From Darwin to Derrida その129

 
 

第11章 正しき理由のために戦う その23

 
ヘイグによる目的論,そして目的因と形相因の擁護.最後にエピローグ的な節がおかれている
 

バック トゥ ザ フューチャー

「原因」という言葉は誤解と分かちがたく結びついているので,哲学語彙から完全に排除されるのが望ましい

バートランド・ラッセル 1913

 
https://www.jstor.org/stable/4543833

 
これはラッセルの1913年の因果を扱った哲学論文「On the Notion of Cause」の冒頭部分の引用になる.ヘイグとしては因果という概念がいかに哲学的にも一筋縄で行かないものであるかを示すつもりのようだ.そして本章で議論された,自然淘汰の再帰的なプロセスにおいては目的因と形相因果意味を持つのだという主張がまたも繰り返される.
 

  • 私が形相因と目的因を擁護しているのは,アリストテレスの四原因が最良の因果的分類法だと主張するためではなく,その原因分類法は千年以上も役に立ってきたもので,理解の重要なカテゴリーに近いに違いないということを認識するためだ.
  • それだけではなく,形相因と目的因という概念は,仮にその「悪い」形而上学的意味で存在しないとしても,遺伝された情報と適応的機能という「良い」ポストダーウィン的意味において存在する.

 
そして最後に再帰的で深遠な結びが現れる.引用はホフスタッターとデネットになる.
 

 

  • 本章は,物語の誘惑,メタファーの魅力,そして再帰のリズムに関連する.意味はメタファーによって,あるいはあるものを別のもので表すことで説明される(ホフスタッター 1979).再帰的な説明は本質(形相)と目的を物質と動きに基礎づける.選択は情報を捉える.自然淘汰として擬人化された環境は結果を選び,それにより意味とともに手段を選ぶ.なぜなら過去の結果は現在の手段だからだ.
  • 意味は解釈者と結果を必要とし,ダーウィンの悪魔はそれを両方とも提供する.私のテキストは繰り返し語源学とアイデアの歴史に戻る.なぜならロゴス(理法)と本質は遺伝子と同じように進化し,実りあるメタファーと哲学的視点を提供してくれるからだ.

 

  • 自然淘汰はメタファーであり,かつ再帰的説明のメタフォリカルな説明だ.それは意味を持たず目的のない物理的なアルゴリズムだが,意味と目的が有用な説明概念となるようなものを創造する(デネット 1995).
  • 自然淘汰産物には,信念と欲望を持ち,意識的なゴールを追求し,有用で欺瞞的な情報を交換し,意味ある人生を楽しむ合理的エージェントがあるのだ.

 

神よ,いったいこの物語は何なの,と私の母は言った.
雄鳥と牡牛さ,とヨリックは言った.
それ私が聞いた中で最良の言葉だった.

これはトリスタン・シャンディの一節のようだ.
 
 

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引用文献の訳書
 

 
ホフスタッターの「ゲーデル,エッシャー,バッハ」とデネットの「ダーウィンの危険な思想」はいずれも出版された当時大変話題になった刺激的な読み物だ.ホフスタッターを読んだのは40年以上前だが,ゲーデルを説くのにバッハが登場するという(今考えるとちょっとスノッブ的な)斬新さが印象的だったのを思い出す.ホフスタッターには新装版があるようだ.