From Darwin to Derrida その84

第9章 どのようにして? 何のために? なぜ? その3

 
ヘイグによる至近因と究極因の読み解き.マイア論文の前史.スピノザに続いてエラスマス・ダーウィンとハーバート・スペンサーが登場する.

 

19世紀の至近因と究極因

  • ここで19世紀に現れる至近因(proximate cause)の究極因(ultimate cause)の用例をすべて扱うつもりはない.ここでは医学とハーバート・スペンサーに現れる例に絞る.

 

  • 医学において疾病の至近因は,remoteな原因,そして時に究極因と区別された.エラスマス・ダーウィンのズーノミアの第2巻では疾病を至近因に従って分類している.
  • かくして下痢の時に生じるこむら返りは,感覚における連結の力が至近因であり,先立つ腸の活動の増進がremoteな原因であり,腸の筋肉の急速な収縮が至近的な効果となる.しかしこれらの筋肉の痛みは付随症状であり,remoteな効果である.

 

  • ジョン・チャップマンも下痢の原因を議論している.
  • (下痢は)歯の炎症,腐敗した食物,不純な水分摂取,毒性のガスの吸引,腸の潰瘍などから,そしてその他なさまざまな疾病から生じる.そしてそのようにいかにprimaryな原因が多様であっても,至近因は常に同じだ.つまり下痢は脊髄と交感神経の充血から生じるのだ.

 

  • ここでは至近因は最終的なメカニズムをさしている.それはさまざまなprimaryな原因から生じるが,結果として同じ症状を引き起こす.
  • 医学の文脈では究極因は,至近因が生じる前に生じた物理的な原因を意味する.だから19世紀のジャガイモ胴枯れ病の議論においては「この病気の至近因は疑いなくPeronospora菌である.究極因については全く異なる環境のセットを探すべきだろう.・・・病原菌の攻撃は特別な気候かその他の条件により引き起こされるのだろう」という表現になる.同様に1902年のカール・フィルヒョウの墓碑には「彼は9月5日に亡くなった.その死の究極因は1月初めの転落による太ももの骨折であった」と記されている.
  • これに対して,今日の医学における究極の死因(ultimate cause of death)は,一連の因果の最後の原因,つまり死の直前のものとされており,一連の因果の最初のremoteな原因が挙げられることはない.たとえば「敗血症患者の究極の死因は多臓器不全となる.典型的には患者はまずどれか1つの臓器が不全になる.・・・,そこで放置されると他の臓器も次々に不全になる」というように記述される.

 
19世紀の医学の世界では因果の連鎖がA→B→C→Xであったとき,Xの至近因はCであり,remote因はAだということになる.これに対して現代医学の世界ではXの究極因がCだということになる.
 

  • ハーバート・スペンサーは,「個体と繁殖の間の必須の対立」は「(人種の)保全の最高の形態の達成」を保証するものであり,それは「オリジナルな繁殖力の過剰を究極的に消滅させること」につながると「動物の繁殖力の一般法則からの演繹される人口理論」という論文で書いている.スペンサーはさらに「そもそもの始めから,人口圧力は進歩の至近因だった.・・・それは人類に略奪的な慣習を捨てさせた.・・・それは人類に社会をもたらした.・・・そしてそのような究極的な因果ののち.人類は地球に広がり,すべての居住可能な地域を文化の高みに引き上げた.・・・そしてその後,人類は人口圧力が減少していくことを経験する」と記述している.
  • ここで「至近因」とは運命づけられた高等な結果をもたらすものを指している.また「蒸気エンジンは鉄道システムの至近因であり,国の運命や交易経路や人々の慣習を変えた」とその著書「進歩」において書いている.

 
スペンサーの引用があるが,非常に難解な英文になっている*1.この引用には究極因という用語はないので,至近因と究極因が対になって用いられているのかどうかはよくわからない.ともあれ「運命づけられた高等な結果をもたらすもの」という「至近因」の用法は現在の用法と相当異なっているということだろう.
 

  • ジョージ・ストークスにとって「物理学の最高の目的は,可能な限り,現象を至近因で説明すること」だった.しかしながら,(探索を続けると)どこかの時点で科学がそれ以上説明できない空白に至る.スペンサーはこの空白に早くから気づいていた.「第一原則」において彼は(大文字の)「究極因」を「それを経由してすべての事物が存在しているがそれを知りえないもの」としている.しかしながら,彼が「知りうるもの」である「均質な身体の不安定性」を議論するときには,ユニット間の小さな違いは疑いなく異種性の至近因であるとしつつ,(小文字の)究極因は偶然の力に各部分が不均一に暴露されたことだとしている.

  • まとめると,至近因は物理的な原因であり,究極因は至近因が生じる前の物理的な原因,あるいは目的因だということになる.

 
この至近因と究極因の用法は現在のに近い部分もあるが,やはりいろいろ異なっているということになるだろう.
 

  • 最後に(マイアの至近因と究極因の区別の議論の準備として)作用因(efficient cause)はしばしば「どのようにして」質問と,目的因(final cause)はしばしば「なぜ」質問と結びつけられているということを指摘しておこう.これに関する19世紀の用例を2つ示しておこう.
  • 1つ目の例はエッカーマンの引用によるゲーテの “Die Frage nach dem Zweck, die Frage Warum? ist durchaus nicht wissenschaftlich. Etwas weiter aber kommt man mit der Frage Wie?” という文章だ.私のつたない訳だとそれは「目的についての問い,つまりwhy質問は全く科学的ではない.しかしhow質問を問うならば,より先にすすめるだろう」となる.
  • 2つ目の例はチャールズ・キングズレーの「しかし,あなたに1つ警告しておかなければならない.それはあなたはマダムHowとレイディWhyを混同してはならないということだ.」だ.彼はマダムHowを自然とそれが示す事実に見立てているが,レイディWhyについてはその正体を明かさず「しかし彼女には仕えるマスターがいる.その主人の名前についてはあなたの想像におまかせしよう」と書いているのだ.

 
19世紀英国ではhow質問は至近因ではなく作用因と関連付けられ,why質問は究極因ではなく目的因と関連付けられていたということになる.そこからなぜ現在のような用法に変わっていったか,そこにマイア論文がどうかかわるかが本章の本論になる.
 

*1:上記私の意訳はおそらくいろいろ間違っているだろう