War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その19

 
ターチンの協力の科学の学説史.ここまでに合理的選択理論,血縁淘汰と互恵理論でヒトの超向社会性が説明できないと(強引に)主張した.ここからターチンの推すヒトの向社会性の説明の話になるが,まず超向社会性自体についての説明がある.
 

第5章 自己利益の神話:協力の科学 その5

 

  • まず説明すべき超向社会性がリアルであることを確認しておこう.第一次世界大戦の志願の殺到は印象的な例だが,一回限りで極めて複雑な現象だ.科学的には実験により検証することができることが望ましい.
  • 1990年代にエルンスト・フェールたち行動経済学者は合理的選択理論の前提をテストすることにした.その1つが公共財ゲームの実験になる(実験の詳細が解説されている).
  • 自己利益の最大化を目指す合理的経済人は公共財ゲームで一切拠出しないはずだ.しかし実際に実験すると,人々は初期のラウンドではバジェットの半額ほどを拠出する.そしてラウンドが進むにつれて拠出額は減っていく.インタビューすると参加者は協力する意思はあるのだが,他の参加者が拠出しないことに怒って罰を与えようと拠出を絞っていると答える.コストを払って直接罰することができるオプション付きのゲームで実験すると,人々は実際に非拠出者を罰し,協力は維持される.
  • これらの結果からみると,集団はいくつかのタイプの人が集まって構成されているようだ,一部の人は合理的エージェント「ならず者」であり,罰されるまで非協力を貫く,一部の人は無条件協力者「聖人」であり,拠出し続けフリーライドされる.そして最も多いのが条件付き協力者「モラリスト」であり,協力指向はあるが,非拠出者にフリーライドされるのには我慢できない.そして罰オプションがあれば喜んでコストを払ってならず者を罰する.罰されたならず者はしぶしぶ拠出を行い,フリーライドがなくなると聖人とモラリストは最大拠出したいという選好に従うことになる.グループは最終的に(ほとんど罰行使がなくなるため)モラリストとならず者の利得が同じになる平衡状態に行き着く.
  • このような実験は様々に繰り返されている.金額が極めて高い実験でも同じような結果が報告されている.また集団によって聖人,ならず者,モラリストの比率は若干異なる.学生グループは低学歴グループや貧困層グループよりより協力的(ただし経済学専攻の場合はそうではない)に振る舞う.また国別でも異なる.
  • 国別の協力傾向の違いがよく示されているのは最後通牒ゲームの実験だ(実験の詳細が解説されている).先進国の学生間の違いは大きくないが,それでもアメリカやスロバニアでは最初のオファーの最頻値は50%で,日本とイスラエルでは40%だった.そして低いオファーが拒否される確率はアメリカ,スロバニア>日本>イスラエルだった.
  • 伝統社会をふくめると違いはさらに大きくなる.ペルーのメチゲンガ族では参加者の3/4が25%以下のオファーを行い,ほとんど拒否されない.メチゲンガ族では生産活動は家族単位でしか行われていない.肉の平等分配で知られるパラグアイのアチェ族ではオファーの平均が51%,大きなカヌーで協同漁労を行うインドネシアのラメララ族では58%だった.
  • 一般的にオファー割合と低いオファーが拒否される確率は相関していたが,ニューギニアのアウ族とナウ族では極端に高い割合のオファーは逆に拒否される.これらの社会では大きな贈り物を受け取ると大きな義務を背負い,従属的な地位になるとされる.
  • 最後通牒ゲームの振るまいが文化に依存するもっとも良い例はケニアのオルマ族だ.オルマ社会では学校や道路をみなが協力して造り,その貢献は財産額に比例してきまる.そしてゲームにおいては富者はより高いオファーを行い貧者はより低いオファーを行った.

 
これらのゲームの結果は様々に報告されて有名なものだ.ターチンの紹介はおおむね適切だが,集団間の差異と文化の影響を強調するものになっているのが特徴になるだろう.
 

  • これらの実験の結果はマキアベリの自己利益的前提が間違っていることを示している.すべての人が完全に自己利益だけを目的に行動するということはないのだ.極く一部の人だけがそうする.そして他の多くの人は向社会的に振る舞う.さらにその割合は社会により異なる.文化的慣行や社会制度は集団行動に大きく影響するのだ.
  • また実験はモラリストの役割が重要であることを示唆している.聖人だけではならず者にフリーライドされ続ける.独善的なモラリストは必ずしも良い人ではなく,彼等のモラル的罰動機は向社会的な意図に基づくものではない.人々に協力させようとしているのでもなく,単に規範破りに怒っており,罰を与えることで満足を得ている.それは感情的であり,美しいものではないが,グループの協力を推進するのだ.(罰を与える時に脳の報酬系が活性化していることを示すリサーチが解説されている)

 
この部分のターチンの説明もおおむね適切なものだ.確かにすべての人が完全に短期的な自己利益最大化だけを目指して合理的に行動しているわけではない.人々には(状況依存的ではあるが)協力しようとする傾向があり,感情により行動が制御されている.そして集団の協力を保つのには罰は有効だ.
 
しかしこの最後通牒ゲームや公共財ゲームの振る舞いには合理的行動要素がかなり多くある.いったん人々が進化的にモラリスト的な本性を持つことを受け入れてしまえば,そのようなエージェントの相互作用の中で,どのように罰を避け,長期的により多くの(相利的協力に基づく)リターンを得るかを合理的に追求するとすれば,これらの振る舞いはかなり説明可能になる(もちろんできない部分もある).特に拒否確率とオファー割合が相関していることは意思決定に合理的要素があることをよく示している.また,その人々が暮らす社会における損得まで含めた「自己利益」を考えると社会や集団による振る舞いの差異も合理的選択からかなりよく説明することができるだろう.
 
そしてここからここで示した結果が血縁淘汰や互恵性では説明できずに,(ターチンのいう)学際的に問題に取り組んだ科学者のグループによる理論でのみ説明できるという主張につながっていく.
 
関連書籍
 
最後通牒ゲームや独裁者ゲームにおける人々の振る舞いについての最近の本としてはこの本が詳しい.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2021/09/24/112148