The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature
- 作者: Steven Pinker
- 出版社/メーカー: Viking Adult
- 発売日: 2007/09/11
- メディア: ハードカバー
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人の心がどのように物事を認知しているのか.もの,空間,時間ときて最後は「因果」だ.
ピンカーは,私達が毎日因果についての感覚を使って,いったい何が起こっているのか,そしてこれからどうすればいいのかを考えていると指摘した後,それが実は非常に脆い土台の上にあると主張する.(脆い土台の例としてボストントンネルの材料があげられていて笑える)
因果について良く精査すればするほどそれは意味が無くなってくるし,一部の哲学者は科学は因果と別れを告げるべきだといっているそうだ.
私は以前デネットの「自由は進化する」を読んだときに「因果」についての問題が取り上げられていて,これはなかなか難しい問題だと初めて認識したのだが,ピンカーもこれには真正面から取り組むようだ.因果を扱う本節はまず哲学的な議論から出発する.
最初に取り上げられるのはヒュームだ.
ヒューム(そして後にはカントも)は私達が観察していないものについての推測をどのように正当化できるのかについて懸念を持っていた.例えば「私がグラスを手から離せば,それは落ちる」という推測が,数学の定理のような確かなものにどうしたらなるのかということだ.
ヒュームの結論は,グラスが落ちると考えることは合理的だが,数学の定理のようにな確かなものにすることはできないというものだった.私達の因果についての直感は,心理学の取り扱いやすい部分だ.結局私達の因果についての感覚は,経験から印象づけられた期待以上のものではなく,そしてこの期待は宇宙が法則的であって初めて成り立つに過ぎない.そして宇宙が法則的であるかどうかは証明できないのだ.
ヒュームは因果の推測は,過去に何度も生じた経験と,自然の成り行きは常に同じだという仮定からきていると考えた.これは constant conjunction (恒常的な連接)と呼ばれる心理学の安易な原則だ.ある事象が何度も生じると将来も同じ事象が生じると推測するというものだ.それはイヌが条件づけられることとあまり違わない.
しかし人は相関が因果でないことは理解している.ニワトリのときの声が太陽を昇らせているわけではないし,プリンターのインジケーションランプが印刷物をはき出させているわけでもない.これらは真の原因の副産物とよばれる.
ヒュームは別の場所で,「私達は「原因」をある物事は別の物事に引き続いて生じることと定義しているのかもしれない,あるいは最初の物事が生じなければ2番目の物事も生じないと」といっている.この2番目の主張は最初の主張と比べるとよい考え方ということができる.面倒な随伴現象を排除できるからだ.
ピンカーは,しかしこの考えもよく考えていくとだんだん奇妙になってくると指摘している.
「Aがなければ,」「Bも生じない」などの仮定法の言いぶりは何を意味するのだろう.仮定の世界で何が真実だと決めるのだろう.人生は一度しかなく,世界はゲームのようにやり直しできるものではない.
多くの哲学者はここを「可能世界」として意味があるようにしようとしている.「可能世界」とは緑のこびとがいる未発見の惑星のことではなく,論理に反しない形であり得た現実世界という意味だ.「Aがなければ,Bも生じない」というのは「Aが生じないという「可能世界」の中のどれでもBは生じない」という意味だとするのだ.
日本での刑法の議論だと因果関係の議論はここで打ちきりだ.しかし哲学的にはこれでは十分でないらしい.ピンカーの指摘は続く.
もし私達が自由にどのような可能世界にもいけるなら,その推定される原因がなくとも,結果は生じうるのだ.その結果が生じうる別の環境がある世界を思い浮かべればよい.
マッチを擦ったから火が出た.よろしい,しかし突然室温が230度になる可能世界ではマッチを擦らなくとも火は出る.ではマッチを擦ったことは火の原因ではないのか?
哲学者はこの問題を避けるために,可能世界は現実世界に「類似して」いなければならないとする.だんだん苦しくなってきているのが私にもわかる.
とりあえず,マッチのたとえに戻るなら,通常の室温のままマッチを擦らない世界の方が現実世界に近い.だからマッチを擦ることは火の原因だと言える.
ではなぜ,「ほかの条件がすべて同じなら」といわないのだろう.それはほかのすべてを同じにはできないからだ.ある1つのことだけを変えることはできない.ニューヨークがコロラドにあれば,ニューヨークはもはやミシシッピの東側にはないだろう.その世界ではコロラドは大西洋に面するのだろうか.
ピンカーによれば,言葉はチープなので,どんな可能世界についての叙述も,変更にかかる重大な問題についてすべてを明晰にはできないということになる.
ここではケネディとフルシチョフの話や,ヒラリーとビルのクリントン夫妻のジョークが紹介されている,いずれも「もし・・・だったら」を巡るジョークだ.
ここまでで,もっともよい「因果」の定義は「近接した可能世界でAが生じなければ,Bも生じない」ということになる.
これにどのような問題があるのかが次の話題になる.
第4章 大気を切り裂く
(4)魅力:因果についての思考
関連書籍
- 作者: Daniel C. Dennett
- 出版社/メーカー: Viking Adult
- 発売日: 2003/02/01
- メディア: ハードカバー
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ダニエル・デネットによる「自由意思」を進化的に考察するとどう考えられるのかという本.自由意思を詰めていくと,当然可能世界とか,因果に問題にも突き当たる.私がこの点についての哲学的議論を呼んだのはこの本が初めてだったのでなかなか思い出がある.
自由意思にかかる量子論的決定論についてはサイコロを振って決まった結果にはどのみち責任は生じようが無いし,自由意思と責任を論ずるレベルと全く異なっている.そもそも人にはカオス的な決定と区別できないのだから議論する意味も無いとする.
進化に関しては,まず生物は予想して回避するようになり,さらに利他性が,そして脳の増大により文化とミームが,さらにコミットメント問題から情動と道徳が生まれ,最後に自らの行動を意識することによりESSの手詰まりからより高次に抜け出せるようになると説明される.
どうしようもなかったのだから責任は無いという責任逃れの弁明問題についてはこれは政治的な効率とコストの問題で責任をとることを魅力的にする社会の構築問題だと割り切る.
道徳の基礎が実は人の選好時間割引率の非指数性にあるとかの指摘もなされている.
- 作者: ダニエル・C・デネット,山形浩生
- 出版社/メーカー: NTT出版
- 発売日: 2005/05/31
- メディア: 単行本
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邦訳
Bad Acts and Guilty Minds: Conundrums of the Criminal Law (Studies in Crime & Justice)
- 作者: Leo Katz
- 出版社/メーカー: University of Chicago Press
- 発売日: 1987/12/15
- メディア: ペーパーバック
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刑法的な視点から(つまりもっとも哲学から遠く,もっとも実務的に)「因果関係」について深く考察されている本らしい.私は未読だが,本書でも,デネット本でも紹介されている.