「Missing the Revolution」 第2章 フェミニズムと進化心理学 その2


Missing The Revolution: Darwinism For Social Scientists

Missing The Revolution: Darwinism For Social Scientists


アン・キャンベルによるフェミニズムの章.社会構築派について分析・批評したあと,もうひとつの考え方環境リベラル派に移る.


<環境リベラル派>
この学派は実験も因果も認めるそうだ.広い意味で科学ということなのだろう.
事実の主張として「性差は外部環境により生じる」と考える.キャンベルによると,コスミデスとトゥービイのSSSMはよく漫画的(something of a caricature)と批判されるそうだが,この立場は最もSSSMに近いそうだ.


この学派はまさに「心が空白の石版だ」という仮説の上に成り立っている.


ここからキャンベルは環境リバラル派の主張とその批判をあげている.ある意味環境リベラル派は事実の主張を行っているので議論が成り立つというわけだ.


1.「母親は,子供が男の子か女の子かによって異なって扱うという実験」
追試をするとその効果は弱く,せいぜい与えるおもちゃの選択ぐらいという結果が出る.そして赤ちゃんは9ヶ月からおもちゃの好みに性差が出ることから,その好みにしたがって与えている可能性を指摘している.
また別のリサーチによるといろいろな両親の行動が子供の行動の性差の行動と相関している証拠はない.そもそもこの理論は学習と模倣の理論から来ている.しかし女の子が母親を真似,男の子が父親を真似るかというリサーチの結果は「NO」だった.


男の子と女の子の,そもそも欲しがるおもちゃが異なるというのは,日本の親たちは誰も疑わないが,社会構築派は親が男の子は車,女の子は人形と決めつけて与えるから,心理的ジェンダー差が生まれると主張するらしい.相関があってどちらが原因でどちらが結果かという話だが,一度でも子育てしたことがある人なら,最初におもちゃを与える前に強固な好みが子供にあることに疑いは持たないだろう.この手のフェミニズム批判のエッセイで,フェミニズムを実践しようとした若い母親が,男の子と女の子に同じようなおもちゃを与えようとするのだが,どうしてもそれぞれの好みのおもちゃに固執することに困惑して疲れ果てる話が紹介されていたことがある.


2.「ジェンダーの理解」
多くの発達心理学者は「空白の心」理論に反対している.それによると子供は自然にカテゴリー化する心理的傾向を持っている.そしてそれが男と女がいるという事実を通じてジェンダースキーマになると考えるべきだ.簡単に言うとジェンダーはトレーニングの問題ではなく,ヒトの心のカテゴリーの問題だというのが発達心理学者の見解だ.


3.「社会役割理論:社会の分業から行動タイプに対する見解が生じ,内面化する」
しかし過去20年女性の役割は変わってきたがステレオタイプはほとんど変わっていない.また文化差があまり観察されないと言う事実もある.またステレオタイプの方が現実より極端だということもない.むしろ性差がまずあってそれからステレオタイプが生まれるという解釈の方が自然.
キャンベルは進化心理学者としてこう付け加えている.「妊娠,授乳に関する生理的な適応はあるのに,それに関する心理的な適応がないと考えることはそもそもばかげている.もちろん性差について文化の役割がないわけではない.しかしすべてが文化で決まるというのは,現実のユニバーサルを説明できない.リベラル派は現状がどうしてこうなっているのかについて説明しようとしない.」




フェミニズムから進化心理学への批判とそれへの反論>
ここからキャンベルは,フェミニズム側からの批判に答える形をとる.


1.「進化心理学は政治的だ」
これは進化心理学は生得的な性差を認めることにより現状の女性差別を助長することにつながるという批判だろう.キャンベルはそもそも社会構築派自体が政治的なので,このような批判が出るのだろうと皮肉ったあと少し詳しく解説している.

現在主流の社会科学の政治的なアジェンダは「ユニバーサルの否定」と「文化の多様性の強調」になっている.しかしこれには自然主義的誤謬が深く関与している.
これがよく現れるのは,珍しいことを見つけた文化人類学者をほめるという傾向であり,フェミニズムでは,ほとんどのフェミニストは繁殖について生理的な差は認めるが心理的な差は認めようとしないという現象になって現れると指摘し,文化相対主義者として出発後ユニバーサルを認めざるを得なくなったドナルド・ブラウンの,いわば「背教物語」を紹介している.事実としてある「ユニバーサル」を認めないのはばかげているのだ.


2.進化心理学=遺伝決定主義という誤解
進化心理学はそうではないと繰り返し説明している.


3.還元主義だという批判
これも定番の批判だ.私もよくわからないのだが,一体還元主義の何が問題なのだろう.乱暴な議論だとでもいうのだろうか.キャンベルはそもそも還元主義は複雑な事象を説明するための大変よい方法であり,そこから重要な仮説を生み出せるのだと反論している.キャンベルの推定では批判者は「遺伝決定的」というところと「多様性を無視している」というところが気に入らないということだ.


4.まず遺伝子を見せろ
議論としては幼稚だ.キャンベルはまずこの批判は進化心理学と遺伝学を混同しているし,またある表現型は必ずしも対応する単一の遺伝子を持つわけではないことも理解していない.そして遺伝子が確定されていなくても適応を思える現象を調べることに何の問題もないと切って捨てている.


5.グールドのスパンドレル批判
キャンベルはこれは突き詰めると偶然のドリフト,副産物をよく考えろという主張だとし,ドリフトはそもそも中立形質のみであり,複雑な仕組みがそれにより固定するとは思えない,副産物はデザインがないこと,複雑な組み合わせでないこと,独立した機能を持たないことで見分けられると反論している.
またジャストソーストーリー的な批判に対しては適応として認める基準を示している.
ここで関連してEEAに関する議論も取り上げている.ここもEEAがわからないのになぜ主張できるのだというような批判があるところなのだろう.キャンベルはEEAについては進化心理学者の間でもいろいろな議論があるところだと認め,以下のように考えていると述べている.
「まず仮定した適応で解決できる特定の問題を考えることができる.これがきちんと特定できれば,その適切性をテストできる.例えば「発熱」が特定の「病原体の破壊」という問題への解決と仮定する.するとそれは私達の身体が病原体を感知したときのみに生じるはずとしてテスト可能だ.(中略:そのほか多数の仮説とテスト候補の事例)そしてそれをテストするのに私達が知っている世界の情報(限られたEEAの知識)を使うことを断念する必要はないはずだ.よい理論は事実を説明し,そしてまだ知られていないことを予測できるのだ.」


結論としてキャンベルはこうまとめている.

女性の幸せは選択肢を増やすことで得られる.
そしてまったく自由に選択できるようになっても男性と同じ選択はしないだろう.そしてまさにそういう実験をしてみるべきなのだ.女性の幸せのために.


進化心理学フェミニズムに組み込むとどうよくなるかということについては特に取り上げられていない.それは既に前回紹介したような個別の議論が既に多くなされているからだろう.
私なりに乱暴にまとめると,社会構築派は政治運動であり,科学と異なるので土俵に乗らないし,環境リベラル派は事実をもっと虚心坦懐に認めなくてはならない.そして既に進化心理リベラルとして多くの有益な主張があるということだろう.



関連書籍


既に何回か紹介しているが,文化相対主義者として出発し,それを証明しようとして事実を集積していったところ,ヒューマンユニバーサルを認めざるを得なくなったドナルド・ブラウンの「背教の物語」

ヒューマン・ユニヴァーサルズ―文化相対主義から普遍性の認識へ

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