From Darwin to Derrida その80

 

第8章 自身とは何か その20

 
ヘイグによるアダム・スミスの道徳感情論の読み込み.ヘイグによる本能,理性,文化という3つの道徳の要素のうち最後の文化的要素が議論される.
 

文化的要素

 

すべての種類の美に関する私たちの感覚は習慣と流行に強く影響されるので,美に関する行動がこれらの原則から完全に逃れられるということは期待できない

アダム・スミス 「道徳感情論」

 

  • 私たちの他者に対する身体的「sympathy」と直接的な観察,彼等の行動のエミュレーションと思考への「sympathy」,説得しようとする試みと考え直し,承認欲求と拒絶への恐怖,友人の話や見知らぬ人や両親や教師やラビやアヤトラや牧師の話を聞くこと,そしてテキストを読み動画を見ること,これらすべては,対人相互作用と文化的プロセスとして,私たちの道徳的本能の粘土をある形に作り上げる.道徳的思考と道徳的実践はモラルジレンマについての膨大な議論に影響を受けている.

 
難解な文章だが,道徳については直接の観察や人の意見を聞くことなどさまざまな情報入力があり,それらのソースが対人相互作用と文化的なプロセスを経て道徳的な本能の現れ方を決め,そして実際の道徳的思考,道徳的実践に大きな影響を与えるということだろう.ヒトは社会的な動物だからこれらは道徳だけでなくさまざまな行動傾向や意思決定についても当てはまるだろう.
ここから特に文化的な側面がピックアップされる.
 

  • 社会的グループの中で代替的な道徳概念の頻度は増えたり減ったりする.それは後戻り,説得,改心,異端への処刑などの結果だ.新しい道徳概念が提案され,古い道徳概念は変化する.これらの道徳概念は一貫したモラルコードに組織化される.これらのコードは何が報われ何が罰されるか,どのようなことが奨励されどのようなことが禁止されるかにかかる心情や「sympathy」が異なっている.

 
実際に道徳好規範は文化によって異なり,さらに時代により変遷する.ヘイグはここで文化差よりも同じ文化内での道徳の変化を特に取り扱っている.
 

  • コードへの追従者,コードの影に生きる者たちは,それに沿って公的セルフを修正することを学ぶ.明示的黙示的ルールへの服従は,罰や拒絶への恐怖に強化され,ほとんどの成功した道徳的伝統の刻印となる.
  • 内部コンフリクトを極小化させ,メンバーにとって良い結果をもたらす道徳コードを持つ社会は,他の社会から模倣されやすいだろう.またある道徳コードの元に強力な軍事力を持ち領土を広げるような社会は,それを恐れる近隣社会にコピーされるような要素をそのコードに持つだろう.

 
そしてそのような変化の一部は周りの(うまくいっている主体が従っている)規範のコピーによるものであり,それは個人間でも社会間でも起こりうるということを説明している.確かに道徳は時代とともに変遷する.ドーキンスはこれを(宗教的な道徳が優れていると考えるべきではないことを説明しようとして)詳しく扱っている.またリドレーやピンカーの議論としてはそのような変化がより好ましい方向(道徳サークルの拡大として)生じていることを扱っているが,ヘイグはそこまでは議論していない.