「人類の足跡10万年全史」


人類の足跡10万年全史

人類の足跡10万年全史




本書は主に分子的な証拠を用いて,またそれ以外の特に古気候学の知見も大幅に取り入れて,人類が出アフリカ以降どのように拡散していったのかの足跡を探ったものである.またそれ以外にもホモサピエンスの初期の歴史における重要な論点について議論されている.論考は緻密で説得力があり大変興味深いものに仕上がっている.


現在のミトコンドリアY染色体のDNAの知見からは「出アフリカ説」が定説となっているが,何回,いつ,どこで出アフリカが生じたのかについてはなお議論がある.そして本書はヨーロッパアジアに広がった現生人類につながる出アフリカは南ルートでただ一度生じたものだという主張を行うのだ.そしてそれに付随してオーストラリアへの侵入,アメリカへの拡散,5万年前の認知革命とは何かについて詳しく議論される.


まず前段のプロローグでに取り上げられるのは現生人類になる過程での脳の増大を巡る議論.著者は化石記録を大きく見ると数十万年前以降の近時については脳の増大傾向は化石記録には見られないし,文化的な進歩が遺伝子の変化によるものだと考えない方がよいと強く主張している.脳の増大についての原因については言語が先でボールドウィン的に後の脳の増大が生じたというような主張をしているが,本当に訴えたいことは旧石器,新石器時代の遺物と遺伝子の変化は結びつけない方が良いということだ.特にこれはいわゆる5万年前の認知革命とは何かを議論するときに重要になるのだ.


そして出アフリカ,これまでの考え方は人類は北のスエズ近辺を通ってアフリカからヨーロッパに至った.そしてオーストラリアへはそれとは独立に南の海岸沿いのルートで渡ったのだろうと言うことになっている.
しかし著者は証拠を総合してそうではないと議論している.ここでの著者の主張が面白くかつ説得的なのは古気候学の知見を大幅に取り入れて人類が不毛の砂漠を渡ることは不可能だっただろうとしてルートを狭めていく点である.最終的な著者の結論は,「12万年前頃一度人類はレバントに進出したが,そののちまもなく絶滅してしまう.そして現在のアジア・ヨーロッパ・アメリカにいる人類の祖先はただ一度紅海の南側を渡ってアラビア半島の南の地域に進出したのだ」と言うことである.時期はおおむね8万年前.DNAの証拠と古気候学の知見が組み合わさって見事な議論になっていると思う.


著者の議論は同様に続く.最初のグループはまずどこに広がり,そこからどういうルートでヨーロッパに至ったのか.これも最初に肥沃な三日月地帯が砂漠から草原に変わった時期を重要なポイントにしている.
続いていわゆる5万年前の認知革命を巡り,ネアンデルタール人と現生人類とそれぞれの石器文化の特徴,さらにアジア.アフリカの石器文化との関連について議論される.著者によるとこれまでの議論はあまりにヨーロッパからの発見に比重を置きすぎており,また文化と遺伝子も結びつけすぎている.アフリカに10万年以上前から装飾的な文化物が発見されており,総合的に見ると少しづついろいろな文化的な要素が付け加わっていると見るべきだというのが著者の主張だ.

ここからは拡散ルートにかかる詳細な議論が続く,ヨーロッパへの広がりルートとミトコンドリア遺伝子型,Y遺伝子型.アジア・オーストラリアへの拡散ルート.モンゴロイドの起源.アジアでの複雑な遺伝子の動きなどが続く.特にアジアの複雑な状況はその間の古気候と相まってなかなか迫力がある.また7万年前のトバの噴火の状況も重要なポイントらしい.
そして氷河期の大氷結とアメリカへの拡散と話題は続く.最大最終大氷結の時の気候について,そしてそのときの人類の住居可能地についていろいろ考察がなされている.アメリカについてはクロービス以前に人がいたのかという議論はだんだんあり得るという方向に傾いているがそれ以外は混沌としている状況らしい.ここでは著者があまりにイデオロギー的になった論争の状況を厳しく批判している.大きく言うとアメリカの拡散はまずアラスカあたりにいったん待避地ができ,そこから何回かの進出が生じた.いったん南アメリカまで広がったあと北アメリカでは氷河期に人口が大幅に減少した.また平行して海岸周りのルートの侵入も生じた可能性が高い.最後にコロンブス以降に大幅に人口減少があったというストーリーらしい.


重厚でとても興味深いストーリーが説得的に描かれている.数々の地図も魅力的だ.複雑な遺伝子の状況を巡る整理や中立的な現在の知見については篠田謙一の「日本人になった祖先たち」を手元に置いて参考としながら読むことをお勧めする.



関連書籍



Out of Eden

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原書 出版は2004年



日本人になった祖先たち DNAから解明するその多元的構造 (NHKブックス)

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日本人のミトコンドリアDNAについて詳しい.2007年出版で,もっとも最新の知見を含んでいる.
私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20070624