Fisher the evolutionary biologist by Alan Grafen


最近Alan GrafenのWeb Pageを見つけてしまいました.これは宝の山です.とりあえずFisherの自然選択の基本定理についての講演録を読みました.
narrow roadsの最終章のHamiltonの業績とりまとめで,(ついでにこの原稿もおなじWeb Pageにあります)Grafenは,「集団遺伝学者による包括適応度の受容は非常に遅れた.それはFisherの基本定理が誤解されていたからだ」とまとめています.しかしFisherの自然選択の基本定理とは何か,どうしてそれが誤解されたのかについては詳しい説明が無く,どういうことかわからなかったのですが,この講演録を読んでよくわかりました.やはりFisherは時代の先を行っていたのですね.
またこの基本定理とプライスの等式の関係もフランクの論文(こちらのWeb Pageも調べているうちに発見しました.これも宝の山です)でもう一度復習できました.プライスの等式のキャラクター値 z に,適応度 w を用いればかなりスムーズに導入できるみたいです.これはフランクによる導出で,プライス自身は別の方法で導出していて,自分の等式と関連づけていないというのもとても興味深い逸話です.


Fisher the evolutionary biologist by Alan Grafen

At a meeting to commemorate the unveiling of a plaque to R. A. Fisher at Inverforth House, Hampstead, London, on May 17th

ロンドンでのR. A. Fisherの記念プレートの除幕式での講演



Fisherの自然選択の基本定理についての解説

この定理は現代のほとんどの生物学者から「それ何?」「それって単なる近似じゃないの?」「歴史的な興味?」というような扱いしか受けないことが一般的だ,しかし私はそうは考えない.これは非常に重要な定理であり,現代進化生物学はこの上に乗っているのであり,Fisherはどこまでも正しかったのだ.

この定理は1930年の”Genetical Theory of Natural Selection"において「ある生物体のある時点の適応度の増加率は,その時点での適応度の遺伝分散に等しい」と表現されている.
"the rate of increase in fitness of any organism at any time is equal to its genetic variance in fitness at that time"




The Genetical Theory of Natural Selection: A Complete Variorum Edition

The Genetical Theory of Natural Selection: A Complete Variorum Edition


集団遺伝学者は,これは集団の適応度は上昇し続けるということを意味すると誤解した.そして実際には適応度平均は常に上昇するわけではないので,この定理を重く考えなかった.またライトは同じように誤解して,有名な適応度地形を考えた.この定理は同時代には理解されず,真の理解はジョージ・プライスにより1970年代に始まった.


しかし,これはFisherが最初から強調していることだが,定理の左辺はもともとから適応度変化のすべてを表しているわけではない.これは適応度変化のうちの一部分,すなわち遺伝子頻度の変化に基づく適応度の変化率についてのみの定理である.エピスタティックな理由,優性・劣性・超優性,環境の変化やドリフトによる適応度変化は含まれていないのである.


Fisherは真剣にこの遺伝子頻度の変更分だけを分離しようとしたのだ.どのように分離したのだろうか.これはFisher自身により導かれた多変量回帰分析の手法を利用している.各個体の適応度を従属変数として,その中に現れる対立遺伝子について各対立遺伝子ごとにダミー変数を独立変数として導入する.そして適応度との間に回帰分析を行うことにより,遺伝子型から適応度を推定できるようになる.これが現代の用語でいう「相加的遺伝的適応度」である.そして遺伝子頻度の変化から回帰係数を用いて,適応度の変化を推定できる.このような形での定理の再表記はプライスによりなされた.用語的には定理のうち「遺伝」が「相加的遺伝」に置き換わったことになる.


このことが理解されたあとも集団遺伝学者の反応は「これは近似だ」というものであった.そして彼らはこの定理を近似から解き放ち,「完成」させるために遺伝子頻度以外の項を盛り込もうとさえしている.


Fisherの意図は何だったのだろうか?
彼の興味はあくまで「進化生物学者」としてダーウィンの自然選択の疑問に答えることにあったのだと思う.集団遺伝学の詳細はダーウィンの示した自然選択のアイデアに比べてきわめて複雑であることをFisherは理解していた.そして,適応度の変化をすべて説明するのではなく,その中で自然選択を受けたための遺伝子頻度の変化による適応度変化,つまり自然選択として説明できる適応度の上昇を,集団遺伝学の中から単離したのが「基本定理」なのだ.故にこの定理が記載された本の書名は”Genetical Theory of Natural Selection"なのである.そしてこれこそが進化の「デザイン」に対する疑問への解答なのである.


現代においてこのダーウィンのデザインに対する疑問と集団遺伝学との結合を,数学的に表すなら,これは動学的なモデルと最適化の数学のリンクになる.集団遺伝学では,1970年以降最適化の議論は,それに動学的な分析手法を欠いていたため重きを置かれなくなっていた.このためこの「基本定理」が見過ごされ続けたのである.


Fisherの「基本定理」は,自然選択が働く形質について深い洞察を与えてくれる.その最適化の方法論は,うまく導入された擬人的な説明手法に正当性を与えることになる.ある個体を適応度最大化のためのエージェントとしてとらえて説明することが正当化されるのである.そしてこれがデザインを説明するもっともいい方法になる.そして擬人化が正当化されるためには,正確に何が最適化されるのかを明確化する必要がある.この明確化がなされれば,ラマルクやテイヤードシャルダンや群淘汰の議論などのような無用の混乱に陥らずにすむ.


実際にFisher自身はこのような明確化した形での適応の議論を好んだ.そしてこの遺伝子を持つ個体が何かを最適化しているという考えのフレームワークの上にその後の重要な進化生物学の発展が乗っている.Fisherの「基本定理」は自分と同じ遺伝子を持つ個体同士の相互作用に拡張される形でハミルトンの包括適応度を産む土壌になり,頻度依存的な適応度を与えるものについてゲーム理論的な拡張を行ってメイナード・スミスとプライスのESSの概念をはぐくんだ.さらに確率的に適応度が定まる状態への拡張もなされてはじめている.(この最後の拡張はGrafen自身により行われているようだ)

このFisherの「基本定理」は適応エンジンを集団遺伝学から単離したことにその大きな意義があり,集団遺伝学の複雑性の中で自然選択がどのように働くかを明確に示した.そしてこの最適化アプローチは進化生物学の主流であり続けるであろう.Fisherはダーウィンの数学者として,自然選択とメンデル遺伝学の間に橋を架けたのだ.