読書中 「The God Delusion」 第7章 その1

The God Delusion

The God Delusion



宗教擁護派の大きな主張は,「宗教なしには道徳はすべて個人の主観や恣意によってしまうではないか,宗教のみが絶対的な道徳律を与えられるのだ」というものだ.そして宗教が絶対的な道徳律を持つと主張するのは通常それが聖書に書かれているからだということになる.確かに何かに書かれていないと常に教祖様の恣意によってしまうだろうから,絶対的基準というならそれしかないだろう.ドーキンスはこの章では,じゃあ聖書に書かれていることは本当にそんな絶対的な道徳律なのかということを結構具体的に議論している.この具体的な執拗さはドーキンスの議論の大きな特徴だ.デネットが聖書の具体論については触れずに,他派や他宗教の中でどれを選ぶかで恣意性は入り込まざるを得ないとして次に進んでいるのに比べて,これでもかというぐらいに粘着的だ.
ここに嫌悪感を覚える読者もいるだろう.私にはむしろ宗教側の議論の独善性に耐えに耐えてきたドーキンスの積年の憤りが感じられて,趣深い.


具体論としてはまず旧約聖書から.確かに旧約はつっこみどころ満載だ.
まずノアの箱船で神が子供まで大量殺戮したことを指摘する.そしてもちろん神学者はこれを文字通りとってはならないというだろう,しかしそれこそがまさにドーキンスの指摘したいポイントだ.つまり結局誰かが恣意的にこの物語を解釈するのなら絶対的な道徳律とは呼べないだろう.そして多くの敬虔なアメリカ人が(神学者の主張とは異なり)字義通りに聖書を信じていることも指摘される.

そしてアメリカの著名な伝道師は,何故同性愛のような個人的なことを非難するのかと問われて,それが神の怒りを呼び大災害を引き起こして周りに迷惑を掛ける可能性を指摘したという.これもなかなかの話だ.


これに続いてこれでもかこれでもかと旧約の恐ろしいエピソードを指摘していく.旧約聖書に見られる女性蔑視の例として,ソドムとゴモラの破壊の際にロットは暴徒に自分の娘を差し出し,(天使によって救われた)娘は父と近親相姦を行う.またレビ人と老人は自分たちが食事をしている間に妻と娘をレイプしてよいと暴徒に差し出す.差し出された妻は一晩中レイプされ続けて死んでしまう.レビ人は屍体を切り刻んでイスラエルの全土に送る.
アブラハムは妻を妹と偽り王に差し出す.また神に命じられて息子を殺そうとナイフを握る.ドーキンスにいわせるとこれはチャイルドアビュースに加えて,優越的地位を利用したいじめ,歴史上初のニュルンベルグディフェンス「私は命令に従っただけだ」にあたるだろうという.


人々が他宗教に振り向いたときに神が見せる怒りは最悪の嫉妬そのもので,3千人の殺戮を命じ,疫病を起こす.ミデアン人をおそった軍隊は男を皆殺しにするが女と子供は助ける.この助命にモーゼは怒り,男の子供と処女以外の女は殺せと命じる.そして処女は自分のものにしてよいというのだ.

この後も民族浄化に都市住民の皆殺しなど延々と指摘が続いている.旧約聖書の内容を確かめてみたが,まさにそのようなことが書かれている.
さらに具体的な道徳律として書かれている中には,同性愛,獣姦,安息日に働くことが死罪になると書かれている(レビ記).旧約聖書には実際に安息日に薪を拾ったものに対して石で打ち殺すように命ずる話が出てくる(申命記).安息日に働いたら死罪というのもなかなかすごい話だ.


この節の最後では,現代の宗教家もこのような行動を是認するわけではない,つまり聖書が道徳律の基盤になっているということはないと強調している.




第7章 「善」の書物と道徳律の時代精神の変遷


「政治は何千人も殺してきた.しかし宗教は何万人も殺してきたのだ.」 ショーン・オケイシー


(1)旧約聖書