From Darwin to Derrida その31

 

第4章 違いを作る違い その6

 
ヘイグによる遺伝子概念の深掘り.まず遺伝子の境界が連続的で曖昧であることと,それがcountableかどうか(そしてそうでないとすると何か問題なのか)についてが整理された.続いて遺伝子淘汰主義と深く関わる「戦略遺伝子」の概念が扱われる.

 

戦略遺伝子

 
冒頭でドーキンスとソーバー&ウィルソンが引用されている.

  • 利己的な遺伝子とは何か?それは単なる物理的なDNA片ではない.・・・それは特定のDNA片の世界中にばらまかれたすべてのレプリカなのだ.(ドーキンス1976)
  • 淘汰単位の問題の適切な理解は重要なシンメトリーを考慮すべきである.ちょうど個体がグループの一部であるように,遺伝子は個体の一部なのだ.(エリオット・ソーバー&DSウィルソン1994)

 
ドーキンスの引用は「利己的な遺伝子」だがソーバーとウィルソンの引用は「Unto Others」(1998)ではなく,Philosophy of Science 誌に掲載された「A critical review of philosophical work on the units of selection problem」という論文のようだ.これは下記のページからフルテキストをダウンロードして読むことができる.

利己的な遺伝子 40周年記念版

利己的な遺伝子 40周年記念版

 
www.researchgate.net


  • (ドーキンスが言及する)世界中にばらまかれた遺伝子は(ソーバーとウィルソンが言及する)特定地点にいるある個体の一部ではない.「淘汰の単位は何か」という問題は常に論争の的であり続けており,それは「遺伝子」についての異なる意味が混同されているからだ.
  • これを解きほぐす第一歩は「遺伝子」にはタイプの意味も(あるタイプの)トークン(複数形)の意味もあるということを理解することだ.トークンとしての遺伝子は物理的実体だが,タイプとしての遺伝子は抽象的なものだ.
  • ここでドーキンスはタイプのことを語り,ソーバー&ウィルソンはトークンのことを語っていると単純化したくなる.しかしながらそのような単純化は利己的な遺伝子問題の解きほぐしには役立たない.なぜなら,ある種のすべてのメンバーがある「利己的な遺伝子」トークンを持つ場合にはユニバーサルな利益が期待できないからだ.

 
冒頭からなかなか難しい.ある遺伝子タイプが種内で固定されている場合,すべての個体がその遺伝子座にそのトークンを持っている.この場合には(突然変異が生じるまでは)この遺伝子の適応度は常に1になり,それは(適応度を上げるように)戦略的には振る舞えない.だから単にタイプといっただけではドーキンスの遺伝子概念とは異なるということだろう.

  • 進化はしばしば遺伝子頻度の変化とその表現型効果だと単純化される.頻度変化というのは何かを数えていることを含意している.しかしトークンとしての遺伝子がそのまま数えられることはまず無い.集団遺伝学者達は(遺伝子頻度を測る際に)通常数多くの(個体内にある)トークンをまとめ,それを単一の遺伝子として数える.これは半数体生物では1つ(1アレル),二倍体生物では母親由来で1つ,父親由来で1つの合計2つ(2アレル)という数え方になる.この技法を用いて彼等は進化についての単純な数理モデルを構築した.

 
ここは,適応度を測定する際の計算においては個体内トークン数は問題にならずに遺伝子座単位での計算になるということを説明している.

  • マルチレベル淘汰理論は,遺伝子をある文脈では細胞内の単一のトークンとして定義し,別の文脈では個体内のあるタイプに属するすべてのトークンとして定義する.遺伝子淘汰主義者も遺伝子を(タイプではなく)トークンの集合として定義するが,しかしその集合は多個体間に広がりうる.私は仲間として一緒に働くトークン(複数形)を「戦略遺伝子」と呼ぶ.それは他の戦略遺伝子とのあいだのゲームにおいてストラテジストとして機能するからだ.

 
マルチレベル淘汰主義者の(議論を混乱させやすい)多義的な定義についても少し当てこすっているが,ここでのヘイグのポイントは「遺伝子」を個体内のものに限定するか,同種他個体間の中の広がりとして捉えるかというところだ.包括適応度や遺伝子淘汰の視点からみるとここは非常に重要なポイントになる.ヘイグはさらに具体的に解説を進める.
 

  • トークンとしての遺伝子は,RNAポリメラーゼが配列をファンクショナルRNAにコピーすることにより転写され,DNAポリメラーゼが2重らせんを開き,それを新しいトークンを作るためのコピーの型として使うときに複製される.戦略遺伝子は同じタイプの他のトークンに(複製効率についての)効果を与えるトークン(アクター),そこから効果を受けるトークン(レシピアント)からなる.多細胞生物の体細胞にアクターがいて,同じ個体の生殖細胞にそのレシピアントがいるということが多いだろう.しかしアクターとレシピアントは別の個体にある場合もある.戦略遺伝子は固定的な実体ではなく,より広がったり狭まったり進化できる.

 
ここからがヘイグの深い洞察だ.ここも読みどころだ.本書内にはこの概念を説明する図も載せられていて丁寧に解説されている.
 

  • ある特定の生殖細胞にいるあるトークンとその祖先にさかのぼった(最初の突然変異による)アートークンを考えよう.アートークンの視点からはそのタイプのすべてのトークンの歴史を記す分岐系統樹を描くことができる.そこでは問題のトークンは系統樹の枝の端にいることになる.系統樹においてアートークンと問題のトークンを結ぶ線は問題のトークンが受けた淘汰の歴史を示す.体細胞と生殖細胞が分かれている生物ではこの線は生殖系列で結ばれるが,端にあるほとんどのトークンは体細胞にある.生殖細胞のトークン達はほとんどの場合レシピアントになるだろう.淘汰はこの効果が他のタイプのトークンとのあいだに複製効率に差をもたらすときに働く.このスキーマでは表現型効果は体細胞系列アクターから生殖細胞系列レシピアントに向かって流れる.このような因果の向きはどのトークンが複製されるかにかかリ,トークンのタイプを変えるわけではない.
  • 戦略遺伝子の広がりは(あるトークンが淘汰にかかる表現型効果を生む)複製サイクルの数によって決まる.トークン系統樹の端にあるトークン同士は(しばしば空間的に離れたり他タイプのトークンと近接してるために)常に淘汰効果を与え合うことはできない.淘汰的に離れた系統樹の破片はそれぞれ別の戦略遺伝子に属することになる.どのトークンがある戦略遺伝子に属するのかという問題への回答は,集団内にそのトークンがなぜあるかを説明するのはどのトークン群の淘汰的影響なのかという問題に答えることから得られる.

 
このように戦略遺伝子の定義も遺伝子自体の定義と同じくはっきりとした境界のない連続的な部分を含む(ある意味曖昧な)ものになる.ヘイグはそのあたりをギリシア神話を引きながら「危険な通り道」と表現する.
 

  • この戦略遺伝子(の定義)は,トークンとしての遺伝子(物質遺伝子)とタイプとしての遺伝子(情報遺伝子)の間の危険な通り道(それはスキュラとカリュブディスの間の道のようだ)を渡っている.それはあるタイプのトークンの集合だが,そのタイプのすべてのトークンの集合ではない.そのトークン群はマルチレベル淘汰理論の複数階層に渡って存在するかもしれないが,それ自体が1つの階層ではない.
  • 戦略遺伝子はある表現型効果を与えその効果を受けるトークン群をまとめたものだ.それはそれが生みだした効果の受益者だ.そういう意味でそれは適応的変革の単位であり,自己利益の単位なのだ.

 
ヘイグの戦略遺伝子の定義は遺伝子のトークン間の相互作用がキーになっている.それはタイプ概念ではなく,(差異としての)表現型効果を持ち,その複製効率への効果を受けるトークンの集合体だということになる.