日本進化学会2010 参加日誌 その5

shorebird2010-08-13
(承前)大会第三日 8月4日


午後の部はヒトの進化にかかるワークショップに参加


WS9 ヒトはなぜ病気になるのか:進化学の目で見る新たなアプローチ


ヒトにある疾病関連遺伝変異についてのワークショップ.冒頭は進化医学に関する総説的なお話をということで招かれた長谷川眞理子先生の登場で,このセッションは聞き逃せない.


病気はなぜあるのか?:進化生物学からの視点 長谷川眞理子


まずこれまでの自分自身の取り組みについて,ヒトに関する様々な知見を進化の視点から統合したいと考えていろいろ取り組んできたとまとめ,そのうち1つのエリアが進化医学であると紹介.当然医学界にはヒトについての膨大な知見が蓄積しているが,これまでは人類学とはまったく別の世界にあった.しかし病気になるのはヒトの心と体であり,それは進化学の視点から統合できるものだ.

ここでアメリカのリベラルよりの政治風刺コミックDoonesburyから進化を取り扱ったものを紹介.(実際のコミックはこれ http://stupidevilbastard.com/2006/01/doonesbury_takes_on_creationism/
結核とわかった患者に医者が「あなたは創造論者か?」と聞いて,もしそうなら病原体が進化するという説を受け入れないはずだから,そういう結核菌にはストレプトマイシンで十分だというのだが,患者から「その(耐性菌の進化に対応した)新しい薬というのは?」と聞かれて,「それはインテリジェントにデザインされたものだ」と答えるというオチになっている.(このコミック自体は進化という事実を受け入れないID論者をからかっているというより,むしろアメリカの保守の偽善を風刺しているものだろう)
会場爆笑というわけにはいかずちょっと残念そうだったが,要するに病原体の進化という概念はある程度市民権を得ているということを示したかったようだ.なお現在進化医学が最も広まっているのは北欧で,医学教育できちんと教えるそうだ.また分野的には精神疾患について様々に活発なリサーチがされているそうだ.

ここからは疾病に絡んだヒトの進化史の話.大型類人猿との分岐時(600万年前)には果実食,草原に進出した(200万年前)あたりから肉食が多くなり,ホモサピエンスとなった(20万年前)にはかなり大型獣の狩猟を行うようになった.さらに出アフリカ後,農業の開始(1万年前)から穀物を多く食べるようになり,都市(5000年前から)ができてからは人同士が密着して住むようになった.そして300年前の産業革命以降人口が指数関数的に増加している.

健康被害を見ると,農業開始以前は事故,毒物摂取,昆虫媒介病が中心だったが,農業開始以降,感染症が増え(700以上の病原体が動物からヒトにホストを移している)工業化以降は慢性の非感染症(生活習慣病および精神疾患),さらに新興感染症が問題になっている.これは進化史に伴い,ヒトにとっての環境が変化したことによるもの.
ここで特に強調されていたのは,ヒトは共同生活を行う社会性の動物として進化してきたことで,比較的小さなグループのなかで互いに顔見知りで,嫌なやつとも毎日やりとりをしなければならない,育児も仕事も一緒にやるという生活が進化史の大半を占めており,これは現代の精神疾患を考える上で重要だということだ.(そういう意味で現代の核家族の状況は非常に不自然,特に子供の心の発達という点からみて影響が大きい可能性がある)

ここで現代の狩猟採集民の調査を見ると,彼等には生活習慣病や一部の精神疾患(鬱やADHDなど)が見られない.老人でも高血圧やアルツハイマーの症例が少ない.これらは現在見られる多くの健康上の問題が進化環境と現代文明の環境の不一致に起因する可能性を示唆している.

精神疾患を考える上でもう1つ重要なのはヒトの心の仕組み.自己の認識,世界の認識とそのなかでの自己の認識,他者の心の世界と,他者から見た自己,さらにそれがリカーシヴになっていて,そのことが相互理解されているという状況という非常に複雑な情報処理を行っている.これは大脳に非常に新しく進化してきた形質なので壊れやすいのかもしれないということだ.


質疑ではまず自己認識はいつから生まれたのかという問題が取り上げられた.
長谷川は化石に残らないから難しいが,認知考古学から見ると身体装飾が見られるのが3-4万年前でそのころからという説とさらに前からという説があると答えていた.
また病気の適応的意義を問われて,当然ながらすべて適応であるわけではなく,適応,何かの適応の副産物,多面発現現象,適応形質が環境の変化により病気として現れるものなどを見極めていかなければならないと答えていた.



低頻度有害変異と疾患遺伝子関連研究 大橋順


これまでヒトの疾病遺伝子としては,単一の原因遺伝子がよくリサーチされてきた.しかしごく低頻度でちょっと有害な遺伝子も重要なのではないかと考えられる.
そこで大規模に調査可能になったSNPs(単一塩基変異)と疾患感受性の関連の調査を行った.現在SNPはチップに流し込むことにより一度に50万個調べられる.(なお次世代型シークエンサーではさらに大規模に調査可能)

実例として高脂血症のリスク変異の例があげられた.まず既存のチップ上で感受性のあるSNPが4個見つかったが,さらにチップにない疾患相関SNPが多くあるようだ.
この後SNPの有害度,頻度がどのように分布するかのモデル,およびシミュレーションのかなり専門的な説明がなされた.
後半はなかなか理解できなかったが,次世代型シークエンサーがSNPを通じてリサーチに大きなインパクトを与えることは印象的だった.


クローン病アレルの地域特異性とその進化学的考察 中込滋樹


これまで遺伝性の疾病に関しては単因子のメンデル遺伝病(例:ハンチントン舞踏病,血友病)のリサーチがよくなされていて,それは家系図や連鎖解析を用いるものだ.
現在多因子性の遺伝性疾病についてもリサーチが進みつつある.これをクローン病の場合を例に取り説明するもの.なおクローン病とは,欧米に多い消化管の慢性炎症にかかる遺伝性疾病だ.
遺伝子が多い場合には単純な連鎖解析はできないので,相関解析が使われる.SNPを大量に集めてアレル頻度と疾病の相関を見る.SNPをマーカとして扱うことにより全ゲノムの相関解析が可能になる.2007年の解析では様々な遺伝性疾病に関して合計400以上の相関アレルが同定された.
では何故こんなに多くのアレルが拡散しているのだろうか.クローン病を例にとって考察する.
クローン病はヨーロッパに特異的に多い地域性のある遺伝性疾病で,先ほどの全ゲノム解析で30以上の候補アレルが見つかっており,生活習慣も発症確率に関連することが知られている.このアレル群と疾患との相関や分布に地域差があり,たとえばこのうちNOD2というアレルはヨーロッパに特異的に分布している.
ここで遺伝的多様性と進化動態を見るためにいくつかの地域のサンプルから82の遺伝子を使って合着シミュレーションを行う.するとこのうち60ほどの遺伝子は中立的な浮動により拡散したという仮定を棄却しないが,22の遺伝子で中立性の仮定から逸脱していることがわかる.
このことからヨーロッパでのみNOD2が蓄積しているのは淘汰によるもので,何らかの有利なアレルにヒッチハイクしている可能性があるとしている.
これもヒトの進化形質にかかる現在のリサーチの主流がSNPの大規模調査に移りつつあることを感じさせるものだった.


ウィルスとヒトの進化 間野修平


まず遺伝性の疾病についての総論.
なぜリスク性の遺伝子座に多型が見られるのか
大きく分けて,再起変異と浄化淘汰が釣り合っている頻度平衡的なものと,別の何らかの利点と疾病の不利益で釣り合っている平衡淘汰的なものがあると思われる.この利点は何らかの感染症に対する耐性であることが多いと思われ,代表的なものはマラリアに対する鎌形赤血球症だ.
遺伝的には単因子のものと多因子のものがある.多くの多因子性の病気について血縁リスクと有病率を並べてみると,それらの背後には,浮動や淘汰のゆるみなどの複数のメカニズムがあることが見て取れる.
多因子性のものについてはSNP解析が進みつつあるが,例えば遺伝率は85%もあるのに,SNPでは5%しか説明できないということが生じている.この要因の1つには,SNPの相関の棄却率を5%と取ると,多くの少しだけ効いているSNPを捨ててしまうということがあるのではないかと思われる.これらを補正すると45%程度説明できるとする議論もある.

次にウィルス性肝炎について
まずB型.日本ではキャリアが人口の13%程度いると言われている,DNA型はAからJまで区分されている.母子感染由来のものと1985年以前の予防接種によるものがある.感染後2-30%は急性の症状を見せる.AntHBe陽性キャリアに移行すれば「治癒」と考えることができるが,そうでない感染者の一部は慢性に移行し,肝癌リスクを持つ.
C型.日本では150万から200万の感染キャリアがいると見積もられている.ウィルスはRNA型でうち70から80%はIbと呼ばれるもの.
一旦急性の症状を生じると,70%は慢性に移行して肝癌リスクを持つ.インターフェロン療法があるが,これには薬効に個人差があり,半数の人にはあまり効かない.

C型肝炎の地域分布を見ると,沖縄と岩手で高い.これはいわゆる縄文型Y染色体の分布によく似ており,それと同じ起源なのかもしれない.
C型肝炎ウィルスIbを合着分析すると,地域間での動態の差がわかる.これによると現在アメリカでは日本の40年遅れの感染状態であり,おそらく40年遅れで症例が増えてくると予想される.

実務的な問題の1つに,インターフェロン療法は非常に高価なので,事前に患者ごとの薬効の有無を知りたいというものがある.これについて多数のSNPを治療成績の相関でしらみつぶし解析するといくつかのSNPが浮かび上がった.その中で999と呼ばれるSNPと治療成績にかかるp値は10^-16のオーダーになる.大体3から5のSNPでかなり治療成績を予測できるのではないかと思われるとのことだった.

昨日に引き続き濃密で流麗なプレゼンだった.


統合失調症の原因を進化医学的手法で探る 柴田弘紀


統合失調症は,高次脳機能にかかる精神疾患で,地域・集団の違いによらずに均一に分布することが知られる.最初の長谷川のプレゼンで環境依存的な精神疾患は狩猟採集民に見られないとあったが,統合失調症は狩猟採集民にも分布している.
症例は陽性のもの(妄想,幻覚など)と陰性のもの(引きこもり,集中力の欠如など)があり,世間的には陽性の症状がよく知られているが,それだけではない.
明らかに遺伝性だが,一卵性双生児でも一致率は48%.遺伝率は大体85%とされている.これは多因子性疾患では高い方だ.


このような明らかに適応度を下げそうな遺伝因子がなぜ淘汰されずにユニバーサルに存在するのかはパラドクスとされている.

多因性だとすると,このような統合失調性に対する感受性が閾値より高ければ発症してしまうが,逆に低い場合に何らかの不利益(例えばとても認知能力が低くなってしまう)があるとすれば一種の平衡淘汰として説明できる.(そして閾値に近い場合にはいわゆる天才になるということもあり得る)
ここでは説明がなかったが,閾値直前の「天才域」にメリットがあれば,特に低い場合にデメリットが無くても平衡淘汰で説明できるだろう.このような議論をどこかで読んだことがある.


ここで多数のSNPを統合失調症の頻度に関して分析を行う.そしてTajima's Dにより浄化淘汰を受けているのか,中立なのか,平衡淘汰を受けているのかを推測できる.
神経系の信号伝達関連のSNPを調べたところ多くは浄化型のものだったが,平衡淘汰型のSNPも6つ見つかった.合着シミュレーションをすると10百万年前ということで十分古い.
またグルタミン酸レセプターや代謝関連部位から2つ,ドーパミン関連部位から2つ,同じように平衡淘汰を示すSNPが検出されている.

ここまでの結果から見て,高次認知機能に関連する機能的な変異が統合失調症に関連している可能性があると結論されていた.


最後に長谷川眞理子から総合コメントがあった.
今日は次世代の研究者のいい研究をたくさん聞けて大変心強く感じた.遺伝子のデータがものすごい量で増えていて,それが他部門の研究者に共有されているのがうれしい.これまでヒトの行動や生理生態のデータはそれぞれの分野の研究者によってばらばらに所有されていた.DNAデータとすべて統合してみる研究者はまだすくないがそういう方向に進んで欲しい,という内容だった.


私もこれまでの伝統的な適応の研究が,DNAデータにより大きく動いていることを実感することができた.特にヒトについては現在SNPデータがものすごい勢いで増えていて,様々な定量的な実証が可能になりつつあるということだ.
ということは,これからは疾病に関するだけでなく,異性から見た魅力,パーソナリティ,利他的傾向,宗教的傾向,政治的傾向,犯罪傾向,運動能力,知能指数・学力,貧富の差などありとあらゆる人間の現象に関して大規模なSNP相関分析が可能になる.どのような知見が得られるかということも興味深いし,おそらく激しい論争も生まれるだろう.
そういうエキサイティングな時代がすぐそこに来ているということを実感させてくれた大変有意義なワークショップだった.


この後,総会と学会賞表彰,そして受賞記念講演,懇親会という日程だったが,私は残念ながら所用があって会場を後にせざるをえなかった.