読書中 「The God Delusion」 第7章 その2

The God Delusion

The God Delusion



聖書は道徳の規準になるのか.旧約聖書に問題が多いとしてでは新約聖書はどうなのか.
ドーキンスはイエスの所行はまずファミリーヴァリューに問題があると指摘する.そしてさらにキリスト教は「罪」の概念に取り憑かれているといっている.
原罪はアダムが禁断の実を食べたことによる.そしてそれは父親を通じて子孫に受け渡される.子供は生まれる前からその遙か祖先の罪を背負っているというのだ.このような考えは現代の罪の感覚とは合わないだろうとドーキンスは主張する.
また神はイエスを人の形に具現化して,アダムの罪を償わせるために拷問にかけさせ磔にさせたのだ.そしてパウロの解釈ではそれは過去の罪ではなく,まだコミットもされていない将来の罪の償いまで含んでいるというのだ.そしてそうするためにはユダが裏切らなければならず,ではそれはすべて神とキリストにより仕組まれていたのか.また神が許したいのなら,何故ただ単に許さないのか.何故裏切りと磔が必要なのか.ドーキンスはこのようなことすべてに「罪」という概念に取り憑かれたキリスト教の特徴があり,そしてこれは現代の道徳観念と合わないだろうという.



さらに旧約新約を合わせて両聖書で説かれている道徳はほとんど,「身内」のためのものだと指摘している.つまり「汝の隣人を愛せ」と言うのはもともとは「他のユダヤ人を愛せ」という意味らしい.このことを明らかにした進化人類学者のジョン・ハーツングの論文が紹介されている.


そのページはhttp://www.lrainc.com/swtaboo/taboos/ltn01.html


ちょっと読んでみたがなかなかの内容だ.
冒頭で南部バプテスト連盟がアラバマ州で天国に行ける人を試算した話が紹介されている.それによるとカトリックプロテスタントより低率等の計算式が用いられたそうだ.いきなりの宗教人の感覚のずれが見事に感じられるエピソードだ.


本文は様々な記述から旧約の神やイエスが救おうとしたのはユダヤ人に限られることが示されている.
興味深いのはユダヤ教の最高法廷で「動物か異教徒を殺そうとしてユダヤ人を殺してしまった人」の判例を示しているところだ.それによると9人の異教徒と1人のユダヤ人の集団に石を投げてユダヤ人が死んだ場合には,多数は異教徒だったのだから殺人には当たらないことが推定されるそうだ.


この論文ではさらにイスラエルの心理学者ジョージ・タマリンの研究が紹介されている.
それによるとタマリンは千人以上の8-14歳のイスラエルの子供にエリコの虐殺の話をした.そして子供にこのヨシュアイスラエル人の行いが正しいかどうか聞いたのだ.結果は両極に分かれた.66%は完全に是認,28%が否認だった.わずか8%が部分是認だった.さらにいろいろな比較,コントロール実験も紹介されている.特に興味深いのが舞台を古代中国に変えると75%が否認するという部分だ.


ハーツングはこうまとめている.
「聖書は内集団のモラル,外周団の虐殺と隷属,そして世界の征服の青写真だ.しかし聖書はだから邪悪なのではない.イリアッドやアイスランド伝説や古代マヤの物語など,古代の物語は皆そうだ.しかし誰もイリアッドを道徳のガイドにしようとは思わないだろう.問題は聖書を道徳のガイドとすることだ.」


ドーキンスはつづけて宗教が人々にラベル付けをすることによる不要に敵意をあおっていることを問題にしている.もちろん人はサッカーチームや肌の色でもラベル付けをするが,子供にラベルを付ける,学校や婚姻集団を分けるという点で宗教は遙かに危険だと主張している.



第7章 「善」の書物と道徳律の時代精神の変遷


「政治は何千人も殺してきた.しかし宗教は何万人も殺してきたのだ.」 ショーン・オケイシー


(2)新約聖書


(3)汝の隣人を愛せ