From Darwin to Derrida その139

 

第12章 意味をなすこと(Making Sense) その4

情報,解釈,意味,目的をめぐるヘイグの議論はだんだん哲学的で難解になってきた.ともあれ,解釈者は入力である情報を得て,その内容により行動(あるいは結果)を選択(解釈)する.この選択は意図ということになり,ヘイグは過去に効果があったから繰り返す一次意図とシミュレーションで結果を予想して選択する2次意図に区別できるとする.

 

情報と意味 その1

 

  • 解釈者は観察を利用して行動を選ぶ入力-出力デバイスとみることができる.「解釈」は観察(情報)を行動(意味)に結びつける全ての内部過程を包含する.
  • デバイスが観察可能な独立事象の数は「不確実さ:uncertainty」(観察のエントロピー)を示す測度とみることができる.反応のレパートリーとしての独立した行動の数は「不決断さ:indecision」(行動のエントロピー)を示す測度とみることができる.不確実さは観察により解決され,不決断さは選択により解決される.不確実さや不決断さは潜在的事象の測度だ.観察や選択は実際の事象だ.同じ観察が異なる解釈者にとって異なる意味を持ちうるし,異なる観察が同じ意味(同じ行動の選択)を持ちうる.

 
情報がテーマになると当然エントロピーが登場する.観察や選択(解釈)はエントロピーを低減させるということになる.
 

  • 解釈者の潜在的入力は「それに対して反応できる事象」だ.潜在的出力は「反応しうる方法」だ.これらの可能性は解釈者の力量であり,世界の特徴ではない.それは客観的というより主観的なものだ.
  • 観察は情報をもたらす.それは観察された事象が存在論的に不確かなのか(観察によってはじめて決定される),認識論的に不確かなのか(決定されていたが観察によって初めて知られる)によらない.
  • 認識論的に不確かな事象の観察は先立つイベントのついての情報を与える.機能不全,予期しない入力,あるいはかつて適応的だったものが今や不適応になっているなどにより意味は間違いうる.意図せざる意味は他の解釈者にとって,あるいはその解釈者による自省にとっての情報となりうる.

 
エントロピーを低減させる程度は解釈者の力量によるということになる.観察や解釈はエラーも生じうる.そしてエラーはまた新たな情報となる.
 

  • この「行動主義的」記述における私の目的は,解釈の複雑さを過小評価するためではなく,意味論にゴーストなどいないことを示すためだ.情報は解釈者の世界にある識別可能なものに存在する.そして解釈者にとってのある特定の情報の意味は,解釈者の情報加工出力である何らかの物理的実体(紙の上にある印刷,音響,神経状態など)にすぎない.

 
ここで言うゴーストはデカルトのゴーストだろうか.魂が物理的実体を離れて存在しないのと同じく,意味も物理的実体を離れて存在することはないという趣旨だろう.なかなかラディカルだ.