読書中 「The Stuff of Thought」 第4章 その2

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


ヒトの世界の認知のあり方を言語の中に見る,その最初は物質について.
ヒトの心が,ヒト,もの,材料を見るときどのように把握するのか.それは名詞の中に現れるというのがピンカーの前口上だ.


まず最初のピンカーがあげるのはX=Xという形の一見トートロジーのような文章だ.
多くの文例があげられているが,そのうちの1つ
Boys will be boys.
というのは「若い男性は結局お馬鹿で向こう見ずで下品に振る舞うものだ」と言うほどの意味だ.ピンカーが最後にこれを聞いたのはハーバードの校庭にボートチームの学生が,雪で巨大ペニスと作っているときだったそうだ.

これがトートロジーにならないのは最初のBoysと2番目のboysが異なることを指しているからだ.最初はある実在するエンティティーを指すポインターとしての役目を持ち,2番目は定義や固定観念に特徴付けられたそのクラスや種類を表すということになる.これによりもっとも基本的な文章(そして基本的な思考)はまず何かを主題を提示して,それについて何かを叙述するものだということがわかるという.


日本語ではこのような言い方をするときには普通「所詮」とか「結局」という言葉が入らないと不自然なような気がするが,基本は同じだろう.「男の子は所詮男の子だから」


ピンカーのあげる次の話題はGoogleの検索語につけられた値段だ.digital camera と digital cameras では値段が異なるのだそうだ.これはカメラの仕組みが知りたい人は単数形で検索するが,カメラが買いたい人は複数形で入力する傾向があるためだと言うことだ.単数形は抽象名詞であって,具体的なものを示す単語としては複数形がふさわしいと言うことのようだ.


そして話題は固有名詞の一般名詞化に移る.商品の場合が取り上げられ,このような名詞は generonyms と呼ばれ,そうなることは genericide と呼ぶとされる.古くはジッパー,アスピリンエスカレーター,グラノーラ,ヨーヨー,リノリウム,最近では クリネックス,バギー,ゼロックスウォークマン,プレクシガラス,ローラーブレードあたりがそうらしい.確かにアメリカ人にはコピーをとることをゼロックスといっている人が多い.日本だとエレクトーンやセロテープが古典例と言うことになろうか.(この話の最後にはこのような一般名詞化を嫌う会社の法務部門から,一般名詞として商品名を使うことを警告されたらこう切り返せばいいのではというユーモアあふれる手紙文が掲載されていて笑える)


そして企業でなくとも自分の名前が一般名詞化されるのはいやがるのはなぜか.ピンカーの答えはそれは個別に取り扱われずに,何らかのカテゴリーや偏見に基に分類整理されるからだというものだ.
また似たような事例として,髪の毛の色をブロンドとかブルネットとか(形容詞として)呼ぶのには問題がないが,しかしある女性を指して a blonde (名詞)と呼ぶのは問題がある.それは女性の性的な外観のみで表現し,かつ古い偏見に基づいた性格付けまで行うからだ.そしてあるものの一部を持ってその全体を呼ぶのは(換喩.metonym)であり,おとしめる効果があるのだと解説している.


ここからピンカーは可算名詞と不可算名詞の話に入っていく.



第4章 大気を切り裂く


(1)すりつぶし,パッケージ,分類整理:物質についての思考