「科学」2008/12 特集「ダーウィンは「人間」をどう考えたか」

shorebird2008-12-13

2009年はダーウィン生誕200年,「種の起源」出版150年の記念イヤーだ.今年一足早く夏にダーウィン展があり,雑誌「遺伝」は9月号でダーウィン特集を打っているが,岩波の「科学」は12月号でダーウィン特集だ.特集は「ダーウィンは『人間』をどう考えたか − 生誕200年,『種の起源』150年」と題されている.(ダーウィン展の私のエントリーはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080423,遺伝9月号はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20081018



特集のトップバッターは長谷川眞理子の「ダーウィンは『人間の進化』で何を語りたかったか」

長谷川眞理子先生は,数年前,文一総合出版の「ダーウィン著作集」シリーズにおいてダーウィンの「人間の進化と性淘汰」を訳出されている.*1その際にはいろいろダーウィンの問題意識に触れたのだが,数年たってまた感じるところがあったということらしい.


本稿では,まず自然淘汰のやさしい解説を行ってから,これではクジャクの美しい羽を説明できないと悩んだダーウィンの問題意識を解説している.
また「種の起源」においてはダーウィンは社会的に大きな問題になることを恐れてヒトの進化については意識的に言及を避けている.この宗教とダーウィンの相克の解説部分では日本の宗教観についても言及があり,日本では他の生物と人間を峻別せず,人間が世界の支配者だとも言わないし,物質に対しても魂を認めるところがあり,進化の考えが受け入れやすかったのだろうとコメントしている.

この2つの問題に対するダーウィンの答えが「人間の進化と性淘汰」ということになる.宗教との相克については,1859年から1871年のわずか12年の間にヨーロッパの知的環境は大幅に変わったらしい.


当初のクジャクの羽についてのダーウィンの問題意識と現代の性淘汰の理解を前提としてこの本を読むと,ダーウィンは本書の2/3をついやして性淘汰について説明しながら,ヒトの進化に移った後,何故「ヒトにおいてどのような性淘汰形質があるのか」という方向に叙述が進まないのか不思議に感じられる.ダーウィンは人種の起源に性淘汰が働いていると主張するのみなのだ.本稿でも長谷川先生は当時訳しながら,人種などという些末なことに気を取られてダーウィンが問題の本質に迫れないのが残念,と悔しがっていたと述べている.

しかしもともとダーウィンの本書にかかる問題意識には人種についての説明が先にあったのだということが本稿では解説されている.そしてリンネにおける人種の記述,当時の単源論と多源論の論争を紹介して,当時は人種の違いの大きさを強調する多源論が優勢で,奴隷制を肯定する論者に利用されていたことが示される.このような状況にあってはダーウィンの問題意識は非常に真摯なものであったのだろうということだ.

最後に本稿では,結局ダーウィンの主張どおり人類については単源論が妥当するのだが,そのような知的理解に大きく貢献したのは性淘汰理論ではなく,DNAの分析によるものだったと語り,性淘汰理論は当初のダーウィンの問題意識であるクジャクの羽の様な動物の形質,そして行動の進化の研究において威力を発揮していると結んでいる.

訳出して数年後もう一度振り返って考えた内容には味がある.ただあえて高望みをすれば,実際に人種差についてどの程度性淘汰が効いていると考えられるのかについて最後に筆者によるコメントがほしかった気がする.



特集2番目は狩野賢司による「性淘汰研究:ダーウィンの思いを超えた多彩な発展」

動物の性差を説明する理論としての性淘汰理論の有効性を解説し,基本的にダーウィンの洞察の正しさが説明されている.そしてその後の発展として,理論的な基礎としてのハンディキャップ理論,一夫一妻と考えられていた動物ベアにおける婚外性交の事実,化学的なシグナルの実在,精子競争,配偶者防衛,雌雄のコンフリクトなどの理論をあげている.最後にこの実り多いフィールドを開いてくれたダーウィンにふれ,今後の研究が進展してしてだろうと締めている.性淘汰を解説するにはページ数制限がきつくて精一杯というところだろう.逆にいえば,性淘汰理論の豊富さがよくわかる小稿だ.



3番目は海部洋介による「人類進化研究の現在」

ダーウィンが人類はアフリカで大型類人猿から進化したと推測したことにちょっとふれた後に,現在の人類進化の考えを概説している.単線的な進化ではなく複雑な系統分岐と絶滅を伴うものであったことが強調されている.その中では300万年前以降何故人類の系統が多様化したのかが興味のある課題として提示されている.筆者は,気候変動,分布の地理的拡大などいくつかの要因があるのだという考えのようだ.また600万年前ごろにも適応放散があったかどうかも興味深い問題だとしている.ホモ・フロレシエンシスについては,「この化石を病的なホモ・サピエンスとみなす説がなお根強いとの報道がなされているが,専門家の間ではこれが原人級の人類の生き残りであったという考えが固まりつつある」と述べていて,報道に対して苛立ちが見えるようでちょっと面白い.人類多地域起源説論者の広報活動が巧妙ということだろうか?

この後人類の拡散,二足歩行,脳サイズなどが概説されている.200-300万年前の気候変動,脳の増大,食性の肉食への移行について因果関係が示唆されている.進化速度については完全な漸進でも断続平衡でもない複雑なものだと述べられていて,ちょっと前の問題意識風で面白い.

近年の化石研究技術も紹介されている.電子顕微鏡による成長線カウント,コンピューター断層撮影,幾何学的形態測定学,化石の化学分析などだ.たとえば骨の元素組成から食性が分析できるらしい.

最後に,ダーウィンは当時にあって大変リベラルで人種差が大きいことを否定していたが,それでもフエゴ島民について野蛮だと記述しているが,しかしフエゴ島民こそ出アフリカ以降,アジア大陸を横断し,ベーリング海を越え,南北アメリカを縦断し,その間の緯度の違いを乗り越えて適応し続けた人々であり,もっとも多くの課題を解決してきた人たちだと評価できると記している.なかなか面白い視点だ.



4番目は横山潤による「ダーウィンとラン:あるランとの出会いが導いた共進化の発想」

まずランについてそれが非常に種類が多く,全世界に分布している植物であることを説明し,ダーウィンも熱心に観察していたことについてふれている.ランはおしべとめしべが蕊柱と言う器官をつくり,主に昆虫である送粉者を誘引し,他家受粉を成功させる複雑な仕組みを進化させているところが興味深いのだと説明し,ダーウィンがそのメカニズムについて気づいていたこと,そして距の長いマダガスカルのランの花を見て,長い口を持つスズメガの存在を予言したこと,そしてダーウィンの死後予言どおりのスズメガがマダガスカルで見つかったという有名な話を紹介している.



5番目は鷲谷いずみによる「花の形の謎解きから『遺伝の法則』にも接近」

鷲谷先生は,ダーウィン著作集において「花の異型」の訳出を担当すると発表されていた.「花の異型」は近刊予告まであったのだが,その後沙汰やみになっている.訳出作業が何らかの事情で止まってしまったのか,全集のあまりの売れ行きの悪さに企画がつぶれたのか定かではないが,ダーウィンファンとしては大変残念なところだ.

さて,ダーウィンはその本の中で他家受粉の確率を高めるための適応としての花の2型花柱性,3型花柱性を取り上げている.この異型花柱性と自家不和合性が結びついた現象の研究もダーウィンがその嚆矢になっているのだ.ダーウィンは観察,実験によりこのメカニズムの適応的意義をほぼ理解していた.筆者もサクラソウにおいてこの花粉の付き分け現象を電子顕微鏡で確認しているそうだ.

最後にこの一連の実験でダーウィンは交雑実験を行っていて,異型花柱性形質にかかるヘテロと劣勢ホモの戻し交配についてもその形質比を丹念に記録している.だからもう少しで1:1の分離比に気づいてもよかったのだということを紹介している.矢原先生もダーウィン著作集の「植物の受精」の中で,もう少しでダーウィンがヘテロ同士の交配結果の3:1の分離比に気づくところだったことを解説している.おそらく何らかのヒントがあれば一気に遺伝の法則に気づいてもおかしくなかったのだろう.歴史にイフはないといっても残念なところだ.
筆者は自分はその後研究者人生が環境破壊と重なったために保全生態学を主なフィールドにするようになってしまったが,異型花柱性の研究は本当に楽しく,そうでなければ今もその実験に没頭していただろうと本稿を結んでいる.



6番目は倉谷うららの「ダーウィンのフジツボ」

ダーウィンが1846年から8年間フジツボの時代をすごしたことはよく知られている.本稿はそれについてのものだ.そもそもダーウィンはビーグル号で採取したあるフジツボを新種として発表しようとして1ヶ月ほどかけて1種記載しようとしていただけだったが,それまでのフジツボの分類がぐちゃぐちゃだったので結局8年かけて体系化することになったのだという.そしてそれは見事な仕事となって現代の研究の基礎になっている.

本稿では,ダーウィンの遺した手紙の中にはフジツボの記載について愚痴っていることもあるので,いやいややっていたのだと誤解されているが,実は大変楽しそうに研究していたらしいと示唆している.そしてダーウィンを夢中にさせたのは,フジツボ類の底知れぬ多様さだった.なんとフジツボの中にはイルカの歯の上やクラゲの上に付くものまであるのだそうだ.

筆者は「種の起源」の最後の有名なfrom so simple a beginning endless forms most beautiful and most wonderful have been, and are being, evolved.のフレーズを書くときにはきっとフジツボが念頭にあったのだろうと本稿を結んでいる.

ダーウィンのフジツボ研究に関することはあまり紹介されていないので貴重な記事のように思う.もう少しいろいろ知りたくなるいいエッセイだ.



最後は斎藤成也による「遺伝子から見た人間進化」

これはいかにも斎藤先生らしいエキセントリックな記事.ダーウィン特集なのだが,ダーウィンにはちょっとふれただけで,集団遺伝学,分子進化学,中立進化理論についての学説史が記述の中心だ.

この中では,集団遺伝学は種内進化を念頭に置き,分子進化学は種間進化を念頭においていたが,DNA配列研究が一般化するに連れてその境界がぼやけてきたという記述があって興味深い.
その先は木村資生以来の中立進化理論の擁護が淘汰論と対比されて延々と続く.
ここは私のような読者にとっては相当違和感のあるところだ.現代進化学は,適応度が中立の場合の浮動を完全に認めているし,適応度が異なればそれは淘汰が生じるだろう.だからここで斎藤先生が力説しているのはありもしない案山子をぶん殴っている議論の様でもあるし,あるいは単にその研究者が何に興味があるかの対象の差である様でもあり,なかなかなじめない.
最もそれがよくあらわれているのが,ある研究者が,「彼は人間の脳の増大ですら,中立進化したかもしれないと考えているよ」と言ったことに不満を呈している部分だ.私から見るとこの研究者は中立進化を否定しているのではなく,脳の増大(とそれに伴うエネルギーコストの増大と多くの認知タスクが可能になること)が適応的に中立だと思うのは不思議だといっているだけであるように思う.(そしてそれについていえば,そのようなエネルギーコストと可能な認知タスクの増大という現象が長期にわたって適応的に中立であるとは,私にも信じられない)在りし日のグールドが,ありもしない厳密漸進進化を否定していたことをちょっと思い出す.何か日本の分子遺伝学者にはトラウマのようなものがあるのだろうか.
本稿は最後に人間特別主義がゲノム生物学的にどう見えるかを示して結んでいる.




本誌は特集号ではなくレギュラーの12月号で,特集記事は合計32ページ.レギュラーの記事は(たまたまだろうか)地学的なものが多く,普段読まないエリアなのでなかなか面白かった.ただ,全部で100ページ弱,定価1400円ではなかなか売れ行きは厳しいのではないだろうか.いい雑誌なのでこれからもがんばってほしいものだ.




関連書籍


文一総合出版のダーウィン著作集




ダーウィンのランの本 原書

The Various Contrivances by Which Orchids Are Fertilised by Insects

The Various Contrivances by Which Orchids Are Fertilised by Insects

  • 作者:Darwin, Charles
  • 発売日: 2003/07/01
  • メディア: ペーパーバック


花の異型性 原書

The Different Forms of Flowers on Plants of the Same Species

The Different Forms of Flowers on Plants of the Same Species



ダーウィンのフジツボに関する本.これはちょっと読んでみたくなった.

*1:原題は「The Descent of Man and Selection in Relation to Sex」であり,EvolutionではなくDescent なので,昔の訳本では『由来』とされていて, 『人間の由来』と呼ばれることが多い.長谷川先生はえいやっと『人間の進化』と題しており,「そのほうがわかりやすいでしょ」というプラグマティックな感じが素敵だ