「Spent」第14章 調和性 その1

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior

Spent: Sex, Evolution, and Consumer Behavior


パーソナリティディスプレー,ミラーが次に取り上げるのは調和性だ.
調和性は調和をさがし,他人の要求にあわせ,争いを避け自分の意見は控える傾向だ.これは利他性に近い.ミラーは調和性そのものが自然淘汰や性淘汰で現れにくいものであり,私達の救済の最後の望みだと表現している.
しかしそのディスプレーはフェイクの問題があり,やはり一筋縄ではいかない.ミラーは,それは偽善と果てしない自己擁護の世界につながると指摘している.だから調和性のディスプレーは複雑で捉えがたい方法で繊細にディスプレーされる.


まずミラーは代表的な調和性ディスプレーについて描写している.高い調和性を示そうとする消費者は自分たちの親切さと寛容さを示そうとする.それはプレゼント市場の巨大な売上を可能にするのだ.ミラーはアメリカの消費者産業が繰り広げるプレゼントキャンペーンをずらずらと並べている.クリスマスから始まって,父の日や母の日,さらにボクシングデイとかディワリなどというものまであるようで壮観だ.
なおボクシングデイとはキリスト教関連の祭日で12月26日.クリスマスに売れ残った商品のバーゲンが始まる日として重要なショッピングデイのようである.ディワリは10月末頃でヒンズー教の新年の日のようだ.


特にこの調和性ディスプレーと関連されてデザインされた商品キャンペーンの例として,デビアス社によるダイヤの婚約指輪が紹介されている.これはロマンティックで誇り高い意図と調和性を示すものとして1930年代にポピュラーになった.
ミラーによると,この時代に女性たちの立場は非常に悪くなっていたそうだ.婚約不履行に係る男性への損害賠償訴訟が成り立ちにくくなったため,サイコパスにだまされるリスクが上昇した.(なぜこの時代にそうなったのかについてミラーは説明してくれていない.より個人主義になったからということだろうか?)デビアス社はこの信頼できる信号への需要を利用した.「ダイヤの輝きは永遠です」そして女性達に約束の真剣さを表すものとして月収2ヶ月分の指輪を男性にねだるように訴えたのだ.「月収2ヶ月分」こそが信頼度を裏付けする.だからオンラインで安くダイヤが変えるようになると,女性はより大きなダイヤをねだることになるのだ.


この話自体は面白いが,これは果たして「調和性」のディスプレーなのだろうか.確かに永遠の輝きを女性に贈るところまではロマンティックだが,月収2ヶ月分が約束の真剣さを表す(そして女性からそれをねだる)のだとすると,それはたんなる違約金の約束に過ぎないのではないだろうか?


ミラーはさらに「エチケット」を教える様々なサービスも調和性ディプレー産業の一環だと指摘している.これはちょっと面白い視点だ.このようなサービス産業で教え込まれる社会規範を身につけるには通常超人的な忍耐力,思慮深さ,寛容さ,同情を必要としているのだそうだ.

ゴールは利己的な衝動をきちんと前頭皮質で抑えることだ.支配者層の若者には重要なので,互いにチェックする.ヨーロッパの貴族階級は伝統的に男子をイートンなどのボーディングスクールに,女子をイタリアの修道院かスイスのフィニッシングスクールにやってきた.

ミラーはここでその背景を説明していないが,このような「エチケット」で示される調和性ディスプレーはこのトレーニングにかかる(忍耐などの)コストによってその信頼性が表されているといいたいように読める.


しかしそうであるためには,調和性のない人にはそのトレーニングにたいしてよりコストがかかるという構造が必要だ.
確かに(支配階級でない)通常の人々にとっては,調和性のある方がエチケットを身につけるための忍耐力コストは小さいのかもしれない.だから,おそらく通常の人々にとってはエチケットは普通の調和性ディスプレーとして信頼性のあるものになっているのだろう.そして支配階級の子弟にとってはそれは非常に重要なので,普通の人々ならとても取らないようなコストをかけてでもディスプレーすることが割に合うということなのだろう.(だから支配階級の子弟に関していえば,エチケットは調和性ディスプレーとしては信頼性があるものではないということになるだろう.それは単に財産があることのディスプレーとしての信頼性しかないと思われる)