「Kluge」第5章 言語 その1

Kluge: The Haphazard Construction of the Human Mind

Kluge: The Haphazard Construction of the Human Mind


さて,マーカスは記憶,信念,選択と取り扱って,いよいよ本命の言語に取りかかる.
最初は早口言葉から初めて,言語が如何に欠点だらけかを例示する.この導入はなかなか楽しい.

She sells seashells by the seashore. A pleasant peasant pheasant plucker plucks a pleasant pheasant.
(生麦生米生卵に東京特許許可局という感じだろうか.)
私たちは息継ぎ代わりにlikeを使い,子音を交換し(One fell swoopをOne swell foopというように),単語を言い間違えたり(bridge of the nose のかわりに bridge of the neck)聞き間違えたりする.
(これも日本語でもよくある話だ)

マーカスはこれらは言語のクリュージ性を示すものだといっているようだ.


導入部のあと,言語現象一般のいろいろな謎のうち認知科学的に興味深いものはヒトの心の重要な問題に関わるものだという.ここはまさにピンカーのThe Stuff of thoughtと同じ問題意識のようだ.


マーカスは最初に航空管制官パイロットのやりとりで「at takeoff」という言葉が,いつでも離陸できる準備が整っているという意味と,すでに離陸プロセスに入っているという意味が取り違えられて583人の死亡する大事故になった例を取り上げる.そして何故言語は情報伝達の点で完全でないのかと問いかける.


ここからはリバースエンジニアリングだ.


言語を情報伝達において完璧に設計することはできるという.

言語をシステマティックにし,安定的にし,冗長さをなくせばいいのだ.そして発音はすべて同じようにコンスタントにすればいい.単語と意味は1:1で対応させればいい.


しかしヒトの言語はこうなっていない.

  • 意味が似ていても発音は似ていない.
  • 同じ意味の単語が複数合って冗長だ.
  • またすべての言いあらわしたい単語があるわけではない(語彙が不完全)
  • 単純な考えが,驚くほど表現しにくいことがある.(ジョンがマリーを残して旅だったときにWhom do you think that John left?とはいえるが *Whom do you think that left Mary?とはいえない)


マーカスはこの構成要素を1つ1つ見ていく.

  • 「あいまいさ」

これは例外ではなくルールのように見える.単語はあいまいで,単語が明瞭でも文章はあいまいになる.これは厳格といわれるラテン語でも同じだ.

  • 「冗長」

同じ意味の単語を重ねる冗語法
3人称の単数につける s には追加的な意味は全くない.
複数形のアグリーメントラテン語やイタリア語のように主語が省略できるわけでもないなら無駄)
John's picture のような両義的な語

  • 「不明確さ」

warm という場合に定義がない.石が何個集まったら山になるのか?

  • 「時代とともに変わる」

アカデミーフランセーズのような試みはすべて無駄.(ここではデニムについての揶揄があって面白い.アカデミーフランセーズは英語由来のハンバーガー,ドラッグストア,プルオーバー,ティーシャツなどの語を禁止しようとした.しかしこれらはすべて失敗しているし,さらにiPodやDVDなどを一体どうしようというのだろう.なかんずく面白いのはデニムという言葉も禁止しようとしても,これはもともとフランス語のfabrique de Nimesから来ていたりするのだ)


こう見ていくと言語が情報伝達の点で完璧でないことはよくわかる.マーカスはそもそも言語は互いの知識を前提にしているので,ヒトの心に由来する問題が存在しているのだと説明している.このあたりはピンカーのとらえ方とそう変わらないだろう.


マーカスはここでこのような言語の情報伝達の上での不完全性を直す人為的な試みを紹介して,それが不可能であることを示している.プラトンは意味が似ているなら発音も似ているべきだと主張したそうだ.有名な試みにはエスペラントがある.エスペラントは不規則動詞も撤廃した.しかし曖昧性について言えば,ある単語をどこで切るかによって多義性は残ってしまったと評価している.
ピンカーの読者なら,不規則性を撤廃したことの効果に大変興味が持たれるところだが.そこについてはコメントが無く,ちょっと残念だ.


最近の試みにはLoglan というのがあるそうだ.マーカスはエスペラントより遙かに使う人は少ないとコメントしている.
また情報伝達を完璧にしたいならコンピュータ言語を使えばいいのだが,人は誰もこれを日常的に使おうとはしないだろう,それはヒトの心にとってあまりに不自然だからだと説明している.


関連書籍

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

言語がヒトの心を示す窓だというピンカーの最新刊.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080925


Words and Rules: The Ingredients of Language

Words and Rules: The Ingredients of Language

言語の規則性と不規則性について,そしてそれがヒトの心と深く結びついていることについてのピンカーの本.