From Darwin to Derrida その56

 
 

第7章 自分自身の背中を掻く その2

 
個体内に異なる利益主体間のコンフリクトが存在する場合,それはどのように解決されるのか.ヘイグは父方遺伝子と母方遺伝子の利益が異なる場合を例にとって詳しく考察していく.
 

  • 個体内で異なる複製子が異なる複製規則を持つ場合には,個体内で進化的なコンフクトが生じる.これが自制問題の基礎にあるのだろうか.
  • 遺伝であってもミームであっても個体内にある潜在的競合アジェンダの問題は複雑だ.ここでは問題を絞り込むために典型的なゲノム内コンフリクトを考察しよう.具体的に(ロバート・トリヴァースに敬意を表して)ボブという個人内にある父方遺伝子と母方遺伝子間のコンフリクトを考えよう.

 

  • ここでボブの両親は離婚し,それぞれ異なる相手と再婚して子をなしたとしよう.ボブに異父弟(マディ)と異母弟(パディ)がいることになる.ここでボブの遺伝子がマディの利益(B)のためにどこまでコスト(C)を負うかを考えよう.母由来遺伝子から見るとマディに自分と同じ同祖的遺伝子がある確率は1/2になる.だからCは1/2Bより小さければいい(C<1/2B).しかし父由来遺伝子から見るとマディに自分と同じ同祖的遺伝子はないのでどんなコストも払うべきではない(C=0)ことになる.そしてパディについてはちょうど逆になる.
  • ではこのボブの内部的コンフリクトはどのように解消されるのだろうか.伝統的な解答はロールズの言う「無知のヴェール」ということになる.遺伝子が自分の出自について無知であれば,自分が母由来である確率を1/2と考え,Cは1/4B以下であればいいということで意見が一致することになる.

 
ここまでの議論は一般的な行動生態学の議論が示すものと同じものになる.異父兄弟や異母姉妹に対するハミルトン則はCは1/4B以下であれば利他行動が進化することを予測する.ほとんどの遺伝子は自分の出自を知らないからハミルトン則は広範囲に当てはまることになるだろう.とはいえ,それが重大な問題であるほど遺伝子は自らの出自を知るように進化しやすいだろう.そしてここからインプリントの議論になる.
 

  • では遺伝子がインプリントされ,出自を知っている場合には何が起こるのだろうか.Cが0より大きく1/2Bより小さい場合どうなるかを予測するには,遺伝子の動作モードと決定への相対的影響力についての詳細な前提を知る必要が生じる.
  • 1つの解決可能性は,片方の遺伝子に独裁的に決定する力がある場合に生じる.その場合は決定力のある遺伝子の利益に沿って決定が行われる.上記のマディのケースであれば,父由来遺伝子に独裁的決定権があるというのは,コストを払うことに拒否権(veto)があるということになり,Cは0となる.母由来遺伝子に独裁的決定権があるというのは,母由来遺伝子のコスト支払い決定が既成事実化して覆せなくなっている(fait accompli)ということになり,C<1/2Bとなる.

 
片方が決定権を持っている場合には当然ながらその主体が勝つ.決定権のあり方についてvetoとfait accompliという法律用語を使っているのがちょっと楽しいところだ.
 

  • ある独裁的決定が拒否権に当たるのか既成事実化に当たるのかは,問題のとらえ方に依存する.インプリントされた遺伝子にコンフリクトがある単一遺伝子座の遺伝子発現モデルを考えると,それは独裁的決定権という結果に帰着する.進化的平衡においては発現産出量を多く望む遺伝子が,その産出量を実現させる(もう片方の遺伝子は全く産出しない)ことになる.
  • もし異なる遺伝子が意思決定プロセスの異なる側面で独裁的決定権を行使するなら,それは手詰まりとなる可能性を生む.ウィルキンズとヘイグ(2001)は2遺伝子座モデルを使ってこのことを示した.

 
ヘイグの引用する論文は下記のものだ.ここからこの論文に沿って議論が進んでいくことになる.
https://www.researchgate.net/publication/11784376_Genomic_imprinting_of_two_antagonistic_lociwww.researchgate.net