A Reason for Everything

A Reason for Everything: Natural Selection and the British Imagination

A Reason for Everything: Natural Selection and the British Imagination


「A reason for everything」この題名は自然の驚異に対するたった一つの理由という意味である.

そして本書はその理由(すなわち自然淘汰による進化)を追い求めた英国における自然淘汰重視派の進化生物学者の列伝ともいった書物.ダーウィンはさすがに多くの書物になっているのでここでは取り上げられていないが,その後に続くダーウィンの思想的後継者たちのプロフィールがつづられている.ウォーレス,フィッシャー.ホールデン,メイナード=スミス,ハミルトン,そしてドーキンスと続く.


確かにこうして並べられてみると,そして通して読んでいくと,こういう学者の系譜に思想的な筋が一本通っていることが見えてくる.彼らはいずれもナチュラリストであり,観察される自然の驚異に対して自然淘汰の持つ説明力をこよなく愛している.あるいは自然淘汰の持つ説明力に畏敬の念を持っているといってもよい.そしてそういう立場に立って透徹に考え抜くことから宝石のような進化理論が生まれてきたことが浮き出てくる.そこがこの本の白眉といってよいと思う.
大陸欧州の学者が進化には何か生物あるいは種に内在する推進力みたいなものを仮定しがちであり,適応より発生に,生物個体より種に興味があり,また米国の学者は偶然の要素を重視したりすることと対比するとよくわかる.
確かに同じ進化の現代的総合を成し遂げた生物学者の間でも米国のライトは小集団の遺伝的浮動を重視し,これに対し同時代のフィッシャーは遺伝子の入れ替わりはその遺伝子が優れているという理由にこだわる.新しいところではグールドvsドーキンスの論争もこのフレームに入れてみるとまた頷けてしまう.


個別の話では,ウォーレスは適応を愛するあまり,人間の精神能力がそれで説明しにくいと考え,ヒトの進化において自然淘汰説から離れてしまう.またフィッシャーは,プライスの公式に遙かに先駆けて適応速度と分散の関係を見抜き,ミームの考え方の萌芽が見られることなどあまりに時代の先端を走っていることがよくわかる.
さらに集団遺伝学の発展と現代的総合の熱気,そしてそれを人間に当てはめると非常に難しい倫理の問題が起こり,さらに突き詰めて考えていくと何らかの優生的な考えに至ってしまうことが不可避であることもわかるし.そしてホールデンとメイナード=スミスは時代の流れの中,共産主義にシンパシーを感じる.血縁淘汰と進化ゲーム理論を巡るフィッシャーとハミルトンの絡み合いも複雑で,さらにハミルトンの優生的な考え方の孤独もにじみ出る.最後はドーキンスのコンピュータオタクと無神論と遺伝子から見た突き詰めた論理が語られる.個別のエピソードの詳細も読ませるし,全体としても非常に味わい深い本であった.セーゲルストローレの「社会生物学論争史」の背景の一つとしても大変参考になる.


蛇足ながら使われている英語は非常にペダンティックで格調が高い.使用頻度の低いインテリ好みの単語はがんがん出てくるし,英国の上流生活に関わる固有名詞も当然のように説明なく使用される.英国のインテリのわかる人にだけわかれば十分という感じの格調の高さである.さすがにこれはちょっと苦しかった.