混乱の進化(Atheist Alliance International 2009 Conference in Burbank, California)

先日も紹介したリチャードドーキンスファウンデーション(RDF)が後援している国際無神論者同盟(AAI)主催の2009年のカンファレンスでの講演会だが,ここでは哲学者ダニエル・デネットが講演している.

 
http://youtube.com/watch?v=D_9w8JougLQyoutube.com


なおこのページでは720PのHDクイックタイムのファイルがダウンロードできる.http://richarddawkins.net/article,4547,The-Evolution-of-Confusion,Dan-Dennett-AAI-2009-RDFRS-Josh-Timonen



演題は「The Evolution of Confusion」ということだが,中身は(AAIなので当然ながら)宗教について,特に宗教をリバースエンジニアリングしてみたらどういう事がわかるかという内容で,大変面白い.


最初に「自分は最近ますます尊敬するダーウィンに似てきてうれしい」と言ってスライドを映し,受けをとってから本題に入っている.確かにあごひげが白くて何となく似てきているようだ.


さて講演はリバースエンジニアリングするには,何かうまく機能していない部分を見つけてそこを調べると,そもそもどう機能しているのかがよくわかるのだと言って,既存宗教のうまくいっていない部分を調べてみようと始まる.
そして実はキリスト教の聖職者には無神論者がいるのだそうだ.その存在は様々な宗派に渡っている.(なお聖書の記述を正しいとする原理主義者はLiteral,より自由な解釈を認める宗教的左派はLiberalと呼ばれるそうだ)
デネットはこのうち数人の詳しいインタビューを聞いているそうだ.これはまさしく宗教の不機能部分だろう.


何故こんなことが生じるのか.デネットはこれは「やさしくない罠」にはまった結果だという.個別の聖職者が無信仰に傾いた場合,既に聖職者になっている彼等にとってカミングアウトして別の道を歩き始めるのは非常に難しいのだ.まず収入の道が閉ざされるし,典型的なコンコルドファラシーにも陥る(私のこれまでの40年はどうなるのか).何よりも,妻(/夫)や子供,友人や自分を信じてくれた人の人生までめちゃくちゃにするのが耐えられず,聖職者であり続けるのだという.


そして次に神学や神学校の存在についてリバースエンジニアがなされる.
神学校には純真な若者が入学する.そこで最初に教育されるのは,聖書についての学問だ.聖書がどのように成立し,誰がどう書いたと考えられるか,そしてそれの批判的な読解などが講義されるのだという.ここで原理主義的な信仰を持って入った若者は受け入れられずに抵抗する場合もあるが,多くの若者は混乱しながら授業をとり続ける.
そして次に教えられるのは説教の技術だそうだ.そのポイントは聖書の真実にどうスピンをかけるか,真実を公表することをどう避けるかということにあるそうだ.
要するにキリスト教は「聖書の真実」について聖職者だけの秘密にするという構造を持っているということになる.


ここでデネットは,このような神学校で証拠に基づいた批判的な学問が行われているのは私達の慰めだといいつつ,そもそも神学は何故あるのかという話題にも触れている.デネット自身最初はこれは知的好奇心の強い人による純粋な営みかと思っていたが,実は神学には立派な需要があるのだということがわかったといっている.ユーザーは,教区民にどう説教したらいいか真剣に悩んでいる街の聖職者だそうだ.彼等はどうすれば本当のことを言わないようにできるか,質問にどう答えるかを真剣に悩んでいるのだ.


そしてこのような技術の教義についての解説がある.

  • 全くのウソは駄目
  • まじめな顔で言わなければならない
  • それ以上の好奇心を刺激せず,懐疑主義を抑えなければならない
  • 深遠に見えなければならない


デネットはここで「深遠に見える」ということについてDeepityという造語まで行ってさらに深く考察をしている.(このあたりは哲学者の面目躍如というところだ)

  • 実際には論理的に誤った形式になってるので,とても深く見える命題
  • 両義的で,片方の意味では単純でつまらない,もうひとつの意味ではおそらく間違っているが,もし真実なら非常に重大なもの

例としては「Love is just a word」というのをあげている.


そしてここから論理的な誤りとしてUME(use mention error)を定式化し,これが神学においてしばしば使われるトリックだと指摘する.様々な例が取り上げられていてここは講演の白眉だ.
私が気に入ったのは,「あなたは神の存在を信じますか」と問われて「それは質問の形式が間違っている.神は存在するとかしないとかの次元のものではない,神は存在そのものなのだ」と答えてはぐらかす,あるいは「神の全能性の最終証明は,神が私たちを救済するためには存在すら必要としないというところにある」というものだ.
ドーキンスはこれに対してあるインタビューでこう答えたそうだ.
「神学やポストモダニズムが「存在」という言葉をあいまいにして問題を解決しようとするなら,それはよく考えた方がいい.もし街の教会で「存在ということを神に結びつけるのは神をおとしめることになる」と発言してみれば,彼等はあなた方を無神論者というだろう.そしてそれはきっと正しい」


デネットは最後に,結局最初の「やさしくない罠」も神学のこのような性質も,誰かがデザインしたわけではなく,ミーム淘汰の結果だろう.そして宗教が消え去ったり無害なものになって欲しいと思うなら,宗教が何故,どのように働くかを知らなければならないだろうと結んでいる.


デネットは自書「Breaking the Spell」より一歩踏み込んで宗教の詳細部分を分析していて興味深い.それにしても他者を救いたいという純真な動機から宗教に帰依し,無神論に達したときには既に宗教から逃れようがなく,誠実な生き方を閉ざされるというのは人生の悲劇としかいいようがないだろう.神学校自体そのような罠の一環ということだが,それは誰かが巧妙に仕組んだというよりもそのようなミームコンプレックスが淘汰を生き抜いた(たとえ一部の聖職者が教義に疑問を持っても大丈夫)ということだ.


関連書籍

デネットの宗教についての本

私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20070218



聖職者が都合の悪い真実を信者に伝えないということについて