スティーヴン・スターンズの「老化の進化」

スティーヴン・スターンズが老化の進化に関する講義をオンラインで公開している.


[Stephen Stearns] The Evolution of Aging, the Great Transition, and the Increasing Risk of Chroni...

 
スターンズは生活史などの進化生態を扱う進化生物学者で,ごく初期に進化医学にかかる専門書を出したことで知られる.私もまずウィリアムズとネシーの「Why We Get Sick」を読んだあとスターンズの「Evolution in Health and Disease」食い入るように読んだものだ.

Evolution in Health and Disease

Evolution in Health and Disease

  • 発売日: 1998/12/17
  • メディア: ペーパーバック
The Evolution of Life Histories

The Evolution of Life Histories

A Primer of Evolutionary Medicine

A Primer of Evolutionary Medicine

 
老化の進化,つまり「なぜ生物は寿命を持つように進化するのか,不老不死の方が有利ではないのか?」はハミルトン,メダワー,ウィリアムズなど多くの著名な進化生物学者が取り組んだテーマだ.スターンズの講義は見逃せない.
 

スターンズの講義「老化の進化:大転換と慢性病リスクの増大」

  • 私はこの考えを30~40年かけて発展させてきた.今日は以下の4点について話したい.
  1. なぜ老いるのか
  2. 大転換:死亡,繁殖,栄養,衛生の変化
  3. 対立形質の多面発現と非感染疾病のリスクの変化
  4. 長寿に進化できるか,その場合のリスク

 

大転換

 

  • 人生を形作る事件は,誕生,子ども時代,青春時代,成熟,大人時代,老化,死と続く.これらは全て進化により形作られている.
  • 18世紀以降,これが大きく変化している.私はこれを「大転換」と呼んでいる.
  • 大転換には3つの要素がある.
  1. 産業革命:18世紀の英国から始まり,現在多くの国に行き渡った.
  2. デモグラフィック転換:18世紀の英国,フランスから始まりこれも世界中で完了しつつある.
  3. 疫学的転換:19世紀に先進国から始まった.現在途上国で進行中だ.

 

  • 大転換の帰結は次の3つだ.
  1. 人口の年齢構成が若者中心から老人中心に変化した
  2. 誕生直後から2歳ぐらいまでの若年齢時の死亡要因にかかる淘汰圧が大きく下がった.
  3. これまで隠れていた老齢になったときの遺伝子のコストが明らかになってきた.それが(非感染)慢性病の増加だ.ここにはまだ大きなブラックボックスがある.慢性病に対して安易に遺伝子治療を行おうとすることには思ってもみない悪い結果をもたらすリスクがあるだろう.

 

なぜ老いるのか 対立形質の多面発現とトレードオフ

 

  • では進化遺伝学者は老化をどう捉えるのか.
  • このトピックに関してはメダワーとジョージ・ウィリアムズの考察が重要だ.
  • メダワーは淘汰圧は年齢と共に下がると考えた.人口に占める老化個体の比率は小さいし,老化により繁殖率は下がるからだ.
  • ウィリアムズは若齢時に有利で,老化後に不利な遺伝子は淘汰を受けて頻度を増やすと考えた.
  • これらの考えをトム・カークウッドはうまくグラフ化した.寿命を上げるには身体のメンテナンスコストを負担する必要がある.メンテナンスによるメリットとコストの年齢効果を考えると,最適メンテナンスレベルがあるはずで,それは寿命を永遠に延ばすよりも小さいはずだということが示されている.

 

  • では寿命についてどのように淘汰が働くだろうか
  • もし年齢と共に死亡率が上がるなら生物は老化を早めるように進化するだろう.(ある程度以上の年齢になると)いずれ死んでしまう個体にメンテナンスするより,機能するうちに(メンテではなく)繁殖につぎ込む方が有利になるからだ.

 

  • これにより寿命の生活史理論はこうなる.
  1. 若い時期の繁殖はより有利になる.
  2. 繁殖と生存のトレードオフがあるために,繁殖や生存(メンテナンス)のための投資には最適レベルがある.
  3. そのレベルでは(内因的)死亡率はゼロより大きくなり,潜在的な寿命が決まる.

 

  • ではこの理論は信頼できるだろうか
  • 繁殖と生存のトレードオフは実際にあり,そして遺伝が関与している.それは実験でもフィールドでも繰り返し示されている.
  • ここではいくつかの淘汰実験を紹介しよう.

 
ここでスライドによる説明がある.ショウジョウバエについて14要因(生活史要因(体サイズ,発達時間,若い時期の繁殖力,遅い時期の繁殖力など),それに関連する生理的要因(飢餓耐性,エタノール耐性,飛翔能力など))について個別に人為淘汰をかけ,ある要因への淘汰が別の要因にどういう影響を与えたかが示されている.それぞれの要因が別の要因に+や-の影響を与えており,全体が複雑なトレードオフにあることが見事に示されている.
 

  • これらの結果は50人・年に渡る研究をまとめたものだ.
  • 例えば発達時期を長くするように淘汰をかけると体サイズは上がり,若い時期の繁殖力は上がり,遅い時期の繁殖率は下がる.若い時期の繁殖力を上げるように淘汰をかけると寿命は下がる.
  • 要するに生物は複雑なトレードオフの中にあるのだ.

 
次の実験のスライドが説明される.同じくショウジョウバエを用いて,7年かけて成虫死亡率の高さに淘汰をかけた系統(HAM)と死亡率の低さに淘汰をかけた系統(LAM)を作る.(HAM系統は90世代,LAM系統は50世代を重ねた)
この結果が2系統の日齢ごとの死亡率のグラフとして表示される.明らかにHAMの方が死亡率が高くなり,寿命が短くなっている.
 

  • 理論の予測通りに内因的死亡率が進化した.HAMの寿命は60日,LAMの寿命は65日だった.
  • これはヒトに換算すれば5年程度の寿命を上げたことになる.

 

  • ではすべての生物は老化しなければならないのだろうか
  • シリコンバレーのビリオネアであるラリー・エリソンとラリー・ペイジは不老不死のリサーチに出資している.

 

  • まずこう問い直そう.「どのような生物は老化しなければならないのか」.例外を考察することで理解が深まるだろう.
  • これについては1882年にワイスマンはこう考察した.「非対称に繁殖する生物は老化しなければならない」しかしこれは一旦忘れられた.
  • 1957年にウィリアムズは「体細胞系列と生殖系列の区別がある有性生物は老化しなければならない」とした.
  • 1993年にパートリッジとバートンは「母と子が区別可能な非対称生物は老化しなければならない」とした.
  • 私はこれらの考察は正しいと思う.そして2003年に実験によりこれが支持されることを示した.
  • また別の2005年の実験は,すべての細胞分裂はおそらく非対称であり,すべての生物が老化しなければならないことを示唆している.

 

  • これらの考察の鍵は「対称的に繁殖する生物は老化しなくてもいい」という洞察にある.分裂が完全に対称なら母と子を区別することはできなく,どちらも無限の命を持つか,どちらも寿命をもつしかできないはずだ.メンテナンスにかかるトレードオフは母娘で同じになる.
  • 実際に生殖系列と体細胞系列が分化していないが,非対称に分裂する細菌(カウロバクター)においては老化が観察される(分裂したあとの片方の系列(娘:遊泳する)では老化が生じないが,片方の系列(母:ストークを持って基盤と接着する)では老化が起こる).これは両系列でメンテナンスにかかるペイオフが異なってくるためだ.実際に調べると母の繁殖力は下がっていく.
  • そして大腸菌(E. coli)の分裂が実際には非対称であることも示された.(分裂時に新しくできる細胞膜があり,それが何代さかのぼるかを考えるとある特定の分裂で対称にはならないことがわかる.そして実際に細胞膜の相対的な新しさで競争力が異なっている)
  • この結果は非常に深い意味を持つ.
  • 生殖系列は生命の誕生以来の歴史を持つ.それは潜在的に不死ということだ.しかしそれは生命そのものについてであって,特定の個体については当てはまらない.
  • 生殖系列であっても世代ごとの分裂は非対称だ.新しい方は保存されるが,古い方は捨てられるのだ.
  • 私はかつて,生殖系列には非常に優れたバイオケミカルな仕組みがあるのだろうと考えていた.しかしそれはそういうわけではないのだろう.むしろ自然淘汰の必然的な帰結だと今は考えている.

 

  • ここで一旦まとめておこう.
  • 老化の進化理論はほとんどの動物でよく支持されている.そこでは老化というのは繁殖成功淘汰にかかる副産物として理解できる.
  • 我々は何十億年もの間繁殖をうまく行えるように進化してきた.
  • では我々は大転換にうまく準備できているだろうか.そうはいえないだろう.

 

大転換と非感染疾病のリスクの変化

 

  • 大転換はヒト集団にとって農業革命以降で最も大きな変化だ.
  • その変化は産業革命による労働,技術,経済の変化,デモグラフィック転換による生誕率,死亡率,人口年齢構成,栄養,成長の変化,さらに疫学的転換による感染症と栄養不足からガンと慢性病へという疾病構成の変化という3つの要素を持ち,ヒトの生態と惑星の生態を大きく変えつつある.

 

  • デモグラフィック転換はまず死亡率が下がった後に生誕率が下がるため,その途中では大きな人口増加が生じ,最後には人口減少に転じる(5フェーズに分けた説明がある)
  • 疫学的転換は感染症比率が大きく減り,免疫疾患,ガン,循環器系疾患,肥満,糖尿,認知症の比率が増える形になる.
  • これらにより死亡率,繁殖率が下がり,平均寿命は延びる.
  • そして自然淘汰のドライバーは死亡率から繁殖率に移る.それぞれの分散(これが淘汰圧を決める)は英国では1900年頃にクロスしている.現在の先進国でのヒト集団への最も強い淘汰は家族サイズについてかかっているといえる.

 

  • この大転換はヒト進化にどのような影響を与えているのか.
  • アメリカ,オーストラリア,フィンランドでは.男性も女性もより早い年齢での繁殖に淘汰圧がかかっている.
  • アメリカの女性には最終出産と閉経を遅らせる方向,体重増加,身長減少,コレステロールレベル低下,血圧低下に向けて淘汰圧がかかっている.
  • ガンビアでは,大転換の進展と共に,淘汰圧は低身長と高BMIから高身長と低BMIに向けて淘汰圧が転換した.(これらは淘汰圧についてのリサーチで,ヒトの形質がこれに反応しているかどうかではない,それにはもっと時間がかかる)

 

  • そして先進国では生物学と文化の間の緊張が増加している.
  • 初潮から閉経までの期間は生物学的な繁殖ウィンドウになる.しかし文化的に子どもを遅くもつような傾向があれば緊張が生じる.

 

  • 寿命が延びるとこれまでの進化によって蓄積されてきた(若い頃のメリットと繁殖終了後のデメリットという)遺伝子の対立的形質の多面発現がより顕現する.
  • ガンリスク,心臓病リスク,認知症リスクについての遺伝的リサーチによると,繁殖力や,若い頃の生存にかかるアドバンテージが老齢時の疾病リスクとリンクしている.これまで「今すぐ買って,支払いはあと(Buy Now and Pay Later)」とやってきたが,今や払うべき時が来たということだ.
  • 現在観察されている世界的な遺伝的疾病の増加の一部はこれまでに進化してきた形質の隠れたコストとして理解できる.(人口ピラミッドの変化を使って説明がある)
  • 典型的な例には乳ガンがある.先進国ではBRCA1とBRCA2遺伝子の変異が(稀なものではあるが)子宮ガンと乳ガンのそれぞれ1~13%,1~5%の原因になっている.これらの変異は生涯繁殖成功の大きな増加と関連している.そして大転換前のヒト集団において正の淘汰を受けてきたのだろう.
  • ガン全般に関しては,抑制タンパクであるp53がDNA損傷に対する細胞応答を司り,ゲノムの安定性に寄与している.これにかかる遺伝子の変異は長寿とガン診断後の生存率に影響する.しかしこれらの変異は(特に35歳より若い女性に対して)胚盤胞の子宮への定着を阻害する効果(つまり不妊効果)を持つ.
  • アルツハイマーや心臓病について,APOE4アレルは低栄養で下痢に悩まされる幼児の認知発達をプロテクトする.これは過去の幼児死亡率を大きく下げることにつながっただろう.しかしこのアレルは老齢時のアルツハイマーや心臓病のリスクを上げる.
  • 40以上の遺伝子が冠動脈疾患リスクを上げることが知られている.そしてこれらの遺伝子は最近正の淘汰を経てきたことがわかっている.これらの遺伝子は繁殖成功をあげているのだ.これは対立的多面発現がありふれていることをよく示している.子どもを持つことは文字通り心臓に悪いのかもしれない(Having children may litterally break your heart)

(これ以外の対立的多面発現の例が一覧としてスライドで紹介される)
 

  • ここで要約しよう.
  • 公衆衛生や医療の進歩によるフードセキュリティの向上,子どもの死亡率の低下は,デモグラフィー,淘汰,健康,疾病を劇的に変えた.
  • これらは肥満,アレルギー,喘息,免疫疾患を増やしている.これらは(進化環境と現代環境の)ミスマッチ疾病だといえる.
  • そして長寿はこれまで隠されてきた繁殖のコストを顕わにしている.そのコストとは(高齢時の)ガン,認知症,心臓病の増加だ.

 

我々はもっと長生きできるか.

 

  • 寿命には遺伝的変異があり,淘汰に反応するだろう.この反応は素早いかもしれない.
  • 長寿への淘汰圧は,最初の子どもを遅く持つように連続的にかけることによって得られるだろう.
  • そうするとすべてのシステムが生存率を改善するように進化する.単に長生きするだけでなく,健康で活力のある老年を得られるだろう.
  • 平均寿命の上限は(すべての内因性の死因をなくすことができれば)数百年にまで伸びるだろう.そこでは.全員が事故か暴力によってのみ死ぬことになる.
  • しかしこれはファンタジーだ.多くの人々は実際にはチートしてより早く子どもを持とうとするために,このような淘汰はかからないだろう.

 

  • このことの意味は何か
  • 老化の進化理論の重要な仮定と予測は支持された.これはヒトにも当てはまる.
  • 我々の身体は使い捨てとなるように進化したのだ.
  • これは進化の焦点が個体の生存ではなく遺伝子の複製にあることについての強い証拠だ.
  • この視点から考えると(つまり文化を一旦無視すると),アイデアと希望,愛と夢,そして芸術と音楽と共にある我々1人1人のヒトは,進化のメジャープレイヤーではなく,遺伝子の支持キャストに過ぎないということになる.
  • しかしながら我々は長生きする.それは我々の繁殖が改善されたためだ.
  • おそらく「人生は誕生,成熟,老年,そして死とつながる全体だ」という認識は我々の消滅の不可避性を受け入れることに役立つだろう.
  • 老年時の痛みや苦しみは若いときに活力や美しさや繁殖力とバランスしているのだ.死は生とバランスしている.我々は自分たちの人生を,老いと若さを同時に天秤にかけることによってフェアに評価できるだろう.老年時の苦しみは赤ん坊の喜びと同時にあるるのだ.
  • 最後にデイヴィッド・ヘイグのコメントを紹介したい.
  • 我々は幸せになるように進化したわけではない.我々は幸せになったり,悲しくなったり,惨めになったり,怒ったり,心配したり,落ち込むように進化した.愛し,憎み,慈しみ,冷淡になるように進化したのだ.
  • 我々の感情は遺伝子が我々を説得するために使うニンジンのようなものだ.しかし遺伝子の目的が我々の目的と一致する必要はない.
  • 善良と幸福は遺伝子に目隠しして騙すことによってのみ得られるものかもしれない.
質疑
  • 繁殖と寿命がトレードオフである生物学的実例はあるか
  • もちろんある.これを最もよく示すものは(今回紹介した)様々な淘汰に関しての反応が諸要因で相関を持っているというものだ.

 

  • 遺伝子治療について老齢時の予期しないリスクがあるだろうという話をされたが,これを回避する方法はないのか
  • まず体細胞遺伝子治療に関しては,繁殖を終えてから治療を始めるという方法がある.生殖ラインの遺伝子治療ではうまく回避するのは難しい.原理的には多くの遺伝子をうまく調節すればいいということになるが,実際に行うのは非常に困難だろう.またヒトの生死に関わることなので,実験も難しい.

 

  • 不老不死についてヒドラの例外についてはどう考えればいいのか
  • 大腸菌についてのリサーチからすべての細胞分裂は非対称だと考えているという話をした.ヒドラでも細胞分裂は非対称に違いない.しかしヒドラは生殖系列で分裂した細胞をうまく老化した体細胞と部分的に入れ替えるということを行っている.非対称を個体の中で組み込んで処理するシステムになっているということだ.

 

  • 生殖系列に特別なメンテナンスシステムはないだろうということだが,何故そう考えるのか
  • 少し話をはしょりすぎたかもしれない.生殖系列の特別なプロテクトメカニズムを説明する理論もある.それは体細胞が侵入してくることに対するプロテクトは自然淘汰により進化するだろうというものだ.それ以外のメンテナンスについては特別にそのような淘汰圧があると考える理由はない.だから私はそういうものがないだろうと考えているということだ.しかしもちろんそういうメカニズムがあるかもしれない.

 

  • 対立的多面発現は普遍的な現象だろうという話だが,実際に見つかっているものはまだ少ないのではないか,それは何故か
  • 少ないかどうかは見方の問題ということもある.それを別にして,まずこのようなことがあるのではないかと調べ始めたのが最近だという事情がある.またヒトにおいて本当にしっかり検証するには,生死の歴史的なデータと多くのヒトのゲノムワイド解析が必要になる.これを進めていけばはるかに多くの対立的多面発現現象が見つかるだろう.

 

  • 紹介されたリサーチは種内のものだが,種間比較ではどうか
  • 種間比較には多くの興味深い問題があるだろう.何故コウモリは長寿なのか,何故ゾウはガンにならないのか.ただ種間比較は厳密な実験が難しいという事情がある.

 

  • 高齢出産に関してはどう考えるべきか
  • 出産が40歳に近づくにつれて様々な問題が生じることはよく知られている.これが最近何か変化したというデータはない.この問題に関しては(安易に高年齢出産に問題がないかのように考えるのではなく)よくデータをみることがとても重要だと考えている.


ハミルトンの議論(若いときにメリットがあってその後不利があるような遺伝子の侵入可能性が数理的に吟味されているもの,簡潔で美しい)が紹介されていないのはちょっと残念だが,なかなか充実した講義だった.様々な人為淘汰実験の結果生物の生活史や生理機能がトレードオフの塊であることがよくわかるものになっている.


なおハミルトンの議論は自撰論文集の第2論文「The Moulding of Senescence」にある.