From Darwin to Derrida その130

 
ヘイグの「ダーウィンからデリダ」第10章間で読み進めて,ここに「Interlude(幕間)」が置かれている.
 

幕間 その1

最も純粋な伝統であっても慣性だけで永続はしない.それは支持され,受け入れられ,洗練され続けなければならない.・・・革命時のようにすべてが暴力的に変わるときであっても,皆が思っているよりはるかに多くのものが保たれ,新しいものと組み合わされて新しい価値となるのだ.

ハンス・ゲオルグ・ガダマー

ガダマーは解釈学アプローチで知られるドイツの哲学者だそうだ.引用は「真理と方法」からとられている.引用文の使われた文脈はよくわからないが,いかにもネガティブ淘汰を思わせる一節だということだろう.
 

  • 幕間(Interlude: ラテン語でinterは間,ludusは劇を意味する)とは道徳劇の幕間に演じられる短い芝居だ.1つ前の章は目的を持つものの起源を扱い,次の章は目的を持つものがいかに世界に意味を持たせるかを扱う.この幕間は違いを作る違いについて進化的時間から行動的時間への転換となる.

 
というわけで第12章からは進化史的時間スケールにおける目的論ではなく,現在の生物学的世界の中での目的と意味を扱うということのようだ.
 

  • ダーウィンのバネや車輪や滑車が異なる機械に組み込まれることについての思考実験を思い出そう.滑車の機能とは何か.1つの物語は最初に組み込まれた機械における役割だとするものだ.別の物語は滑車の機能はこれまで組み込まれた機械における全ての役割であり,現在の機能は現在組み込まれている機械における役割だとするものだ.さらに別の物語は,滑車の機能とは,組み込まれた機械における役割とは独立に,力の向きを変えることであるとするものだ.汝はいかに語りたるや(What sayest thou?)?

 
最後の一文は聖書(おそらくヨハネ記)の記述からの引用のようだ.機能という言葉の定義,あるいは用法がここから問題になるようだ.
 

  • 自然淘汰にはポジティブ淘汰(新しい機能の創出と古いものの排除)とネガティブ淘汰(既往の機能のメンテナンスと新しいものの排除)と呼ばれる二つの側面がある.ポジティブ淘汰では古く適応度のより低い遺伝子配列が継続的に排除され,ネガティブ淘汰では新しく適応度のより低い遺伝子配列が継続的に排除される.ポジティブ淘汰が働いている中でも,背景において有害な新しい遺伝子はネガティブ淘汰を受け続けている.現在ネガティブ淘汰で保存される古い遺伝子は,かつてはポジティブ淘汰で選び出されたものだ.
  • 適応度の違いはどちらの淘汰においても遺伝的違いを作り出す.現在私たちが見ることができる遺伝子は両方の淘汰をくぐり抜けてきたものだ.

 

  • 多くの進化理論における意見の相違は,ネガティブ淘汰を自然淘汰による適応の構成要素として認めるかどうかにかかっている.適応主義者も構造主義者も,形態的遺伝的特徴が保存されるのは,突然変異が起こらないからではなく,ネガティブ淘汰によるからだということを認めている.問題は適応主義者はこれらを機能的制約と考え,構造主義者はこれらを構造的制約だと考えるところになる.適応主義者は自然淘汰に両方の淘汰を含めるのに対して,構造主義者は適応概念にネガティブ淘汰の要素を認めないのだ.
  • これらの意味論的な違いは相互の誤解を作り出す.その結果突然変異がある中で何らかの特徴が保たれることについて,適応主義者は自然淘汰の強い効果だと解釈し,構造主義者はポジティブ淘汰がないことを進化には制約があると解釈するのだ.

 
 
普通の進化生物学的な説明においてはあまりこのポジティブ淘汰とネガティブ淘汰の違いを強調することはない.普通文脈においてどちらを指しているかが明らかだからだろう.しかし発生を理解しようとする構造主義論者との論争においてはここのところの明確化が重要になるというのがここでのテーマになるようだ.