From Darwin to Derrida その55

 
 

第7章 自分自身の背中を掻く その1

 

第6章でヘイグは個体内に異なる利益主体が存在することを指摘し,そこには様々なコンフリクトが存在するのであり個体は1種の社会としてみた方がいいとコメントした.第7章はその社会の中の政治の中身が扱われることになる.個体内コンフリクトはどのように解決されるのかということだ.
 

  • 前章では,個体を異なる利益主体と内部政治を持つ1つの社会としてみてきた.人類の歴史は,政治主体は共通の利益に向かう調和の時期と,時に挟まる共通の利益が破壊されるコンフリクト時期(それは内戦になることもある)を持つことを教えてくれる.社会的平和の時期に社会正義について意見の異なる派閥がどうやって共同できるのだろうか.そして何故時に妥協が壊れて内戦に至るのか.
  • 個人の中の社会を考えてみると,ホッブスの言う「万人の万人に対する闘争」における独占的暴力であるリバイアサンによる解決は望みがたいことがわかる.私たち(の個人内社会)は権力が分散された共和制であって絶対君主制や独裁制ではないのだ.では私たちはどのように協力の利益を得て内戦の危険を避けているのだろうか.本章は異なる利益主体による戦略的交渉の可能性と個人内の互恵関係の可能性を考察する.

 
リバイアサンによる解決が無理だというのは個体内の利益主体がなんらかの約束や協定をしてもそれを強制する仕組みがどこにもないという意味だ.だから内部政治の問題が重要になる.
ここでヘイグは個人内互恵性の可能性についてトリヴァースの「Deceit and Self-Deception」を参照している.これは「The Folly of Fools」の同本異題のようだ(あるいは英国版ということかもしれないがよくわからない).なぜヘイグはこちらを引用元としているのだろうか.「Deceit and Self-Deception」の方が書名として分かりやすいと言うことかもしれないし,たまたまヘイグがこの題の本を読んだと言うことかもしれない.

 
この「The Folly of Fools」は自己欺瞞について深く論じている本で,そこにはゲノミックインプリンティングが関係する自己欺瞞も扱われている.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20120523/1337774801
 

  • 私自身の内省によると,私は,勧告,誘惑,脅威という異なる内なる声を混ぜ合わせて,自分の行動を修正しようとしているように思われる.このような個人内の誘導の効果は限定的だ.なぜなら個人内で約束される報酬や罰の実効性には信頼性がないからだ.自分との約束を破っても誰かが罰してくれるわけではないし,約束を守ったからといって誰かが報酬をくれるわけではない.
  • これは哲学的には1種の謎になる.私は自分が何を知っているか,何を欲しているかを知っている.だったらなぜ自分で自分を説得する必要があるのか.
  • あるいはこのような内部的説得は単に他者との交渉ツールの使い回しあるいは誤使用だという議論も可能だろう.あるいはこのような個人内の交渉が個人間の交渉に似ているのは個人内に本当に複数のエージェントがいるからだという議論も可能だろう.

ここでは後者の議論についてエインズリーの「Breakdown of Will(訳書邦題:誘惑される意志)」が参照されている.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20071123/1195786689
 

Breakdown of Will (English Edition)

Breakdown of Will (English Edition)

Breakdown of Will

Breakdown of Will

  • 作者:Ainslie, George
  • 発売日: 2008/01/12
  • メディア: ペーパーバック


ここまでがヘイグによる個体内政治の導入部分になる.ここからインプリンティングも含めた議論が展開される.