From Darwin to Derrida その207

 
ヘイグの「ダーウィンからデリダまで」.本編とカデンツァの後は付録(Appendix)が収録されている.
 

付録(痕跡器官):語についての語 その1

 

  • 痕跡器官は単語にあるスペルには残っているが発音されない文字と比べるとよいかもしれない.それらの文字は発音には役立たないが,その単語がどこから派生したかの証拠を提供してくれる

チャールズ・ダーウィン

 
この冒頭の引用は「種の起源」の初版からのもの.生物相互の類縁性,形態学,発生学,痕跡器官を論じている第13章の最後にある文章だ.ダーウィンのオリジナルな文章では痕跡器官は「Rudimentary organs」とされているが,ヘイグは付録の題に「a Vestigial Organ」を用いている.どちらも使われる用語だが,GoogleのヒットはRudimentary organの方が3倍もあるようだ.なぜヘイグがVestigial Organの方を用いたのかはよくわからない.
 

 

  • 私が単語の意味を尋ねるときには,質問を言語テキストで回答される言語テキストで行う.私たちは意味を語としてコミュニケートする.
  • 多くの哲学者にとって意味の質問は言語についての第一義的な質問だ.しかし本書では意味という概念をすべての種類の解釈として一般化している.
  • 言語学や言語哲学は広大な学問領域であり,不勉強な初心者は戦慄しながら踏み込むしかない.とはいえ,私は私の意味の記述をどのように言語に関連させているかを説明しておく必要があるだろうと感じている.

 
確かにヘイグは本書で「意味」をかなり広い語義で用い,特に「解釈」をその概念の中心として捉えていて,異色だ.というわけでこの付録でそのあたりを語っておこうということのようだ.
 

  • 何かを読む重要な理由は著者の意図を理解することだ.そして著者がテキストを作文した重要な理由はその意図を理解してもらうことだ.言語は話し手のコミュニティで共有され,作文やテキストの解釈に用いられる洗練された慣習だ.慣習としての意味は進化する.なぜなら著者と読者は相互理解により共に利益を得るが,著者の真の意図と著者が解釈させたい意図が食い違うことがあるということは,言語は正確な情報を伝えるだけでなく,相手を騙すためにも使われているということになるからだ.

 
この最後の持って回った言い方はいかにも本書の付録に相応しい.普通なら,「言語は相手を騙すためにも用いられるので,真の意図と解釈させたい意図とは食い違うことがある」」という風に説明するところだろう.
 

  • 私はここで「意味」を解釈の手続きの物理的な出力として用い,「テキスト」を解釈されることを意図した解釈として用いている.これらの定義により,2種類のテキストが言語の中心になる.私はそれを公的テキストと私的テキストと呼ぶ.
  • 公的テキストとは言語使用者の出力であり,かつ他の言語使用者から解釈される,話されたあるいは書かれた文字列だ.各言語使用者は作文や公的テキストの解釈のために使う私的テキストを持っている.
  • 私的テキストは込み入った物質的形態を持つ.それはまずテキストだ.なぜならそれは(1)生得的なアプリオリにある知識の文脈での言語使用者の生活経験の解釈であり,(2)公的テキストの作文や理解についての情報を提供するからだ.私的テキストは言語使用者の進化的発生的歴史,特に彼女の公的テキストについての経験から情報提供される.

 
わかりにくいが,ここでヘイグの言う公的テキストとは書き言葉や音声として発された言語で,私的テキストとは公的テキストを解釈するために脳内で使われる言語ということになるようだ.