Language, Cognition, and Human Nature その87

第8論文 「なぜ氏か育ちかという問題は決して消え去ったりしないのか」 その1

 
Why Nature and Nurture Won’t Go Away  Daedalus 133(4): 5-17. (2004)
 
3年ほど間が空いてしまったが,ピンカーの自撰論文集に戻ろう.第7論文は動詞の規則性と不規則性をテーマにしてヒトの概念の性質を扱った言語学と認知科学の架け橋のような論文だったが,第8論文は真正面からヒトの本性を扱うものになる.冒頭のエッセイは非常に短い.
 

エッセイ

 

  • この論文はアメリカ芸術科学アカデミーの会報*1に載ったものだ.ここではこの論文に先立つ著書「The Blank Slate: The Modern Denial of Human Nature(邦題:人間の本性を考える)」のメインテーマを提示し,さらにこの著書に寄せられたいくつかの批判に答えている.
  • ここでは私が「全体論的相互主義(holistic interactionism)」と呼ぶ態度を問題にしている.これは生まれと育ちは密接不可分に互いに絡み合っており,それを解きほどこうとすること(特に生得的な動機と,環境との間で相互作用する学習メカニズムを分けようとすること)はあまりにも粗野で不作法だという立場だ.
  • 科学者を含む多くのコメンテイターはこの全体論的相互主義について氏か育ちか論争を理解する繊細な手法だと褒めそやしているが,私はそれはごまかしだと考えている.それは基本的な科学的な問題について,それがモラルや感情や政治に関係するからといって避けようとする態度に外ならない.

 
というわけで本論文はピンカーの「The Blank Slate: The Modern Denial of Human Nature(邦題:人間の本性を考える)」のテーマについてさらに掘り下げて批判に答えるものということになる.
 
ピンカーの「The Blank Slate」
 
私が読んだのは2002年のこのハードカバー.
 

The Blank Slate: The Denial of Human Nature and Modern Intellectual Life

The Blank Slate: The Denial of Human Nature and Modern Intellectual Life

  • 作者:Pinker, Steven
  • 発売日: 2002/09/01
  • メディア: ハードカバー
 
現在ではもちろんKindle化されている.これは2016年版で,新しくafterwordsが収録されている.いま見ると470円のセールになっていたので,ついポチッとしてしまった.

 
早速その2016年版あとがきを読んでみると,この本の出版以来の様々な論争の成り行きや研究の進展がテーマごとに整理されていてなかなか参考になる.またこのあとがきでは本論文も取り上げられている.何かヤバそうなことの遺伝性について問われた科学者はややこしい政治問題にされるのを恐れて「生まれと育ちは複雑に絡んでいるので,その影響を分離して分析はできない」といって逃げがちなのだそうだ.しかし複雑な相互作用をほどくのは科学のタスクだとピンカーは指摘し,この論文を書いたということになる.



なお本書の邦訳はこちら.まだ電子化されていない.

*1:会報名がダイダロスというのはなかなかスノビッシュでいかにもアメリカ東海岸のアカデミーの会報という感じだ