「Missing the Revolution」

Missing The Revolution: Darwinism For Social Scientists

Missing The Revolution: Darwinism For Social Scientists



本書は社会科学者への進化生物学的知見への招待状だ.本書には社会科学者にもこれまでの進化生物学の成果と知見(特にヒトについてのそれ)を利用してもらいたいという願いが込められている.なぜなら(本書によると)社会科学者は進化生物学が人間の理解について成し遂げてきた膨大な成果について概して無知であるからだ.本書の題「Missing the Revolution」はダーウィン革命を見逃しているという意味なのだ.もちろんすべての社会科学者がそのような知見について無知であるわけではない.(本書では取り入れつつある例もふんだんに紹介されている)しかしメインストリームの社会科学者は進化生物学的な知見を積極的に取り入れようとはしていないということだ.

本書は上に述べたようなテーマに沿って,進化生物学者側の視点,学説史の視点,進化的な考え方を採用しつつある社会科学者の視点それぞれから見た風景がわかるように,多角的多彩な執筆陣により各章が書かれている.


冒頭は編集者でもあるバーコーによる全体の見取り図が示されている.その後の2章はホットトピックであるフェミニズムと男性の暴力の解釈についての進化生物学的な視点からの解説になる.フェミニズムの章では,フェミニズムには「政治運動」としての立場,性差は環境によってのみ生じるという見方に立つ「環境リベラル」としての立場があることが説明される.政治運動は置いておくとしても,ヒトについての事実については虚心坦懐に認めても,いや認めてこそ女性のためのフェミニズムは正しく主張可能であることが説かれる.自身女性でもある筆者の最後の言葉は説得的だ.「女性の幸せは選択肢を増やすことで得られる.そしてまったく自由に選択できるようになっても男性と同じ選択はしないだろう.そしてまさにそういう実験をしてみるべきなのだ.女性の幸せのために.」

男性の暴力の章では,これまでの社会科学が進化的理解を受け入れなかったのは,それが遺伝的決定論であるという誤解のためであることが強調される.そしてユニバーサルなヒトの心が「条件」としての環境にどう影響を受け,どのような「文化」を形成するのかというフレームワークによる研究の実り豊かなことが紹介される.


このように進化的視点を取り入れた社会科学が生産的であることを示した上で,何故社会科学は進化生物学に背を向けるのかに関して過去の歴史と現在の状況を説明した2章がおかれている.過去の歴史は「社会生物学論争史」の著者であるセーゲルストローレによるもので力が入っている.この2章を読み,さらに「社会生物学論争史」を読み返して感じるのは,同じテーマ(そして同じ誤解)が30年以上,繰り返し繰り返し,議論され,現れていることだ.進化生物学的理解が遺伝的決定論であり社会の格差を是認する(さらには是認するための)議論であるという誤解,現在の適応主義的議論はスロッピーでハードサイエンスではないという誤解,そして自由意思をめぐる議論と自然主義的誤謬の問題だ.このような誤解が生じるのは何らかのヒトの認知傾向の深いところに原因があるのかとさえ思ってしまう.しかし,真実と人々の幸福を追求する社会科学にはぜひ乗り越えてほしい部分だ.


ここから本書はまた各論に戻り,すでに進化生物学的観点を取り入れた社会科学者の執筆した章が並ぶ.人間行動生態学が豊かな民族学的データをうまく利用していること(さらに進化心理学的な基礎理論を認めればもっとよくなるようにも感じるところだが),同じく民族学的データを霊長類のデータを比較することで得られる豊かな知見などが語られている.このなかでは犯罪学への応用の章が興味深かった.犯罪を進化心理学的な視点から考え,条件依存的な行動戦略を行うための心理メカニズムという点で捉えると,今までの犯罪学では説明できなかった広範囲なデータに豊かな理解が得られることを非常に丁寧に説明している.犯罪抑止そして広く望ましい刑事政策への応用に向けて,ぜひこの試みが進んでいくことを願わずにはいられない.本書は最後に,ヒトの自由意思を強調すればもっと社会科学者が進化生物学的な理解を受け入れやすくなるだろうという招待状をもって完結している.


社会科学や人文科学の業界では,実験とデータにより決着がつくことが自然科学より難しいため,リサーチャーのキャリアにとってはインナーサークルの評判が非常に重要であるのだろう.だからメインストリームに認められにくい研究が進むにはいろいろな困難があるのだと思われる.しかしこれまで社会科学が生物学を排斥してきた理由は,主に誤解に基づくものであること,そして進化生物学的な理解を取りいれれば豊穣な学問的な世界が広がっていることがわかれば,そのような障害も徐々に低くなっていくだろう.社会科学の究極の目的である人々の幸せのためには,ヒトという生物がどのようなものであるかの正しい理解が必要なはずだ.本書がこのようなゴールに向かって少しでも役に立つことを願ってやまないものである.



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