日本生態学会参加日誌 その2

第57回日本生態学会(ESJ57)参加日誌 その2shorebird2010-03-22
 

二日目の夕刻は企画集会タイム


企画集会 生態学における数理的手法2010


最初の演者は重定南奈子先生.重定先生の「侵入と伝播の数理生態学」にはお世話になった.今思えば,あの本のおかげで微分方程式に免疫がついたような気がする.ここでお話を聞けるとは感激である.



環境の非一様性と時空間分布 重定南奈子


外来侵入生物がどのように拡散していくかという問題についての数理的な取り組みのお話.
この問題についての取り組みにはシミュレーション系と数理モデル系がある.前者は攪乱をランダムに入れたり,コリドーやバリアーを入れやすいが,一般法則的な知見を得にくいという問題がある.そこで数理モデルにバリアーやコリドーを取り入れる工夫をしてみたというもの.

まず通常の反応拡散モデルに,周期的に分断されるという条件を取り入れる.基本の微分方程式は以下の通り(現場でとったノートからの再構成なので一部不正確かもしれません)
\frac{\partial n}{\partial t}=D\left(\frac{\partial^{2} n}{\partial x^{2}}+\frac{\partial^{2} n}{\partial y^{2}}\right)+r\left(1-\frac{n}{K}\right)n
この右辺の前項が反応拡散方程式で,後項がロジスティック成長を表す.これをそれぞれ縞状になった地形,島状になった地形,コリドー(格子状)になった地形に当てはめる.好適地と不適地で拡散係数であるDの数値,および内的増加率rの数値を変える.


縞状地形の場合にはかなり解析的に態様が求まって,ある地点から侵入が開始したときの拡散等高線は相似形のまま進んでいく.また島状,格子状の時も等高線の形がやや異なるが挙動は同じになる.


面白いのは島状にする場合に島の大きさをランダムにするとより伝播速度が速まることだ.重定はこれはランダムにすることによるつながりが出て,分断スケールが上昇するためなのではないかと説明していた.


次に侵入伝播に方向性がある場合のモデルの説明になる.この場合は移流の項が加わるので挙動が複雑になる.このため1次元のモデルが紹介された.基本方程式はこうなる.ここでu(x)は移流速度を表す.
\frac{\partial n}{\partial t}=D\frac{\partial^{2} n}{\partial x^{2}}-\frac{\partial u(x)n}{\partial x}+r\left(1-\frac{n}{K}n\right)


ここで縞を作ってやって,地点により移流速度,内的増加速度が変わり,さらにその位相がずれうるように設定する.この系の挙動は興味深く,移流速度を上げるとまず伝播速度が上がるのであるが,最高点に到達した後は移流速度を上げるにつれて伝搬速度が下がってくる.その場でも議論されていたが,直観的なわかりやすい説明はなかなか難しいのかもしれない.



ワーカーポリシングの新たな説明:最適資源配分戦略の観点から 大槻久


次は社会性昆虫におけるポリシングの進化についての大槻の発表.大槻はHBESJなどでヒトの評判システムの数理的解析などを発表している気鋭の数理生物学者だ.昨年末の発表について私の記事はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20091225


まず最初に社会性昆虫とハミルトン則についての初歩の解説.
基本的に1回交尾であればワーカー同士の血縁度が高くなるためにワーカーの未受精卵産卵に対する同僚ワーカーのポリシングは生じにくいことが期待される.しかし1回交尾のトゲオオハリアリではワーカー間で未受精卵産卵に対するポリシングが見られる.これを説明する数理モデルを組み立ててみたもの.


基本的なアイデアは,最適繁殖スケジュールを考えたときには,血縁度が高くてもなお同僚ワーカーの産卵を阻止する方が有利になるのではないかというもの.手法としては動的なゲーム理論モデルで,各プレーヤーのゲームの均衡戦略として考えるというものになっている.(説明ではナッシュ的な均衡という言葉を用いているが,何故ESSではないのかはよくわからなかった)
前提は以下の通り

  1. t=t0においては1回交尾の女王による単独創設
  2. t=Tにおいてこれまで生産したすべての繁殖虫を放出してコロニーは死滅する.
  3. ワーカーはオス卵を産むか,コロニー成長に寄与するかの戦略を時刻tの関数s(t)として持つ.
  4. ワーカーはポリシングをするかどうかの戦略を時刻tの関数p(t)として持つ.
  5. 女王の産卵する卵の性比はワーカーが操作できるとして産まれる卵の性比戦略を時刻tの関数f(t)として持つ.
  6. さらにワーカーはメス卵を繁殖虫にするかワーカーにするかについて時刻tの関数w(t)として持つ.
  7. 女王は性比操作はできない.産むすべての卵をオスにする,あるいはメスにするという対抗戦略のみ可能


このモデルを解いてやると,ある時刻までは女王と全ワーカーは協力してワーカー生産のみを行いコロニー成長に協力する.(f(t)=1, w(t)=1)この時点まではポリシングにかかるp(t)=1(ワーカー卵はもしあればすべて排除する).
それ以降はすべて繁殖虫の生産にまわり,女王はメス卵のみ産卵し(f(t)=1),これはすべて繁殖虫になり(w(t)=0),ワーカーは一定程度(モデルで使用したパラメーター下ではリソースの14%,s(t)=0.86)でオス卵を産み,また一定程度それを見逃し,見逃された卵はオスの繁殖虫になる.(モデルで使用したパラメーター下では7%のワーカー卵がオスの繁殖虫になる,p(t)=0.93)


これは非常に面白い発表だった.生活史戦略の解析を,コンフリクトのある個体間に広げてゲーム戦略の動的な均衡として見せたもので非常に興味深い.社会性昆虫だけではなく,血縁個体間でコンフリクトがある動物の生活史の問題全体に広く応用できるだろう.例えばヒトの閉経の進化的な起源に関するカントの議論などが頭に浮かぶ.
また数学的な手法の詳細にも興味がある.
モデルの結論も面白い.オス卵はすべてワーカー由来になり,ワーカー産卵と,ポリシングが確率的になって均衡戦略のオス生産が生まれ,女王はメス卵に特化するということになっているわけだ.実際のオオトゲハリアリではどうなっているのだろうか?オスの繁殖虫の大半がワーカー由来であることがわかればさらに面白いだろう.


ただ口頭の説明で,ワーカーが産卵を行うかコロニー成長に寄与するかの戦略決定について,「短期的な利益か長期的な利益か」という言い方をしていたが,これは適切ではないと思う.そもそも短期と長期の利益が個体内で相克状況にあるためには,まさにヒトのようにそれぞれの利益に感応するモジュールがあることが前提になる.アリがそのような状況になっているとは考えにくいし,このモデルはそのような立て付けになっていないだろう.
基本的にこのモデルにおいては繁殖虫は時刻t=Tでのみ分散できるので,そのときの利益だけ考えれば良く,ワーカーがコロニー成長に寄与した場合にコロニーが成長できるという仕掛けになっていて,それぞれの個体がどのような血縁度を持つ繁殖虫がどの割合で増えるかについてコンフリクトがあるということではないかと思う.また,コロニーの増殖率や時刻Tについて異なる予想を持つような個体間でもコンフリクトが生じるだろう.実際にポリシングが生じるコンフリクトは血縁度の違い(自分の卵,他ワーカーの卵,女王のオス卵)と,予想の違いから生まれるのだろう.


花制御系の数理モデル:遺伝子発現制御と貯蔵資源動態 佐竹暁子


これは進化生態,分子生物,遺伝子発現系の組み合わさった発表.
夏型一年草,冬型一年草,多年草は進化的に簡単にスイッチしてきたことが知られているので,その遺伝子発現と様々な化学的な抑制,促進ネットワークのメカニズムを数理モデルを使って組み立てたもの.また後半では,花成シグナルの化学物質の輸送系の数理モデルも説明されていた.
このような至近的なメカニズムについてはあまり知識がないので面白く聞かせていただいた.



巌佐庸からの総合コメント


3人の発表はそれぞれオリジナリティのあるものであることを強調されていた.
数理科学の偏微分方程式の研究者には重定の一連のモデルは強いインパクトを与えていて,その分野でのより深い研究につながっているそうだ.大槻の研究は社会心理,理論経済へ,佐竹の研究は分子生物と進化生態の架け橋になっているとコメントされた.


また最後には33年前に巌佐先生と山村先生が最初にこの生態学会で「生態学における数理的手法」という自由集会を立ち上げたときの逸話を紹介されていた.当時,数理研究はフィールドを知らないと反感を受けていたそうだ.そして数理研究は漫然とモデルを作っているだけでは駄目で,常に新しい分野にチャレンジしていく姿勢により,良い結果を得られるし,他分野からも認知されるのだと締めくくっていた.なかなか含蓄のあるいい話を聞けたように思う.


というところで夜の7時半.生態学会の二日目(私にとっての初日)は終了である.当日は学会の共立出版書店ブースで「「行動・進化」の数理生物学」も購入.数理生物学的な一日になった.

執筆陣は巌佐先生始め,江副日出夫,酒井聡樹,佐々木顕,瀬野裕美,中丸麻由子,西森拓,山村則男,若野友一郎(五十音順)と非常に豪華だ.