読書中 「The Stuff of Thought」 第8章 その8

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


話し手と聞き手にコンフリクトがある場合の間接スピーチ.警官への賄賂の例を見てきたがこのようなコンフリクトは外交官同士や男と女の場合にももちろんある.ピンカーをそれを見事にあらわしたジョークを引いている.

ご婦人が「no」といえば,それは「maybe」を意味している.
ご婦人が「maybe」といえば,それは「yes」を意味している.
ご婦人が「yes」といえば,彼女はもはやご婦人ではない.


外交官が「yes」といえば,それは「maybe」を意味している.
外交官が「maybe」といえば,それは「no」を意味している.
外交官が「no」といえば,彼はもはや外交官ではない.


ちょっと脱線してフェミニスト版というのも紹介していて,ピンカーのフェミニストへの感度がわかって面白い.

女性が「yes」といえば,それは「yes」を意味している.
女性が「maybe」といえば,それは「maybe」を意味している.
女性が「no」といえば,それは「no」を意味している.
もし男性が何か言い張れば,彼はレイピストだ.


また外交に関してはこのような話も紹介している.

アメリ財務省の高官マイケル・ランガン曰く
「私が連邦政府の役人だった頃,ある複雑な問題について明瞭で簡潔に説明を書いたことがある.上席はそれを注意深く,考えながら読んだ.そして私を見上げてこういった.『これはよくない.私はこれを完全に理解できる.持って帰ってぐちゃぐちゃにしたまえ.わたしは2通りか3通りに解釈できるようなものが欲しいのだ.』その結果できた曖昧さは競合する政府の利害に対しての妥協の役割を果たせたのだ.」


互いに国内情勢を抱えていれば曖昧さが唯一の合意の道ということも十分あり得るだろう.しかしこれは当然ながら物事をこじれさせる元にもなる.それでも曖昧な合意をした方がよいと考えられる理由もある.
合意をしたというそのこと自体が何らかの進展を与えることもあるだろうし,時間がたてば環境が変わって曖昧でなく合理できるようになるかもしれないからだ.ここでもピンカーは面白い話を引いている.

ある男がスルタンを侮辱した罪で死刑を宣告された.男は取引を申し出た.もし1年内にスルタンの馬に歌を教えることができたら自由にしてくれ,教えられなかったら進んで絞首台に登るというものだ.
彼が刑務所に戻ると,牢仲間は「気でも違ったか」と聞いた.男はこう答えた.「1年もあればいろんなことが起こる.スルタンが死ぬかもしれない,俺が死ぬかもしれない,馬が死ぬかもしれない.それに馬が歌を覚えないって決まっているわけでもないさ」


これらは賄賂や外交など掛け金がわかっている特殊な状況のものだ.では毎日の生活の中ではどうなのだろうか.ピンカーは毎日の生活でも人はまるで罰されるのを恐れるように曖昧なものの言い方をするのだと主張し,傑作な事例を紹介している.


街で一番話題のレストランに行きたいが,予約はない.支配人に50ドル渡してみよう,さっと席に通してくれるかもしれない.これは2000年のグルメマガジンの企画でライターのブルース・フェイラーに与えられた指令だ.なかなか傑作な企画だ.


ピンカーにいわせると,これは驚くほどの効果があった.


まず指令を受けたライターにとって,これは結構シビアな指令だ.フェイラーはこう語っている.「私は本当に神経質になった.タクシーがマンハッタンに入り,おしゃれな街に近づくにつれ,私はホテルの支配人がなんと言って怒るのかを想像し始めた.『あなたは何様のつもりですか』『私を侮辱するおつもりか』『これで入れるとでも』」
そしてフェイラーが勇気を振り絞って賄賂を申し出るとき,彼は間接的なスピーチを使ったのだ.
「キャンセル席があればいいなと思っているのですが」
「私が待たなくてもいい方法があればと思いまして」
「2人用の席があればと思って」
「今晩は僕にとって大事な日なのです」


これはある意味で当然だ,フェイラーの頭の中の利得行列は警官への賄賂ゲームと同じなのだ.

    不正直支配人   正直支配人
何もしない   長く待たされる   長く待たされる
賄賂   すぐ席に   公開の場でさげすまされる
間接スピーチ   すぐ席に   長く待たされる


そして衝撃的な結果報告.これは常に効果があった.フェイラーは常に5分以内で席に着けたのだ.興味深い実例は実名入りで紹介されている.

編集者からさらなる挑戦を命じられ,彼は「アレン・デュカッセ」に行った.そこは新しいフレンチレストランで,一食が375ドル,予約は6ヶ月後まで埋まり,もしバーベナティーを注文したら,その植物がテーブルまで運ばれ,ウェイターは白手袋と銀のハサミでその葉を刈ると言われている店だ.フェイラーは支配人に100ドル札を差し出してキャンセル席はないかと尋ねた.支配人は「完璧な恐怖」の様相を示して「駄目なのです,お客様,あなたは勘違いされています.ここにはたった16席しかないのです.どうすることもできないのですよ」といった.フェイラーはお札を隠して名刺とともに置いてその日は引き上げた.2日後,電話が鳴って彼は4席を提供された.お金と間接スピーチのおかげでフェイラーは2700人を飛び越えたのだ.


レストラン側も実はビジネスとして偽善を強いられている.彼等は客をえこひいきすると非難されたくないが,賄賂は受けるのだ.そして同じように間接スピーチを用いる.間接的なスピーチは,レストランと客双方にそれが賄賂であることを否定できる余地を与える.まるで,隠しカメラがいつも回っていて,良いレストランのエチケット違反について常に法廷で追及される恐れがあるかのように.


これはチップという仕組みがあるいかにもアメリカ的な舞台設定だ.あちらのレストランは表向きは買収により客をえこひいきするということは認めないが実はするのだ.日本の接客業だとコネが効くことを思いっきり認める(一見さんお断り)か,まったく買収に応じないかのどちらかにかなり明確に分かれるだろうから,このあたりの差異はなかなか興味深い.それとも高級フレンチなら日本でも同じことが可能なのだろうか.いずれにせよチップの習慣がないところでいきなりフロアマネージャーに5千円札を差し出すのはニューヨーク以上にプレッシャーがかかるだろう.
それにしてもこう暴露されたあとニューヨークのレストランは一体どうしたのだろうか.残念ながらピンカーはこの暴露のその後の顛末は書いてくれていない.


ピンカーはこの節をこう終えている.

謎は深まる,なぜ賄賂について追及されること,あるいは性的な誘いや寄付の要求について追及されることがそんなに怖いのだろう.そして取引が行われたときそれが「オフレコ」であることが双方にとってそんなに安心感を与えるのだろう.これらの疑問に答えるためには,言語学ゲーム理論を離れて,進化社会心理学に向かわなくてはならない.そこで困惑とタブーのルーツを探すことができる.


第8章 人が行うゲーム


(3)ぐちゃぐちゃに混ぜろ:曖昧さ,否定可能性,そしてその他の戦略