「人類進化史における戦争の文化」コンシリエンス学会研究会

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9月13日に標記研究会がオンラインで開かれたので参加してきた.発表者は長谷川眞理子.ダワーによる「戦争の文化」で展開された議論を題材にそれを進化心理学的に考察してみよう,そしてコンシリエンスを目指す若い研究者たちにはヒトの行動を扱うことの複雑さを理解してほしいという趣旨での講演となった.
 

人類進化史における戦争の文化 長谷川眞理子

  • 私は自然人類学の出身だが.これは自然科学の一分野で,アプローチにはいくつかの方法がある.主流なのは化石から迫るものと遺伝子から迫るものだが,私はどちらにもあまり興味がなかったので,行動と生態からのアプローチをとることにした.
  • 生態から人類を考えるのには生態人類学として狩猟採集社会などを研究する方法もあるが,当時,人間とは何かがあまりわかっていないという自覚があり,そのアプローチはとらなかった.
  • そして共通祖先であるチンパンジーの研究を行った.やってみてわかったのは,チンパンジーは人間とは全然別で,複雑で,そしていやな生き物だということだった.
  • その後,ほかの生物の行動生態を研究してきたが,45歳を過ぎたあたりから自分にも人間の何たるかがわかってきたような気がして,人類研究に回帰した.

 

  • チンパンジーの研究は,示唆することがないわけではないが,あまりヒトの洞察には結びつかないと思う.それはあまりにも違う生き物だからだ.6〜700万年前の分岐からヒトの系統が独自に得てきたものは多い.ヒトは固有でチンパンジーとは違うということだ.「ヒトが固有になったのはなぜか」が人類学で問われるべき最大の問題だと思う.
  • とはいえ私がチンパンジーを研究していた当時は,いかにチンパンジーとヒトが近いかを示す論文が主流だった.それは1つには研究資金を得るための方策だっただろう.しかし多くの人はヒトとチンパンジーが近いと信じていた.私は実際に研究して,これはヒトではないと確信した.

 

  • 今日は戦争がテーマ.私は(第二次世界大戦後の)1952年生まれだ.若い頃は世の中は良くなっていっていたし,それが続くと信じていた.世の中は良くなるとすり込まれていたのだ.しかしそうでもないなというのが最近の実感だ.90年代以降の生まれた人たちは必ず社会がよくなっていくという思いがあまりないのではないかと思う.
  • 戦争についても東西冷戦の終結でどんどん世界が平和になると思ったら,テロやら地域紛争やら,そして今回のウクライナ侵攻でそうでもないという印象がある.冷戦で隠されていた紛争の種が噴出しているということだろう.であれば,戦争についても真剣に研究していくべきだろうと思うようになった.

 

  • 戦争については,1968年のグドールによる「チンパンジーの戦争」の報告が世界に衝撃を与えた.それまで動物は戦争をしないと思われていたからだ.これは人間の悪の根源だと短絡的に受け止められ,それをテーマにしたエセ人類学的な本が大量に出版された.
  • 私が思うに,チンパンジーは互いの意図を共有することはない.集団が集団としてのアイデンティティを持って団結するということもない.個別の敵意はあっても集団対集団の利害に基づく敵意はないと思う.一緒に行って相手を攻撃するが,戦争とは違う.これ自体は研究の対象となるが,人間の戦争の理解にはあまり役立たないと思う.

 

 
原書 

  • 私は実は数多くの戦争の本を読んでいる.ダワーは「敗北を抱きしめて」で日本の第二次世界大戦の敗北を扱っているが,最近新しく戦争の本を出しているので読んでみた.
  • そこでは戦争の敗者側に見られるいくつかの文化的特徴が抽出されている.それは「自分に都合の良い思考」「内部の異論を排除し,外の批判を受け付けない態度」「過度のナショナリズム」「敵の武器や能力を過小評価する上層部の傲慢な姿勢」とまとめられている.
  • 私は最初の感想は,「確かにこれは敗因だが,でもこれで勝ったこともあるでしょ」というものだ.敗因の良い要約だが,勝ったときのことは考察されていない.

 

  • これらは進化心理的に考えて違った角度から考察できる.
  • まずヒトには同種個体を内集団と外集団に分け,内集団にひいきする傾向が確かにある.これが過度のナショナリズムや敵の過小評価の基盤になる.
  • 次に外集団に対して,必ず敵対するわけではないが,利害の対立などの条件がそろえば対立することがある.ヒトはチンパンジーと違って自分が属する集団のアイデンティティを持つ.これは内集団の結束を形成する.これが「内部の異論を排除し,外の批判を受け付けない態度」の基盤になる.利害対立しているときには内集団の結束は重要だっただろう.
  • 3番目にしばしばハイリスクハイリターンを追求することが有利になったということがある.あれこれ考えてやらないよりやっちゃった方がいいという局面はいろいろあるだろう.戦争にするかどうかを決めるような場合にはこういうことが結構あったのではないかと思う.これが「自分に都合の良い思考」や「敵の武器や能力を過小評価する上層部の傲慢な姿勢」を説明する.
  • そして進化史においてこのような態度が有利であった事態が結構あったのだろう.

 

  • このような態度が1つの遺伝子だけで決まるということはあり得ない.ヒトの生態的な基盤の中にこういう態度が有利になる条件があるということだ.
  • 感情・情動のあり方はおおむね進化的適応的に説明できる.認知はこれを抑えることも利用することもある.利用するというのは各種広告や煽り立てるメディアを見ればわかる.
  • その中でどうするのかは結局「各自の考え」だ.しかし付和雷同する大衆を1つの方向に誘導するということは可能であり,そうであればどこまで「純粋な個人の選択」であるかというのは実はかなり危うい.今ロシアの人々が実際にどう感じているのかはわからないが,ロシア政府がある方向に誘導しようとしているのは確かだ.私は自分は全部自分で決めていると信じていたが,先日結構流されている部分もあることを認識することがあった.
  • そして社会全体の雰囲気,同調圧力,それを許す文化がある.この影響を受けないようにするのは昔から難しいが,今は多分もっと難しくなっている.ただ片方で研究が進んでより分析できるようになった部分もある(感情がどう働くか,認知はどう働くか,同調圧力がどう働くかについては数多くのリサーチがある).
  • そのなかでどうするか.ここは私も模索しているところだ.

 

  • ここで進化を応用することについて改めて注意しておきたいことがある.
  • まず「遺伝か環境か」という古くからの論争がある.そして今でも「全部遺伝」派や「全部環境」派がいて対立している.
  • そして(遺伝も環境も影響を与えているとして)遺伝のどの部分を見るかということがある.実は遺伝は非常に複雑な現象だ.遺伝子やその発現調節がどのように表現型に影響しているかは全然単純ではない.
  • 片方で環境の影響は絶大だ.確かに感情や情動はかなり遺伝的だが,これは認知の部分の制御を受ける.そして認知の部分は進化的に新しいし,環境に非常に大きく影響される.私は自分は自分で自分だと思ってきたが,最近つくづく環境の影響の大きさを感じている.例えばアフリカがなぜ今もああなのかには過去の歴史的環境が大きく関わっている.ヒトが何に価値を見いだし,何に人生を賭けて,どこまで実現できるかは環境次第なのだ.
  • 確かに人間本性の根源的な部分は遺伝で決まっている部分が大きい.それを無視して文化が何かを作れるわけではない.二足歩行を行わないような文化は生じないのだ.
  • 脳の認知的発達も非常に可塑的だ.
  • だから環境がどう作られるのかが重要なのだ.文化は所与ではなく,その創成過程を詳細に分析するべきだ.

 

  • 戦争についてチンパンジーからの類推で簡単に済ませるアードレーのような議論,暴力性は進化的に規定されているというような議論は全然ダメということだ.
  • ヒトは感情の影響を受けるが,認知による抑制が働く.どういう条件でどう抑制されるかが重要だ.攻撃はある意味とても大切で,それなしではうまく生きられないが,時に悪に使われることがある.
  • 戦争は1つの文化的帰結であり,それを可能にしているのは攻撃性,内集団心理などだ.しかしそれがあるから必ず戦争が起こるわけではない.いろいろな現象は条件付きで生じる.この分析は難しい.子細に見ていける人材をつくっていかなければと痛感している.

 

  • ダワーの議論を読んで思うことの1つは,あれには進化史も内集団も登場しないことだ.何であの歳になっても全く周辺分野の知見を取り入れようとしないのだろうか.いくら歴史学者だからといってももう少しいろんな領域に目を配ってほしいと思う.

 
 

 

  • 歴史学者のピーター・ターチンは「進化歴史学」を作ろうとしている.この試みがいいのかどうか,まだちゃんと読んでいないのでよくわからないが,興味深い.
  • 人間の認知の大きな特徴は入れ子になっていることだ.自分は何者かがあり,それが周りにどう見えているかということがあり,さらにそれは自分に投影され,それに反応していく.これは分析することは難しいが,そういうことをする若い人が育ってほしいと思っている.
  • 今日は(コンシリエンスという)やろうとしていることは,とても難しいのだということを特にお伝えしたかった.

 
 

Q&A(興味深いやり取りのみ抜粋)

 

<主催者である伊藤による講演の趣旨を明確にするための補足的質問>

 
戦争に関する本を書こうとされているのか

  • 戦争の本というわけではなく,ヒトに固有な変な行動,例えば少子化とか,についてなぜそういうことが起こるのかの本を書きたいと思っていて,今書きためているところだ.

 
「認知」と表現されているのは,カーネマンのシステム2や理性とも呼ばれるものだと思うが,これが(理性の持ち主に)功利的に使われると,社会にとって良いことも悪いことにも起こるという趣旨か.

  • そうだ.例えばSNSは,こういうものに人間は飛びつくということで開発されたものだ.(開発者にとっては商業的利益になるが)使う人や社会には悪影響がある.開発者は悪影響を知りながら開発を進めたことがサイエンスのインタビューなどで分かる.彼等は自分の子どもには使わせないといっている.

 
遺伝と環境について,遺伝子と文化の共進化とか文化進化についてはどのように考えているか

  • (遺伝子と文化の)共進化について,本当に証拠があるものはすごく少ない.ほんの1つ2つしかないのではと思っている.

 
ヘンリックが行っているようなことはダメなのか

  • ヘンリックの議論はいいが,これまでに共進化の例として様々に主張されたものについては再現性の問題が指摘されている.再現性については特にfMRIを使って主張されたものはかなり眉唾だと思っていた方がいい.HBESではかなり前からfMRI研究については懐疑的な人が多かった.データにはものすごくノイズが多く,それをきちんと補正するのは大変だが,ここをいい加減にして興味深い結果を抜き出して報告するような例が多かった.それで再現性が問われているのだ.脳は本当に複雑だ.これは遺伝子の発現も同じだ.

 
ミーム論についてはどうか

  • 大変難しい問題だ.ここは人間研究の難しさが現れているところだ.ドーキンスが文化に自己複製子となる要素があると見抜いたのは確かに炯眼だった.しかしミームには遺伝子のような実体がないので研究するのが難しい.
  • この分野の議論ではスペルベルの文化疫学の議論が興味深いと感じている.個人の頭の中は千差万別だが,それが公的に表象されると一定の範囲に収まる,しかしそれは受け手の中でまた変異を起こす,そして変わりやすい方向に動いていく.これは分析が可能ないいロジックだと思う.

 
入れ子構造についてもう少し説明をお願いしたい

  • 人の認知能力が飛躍的に伸びた要因として「入れ子構造」の理解が大きい.これはあるものの中に別のものがあり,あわせて1つのものになる,そしてそれがさらに別のものとあわせて1つになるということが続きうることを理解できるということだ.チンパンジーはこれができない.例えば大小様々なコップを全部動かせといわれると,チンパンジーは1つ1つ動かす.しかし人間の子どもであれば,大きなコップの中に小さなコップを入れて一緒に運ぶということができる.言語は入れ子構造が重要な要素になっている.そしてあなたの心の中に私の心があるというような(心の理論の)理解も入れ子構造だ.そしてこれがヒトの文化や社会をとても複雑なものにしている.

 
 

<会場からの質問>

(ヒトの独自性に道具が重要,生得的な暴力性などを前提にした質問)

  • チンパンジーも道具を使うし文化を持つ.ヒトが違うのは道具の意味を共有できるところだ.チンパンジーはこれができないので,道具使用は見様見まねでしか伝わらない.だから細い枝を使ったシロアリ釣りをマスターするのに7年もかかるのだ.この道具の意味を共有できるという能力がヒトのテクノロジーの驚異的な進歩を可能にしている.
  • 生得的な暴力性というものはない.ヒトの大きな特徴はデフォルトでは他者を信用するというものだ.赤ちゃんは他人を信用する.そして無条件に他人を信用すべきでないという態度はその後に学習して身に付けていくのだ.
  • 性善説か性悪説かという対立に関していえば,ホッブスは大間違いだ.赤ちゃんは誰かに愛されないと生存できない,だから相手の善意を信じる.それが裏切られるとトラウマになって対人関係に問題を起こすようになることが知られている.そして子供期や思春期にそこから相手を信用しないことを学習していく.そして大人になってデフォルトでどこまで他人を信用するのかは文化によってずいぶん違う.

 
(攻撃の利点,群れに従う本能,内集団贔屓の生じ方に関する質問)

  • もちろん攻撃にも利点がある.生物は攻撃性がないと生きていけない.
  • 群れの性質はどのような生物のどのような群れかによって全然異なる.そして種の本能などというものはない.
  • 人間の共感に関する脳の部位には2つある.感情的情動的共感はACCが活性化して生じ,自動的に起こる.これに対して認知的共感は前頭前野が活性化して生じる.後者は様々な理解や状況に依存して起こり,意識的に切ることもできる.要するに共感は必ずしも自動的に起こるわけではなく,頭を働かせないと起こらないものもあるのだ.例えば外科医は患者の痛みについての認知的共感を切って手術する(そうしないとうまく手術できないかもしれない).
  • 人間の行動は複雑だ.いろいろな状況を勘案し共感を切ることもできるし言語で目的を共有することもできる.それらを他者操作に使うこともできる.ある意味何でもできる.そしてそこから文化が進化していくのだ.単純なロジックで分析はできないことを理解してほしい.

 
内集団贔屓が生じても,無条件に外集団への敵意が生じるわけではないという知見はロバストなのか

  • 人間にとって内と外の区別は深いところにある.そしてこれが生じる条件には外見,言語,文化的要素などがある.文化的シグナルを使うのがヒト独特なところだ.
  • 外への敵意は無条件ではない.というのはヒト集団は結婚相手を外集団から得てきたからだ.そして言語と観念操作により外集団メンバーの中に「嫁の父」や「婿の母」などが存在することが理解できる.完全な外集団というのではなく境界が少しぶれるようになる.これはチンパンジーには全くない.
  • 外集団に敵意が生じる例を見ると,「一方的に女を盗られた」とか「贈り物をしたのにお返しがない」などの出来事がきっかけになっている.これは利害のバランスが壊れることが影響するということだろう.

 
社会心理学では最小条件集団でによる実験で内集団・外集団についての様々な知見が報告されているが,これはマクロでも言えることなのか

  • 社会心理学的知見が実際の社会でも成り立つのかについてきちんと調べたのは山岸先生だ.彼の一連の研究は本当にうまく調べられている.例えば「日本人は集団主義でアメリカ人は個人主義」というステレオタイプを批判したリサーチは印象深い.良く調べると「日本人は自分を知っている人々の間では集団主義的だが,自分を知らない人々に対しては個人主義的」「アメリカ人はデフォルトで個人主義的だが,自分の行動が社会に影響を与えると教示されると集団主義的になる」などの結果が得られている.

 
全世界を内集団にするのは(そうなれば世界平和が実現するが)難しいのか.

  • 難しいと思う.というのは人類の進化史において「全世界」という概念が現れたのは極く最近だからだ.人類は進化史の大半を狩猟採集の小集団と近隣部族という世界で過ごしてきた.人間本性として捉える内集団のサイズは非常に小さいのだ.もちろん前頭前野の働きでそれを拡大することはできる.これがグローバライゼーションを可能にしている.しかし片方で,前頭前野でそれを分断することもできる.SNSは後者に大きく貢献するものになってしまっている.
  • これに関しては教育の力はすごいと思っている.私の子どものころは日本列島改造論の影響で「山を全部削って平地にしよう」みたいな考えが褒められたりしていた,水の大切さを教育しているイスラエルでは,長くシャワーを浴びる父親を子どもが非難するようになる.地道な教育は重要だ.

 
(ターチンの議論について)

  • 世代ごとの経験によりサイクルが生じるという議論は,結構面白いと思う.私は1952年生まれだが,親の世代は「戦争はとにかく絶対にダメ」という感覚が強いが,私の世代はそこまでではない.そういうのはあるかもしれないと思う.

 
(男性性(特に繁殖成功の分散の大きさ)と戦争の関連について)

  • そういうことはあるかもしれない.これまでのリサーチで欠けているのは「男の連合」についてだと思う.女性にはsisterhoodはあっても「連合」はない.男性のような連合はできない.うちの亭主も「男の連合」を作る.私は納得してないけど「こういうものだから」といってやっちゃってる.この「男の連合」にどういう意味があってどう働くかはよく調べる価値があると思う.
  • 今の社会は「男の連合」が作ったものだ.そしてそこでは女性はやりにくい.女性主導ならかなり違った社会になっていただろう.

 

<最後の一言>

  • 人間を研究するということは本当に難しいことだというのを若い方々には是非わかっていただきたいと思う.なかなか一筋縄では行かない.特に自分の先入観を知り,それにとらわれないことが大切だ.私を含めこれからも精進していきましょう.

 
 
ダワーの著書について,私は未読だが,結論がまとめられていて,失敗した側から見た敗因としては納得できるものだと思う.そしてこの原則がいくつかの事例(第二次世界大戦,9.11,イラク戦争)に当てはまっていることが詳細に論じられている書物ということになるのだろう.そしてそれは進化心理学的にいくつかの要素から解釈できるということになる.
長谷川のコメントで,これは敗因としてまとめられているが,戦争にかかる心理的傾向だとすると,これが勝因になったケースもおそらくあるだろうというのは確かにそうだろうと思う.またダワーがあの歳(原書執筆時で72歳前後と思われる)でも周辺領域に全く無関心なことを嘆くところも面白かった.これはコンシリエンス学会へのエールということでもあるのだろう.
この部分では「自己欺瞞的な要素」にはあまり触れられていなかったが,「敵を過小評価する上層部の傲慢な態度」にはこの要素も大きく関わっているように思う.
 
なお個人的には「ホッブスは大間違い」というのは言い過ぎだと思う.確かに幼児の時には性悪説は当てはまらないが,通常の社会で育ち学習した結果,多くの人は機会主義的な性悪行動傾向を獲得するのであり,社会を運営するには性悪説に立つべきだという結論は正しいと思う.
 
ピーター・ターチンの本も紹介されていて,少し興味を引かれた.「彼はどうもDSウィルソンのキャンペーンに乗せられて,ナイーブグループ淘汰的な主張をしているらしい」という先入観があって,あまり注意を払っていなかったが,一度目を通しておいた方が良いかもしれないと思うようになった次第だ.
 
関連書籍
 
ダワーの本.「敗北を抱きしめて」は邦訳が出た際に読んでいたが増補版が出ているのは知らなかった

こちらは第二次世界大戦時の日米それぞれの人種的偏見を扱った本. 
これは2014年の最新刊で,日本を扱っているもの,内容的には上記2冊と重なっている部分が多いようだ 
ピーター・ターチンには著書が多いようだ.唯一訳されているのがこれ.目次を見た限りではかなり理屈っぽい本で,ケーススタディはわずか.ちょっと取っつきにくそうだ.同原書


ほかにこのような本があるようだ.