化したのだと主張する.しかしこの空白期間において森林環境の哺乳類化石の生態系全体を見ると類人猿は実際にいなかったのではないかと思われる.
  • ヨーロッパの中新世,亜熱帯気候に適応したドリオピテクス類が乾燥化・寒冷化によってヨーロッパでは絶滅し,アフリカに移動してのちのアフリカ類人猿に進化したと考えるのが最も説得的なシナリオ(最尤仮説)になる.

 
そしてこのストーリーラインに沿って個別の化石の説明が詳細になされ,その解釈が書かれている.その中で著者は自身の回想や関連トピックについて自由気ままに脱線しながら著述を進めている.なかなか楽しい構成だ.ここでは私が興味深いと感じたところを中心に本書の流れを紹介しよう.

  • 旧世界ザルと比較した場合の類人猿の特徴は脳の大きさ(高い知能),より直立した体幹,長い腕と短い脚,肩の可動域の広さ,無尾になる.分岐年代は3800〜3100万年前とされている.共通祖先に近い化石としてはエジプトピテクスがある.
  • 最古の類人猿化石の候補は2600万年前のカモヤピテクスになる.初期類人猿化石でよく研究されているのはプロコンスル(2000〜1700万年前)とその近縁種のエケンボになる.これらはいずれもアフリカで出土している.プロコンスルはテナガザルを含めた現生類人猿の共通祖先である可能性が高い.エケンボはケニアとウガンダで多数出土しており,ほぼすべての骨がそろっている.そしておそらく無尾であったと思われる.(霊長類は尾が短いほど握力が強くなる傾向がある.著者は尾の喪失と手のコントロール能力発達に因果関係があると考えている)またエケンボは木登りはうまかったがまだブラキエーションには適応していなかったと思われる.
  • アフリカでは時代が下るにつれてモロトピテクス,アフロピテクスなどが出土するようになる.彼等はアフリカで適応放散したようだ.モロトピテクス(2000万年前:ウガンダ)はブラキエーションに適応していた.(著者は自説との整合性から,このブラキエーションへの適応は現生アフリカ類人猿のブラキエーションとは独立に進化したもので,収斂だと考えている)
  • アフロピテクス(1750〜1700万年前:ケニア)は顎や歯からみて堅果食者であり,成長が遅く長い幼児期(そしてより多い学習機会)を持っていたようだ.このような特徴によりこの仲間は出アフリカを果たしユーラシアに広がっていったと思われる.近縁と思われるヘリオピテクスがサウジアラビアから出土している.
  • ヨーロッパの最初の類人猿化石はグリフォピテクス(1750〜1400万年前:サウジアラビア,トルコ,ドイツ,スロヴァキア)になる.アフロピテクスよりさらに頑丈な顎と大臼歯を持ち,アフリカ類人猿の基本的な形態を持っている.時に森を出て手の平をついて歩行していたと思われる.ヨーロッパの類人猿化石はパラテチス海の海岸沿いや湖の周りに集中している.
  • グリフォピテクス類はヨーロッパで大いに栄えたあと1500万年前ごろにアフリカに現れる(ナチョラピテクス,エクアトリウス,ケニアピテクス,オタヴィピテクスなど).エクアトリウスもケニアピテクスも樹上性の傾向の高い特殊化していない類人猿のように思われる.ナチョラピテクスは興味深い特徴を併せ持つ謎多き化石になる.(これらの化石について著者はグリフォピテクス類と考え,人類祖先に直接つながらない側系統グループであり,懸垂性を示していないとしている)
  • 1250万年前から1000万年前までアフリカでは類人猿化石が出なくなる,その一方でアジアとヨーロッパでは1250万年前から700万年前までそれまでの類人猿と大きく異なる類人猿化石が豊富に出土する.人類につながるアフリカ類人猿はこの時期ヨーロッパで栄えた類人猿を祖先に持つと考えられる(著者独自説).ダーウィンは「人間の由来」で人類アフリカ起源説を示唆したすぐあとの段落で「ラルテが発見したドリオピテクス」がヨーロッパにいたことに注意を促して慎重に留保しているが,極めて先見の明があったように感じられる.
  • アジアの化石類人猿の歴史と研究史は複雑だ.19世紀以降様々な化石が発掘され,人類の直接の祖先であるという憶測と共に様々に命名された.現在ではほとんどのアジアの類人猿化石はオランウータンの祖先であると認められている(中国から出土するルーフォンピテクスについては謎であるとされている).特によく研究されているのはシヴァピテクス(1050〜850万年前:インド)でナックルウォーキングをし(著者はアフリカ類人猿のナックルウォーキングとは収斂だと考えている),ゆっくり成長し,大きな脳を持っていた.かつてラマピテクスとされていたものはシヴァピテクスのメスだと考えられる.650万年前にはシヴァピテクスから巨大なギガントピテクスが進化した.ギガントピテクスは高い大臼歯を持っており,そこには植物オパールが埋まっている.草か竹を食べていたようだ.(ギガントピテクスの化石はほとんどが中国の薬屋で竜骨として売られていた歯の化石であり,それ以外の骨はごくわずかしか出ていない).
  • アフリカの空白期間にヨーロッパの緑濃い亜熱帯林にドリオピテクスが現れた(1250〜1200万年前).これは大型類人猿としてはヨーロッパ最古のものになる.樹上で暮らし,懸垂して移動した.(なぜドリオピテクスがアフリカ類人猿の直接の祖先だと考えられるのかについての解剖学的詳細が詳しく記述されている)
  • ヨーロッパでドリオピテクスはいくつかの属に進化した.スペインのヒスパノピテクス,ハンガリーのルダピテクス,ギリシアのウーラノピテクスだ.(それぞれの解剖学的特徴が詳しく解説されている) ルダピテクスはチンパンジー並みの脳を持ち,ウーラノピテクスはアウストラロピテクスとよく似た特徴を多数持っている(著者はウーラノピテクスが疎林に進出したための収斂だと解釈している).また島嶼で進化したオレオピテクスは小型になり葉食者になった.これは現代のナマケモノのニッチに近い.中新世後期前半までヨーロッパで類人猿は大いに栄えたが,その後900万年前頃から始まる寒冷化・乾燥化によりその大半は絶滅した.そして一部が亜熱帯の生態系を求めてアフリカに渡ったと考えられる.
  • 空白期間の前後にいくつかの類人猿化石がアフリカで見つかっている.通説はこちらがアフリカ類人猿の祖先であり,ヨーロッパ類人猿は側枝だとする.しかしこれらの化石はいずれもごくわずかな骨や歯のみで,アフリカ類人猿の祖先だと断定できるものではない(ナカリピテクス,チョローラピテクス,サンブルピテクスについて詳しく解説されている).1200万年前から700万年前にかけてのアフリカの化石サイトでは豊富な哺乳類化石が出土するが,類人猿化石はごくわずかだ.同時期のヨーロッパの豊富な類人猿化石と対照的であり,ここから導き出される最もありそうな仮説はアフリカ類人猿は1200〜1000万年前のヨーロッパ類人猿起源だというものだ.

 
この類人猿ストーリーのあとに(ヒトとのつながりについてもコメントしておくという趣旨だろうと思われるが)初期人類化石(サヘラントロプス,オロリン,アルディピテクス)についての著者の見解,アフリカ類人猿の諸特徴のうち,体幹の直立とブラキエーション,ナックルウォーキング,直立歩行の起源などについてのコメントが収録されている.
 
本書は中新世類人猿の専門家による解説で,いろいろと詳細が楽しい.私自身知らないことばかりで大変興味深かった.肝心のアフリカ類人猿ヨーロッパ起源仮説について,著者は得られた証拠からの最尤推定だと力説しているが,私の感想は,確かに最尤推定かもしれないが挙げられている様々な特徴はそれが共有祖先形質なのか単なる収斂なのかの見極めは困難で,まだまだ決定的ではないだろうというものだ.著者も本書で強調しているが,新たなる証拠と研究が望まれるということだと思う.
 
 
関連書籍
 
原著

 
ボイドとシルクによる人類進化の教科書.この第3部に初期霊長類からヒトまでの進化史が解説されている.現在では版元「品切れ,重版未定」ステイタスで入手困難になっているようだ.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20150715/1436957572