読書中 「The Stuff of Thought」 第8章 その2

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


何故ヒトは間接的に話すのか.
ピンカーが取り上げる最初の例は,音楽の批評だ.ある歌についての批評が次のようだったとする.「ミズ・ウィンターボトムは『風の中のろうそく』のスコアと調和する一連の音を作り出した」
これは普通悪意あるコメントだと受け取られる.それはこの批評が「歌う」という言葉の代わりに「音を作り出す」という回りくどい婉曲的な表現を使っているからだ.私達はそれにはきっと理由があると思う.そしてそれはきっと彼女のパフォーマンスが「歌う」という言葉が通常使われるレベルにないからだと推測するのだ.


ピンカーによるとこれが私達が「行間を読む」と呼んでいる作業だ.そして関連して哲学者ポール・グライスの格言を紹介する.彼は,日常会話における言語使用はそれ自体に論理を持っていて,その論理は会話の参加者がメッセージをやりとりするために協力する必要から生じていることを主張している.


グライスは会話の4つの格言をまとめている.これは対話者が効率的に会話するための原則である.

1.量
  会話が要求するより少なくしゃべってはならない.
  会話が要求するより多くしゃべってはならない.
2.質
  自分が嘘だと思うことを言うな.
  証拠を持たないことを言うな.
3.作法
  曖昧に(obscure)になるな.
  両義的に(ambiguous)しゃべるな
  簡潔に
  順序よく
4.適切性
  適切であれ

これはアカデミアやジャーナリズムで(さらにネット上で)そうでない言説にあふれていることからばかげているように聞こえるかもしれない.しかしピンカーは次の2つの理由からこれは単にばかげているわけではないという.


まず,人々は疑いなく,時に,寡黙で,しゃべりすぎ,嘘つきで,傲慢で,曖昧で,両義的で,回りくどく,まとまり無く話す.しかしよく観察すると,本来可能な範囲に比べて,ごく小さな逸脱しかしないのだ.


ピンカーはその例として,誰かがオンラインチケットの取り方を尋ねられたらどう反応するか考えてみればいいという.彼はキーボードの打ち方から始めたり,「ウェッブサイトにいけ」という素っ気ない教え方はしない.彼は相手をポルノサイトに誘導したり,でっち上げのアドレスを教えたりもしない.関係のないことを交えた半時間の講義を行うこともない.
そしてコンピュータの応答システムを考えるとこれらすべてが当たり前ではないことに気づくだろう.


ピンカーはさらによくわかる例として1つのジョークを紹介している.これは傑作だ

2人のハンターが森に入った.突然1人が倒れて息が止まった.もう1人はあわてて携帯で緊急コールを行う.「友達が死んだ.どうすればいい?」「落ち着いてください.力になれます,まず,Let's make sure he's dead.」沈黙のあと銃声がした.「OK,つぎは?」

ポイントはハンターがグライスの格言を,make sure という言葉の曖昧さ(「本当に死んでいるかどうか確かめましょう」と「はっきり死んでいるという状態にしましょう」)についての解釈の際に生かせなかったところだ.


2番目の理由はこの格言が破られたときにわかる.
人は時に格言を無視する.話し手は,最終的には協力者である聞き手の解釈能力に期待する.だから私達は最初の批評家の「音を作った」という表現を怪しいと感じるのだ.

この批評家は意図的に作法の格言を破っている.読者はこれは何かを暗示していると考える.そして演奏が標準以下だったと推測するのだ.グライスはこのような推測を「会話における含蓄 implicature」と呼んでいる.これは論理的に必然であるわけではない.批評家はこう付け加えるだけでこの推測をすべてキャンセルできる「これらの音は私がここ数年で聴いたもっとも素晴らしいものだった」でもそのような但し書きがなければ,話し手は自分の思いをこのようにして伝えることができる.


ピンカーはこのような「会話における含蓄」の例をいくつかあげている.
映画「恋に落ちたシェイクスピア」で興奮するウィルからロミオとジュリエットのプロット案を聞かされたプロデューサーの一言「うーんこれだとこの二人は側廊で回転することになっちゃうね」
学生の推薦状においてその学生の髪の毛のことをほめる


ではなぜ直接いわずに言外にほのめかすのだろう.これについてグライスは多くを語っていないようだ.ピンカーはそれはヒトが社会的な動物であることを考えればわかるといっている.私達は単に情報を伝えているのではなく,互いにどう思われるかについて関心を持っているのだ.
批評家やプロデューサーの例でいえば,彼等は自分が嫌いなものを攻撃したいのだが,自分が泣き言を言ったり,悪意を持っているという印象は与えたくないのだ.


そして心理学者エレン・ウィナーは,人々は他人に対する批判を,直接言う人(なんてひどいゲームだ!)より皮肉で言う人(これはまた素晴らしいゲームだこと)の方によい印象を持つことを示している.
皮肉を効かせた話し手は,直接言う人より怒っていないと思われ,より批判的でなく,より自己コントロールができていると評価されるというのがその理由らしい.



第8章 人が行うゲーム


(1)内緒でひそひそ