「人類最後のタブー」

人類最後のタブー―バイオテクノロジーが直面する生命倫理とは

人類最後のタブー―バイオテクノロジーが直面する生命倫理とは



カバーデザインもださいし,邦題が何ともいえず煽動的で,まったく手に取る気も起こさせないような外観だが,いったん手に取ってみると中身はかなりまともそうだ,ということで購入して読んでみた.


本書の基本は西洋で影響力のある宗教的信念,それに最近非常に流行している「母なる自然」にかかる信念が,最新の生物学的研究による知見とどのような関係にあるのかを説明しようとしているところにある.著者は分子生物学者であり,よって立つ立場は,宗教的な信念や「母なる自然」信念は,得られた知見の前には合理的には成りたち得ないというところにある.ただ,本書はそれをひたすら突きつけてどうだ参ったかという叙述にはなっていない.淡々と最新の知見を説明して,このような信念がうまくいかないことを浮かび上がらせるというのが中心で,ところどころに何故このような合理的でない考え方がヒトの心の奥深いところにあるのか自体が興味深い問題だということにふれるというスタイルだ.

だから私にとっては本書のスタイルは抑制的で理性的なもののように思える.ただしテクノロジーの内容は強烈で,上記「信念」を持つ人からはおおいなる畏れを持って受け取られるにちがいない.そういう意味では非常に挑戦的,煽動的な本だと受け取られているのだろうし,それを受けてのこのカバーデザインなのかもしれない.


構成としてはまず,著者の世界の様々な場所への訪問と(これが結構ハードな探訪旅行で迫力がある)様々な信念体系があることを前振りにしておいてから,一神教の「霊:スピリット」の信念について,それがいかに科学的知見と離れているかを説明する.まずいろいろな信念体系を紹介してから,ユダヤクリスチャン的一神教を相対的に見ることを誘っているところは西洋知識人に対してはよい導入の仕方なのだろう.宗教の進化的起源についてふれている部分もある.

次にそのような一神教的な「霊」の概念を堅持しようとすると「ヒト」と「ヒトでないもの」の間に明確に区分が必要になることと,それが(胎児の発達というような古典的な例もあるが)今日的なバイオテクノロジーの前では,まったく合理的ではなく,そしてそれを政治的に何とかしようとする努力がいかにおかしな事態につながっているかを冷静に叙述している.
この問題は中絶を巡る米国の国内事情だけからも明白だが,しかし本書で語られるバイオテクノロジーの最前線はさらに強烈だ.米国のキリスト教支持派の政治的努力は,胎児については受精の瞬間にその区分を求め,ゲノムが人為的に改変されることは許されないと整理し,ES細胞については治療目的とそう限定できないものを区別して,その整理と整合させようとしている.しかし現在のテクノロジーでは,もはやES細胞があれば,誰の体細胞からでもゲノムを注入して,それを制御して,精子でも卵子でも作り出せ,それを受精させ,代々細胞として培養し,好きな世代でヒトに成長させることも可能らしい.(読み終わって今もう一度考えてみるとこれは相当衝撃的だ)さらに本書は動物と人間の間の線の微妙さも取り扱っている.
この現実を前に,宗教的信念から,難病の治療技術を奪ってしまう(突き詰めれば宗教側からはすべての技術について否定せざるを得ないだろう)ことが本当に正しいことなのかというのが著者の最初の示唆である.
(著者はこのままでは一神教的なタブーのない東洋にテクノロジーやその恩恵が移ってしまうとも危惧している.そういうことになるのだろうか.韓国の論文データ捏造事件もあり,興味深いところだ)


ここで「母なる自然」信念に話は移る.これは「母なる自然」は調和して美しいもので,至高の「善」の源であり,「自然」なものは皆正しく,人為的なものは悪だという信念だ.著者によるとこれは現在西洋社会で優勢になりつつある素朴信仰なのだそうだ.日本でもそうなのではないかと思う.私の身の回りでもこのような素朴な信念の持ち主は非常に多い気がする.

しかしもちろんダーウィンがすでに見抜いているように,自然は決して「善」の源ではない.社会生物学論争でもこれは「自然主義的誤謬」として有名だ.しかしこのようなアカデミーの議論ではなく,素朴な信念として政治的な影響を考えると,これはこれで非常に非合理的な結果を生むのだというのが著者の示唆の2番目である.例としてはアメリカにおける「サプリメント」と「有機農業」が取り上げられている.植物の作る各種化合物は捕食動物への対抗策としての毒物が多く含まれている.だから本来食品などの安全性をテストするなら「自然」のものと「人為的」なものを区別するべきではない.しかし現行の規制は「自然」なものは安全でテスト不要,人為的なものについては通常自然なものに含まれる毒物よりはるかに高い安全性基準を要求されている.「有機農業」は今やそのラベルに商業的な価値があるために政治的圧力団体に成り下がっていると指摘している.
この「母なる自然」素朴信仰による政治的な非合理性の問題は今日の日本でも同じ状況のように思う.非常に強いGMOに対する忌避の根底にはこの素朴信念があるのだろう.著者は最後に人類の幸福を考えるならGMOを含むバイオテクノロジーの農業分野への応用をためらうべきではないと強く示唆している.

ハウザーの本を読んで感じたことにつながるが,結局このような進化的な過去になかったような問題の正邪を判断するのは人にとって非常に難しいことなのだろう.私は直観的な判断から一歩引いて,より人を幸せにするにはどうしたらよいかという視点で考えた方がよいのではないかと思っている.本書のように功利的スタンスを崩さない姿勢はその意味からは役に立つだろう.


冒頭にも述べたように本書は理性的立場から書かれた良書だと思う.参考文献,原注もきちんと収録しており,良心的な作りだ.値段を手頃であり,カバーや邦題にだまされずに多くの人に読まれるとよいと思う.