What Price the Moral high Ground?

What Price the Moral High Ground?: Ethical Dilemmas in Competitive Environments

What Price the Moral High Ground?: Ethical Dilemmas in Competitive Environments


What Price the Moral high Ground?

Passions Within Reason(邦題「オデュッセウスの鎖」)でヒトの感情についてコミットメント説を展開したRobert Frankの近著.(それとは別に検索していたら,なんとこのたび連銀の議長になったバーナンキとも共著でマクロ経済の教科書も出していることを知った)前作のLuxury Feverでは感情のコミットメント説からやや離れて派手な消費性向がヒトの心理からくる公共財問題であることを論じていた.本作は2002年のエンロンの会計疑惑を受けて,企業のモラルはあり得るのかについて,行動経済学進化心理学をふまえて論じているもの.

本書の主張の中心はヒトにおいて有効な感情コミットメントは心理的な満足だけでなく,繁殖的なそして物質的な利益が生じうるものであり,経済行為を行う企業においても妥当する.つまり経済モデルにおいては狭い合理的選好モデルだけではなく,進化心理をふまえて適応的合理性を取り入れるべきであるというもの.
そしてその実証として賃金格差の問題が取り上げられ,実際にモラルがある(と思われている)仕事かどうかが最大の賃金格差説明要因であることを示す.これは結構衝撃的.特に米国における弁護士の報酬が環境問題などの公益問題では安く,ウォールストリートでは高いというところは興味深い.さらに寄付行為のビジネスを例にとり効率的な戦略構築のためには適応的な動機モデルが不可欠であることを説得的に説いている.この二つのトピックは実証的で読んでいて特に面白い.
最後に現在の経済学の狭い合理性選好モデルに偏った教育の結果,実際に経済学を学ぶとより利己的になることを示し,実社会ではそれは大きなコストをかけてしまうかもしれないことを案じている.
200ページ弱で簡潔に書かれており,章ごとに力点や説明ぶりを変えていて飽きさせない.進化心理学行動経済学に興味のある人にはお勧めである.



本書の概要


まずヒトの行動について伝統的にミクロ経済理論では合理的行動選択説を採る.しかし実際のヒトは明らかにそうではない.そこで本書は,まずヒトの行動についてカーネマンとトバルスキーが切り開いた行動経済学と同じく,狭い合理性選好モデルを否定し,適応的合理性を仮定する.そしてコミットメント問題をよく考えると合理的な行動主体は狭義の利他性をとることによって利益が得られることがあるということをアイデアの柱にしている.


第1章

まずはコミットメント問題のおさらい.アパートの期間契約や結婚相手の選択を例に出してコミットメントの重要性を説く.ヒトの感情はこのコミットメント問題の解決のためのツールなのだ.
またこの感情コミットメントは人々がその背後にある利害関係について意識していないとうまく働かないという微妙な性格を持つ.そのために共感の能力,フェイクしにくい感情表現の発達,そしてだまそうとするものと見分けようとするものの間にアームレースがある.実際にリサーチするとヒトは確かにある人が協力的かどうかを見分けている.またヒトは協力的かどうかというのは文脈依存的である.
このような前提に立つと誰とどのように関わるか,そして組織をどのようにデザインするかは大きく結果に効いてくる.


第2章

ヒトが確かに囚人ジレンマゲームの相手が協力するのか裏切るのかについて,事前に接触すると有意に見抜くことができることについてのリサーチの紹介.


第3章

適応的合理性について.まず言葉の定義とその分析の狙いについて.合理性を適応的に定義すると道徳性に近づく.
ここでは適応的な合理性として,近親者や親友などの価値を赤の他人より大きく見積もってもよいと定義し,それが多くの人々の自然な感情,行動基準に合致しているとする.

ここは潔癖なヒトからは少し違和感のある物言いかもしれない.まあ定義だから


第4章

企業について
企業は繰り返しビジネスを行っている.当然コミットメント問題はあるし,道徳的(言葉としてはMoralというよりPrudenceのほうがよい)な方が長期的利益に資する状況が数多くある.有名なのはエージェント問題.オーナーとエージェントの間には信頼がないと双方ともに利益が得られない.がちがちの契約ではなく柔軟な関係がのぞまれる.そしてそれは企業と顧客との関係でも同じ.製品の品質,守秘義務など企業も責任ある態度であることを信頼してもらえないとコミットメント問題を解決できない.また実際に消費者は社会的責任を持つ企業を好む.


第2部は実証編


第5章

ここは本書の白眉.実際にどうなっているのかのリサーチが紹介される.そして衝撃的な結論は「賃金格差の最大の説明要因はその仕事がどの程度道徳的かという評価だ」というのだ.リサーチは細部まで示されとても興味深い.米国の企業の銘柄まで示されていて具体的になっているところが非常に痛快.(Salomon Brothers < Metropolitan Life < IBM < Xerox < W. W. Norton とか)またさらにいいのが,弁護士の報酬.スターティングサラリーで公益のためのものは2万ドル台なのに,ウォールストリートなら8万ドルというのがすごい.またタバコ訴訟での証人についてはすでにアメリカでは一線級の科学者はタバコ会社側には絶対に出ない.被害者,健康保険側に出る場合には無償,場合によっては交通費も手弁当.タバコ会社側は2線級の研究所の職員で当然ながら報酬付き,しかも表の報酬をやや小さくして裏で大きく配っているらしいとか.
そしてそういう実態があるのなら,企業側は社会的責任ある態度を示すことによって職員への報酬を抑えることができ,同じ賃金でより優秀な人材をうることができることになる.つまり企業にも道徳はペイする局面があるのだ.

第6章

会社の中での賃金格差について.
古典的なミクロ経済分析では一企業の中の賃金格差は,個人の生産性に比例しているはずである.しかし実際にはそうなっていない,それより遙かに緩い傾斜配分になっている.これを個人の公平への選好で説明しようという説もあるが,フランクは反対.これは進化心理的に認められる地位への欲求,つまり会社内の地位についての選好が理由だとする.つまり高い地位を望む人は,自分の相対的な生産性より低い賃金でも高い地位に一定の価値を認め満足する.地位に価値を相対的に認めない人は,より生産性の高い会社に移れば地位は低くても賃金が高いポジションに移れる.このようにして会社間の賃金格差と会社内の相対的に平等な賃金格差が平衡するというもの.
実際に労働者同士のインタラクションが多いほど賃金格差が小さいことが認められる.
この章はミクロ経済分析的な手法で統一されて説明されている.


第7章

寄付について
この章も面白い.
まずなぜ寄付をするのか.一つには自分の価値観にあった方法でお金を使ってほしいということだが,間接的な利益としては,それによる名声,そしてそれによりある種の社会ネットワークに参加できることの利益がある.ここでのポイントは寄付をする動機は単純ではなくいろいろなものがあり得るということ
つづいて社会心理学で認められた合理的選好説と矛盾するヒトの心理についての概説.利益と損失で非対称な評価関数.フレーム効果,サンクコストの重要視,機会コストの軽視,評価関数が金額に対して対数型をしているために分割したり合算したりすると評価が変わってしまうこと.要するに適応合理的な選好は,狭い合理性による選好に比べシステマティックに乖離する.
ここから寄付を募る側の戦略が解説される.
そもそも寄付業界(!)はとてもコンペティティブなので効率的に行わなければならない.利他的な人からの寄付だけを集めてはあまり大きな金額にならないので,名声,社会ネットワークを望む人をターゲットにするべきである.そのためにはまず「大義」が重要.これがないと寄付者が名声を得られない.より具体的な事例を強調して個人の情感に訴えることは効果的(統計的な飢餓者の人数ではなく,今飢えている少女の写真が効果的).また個人的な依頼ネットワークも効果的.頼んできた人からのよい評価という要素が寄付行為を後押しする.
寄付の匿名性は非常に面白い問題.本当に匿名を望む人と,名声のために表面上は匿名を望み,あとから本人の意思とは無関係に暴露されるのを望む人の両方が存在する.つまり社会力学的には匿名を保とうとする力とばらそうとする力の両方が存在する.チャリティ側の対応は難しいが,真の匿名を望むヒトへの匿名性の保持は必要だと思われる.
マッチンググランツ(一般からの寄付があればそれに比例してスポンサーからの寄付額も増えるというもの)も有効.
地位のマーケティングも重要.アメリカでは寄付に対しての教授席のネーミング(endowed professorships)があり,これが例に出される.(現在Ivy Leagueの教授席の相場は3億円以上らしい)単一価格は非効率であり,プレミアムカテゴリーを作って上手にマーケティングする余地がある.
要するに寄付行為の分析には特に狭い合理的な選好モデルは不向きである.進化心理学をふまえた新しい動機モデルを使って分析しなければ効率的に寄付行為の戦略は立てられない.その中では名声獲得に対する心理,システマティックな心理的な傾向が重要であるということ.


第8章

相対的な評価体系がもたらすアームレースとその社会全体に対する弊害について
一般に利得がある集団内での相対的な評価に依存する場合で,その評価を上げるための投資行為がお互いに打ち消す効果がある場合には社会全体から見て非効率的なアームレースが起こる.例としてプロスポーツステロイド禍があげられる.
これを解決するには契約等の取り決めによりコミットメント問題を解決しなければならない.そしてこれに対して社会規範が効果を上げていることがある.
なぜこのような社会規範は有効なのか.社会的な罰があるからだが,なぜヒトはその罰を与えるコストを払うのか.難しい問題だが,結局それがよりその社会の中での緊密なネットワークにつながるということが重要であるように思われる.社会規範は小さい街でより有効なのはこれで説明できる.
実例が挙げられる.労働者による割当制のキャップ.ガリ勉を馬鹿にする学生の風習.19世紀欧州の決闘の作法(一定以上の距離を保証する,ライフルはだめなど)先鋭的ファッション(ピアスの数,場所など)雑誌の広告のお色気度.
いずれもこのコミュニティが大きくなり,競争が激しくなると規範は崩壊する.


第9章

この章も傑作
曰く「経済学を学ぶとより利己的になるのか」.そして答えはyesなのだ.アンケート調査,囚人ジレンマゲームを使った実験でこのことが具体的に示される.
結論としては経済学は狭い利己主義モデルだけでなくヒトにはいろいろな動機があることをもっと強調して教えるべきだ.そして実社会では利己主義モデルは妥当せず,本当に裏切り戦略をとるヒトは交換ネットワークから除外されてコストを支払わなければならないのだから,この教育は重要だ.


エピローグ

本書の主張の中心は感情コミットメントは心理的だけでなく物質的にも利益があり得る戦略だということ.そしてこのような現象はいわゆる「見えざる手」をより強固にすることも弱くすることもある.
重要な経済現象に対して環境整備をせずにモラルに頼るのは非常に危険である.エンロン事件に対するブッシュ政権の対応はそういう意味で危険だ,不公正者に木賃とか罰可能性を与えて正直者に報酬があるように制度設計を行うことは重要だと主張する.