書評 「アリ語で寝言を言いました」

 

本書は中南米のアリの専門家村上貴弘によるアリの本.中南米にはハキリアリ,グンタイアリ,ヒアリ,アルゼンチンアリなど進化の末にすさまじい能力や習性を獲得したアリが多い(そのため他地域で侵略的外来種になるリスクが極めて高い).その興味深い生態と喜々としてその謎に迫る著者体当たり研究物語が本書の魅力を形成している.なおのこの「アリ語で寝言を言いました」という題はハキリアリがコロニー内で音声コミュニケーションをしているらしいことを見つけた著者がそれを解明しようと没頭していたときのエピソードから採られている.
 

第1章 アリはすごい!

 
第1章ではアリについての概説がおかれている.とはいっても一般の読者に興味を持ってもらうために特に興味深いところに焦点が当てられている.いくつか紹介しよう.

  • アリは真社会性生物でカーストを持つ.オオズアリ,ヨコヅナアリの兵隊アリは巨大な頭部を持つ.ナベブタアリには巣の扉になる巨大な頭部を持つ大型ワーカーがいる.
  • アリはおおむね雑食だが,北海道などにいるヒメナガアリは種子食で知られる.
  • アギトアリの大顎が閉じるスピードは筋反射によるものとしては最速で時速230キロになる*1.主にトビケラのような素速い獲物を捉えるのに使うが,逃げるときにもこの顎を使う.
  • ヒラズオオアリの仲間が体内の化学反応を用いた自爆攻撃をすることは知られていたが,2018年に自爆前にねばねば体液で相手の動きを封じ込める新種が見つかった.
  • アリは利他行動の相手となる同コロニーアリの識別を匂いで行っている.ここでナワヨツボシオオアリとヤマヨツボシオオアリという近縁種はナワヨツボシオオアリの方がやや南に分布し単独女王性で,ヤマヨツボシオオアリはやや北に分布し多女王制になっている.著者はこのアリを用いて1個体1個体対戦を3000回(!)させて,ヤマヨツボシオオアリの方が匂いの違いに寛容であることを確かめた.著者は環境が厳しいところでは多女王制を採り匂い識別を緩めて協力行動の範囲を広げる方が有利になるからだと説明している.

この著者の実験苦労話は楽しい.章末には師匠である東正剛についてのコラムがおかれ.エゾアカヤマアリのスーパーコロニーの発見譚*2や傑作エピソードが紹介されている.
 

第2章 農業をするアリ

 
第2章はキノコアリ(そしてその1グループであるハキリアリ)がテーマになっている.
まずハキリアリが登場する神話が紹介され,著者が日本で唯一のキノコアリの専門家であること,そしてそれがどういう意味を持つのかが語られる.ハキリアリは一旦侵入したら極めて厄介な農業害虫になるリスクが高く,日本に持ち込めない.このため研究は片道25時間以上かかる中南米のフィールド(著者の場合はパナマのバロ・コロラド島)で行うしかないのだ.
ここからパナマのフィールドの話がたっぷり語られて楽しい.アリのリサーチの第一歩はアリの行動をリスト化してマーキングで個体識別して観察するのだそうだ.いかにも大変そうだ(第2章~第4章の章末にはパナマのフィールドでの苦労やドタバタを扱ったコラムが収録されている).本章の前半はキノコアリについて.

  • キノコアリのキノコ畑の菌を食べるのは成虫ではなく幼虫であり,(ほかのアリの幼虫のようにワーカーから口移しでもらうのではなく)直接食べる.
  • キノコ畑で栽培される菌もそこに寄生する菌も地球上でキノコアリの巣からしか検出されない.それぞれの種は緊密な共生関係にある.どちらがより強く相手を選抜するかをよく考えると,おそらく(生存のためにより相手に強く依存する)キノコがアリを選抜する淘汰圧の方が強いだろう.
  • アリは寄生菌に対して様々な防衛行動をとる.その1つは抗生物質を出すバクテリアを体内に持つことだ.

 
後半ではハキリアリに焦点が当てられる.巣の発掘物語,キノコ畑の詳細,ゴミ捨て場,巨大で長命な女王アリ,グンタイアリとハキリアリの対決*3などいろいろ語られていて楽しい.
 

第3章 おしゃべりするアリ

 
第3章は書名にもなっているハキリアリの音声コミュニケーションについて.アリは基本的に匂いによりコミュニケーションをとる動物だが,それだけではない.著者は好蟻性であるシジミチョウの幼虫が宿主の女王アリの音を擬態しているという論文に刺激を受け,ハキリアリが様々な音を出しており,音声コミュニケーションをとっているらしいことを見つける.まだ論文未発表ということで詳しくは語られないが,どのような音が聞こえるのか,どこから音を出しているのか,解析の苦労話が語られ,最後にアリリンガルを開発して駆除に役立てたいという希望が述べられている.
 

第4章 男はつらいよ・・・アリの繁殖

 
第4章はアリの繁殖システムについて.冒頭でアリの性決定システムとハミルトンの3/4仮説が解説されている*4.面白いのはワーカーを観察すると(まさに包括適応度理論の予測通り)オスを嫌っているようだというくだりだ.ここからは各論になる.(なお最後にはトゲネズミやカモノハシの性決定システムも語られている)

  • カドフシアリには無翅の中間型女王が出現することがある(より北に行くと出現率が上がる).彼女たちは(交尾を求めて飛翔できないので)秋口に巣の入り口でフェロモンを出してオスを誘って交尾し,そのまま巣に戻って越冬し,春に3体ほどワーカーを連れて独立する.(この柔軟なシステムについてさらに詳細が述べられていて興味深い)
  • アミメアリは女王を持たず,すべてワーカーで単為生殖することが知られているが,ごく稀にオスが生まれることがある.オスは交尾相手が存在しない*5のに産まれてくることになる.何故このようなことが生じるのか(淘汰されてしまわないのか)はわかっていない.
  • フトハリアリには明確な女王アリが存在せず,年齢が上で喧嘩に強い個体が交尾して産卵できるというシステムになっている.(形態的な女王アリがいる種でもワーカーを含めて喧嘩で産卵個体が決まるという報告もあるそうだ)
  • トゲオオハリアリのコロニーでは孵化したメス個体の翅の痕跡器官であるゲマをワーカーが囓りとろうとする.うまく逃れた個体のみ女王アリとなり産卵が許される.逃れられるかどうかは(強さや優秀さではなく)タイミングで決まるらしい.
  • イバラキノコアリの1種は完全にオスが存在せず,単為生殖だが,その中でワーカーと女王アリが存在する.

 

第5章 働きアリの法則は本当か・・・アリの労働


第5章はアリの行動について.冒頭は長谷川英祐による働きアリの法則の紹介がある.シワクシケアリではコロニーのワーカーのうち少数割合がよく働き,それ以外はあまり働かない.そしてよく働くアリ,働かないアリだけ取り出しても同じような労働比率になるというものだ.これは予備戦力を確保しておく方が突発事に対応できて有利ではないかということで説明されている.だとするとこのような性質が進化するかどうかは状況依存で,すべてのアリにあてはまるとは限らないことになる.

  • ハキリアリではサボるアリはごく少なく1~2%程度.コロニー全体で効率的で,システマティックに分業がなされている*6.徹底的に働くハキリアリのワーカーの寿命は短くわずか3ヶ月になる.
  • その他のキノコアリではワーカーの寿命は5~6年で,全体として見るとより単純な社会を持つキノコアリの方がより多くの割合のワーカーがサボっている.
  • アレハダキノコアリの女王で婚姻飛行で交尾できなかったものは元の巣に戻ってワーカーとして働く.

 
このほか第5章ではサムライアリやトゲアリなどの社会寄生性のアリの生活が解説され,章末のコラムではアリの個体にRFIDをつけて行動解析する話やアリの脳の解剖の話が語られている.
 

第6章 ヒアリを正しく恐れる

 
第6章は日本への侵入が危惧されているヒアリについて.著者によると日本にいるアリはおとなしいアリばかりで,中南米のアリの強烈さとは好対照なのだそうだ.そしてヒアリも中南米原産で著者のリサーチ対象になっている.

  • 現在特定外来生物に指定されているアリはヒアリ,アカカミアリ,アルゼンチンアリ,コカミアリの4種だ(このほかハヤトゲフシアリが検討中のステイタス)
  • ヒアリに噛まれた場合,アナフィラキシーショックに至るのは1~2%とされている(アメリカでの致死率は0.001%以下).しかし侵入定着を許すと公園や道路脇に好んで巣を作るため非常に多くの人が噛まれるので健康被害は大きい.侵入定着されたなら,ヒアリの巣らしいものに近づかないことが重要になる.農業被害,機械設備被害,不動産被害などの経済的被害も大きく,アメリカでは被害額について年間1兆円程度と試算されている.生態系への影響も大きい.
  • 噛まれた経験からいうと痛み自体は危険昆虫の中で中の上クラス(キイロスズメバチ,パラポネラ,グンタイアリの方が断然痛い).しかし2度目に噛まれたときに軽いアナフィラキシーショックを煩い,寒冷や様々なアリ毒に敏感になり,体質が変わってしまった.
  • ヒアリの原産地(パラナ川流域の熱帯雨林)では洪水が多く,洪水後のリカバリーが重要となり,ヒアリは女王の繁殖能力が極めて高くなるように進化している.原産地では単女王制だが,北アメリカの侵入コロニーでは多女王制にスイッチし,血縁にとらわれないスーパーコロニーを形成する.
  • ヒアリはアルカロイド系の毒とタンパク毒の2種類の毒を持つ.通常フグ毒などの動物のアルカロイド毒は植物が生産したものを取り込むが,ヒアリは自ら合成できる.タンパク毒はさらに4タイプがあり,アレルギーを引き起こす.噛まれたら最低限30分はじっとして様子を見る方がいい(アレルギー症状が出たらすぐに病院に行く).なお北アメリカでは毒についても原産地より強くなっている.
  • 一旦定着したものを駆除するのは非常に難しい.これまで成功したのはニュージーランドだけだ.アメリカは駆除に力を入れたが,途中で(レイチェル・カーソンの「沈黙の春」の影響で)DDTが使えなくなり,失敗した.
  • 現時点ではヒアリはまだ日本未定着だが,青海埠頭で50個体を越える有翅女王個体が発見されたりしており,極めて定着に近い状態でリスクは大きい.音を利用したヒアリホイホイが実用化できないか挑戦している.

 
以上が本書の内容になる.改めて解説されてみると確かに中南米のアリには強烈なものが多い.アルゼンチンアリやヒアリの世界的な拡大は最近よく聞くところだし,ハキリアリも一旦侵入されたなら(どんな植物もキノコにして食べてしまえるために)その農業被害はすさまじいことになるようだ.そしてそのような強烈な相手を研究するために片道25時間かけてフィールドに出て研究を続ける著者の語る物語は面白い.フィールドの面白話からアリをめぐる様々なトピックまで,この際引き出しにあるすべてを語り尽くしたいという著者の情熱が感じられる一冊だ.
 
関連書籍
 
本書でも紹介されている長谷川英祐の働きアリの法則に関する一冊.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20110427/1303899084

 
アリについての面白い本としてはこの本がある.ハキリアリやアルゼンチンアリも扱われている.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20140722/1406026778
 
ハキリアリについてはこの本.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20120804/1344075902
 
やや古い本で現在入手困難だが,アリ本なら同じくEOウィルソンとヘルドブラーによるこの本も外せない. 
さらに邦訳はないが同じくEOウィルソンとヘルドブラーによるピューリッツァー賞を取った超有名なアリ本. 

*1:長らく世界記録だったが,最近さらに速いアリが見つかって現在世界第2位だそうだ.著者がなぜその1位になったアリを紹介しないのかはよくわからない

*2:長らく世界最大のコロニーとされていたが,2002年にスペインからイタリアに広がるアルゼンチンアリのスーパーコロニーが発見されてその地位を失った.

*3:どちらが強いかよく聞かれ,一般論としては攻撃力はグンタイアリ,防御力はハキリアリになると答えるそうだが,一度グンタイアリの襲撃を受けてハキリアリの巣が滅びる現場を観察したことがあると語られている.

*4:アリの真社会性の説明は3/4仮説で決定的というような書きぶりになっている.ここはやや丁寧さが欠けていて残念なところだ

*5:なお日本のとある場所では女王アリが生まれるアミメアリもあるそうだ

*6:サブカーストは10以上で労働レパートリーは30を超えるそうだ